Page 1 Page 2 [ウフィッチ、 ピチ雨美術館」 フ ロ レ ンス市行 を企てる人

KURENAI : Kyoto University Research Information Repository
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伊太利ところどころ(二九)
瀧川, 規一
地球 (1932), 18(2): 142-149
1932-08-01
http://hdl.handle.net/2433/184067
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
地
球
節
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静 二雛
(二九 )
蒜 ニ
一
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。倫敦飯 岡詑 及 び伶敢 蒋訪問記を藩 いね莱
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)も大英博 物館 、固 ま美 術館 の f
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者 ル カス
と 敬 脊 - に替って同政 の苦 し い欺 息 を洩ら し て
ろ
親
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ゐる。 今 は上述 の甜由で ラ フア ユP(
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︹ク フィッチ、 ピチ画業 捕館 」 フ ロレン ス薄 行
を企 てる人 は大 抵 r
Jの ク フィッチ (
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)扉 チ
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)両美 術館 と パラチナ (
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na)美 術館
その他 の陳列場 を訪 問す る.文勢 復 興期 の名 匠
の筆 を鑑賞 せ凡と欲す る者 は美術 巡櫨 の連鎖 の
一大 リ ンクとし てど うし ても見逃す可 からざ る
伊 太 利 と
瀧
塵 であ る。然 るに 一問 を代 表す る大美 綿飴 大博
と ポチチェ- (
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elli) の 両人 の筆 は つ いで
覆 いと見 て凍ね こと ほなら 覆 い。
3-と て陳列 品を飴 から 絡 ま で云ふ のは面 白
く覆 いO F
JA在 乙と 恕云ふ のは現筆者 丈け で は
物館 を 一巡 し てを の印象 配 を藩 か凡と す る時恰
述べ フ ロレンスを引上げ る こと にす る。 文襲復
興期 の名 匠 の 一々を述 べず ほ閑人 のみは止 める
のは胆 にそれ丈 け の珊由で あ る。
︹ラ フア ユヱ ラ ファ エロ (
Ra
ffaetto)と 云
へば誰 でも知 ってゐると 云 って過言 で は 老 い.
ポチチェタ の給 は美 術 の 玄人筋が推賞 措-能 は
も田 舎漢 が 一大博腰骨 を見物 し て凍た時 と同じ
- 只見 て兼ねと云 ふほ止ま ってr
bで何を児 で兼
ねかと糊 はれると簡単 に答 へら れ覆 い。他 人が
その 二 一
を指摘 し て見聞淡 をす ると、それをら
先 刻見 て凍 て承知し てゐ ると 云ふ顔 をす る こと
が あ る。 何か印象 の最 も泥-あ っ舟も のむ詣n
ざ る麗 であ るが 、 ラ フア ユ ルは素 人筋 鞘常 人 好
見 うけ る低 臓英 型 で あ ると 見 え る。玄 人筋 に は
は は 乙の女 の教 は浮 世 の荒 波 を経 魔 せ 沿女 の顔
だ から 弧- 深 - 印象 を輿 へ沿。 女 軍 産 中 に往 々,
,のす る粕 を啓 - 人であ る O前 者 に は晋 家 の個
p
性 が 歴然 と 現 は れ で ゐる。後者 は 乙れ ほ反 し閲
のせ ぬ顔 で あ る. t五 五 〇年 に寄 か
兎角 の批 評 が あら うと も素 人 には見 て憩 い感 じ
銅 せら れ る ラ フア ユルの愛人 の付換 散覗 いて見
る所謂 ド ンナ。ヴ ェラク (La DonnaVe
t
at
a)と
が 友 人寄 家 の記 念 物と し て夜 が -
レン ス市 の商 人 マッチ オ 。ポッチ (
M at
t
eo
- (Vas
ar
i
) の商 家 列樽 に よ ると 乙の糖 は フ ロ
れ た グ アサ
表作 に つ い‡ 試ふ のであ る 。今 ピチ美 術館 にあ
満 触 碑 の塵が あ る。 これ は勿 論 両者 の作 晶 の代
