Kobe University Repository : Kernel

 Kobe
University Repository : Kernel
Title
<研究>ガリアニのDella Monetaに就て
Author(s)
手塚, 壽郎
Citation
国民経済雑誌, 47(1): 96-107
Issue date
1929-07
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00054168
Create Date: 2014-11-01
第四十七魯
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の牽行 日付 を記 され て ナポリ市 に出 版 せられ たO(
読)此寄物 は、
私 が他 の横 合 に充 分 に明 にす る であら うが如く .
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重要 な古典 であ るO そ れ
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にし てもか- も 重大な る意義 をも つ書物 の著 作者 は誰 であ った か。或 経済 畢諌史 家 彼此著作 を常 時未 だ 二十 三歳
に達 せぎりL ガリ ア この筆 に成れ るも のな り とし .又或 聾説史 家 はそれを ガリ ア この著作 に非 や とす る 。 それら
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( 1) 伊太 利 の盲 い史 家 叫
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も同様 の意 見をも ってゐた。
「政 治 の原 理 に詳し- また習嬰 的思索 が豊富 に薪 れ てゐ る此書 物 の如 き は長 い間 の経
験 をも った 人 の作 物 であり得 べき であ って'
弱 年 のガリ ア この如 き が編 み碍 べきも ので夜から う と云 ふ人 が 多 いO
ま た此 署 物 は ガリ ア この著 音 では孜く し て、 ガリ ア ニはた ゞ 年配 に於 ても叉判 断 に於 ても常時 既 に囲熟 し てみ
た肢 の二人 の友人 r
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も あ る。 私自身 は少し の疑問 を さ へも ってゐな SoCg
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e は未 だ 二十歳 に達 せず し て 7軍 の統 帥 者 と
を
な った が .私はよ- 此寄茸 を侶 や る J
Jとが出凍 る 。な ぜな ら戦争 は勇気 と若 さ と常 識 とをし か必要 とせ ぬから で
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政 治 に封 す る批 評 に充 ち てゐ るも のが、 二十 二減の青 年 により て
あ る。 ま た Ta
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oが十 八歳 にし て整 相"Re
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ud" を作 つね のも 8グ オ ルテー ルが同 じく 十 八歳 にし て悲 劇 層
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^書物
いた のも 不 思議 ではな So想像 と詩 とは青 年 に つきも のであ る。然しガ 野 ア ニにより て書 かれ た と云はる ・
の如- 歴史 や人聞 性 に裁 て の泥 S観 察 に充 ち
作 り上 げ られ ると 云 ふ ことはあ り碍 夜 Sと.親 墜 侶ず る。 私 には ガリ ア 品の菩 物 が ィ ンスピ レー ショ ンの作 品 で
あ るとは思 はれ な い のであ って p経 て私 は、此書物 は政治や 添律 を 研究した 二人 の人 が ガリ ア ニを し て書 き取ら
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し めた も のであら う と信 ず る。 それ のみ ではな S.D
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第四十七巻
第 一硯
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見 ら れ る ような 軽 快 な筆 致 を 以 て書 かれ てゐな Sで'高 侍 で は あ るが荘 重 な文 照 を 以 て書 かれ てゐ る。
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a の最 の著者 ら が自 らを 名 乗 り出 で て
な -知 ら れ た事茸 な の で あ るが 、而 し て此著 述 を な した f
Jと に由 り て多 大 の恩賞 を さ へ受 けた のであ つた が '
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註 7) もL P
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O の云ふ が如 - であ る とし た ら '何 故 に
抗議 を提 出 し 夜 か つた か 、我 々はそ の理解 に苦 し ま ざ るを 得 患 いであ ら う。Ba
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a の著 者 が ガ リ ア ユであ る ことを 知 ってゐ た筈 であ る。 そ れ にも拘 ら
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iは ガ リ ア ニに封 し て抗議 を擾 出 し てゐな い。(
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iと の食 詰 か ら得 た 口頭 の教 へを 利 用し - 且 つそ れ から 暗 示を 得 た と 云 ふ こと だ け であ るOL(
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Jであ るO
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は 十 八 年 の歳 月 が 流 れ て ゐ る こ と を 観 過 し て は 覆 ら な い. 十 八 年 の歳 月 の経 過 は 青 年 時 代 の文 照 と 筆 致 を 著 し -
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かな る外交 官 生酒 への捧 向 が起 って ゐる場合 には.文鰹 と筆 致 の蟹 化な き こと J
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力 なも のではな S。我 々は彼 ら の主 張 に反対 し碍 べき何 らか より 梶 S理由 を もた ぬぼな ら な いO 私 は此 理由 を 、
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Jと の謹接 に摸 五 つであ らう」(
ま) と云 った が .此 1鮎 とはま さし- 開
音 に.