る。 目鼻 立ち のき つば -と し て整 った 所謂雁 罵
が 遺族 が 一六 一九 年 に コシ 竜 (Co
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mo)二世 に
秘蔵 し て
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)
ゐた
人型 の顔 を し て輝 - 嘉陣 をもち 黒 乾 を 正面 は雨
で て ゐる。 若 々し い様 子 む し で如 何 にも 浮世 の
る。'h
.糊班
=には輝 - 賓 石 の親 を強 いて右 手 を胸 に常
紺 の白色 であ1.耐
袖 は縞筋 のあ る萌継 手 であ
十 三歳 と 云 ふ短 さ 1生 で あ った 。グ アサ リ に よ
彼 の 一生 は 一四 八 三年 から l五 二〇年 に 至 る四
た結 果家 庭 を作 る飴 裕 が な か った .郷 里 から も
一の何 低歯 であ る. ラ フア ユ γは製作 に熱 中 し
ルが羅 掲 滞 在 時 代 に賓 准婦 人 は つ いて潤 いカ 唯
遺 贈 し たも のであ る。兎 に角 r
Jの糖 は ラ フア ふ
屈託 を知 ら ぬげ を顔 を し
てゐる。筆 の運 びも亦
てゐ るO見 る人 によ って好誼 の差 は
あ っさ-し
。
か孜 何 のわだ
介 し ヴ ェー ルむ被 っ
て長 -耐 鼎 を垂 れ胸 衣 は金
勿 論 あら う 蝕 L f
Jの晴 や か で朗
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六 三
ると ラ フア ユルは敢 后 ま で 一人 の女 を愛 し そ の
延 期 を束 ね てゐた。 蓬 に 一生 を狗身 に終 った.
また高 官 者 から も嫁 談 の申 込 はあ つねが 延 期 に
かま -もな い顔 に向 つて筆 者 及 び婦 人 の個 性 を
美 し い生 き 煎 る何 橡 を柿 いね。 を の綿 に よ って
火 刑 と ころん\
問 ふ者 が あ るな ら ば そ の人 は'喬 は封 し て 一種
の魅 力 の存 在 を 否定 す る人 で あらう O そんな 人
仰
地
球
第十 八
番
節
二 鍛
品
川
鞘
大
る ことが 判 って パ ン屋 の 娘 の F
Jと は 否 定 さ れ
た0
てゐ る。然 し を の素 姓
が 判 ら 夜 い.羅 馬 ヴ ァ チ カ ン宮 内 の 1富 にあ る
ブ エラ タの美 し い容貌 が 覗資 から
ラ。ドンナ ・
愛 人 の容貌 は後 世 は侍 っ
デ スピ ュー ク (
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put
a)と 遁 す る壁 薪 の下給 の
〝 は カー ヂ ナ ル ・ デ イ ・プッチ
理想 のせ鼎 は移 わ 行-階 梯 を求 める. ラ フア ユ
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基 に覇伯 に ょ つ て藩 か れ た態 の十 四行静 中 の目
二年 横 に完
題 す る糖 が 今 日巴 里 にあ る。 r
Jれ を注 文 し た高
成し てゐ る セイ ント ・b
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,リ ア (
St.C ec
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a)と
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)から 1五 二二年 に陸 文 を受け
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的 の女 が を れ であ るか茸 - は蓄 伯 が 故郷 ウ ルビ
い。
ノの伯 父 に宛 でね手 紙 中 に 云 へる美 し い マ竺 フ
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が そ れ であ るか 。 ,
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れ ほし でも
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素 姓 が 判 ら覆
利 運 な い。 或 は常 時 流 行 の拙 憩 の女 であ った か
衣 は身 を纏 以森 林 中 に立 って片 手 に風琴 を持 ち
に委 嘱 し た ので あ る。 豊 y シリ アは金種 蔵 の白
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)と 云 ふ ポ ロエア市在 住 の澄 郷 人 の盛
狩
も知 れ を い. そ れ に し ても 飴 - ほ覗蜜 夜綿 であ
四人 の単産 を伴 って居 る.
. そ の中 右側 の モー グ
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何 は を の親戚 に潜 る エレナ ・デ ユリ オ- (El
る。 ラ フア ユルの即 憩 の婦 人 は 乙れ を彼 の描 -
リ ンの望 王 マリ アは背 高 のす ら-上 し た姿 で容
この度 の女 は非 常 は身 分 の高 い女 で あ った ほ
マド ンナは 求 めな け れ ばな ら 伯。d nが なき 者
貌 に は ラ ・ド ンナ ・ヴ ェラ タ の特 徴 を 不し て豊
め
腎 像 は裸 馬 の富豪 にし て名 家 であ る パ ル''
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等 は嵩伯 が パ ン屋 の娘 を憩 う て ゐたが そ の娘 の
油 壷 を持 っ 居 る。 左側 のき ポ ー ルは剣 に身 を
て
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) の官 邸 にあ る フォ ルナ リ ナ (For
・
オー ガ スチ ンと 若 い望 '・,
)ヨンと が 中 央 の シ シ-
覚 た せ て某 憩 に耽 って ゐる。背後に は髭 両 の畢
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nar
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n ・)と 題 す る綿 であ ると ま こと し や かに云
へた.然 し 後 の聾 者 の研究 に よ ってその粕
アの寮 を凝 醜 し て ゐる 。豊 シ シ- アは天 を眺 め
以儒
R om a
no)の筆 で あ
は ヂ クリ オ こ マノ (Gi
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て墨 から 光 が 洩 れ 来 る
て ゐ る. バサ - の言 に
の歌 に 傾 聴 し
シ シ- アが 手 に も
を持 ち 天 使
ょ れば
っ楽 器 と そ の脚 下 の諾 楽 器 と は ラ フア ユγの愛
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ダラ
弟 子 ジ オゲ ア ン ニ ・ダ ・タ デ ネ (Gi
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の描 - 彪 で あ ると 云 ふ。 巴 鬼
は移 さ れ
て金 - 描 き 直 さ れ今 日で は デ ッサ ン史 け が ラ フ
ァ ェγのも のと して残 っ て ゐ る。 兎 に角 マ- ア
ア の顔 はも ど こやら は ラ フア
の頚 故 び 堂 シ シ-
ユルの所 謂 愛 人 の面 影 が窺 は れ る。
.
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次 に ピ チ美 術館 にあ る マド ンナ ・ ル ・
ン・デ ユカ(Madonna detG
r
an Duc
a)と 云 は れ
姿 を 見 る。 幾 多のマド ンナ の
る。 今 ピ チ の マド ンナ の顔 を 覗 ふ ほ落 着 du
があ
構 図 が 簡 箪 で あ るが 金 髄 の配 合 が よ - 出 凍 て居
-玲 瑞 と し て透 通 った 戚 じ のす る廃 が あ る。 所
謂 夕。ド ンナ 。
グ エ ルクが この位 の幼 兄 を抱 - 伐
の年 齢 は逢 し た 時 に は 乙ん 夜顔はな るで あ ら う
ユ γが
1五
〇
六年
の 年 末 ま で に描
い
リ ノ(Madonna detC ar
delt
ino)を 見 る。 乙 の
ク フィッチ美 術館 にあ る マド ンナ ・.
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プル 。カ ル
と 胤 へる。
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綿 は ラ フア
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Jの 給 で は
た も ので あ っ て フ ロ レン ス の友 人 p レン ツ オ ・
ナ シ (Lor
enzo Na
si
)に輿 へね 結 婚 の贈 物 であ
マリアが 片 手 に春 物 を持 ち 洗
った
職 の ヨ ハネ は幼 兄 の 基 督 ほ葦 の十 字 架 を輿 へる
で ゐ る マド ンナ の
中 濃 初 期 に撒 か れ最 も美 し いと せ ら れ て ゐ るも
ア サ - に ょ ると 、 乙 の糖 はそ の出 水発 えが よ い
麹 雀 を キ - ス- の 手 に のせ て ゐ る。 ゲ
代 -ほ
であ った フェルヂ ナ ンド (Fer
di
nand
) 三世 が
のと 友 人 の聾 で あ ると 云 ふ ので ロ レ ン ツオ・ナ
金
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の で あ っ て、 グ ラ ンド 。デ ュー ク(G
七 九 九 年 に タ スカ ニの貧 乏 を 1寡 婦 の家 は見 拍
シは非 常 に 大 切 収取 扱 っ
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し 三 月上 げ た 7
Pので あ る。 そ れ から は太 公路 は
高 萩 を 修 搭 し た の で あ る。 さ て 乙 の マド ンナも
地 震 の時 に破 壊 r
Jれ な の
蒜 温
六五
て ゐね が l五 四八 年 の
で ロ レン ツ オ の息 子 が
て ゐね も の で あ
自 分 の行 - ど こ へで も 携 帯 し
の下輪 が あ る.