共通 な る此 歴史 的相 対主義 な のであ る。
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悪銭 と名 目憤 値 の引上げ
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は既 にガリ ア 1
Lに達 す る数 倣紀 の昔 より歴 々行 はれ '綻 て塾者 の批 評 の対象 と
三章 があ る。兄 だL が示 し てゐ るが如- そ こでは貨幣 改鋳 の問 題 が取扱 ほれ てゐ る。 云 ふま でも夜- 貨幣 の改鋳
-
な つた ことも度 々であ った息 だ が此 ら の峯老 中 には此ら 改篤 を 通常 なり と考 ふる者 は殆 ん
ど
粂- 無か った よう で
あ る。何 れ の畢者 も .そ れ が無智 な る人 民を描 薯 す るに過 ぎ な S手段 であ るとし て'それを 難 じ てゐ る。 仏と-
ダ リ ア このみが 此第 三茸 に於 て- こ のこと に勤 し特 異な る立場 を太臆 に表明 し てゐ る のであ る0 私 がか- 云 ふに
し ても 、勿論 それ は ガザ ア こが何ら の保佐 を- 改頃を承 認し 食 と 云 ふ意 味 ではな い。他 の横 倉 に説 明 す る であら
う が如 - 、財 及 び貨幣 の債 値 は 二光の常 任 的法則 に支配 せらる と主 張しな紋 が、諸侯 の任意 的貨 幣改 鋳 を 承認す
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(き筈 はな い. だ から 私 が云は ん と す る こと の意 味 は、 ガリ ア ニが此貨幣 改鋳 の問 題 を、 アジ ア ス教 授 の所謂
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るも のであ る 。貨幣 の改鋳 が行 はれ挺其瞬 間 に、
物債 がそ れ に相燈し て轡 化 す るも のでは覆 いO=Fa
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Jとが出凍 る0 否 丁貨幣 の改錆 と
揺.民衆 が、自 ら商 品 の慣 稀 と貨幣 と の問 に作 ってゐた観念 の関 係を変化す る こと.e遅 い のを利 用 し て Aモ叉は
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れで いつも の食料品を質 はんし てゐ るとし て.も し此ら の人 々の思想 に奨 化が起 ってゐな いとしたら 、彼 ら は此
食料品を安 ら ぬと拒 む人や慣 格を つりあげ る人を批難す る で あ ら うO それだから債格 の愛 化は遅 Sのであ る.
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Jかような方 法 の濫 用 のみが盛 事 な ので
は ア ・プリオリ に意等 であ るとは.ガリ ア ニは考 へな い。彼 によればた Z
あ る.必要 な る場合 に必要 なる程度 に此方 法を用うる ことは督然 に許 されなけ ればならな So 王や国家 が何 ら の
理由 な- 人民 の耕作 地を探璃 した としたら 'それはま さし-盛事 であ る。けれ共 「正義 のた め の重大な る戟翠 が
ある場合 に.政府 にむ か つて我 が耕 地 にて戟牢 を せぬよう にと訴 へた-.信仰的憧 曙 によ って建 設 された教禽 だ
から .これを 横壊 せぬよう にな どと云 ふは正常 ではな い。
」(誰 一)同 様 に王や 「国家 が危急存 亡 の秋 に際脅 し て
#常 で
定額 の経費 を 必要 とし 之を減縮 すれば兵 士や役 人 の士気を損棄 せし むるが如 き場合 には.貨幣 の改鋳 も .
あり . 必要 であ るOL L
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では ガ リ ア ニは此 議論 を 更 に推 し 進 め て'貨 幣 の改鋳 を な す国 王を ぼ稲 場 に値 す る者 であ ると さ へ云 つてゐ る。
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さ はれ ガ リ ア 二の足 意 は此 貨幣 改 環 を絶 封 的 必要 以外 の場合 に承 認 し よ う とす る のではな い。「如何 に有数 な暫
薬 でも .之 を健 全な る人 にす 1め る腎 者 は な か ら うLJま た 罪 な き者 に刑罰 を 科 さ う とす る法官 も な S で あ ら
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であ っ て '掲 封 的 に必 要 な る場 合 のほか有害 で あ り無 益 であ る。
(註 )
これ が ガ リ ア 一
叫の貨 幣 改 転 籍 の概 要 であ るO こ 1に 今 私 は アリ ア ス教 授 が間 へる が如- .此貨幣 改 頃論 が今 田
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註) 二人は小変 の貿 易 の
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Q は白 痴主義 の署 撃思想をも ち.経済 的自 由主義 の信奉者 であ るO 封話者 の他
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1は批評家 で懐 疑家 で、著 者 ダリ ア ニ白身 の代摺者 であ る
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1の代間者 で.小変 の貿易 に封 す る障椙 は悉 皆排除 せら
自由を議論 す る
れねぼな ら ぬと力説 し.其冷媒 を軍 に.自由 に委 せられた る自然 は必然 的 に均衡状態 に落 ち つく も のであ ると云
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「自由 に委 せられた自然 は均衡 に落ち伸- も のであると云 ふことほど誤 であ るも のはな いが、また それ ほど最 理
( 間 は思索 す る とき には自然 と
であるも のも な い。 それは形而上単著 の頭脳 中 に明 に窺 し出 された最 理であ る O 人
同じ程度 に偉大 にし て且 つ虞 大 にな-錯 るから 。)我 々は自由 に委 せられた自然 のうち に因果関係を見 ることが出
来 る。然し人 々綻此自由 に委 せられた自然 が均衡を賛現す る のに複願 のため の時間的串韓 を必要 とす るととを考
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それ で君 の云 はれ ることは覚際 家 の
へてゐな い。人 々は等 しく な いも のも禍 項 相殺 し て平均 し て仕舞 へぼ等し いも の と覆 ると考 へて.蹄 てを 平均す
る。即 ち 人 々は思 惟 の中 にし かな S所 の串均 億 を琵在 す るか の如- 考 へる
手 の中 に入 る と誤 ったも のにな る。 な ぜか と云 ふに、人間 が行動 す る とき には僅 か に五 尺 と 云 ふ小 さ- 弱 い動 物
とな って、自 分 の構 造 の脆 さ と其 生命 の短 か さとそ の欲垂 の偶然 性 と不寧 等 と の春 在を感 知し 'そ し て何も のも
金
の
ち つ- こ
あ る所 、消費者 のあ る所 に小変 が流
ム小変 の債 格 が平衡 状態 に落
カ芥
祷項 し牢 均し得 るも のではな- .苦 痛 と死 とを選 む に葬 れば.物 里 牛か にす る こと の出来 ぬ のを感 す る であらう
から。 私 は此原 理を 小変 の誰論 に適 用した いと思 ふ。自由 に放任 せら る
と、それ ほど最 理 であ るも のはな い。貿 易 が自由 にせら れた とき には ー
ど
れ て行 - - それ ほ 輿 望 であ るも のはな い。 詳論 の上 では これ ほど琵 理であ るも のはな い。 けれ共嘗際 に於 て小
小変 が 7地方 より他 へ移り行 - た め にも時間 がか 1る。も し 此ら の時間 が十五
変 の妖 乏を 例 へぼ或都 市 より他 因 へ報知 す るには、芽 郵 送 のた め に物 L
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的時間 を 必要 とす る ことを忘 れてはな ら
ぬ. ま た此報知 が到着 し てから
日間 であ るとし てー君 の都市 に 7週間 に食 ふ小穿 し かな いとした ら .君 の都 市 では人 々は八日間 食 はな いでゐな
けれ ばな ら ぬ。 人間 と宿 せら る 1動物 にと って八 日間 の断食 は.死 ぬにし ても飴 - に長 過ぎ る。 だから君 の推論
は正し Sが、然 し君 の問 題 の解 き方 は誤 ってゐ るわけ であ る. 此小 さ Sみす ぼら し S小変 の世話ま でも自 然 にし
て貰 ってはな らな い。自 然 は こんな小 さ い物 の世話畠言 す る のには飴り に大 き過ぎ る女 であ るO寧 ろ私共 は此自
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然 に、大革命 や長 い期 間 の大蓬 動 の世話を し て竃 はう ではな いか.政 治政策 は偶然 的原因 により て生ず る偶 然 的
ガ ザ ア この DeuaM o
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bi が云 った所 の此長 い句 の引用 により て怒ら- は明 か にせら れた であら う と思 は る 1が如
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- 、 ガリ ア 二は小参 の顛燥件 在 る自 由貿 易 に原則 とし て反対す る のでもな ければ'原則 とし て賛 成 す る のでも な
いO彼 誓 小 夢 の貿 易 の問題 は輿 へら れた 時 に於 て.輿 へられ た時 の小夢 の特撃 なる必要 の程度 を考 へて解 決 せ
ら れな け れば な ら な いと云 ふだけな のであ るO或者 に役 立 ったも のも 或 者 には何 の役 にも 立た な い. 歴史 的 .I
時桝 に於 て最 理 であ ったも のも .他 の歴史 的時期 には最 理 であ ることが出 来な い。 戎 時 に有益 であ る小変 の自由
ど
も彼 が
貿 易 も或 時 には有 益 ではな いQ
r偉 大なり し コルベー ルは法を 定 め て選 河 や港 鷲を計 墓 し た。此 ら の大計 書 の完 成
の膿 には コルベー ルは此法を撃 へた に相違 夜 S。 我 々は偉 大な る コルベー ルを模 倣す べき であ る。 けれ
な した通 り のこ とを な す べき ではな い.
」
彼 の言葉 で要約 すれ ば、 これ が ガリ ア ニが Di
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の白 由 に対 し て持 った態 度 であ る Uそ れ には .経 済政策 に就 では歴史 経済 的邦封 主義 が とら れ夜 けれ ぼなら な い
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