る。ク フィッチ美 珊飴に は 乙 の輪
仰 大 利 と ころ 、
ハ
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地
紋
亦ど f
Jやら ほ前 の マド ンナと 似 た虞 が あ る
精 肉 附き が よ-な って ゐる丈 け で あ る。
十
只
妨
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次 に 一五 〇七年 に潤 か れ ルーブ ル (
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に あ る ラ 。ベ ル・ジ ヤ ルヂ ニエル (La Be
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ere)を見 ると これも 亦 何と な - 似 て ゐ る 。
この糖 は ラ フア ユ〝が ,
b エナ (S
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in
a)の紳 士 ブ
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賂 二紋
蒜六
六六
るが 、 マリ アの脚 下 の花 咲 - 野 に は洗 櫨 の ヨ ハ
ネが マ- アを指 差 し て立 って居 -、 ヨ ハネ の足
秒
あ る フラ ン シ スカ ン派 の寺院 に納 ま って ゐたが
後 に コソチ の故 郷 フオリ エオほ移 さ れ更 は 巴里
に移 さ れ再 び 巴里 からヴ ァ チ カ ンに移 った の で
あ る。 巴 里 から雅 馬 に行 -際 に は政 から 布 に移
されね 。 マド ンナ は雲 に腰 む かけ雲 の上 は足 を
め に 挿 いね も の であ るが フイ- ツが は r
Jれを フ
許 は里 フラ ン シ スが脆 いで 一部 分煙 惚 と し で天
載 せ てゐ る . 天使 の部 の列 で後 光 を つ- つて ゐ
ラ ンシ ス (Fr
ancis) 一世 王に頁 っね ので ある。
て延ば し 悲 し める人間 の感 め に榊 の慈 悲 を 求 め
界 の幻影 を見 上げ を がら 同 時 に片 手 を 地 に向 つ
イリ ヅポ 。セ ルガ ルヂ (
Fi
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ppoS gar
di
) の薦
- メ- は 母を見 上 げ て何 か物 む問 はんと し て ゐ
て ゐ る。 向 側 に は里 ゼ ロムが 片 手 を老 灘 の糟 の
幼 兄 の堂 ヨ'
1ネ は片膝 を つ いて十 字兜 を持 ち キ
る様 子 であ るO
奉 納 者 の頭 の上 は載 せ て ゐ t
P。 この老 齢 の奉 納
者 は梨 皮 の カ ラむ つけ 深紅 色 の脱 を つけ て望 ゼ
マド ンナが 雲 の上 に乗 って む る糖 を求 め ると
ヴ ァチ カ ン (Vat
i
cn)宮 の美 術館 に あ る マド ン
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れ等 の人 々の中 間 に 一人 の小 兄 の天使 が 振乱 を
ォ- ノの都 市 が 見 え、峯 に は虹 と 流 盛 が 見 え るrJ
豊麗 と の連鎖 をな し 、﹀
背 景 に は蓬 か敏 感 に は フ
横 ほ し で持 ち 天界 を 挑.
め地上 の聖徒 等 と 天界 の
ロムの傍 は恭 し -脆 押し て ゐる。 両側 に居 る r
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ナ 。デ。フォ- こオ (
Madonnadiー
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乙の給 はもと デギ ス モ ンド 。デ イ。コソチ (Si・
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nti)と 云ふ法 王魔 の内大 臣 の
薦めに描 か れた
も ので アラ。ケリ A・a Cc
eti)は
奉納 者 の高 肝が故 郷 の都 骨 で爆 韓 の矩 裂 は際 し
辛じ て難 敵免れ た記念 の蔑 めほと の絢 は描 かれ
ねと 云 ふ。 笑 む含 める キリ ストの顔 は従 凍 の い
た づら 小冊 を像 想せし めるも のと は趣 を異 はし
こオ
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受
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)から 法
イ。竜ソチ (Antoni
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文 を け て同数骨 に納 入 した. 一七 五 三年 に サ
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y)の オー ガ スタ ス A
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クソ 一
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の美 術館
長 椅 子 に腰 を 下ろ し て糖 を凝 硯す る時 何人も 立
めに l室が 陣 に宛 てら れ てあ -嵩前 に置 かれた
レ スデ ン博 物館に有 名 な糟 が あ る
ン。シ スト(Ma
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onnadiS
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m Ss
ito)と超 し てド
先 頃 揃果 し 允 かと 心配 させ た マド ンナ・ヂ・サ
せる鮎が次 のド レスデ の粕 は至 る階 梯 をな す の
であ る。
迄 逃 べ て兼ねも のと は似 て ゐ夜 い。雲脚 に搾躍
マド ンナ ・デ。フォ- エオの綿 に於け る基 潜 は 乙
ラ・ド ンナ 。
グ ラフク の顔 に到達 す る のであ る。
鎖 的 に原始 の望 む求ひれば最 初 云 つね愛人 の瀕
あ る。聖 母 の透 徹玲 瑞 を顔 は マド ンナ 。
デ ル・ダ
ラ ン。デ ュー カの聖 母 の顔 に 似 て居・
a 従 って連
いIt
J敢高 の 天 から降 下せんと し て ゐる。 立番 で
を受け てゐる の は前 の フォ- ニオの ヤド ンナで
あ る。 サ ン・シ ストの マド ンナ は キリ ストを抱
に今 日ま で展観 され てゐ る のであ る 。 盈 母が キ
リ ストを抱 いて雲 に腰 を かけ 地 上 の譜 聖 の渇 仰
ソ
ち去 る こと を忘 れし める程 であ る。精 練 巧妙 に
㌧に描 か れた基督 及 び 下の欄秤 に肘 を つ いて上
三世 が九千癖 で購 入して後 ド レスデ
印 刷 さ れ てゐ る筈 の摸罵版 でさ へ 一旦 乙の糖 の
寅 を見上 げ て ゐる二人 の天使 と聖 を 一つにし て
てゐるが' マド ンナ の顔 は頭 大 隈紬 にな って今
安 物を見 る時 に は種 馬版 を買ふ乗 付 にな れぬ程
ゐる.従 来 の如き にくら しさがな い. マド ンナ
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Jの紺 の薦
差 異 が あ る。 ラ フア ユγは一五 ㌦五年 か そ の翌
六七
uを以 てし て7
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の顔 は如 何な 極彩色 の精 妙r
七
年頃 に伊 大利 のi
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串を い晴 浄衣感 じ のす る額をも ち翻 和 の発光 を
と こ ろ んし、
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o)散 骨 の常滑ア ント
あ る サ ン・シ スト(S
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ア ユ ルが フ ロ レン スに修 業 に凍 て以 凍 描 いて凍
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鍍 す る眼悼 むも ってゐ る。肴 潜 を悦惚 ねら し め
れ多 - の マド ンナ ht
精 錬 は精 錬 を加 へてそ の妙
節
ると 基 に記 念 の 岩鼻 撒 r
uへ 買 ふ 菊 を 起 ruし め
庖 のみ を保 持 し憲 中 の愛人 を基 礎 はし て作 -上
求
ず 。視 葛 は撒 布 は過ぎ ぬ の嘆邸 を教 せし める。
げ た傑 作 が 乙の マド ンナ 。ヂ・サ ン・シ ストであ
る。英 人 は革 は これを シ スチ ン÷ ド ンナ と 呼
也
欄 朴 に肘 を究 たせ て ゐ る天使 を見 下ろ し て微 笑
ん で ゐる0
masfl
n
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y Huxl
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y) は自 色 人 稽 有 色 人 駕 の差
別待 遇を論じ 男性女性 の優劣論 をな し た序 は情
仙 の愛 人 の影響 k.
見 た のであ る。共 囲 十 九 聴視
o
の自然 科尊 者 ト マス・へシ リ 。ハッ&Lスリ (Th
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は ラ フア ユルの描 いた マド ンナ を通 じ て覇
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た ヾ へてみ る右側 の此 鯉 の女 性 は聖 パー .'F'f
フ
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a) であ る。 里 バー で フは姦 背教 に
めに肉身 の父 はよ っで骨 を別 ぬら れ
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改 宗 し た馬
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殉 教 者 であ る。伏 目勝 ち の 5
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フは盟 損 r
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れ て ゐ ると 云 はれ で ゐるが 着 々の目 ほ は典 雅 と
威 厳と む印 象 づけ る のであ る。 侶榊 溌 い敬鹿 の
態度 で マド ンナと キリ ストと を泉 邦 し てお る老
人 は法 王シキ スク ス(Po
peSi
xt
us)二世 であ るO
熱 の優 し さ は女 性 に あ ると 云 はず し て男 性 が 寧
ろ これを有 す る例 符 と し て アデ ライ ダ (
Ade
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da) と 題す る べ1 -- ゲ ェン(B
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)の
へる
脱 基 と 云 Sど の人 物 にも欠 勤 を見 出 し難 い。構
作 曲 は ベー トー ベ ン夫 人 が作 ったので夜- そ の
以色 と 云 以天凪 は瓢
想 の調 和 の完 備 せ るも の であ り' ラ フア エ ル嫌
,
Jの粕 に於 て は組 と 云
S の群 衆 で7
Pr
Jの シ スチ ン・マド ンナ 史け は恵
述 べL
J) はそ の女 性 の捕 -塵 と なら ず 男 性 の蓄
伯 の筆 で在 いかと 云 った 。既 に詳逃 し た班 想愛
主 人 が 作 ったぢ や査 いかと 問 以、 ラ フア ユγの
フ ォ ルナ- チ (乙れ は硯侍 であ った r
Jと は既 に
日を 云 はを い。
Jう であ ると せ ば素 人筋 の鋸賞 家
玄 人 筋 すら r
が 渇 仰植苗 の涯 を 乙ぼ す の は雷魚 であ る。 ラ フ
の精 華 を覇 家 の マド ンナ に 放 て如 薯 に 見 出 す の
六
で あ る。 現 賓 に 愛 人 が 春 荘 し て ゐ で も ゐ在 - で
もそ れ は 問 題 はな ら な い。
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耐 附迎 背
尤 慨 三岡 九 〇錦
る手数 を省 いて興れ る。 光 も之等 の終 末 は別 に・榊
S胎臓 物 州・3
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び高 等 粒庇 の解 放究 曲事 とし て' ま た 此辞 の串 校 の允 4.
や、
表な る l替 とな ってゐ る さう であ るO紫 帝 は本省 を 「巾等 及
べば槍 ・.'
#試 験 食 柿 は前 食
小堺校 の銀 盤 の参 考啓 とし て役 i
九つL 然 め に常 さ れ た のであ
るが' も し水音 によ って錬 物 輿 を笹
ひ であ る計 り でな- 1蝕 樫錬 物 供 の研 究家 乃 茸 は愛 好 潜 にな
かな り の離解 が見受 けら れ る のは追
って了 ひき う であ るO た i
・
多 - の織 物 弊地 質 選番 の節 一版 が
さ う であ る樺 に本革 にも
悼 であ る. 本番 節 二抗 の地 質駿 の部 が川 仮 さ れ る のむ尭 柴 す
O棄駄磯物地質挙 用
凹 月 光 滋 代 々木 昭鬼 舵敢 行
る のは 日本 地戟 鼎 の額 し-姑 ず る桝 であら うO (
.
}付 し
+ .
i七 試
許
ど の甘=称教育 奴 に中称 椎舵 の摂校 でも
れど も 封桝 附 では如 いoLこ の御子 で鍬 物 堺 の教 縦を赴 ま し て
和 る。 艇 蛾功 の対角 線 は非 の場 内 を別称 し いこ部 分 に分 づけ
戒 と 五剣 山 、 円- 火分 別僻 地 方 で、 前陣 と同 じ- 火山地方 が
有 珠 火山 と洞 爺 カ ルデ ラ湖 t R- 牌 抱 と 距兄 鬼巾 、 円- 擬 抱
た が今 そ の節 三桝 正装 が川仮 され た。 日- 北 ア ルプ ス、 臼-
本 圃 の節 1節 こ両神 に就 いては本 誌 六 月雛 に勧 介 し て耽 い
昭利 七咋 六月
行 - なら ば栄華 相川川 蝉 博 士 の教 鞭 を執 ってゐら れ る成 践前
7枚 七十鵬
額 数 枚 の北従 の様 に、
多 い. こ の先薬 申 北 ア ルプ スは珊献 納碑 であ って壮 大な 山容
五枚 一組
O E
Z
=永 島 鰍 国 印射 撃 議
節 三的
氷 解雄 単向 柳 原 駐 米郁 成 館敢 行
川 づ ぺ- し て川 な か った甥 臆 と焚 物 の粗 雛 と によ る錬物 解
放地 朝鮮 の串 御坊 が刊 行 さ れた のが本啓 であ る. 節 1質 から
封榊 の瀧 明 にかうあ る。 「野球 場 は 二職 と本 典 とを 紡 ぷ線 上
銑従 が 熱 心 に蛸 昧 あ る紋 投 を受 け柑 られ る許 であ T
a. 木藤 を
.g 桝す る と近 代 の鮒 物 桝 に必 礎 であ る邸 瑚 例 へば 柵 品 の粒 描
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