Kobe University Repository : Kernel Title <研究>ガリアニのDella Monetaに就て Author(s) 手塚, 壽郎 Citation 国民経済雑誌, 47(1): 96-107 Issue date 1929-07 Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 Resource Version publisher URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/00054168 Create Date: 2014-11-01 第四十七魯 第 一焼 ガ リ ア この D e tta Mo ne t aに 裁 て 手 塚 (九 六) 蕃 九六 7七 五 7年 の九月 L . De ︼ l aMo n e L a ,Li briCh l q u e・" と超 せる 7#品 .著作 者 の姓も なく 名 ちな- 二 七 五〇年 の牽行 日付 を記 され て ナポリ市 に出 版 せられ たO( 読)此寄物 は、 私 が他 の横 合 に充 分 に明 にす る であら うが如く . ど 重要 な古典 であ るO そ れ o n d iltac の如 き 心理的経所償債論者 の償億諭 の主 た る sotlrCe とな ったも のであ るか t . g o t ,C I . I . ・ L.Gr ・1 S t i ! ? ,Tu ら-或 意味 に於 ては現代 の去就慣 値 諭 の主 た る S O u岩e であ る と云はれ ぬぼな ら ぬほ にし てもか- も 重大な る意義 をも つ書物 の著 作者 は誰 であ った か。或 経済 畢諌史 家 彼此著作 を常 時未 だ 二十 三歳 に達 せぎりL ガリ ア この筆 に成れ るも のな り とし .又或 聾説史 家 はそれを ガリ ア この著作 に非 や とす る 。 それら Lapr i mae d i Z i o n ed e l l aMone t aC O mPa1 V e ,n Ongi a ne 〓7 50 ,c o meaS C r i t t os o lf r ont e s p i Z i oeC Ome ,f o r s e の何 れ が違 であ るか. 此小策 は J Jの問 題 を解く ことを目的 とす る。 (註 ) p e ri s me r nor a t a gg l ne Jr i pe t ei lGZ I t i a ni ,manonp r i made ts e t t e mbret 7 5 L Jc o memost r ac h i a r a men t el ad at ade b pr i vi t e gi odiCa r L od iBor b o n e , Chean z i d aund o cu me nt op u bbl i c a t ope r] apr i mavc . ) t ada tGa l i p n imedes i mo e a ppa r ec h ei lt 6agos t o1 7 5 1i 〓i br onons ie r aa nc ora かni t o dis t a mp a r e .( De l t a Mo ne t a , di z 山 one Ni c o l i ni . p. 870, No t adiNi c o l i n i . ) t o c h はTDe t 1 aM o n e t a はこ壮重 にし て駿粛 な る筆 致 を以 て書 かれ 、Di a l o g u e 芸url ec omme r c e ds eb l e d Sに Me Cu t 見 るよ う恕軽快 な る書 き方 を す る人 の筆 に成 るも のとは思 はれ 夜 5」 と 云 ふ 。詫 ( 1) 伊太 利 の盲 い史 家 叫 . Pe c c h l f O も同様 の意 見をも ってゐた。 「政 治 の原 理 に詳し- また習嬰 的思索 が豊富 に薪 れ てゐ る此書 物 の如 き は長 い間 の経 験 をも った 人 の作 物 であり得 べき であ って' 弱 年 のガリ ア この如 き が編 み碍 べきも ので夜から う と云 ふ人 が 多 いO ま た此 署 物 は ガリ ア この著 音 では孜く し て、 ガリ ア ニはた ゞ 年配 に於 ても叉判 断 に於 ても常時 既 に囲熟 し てみ た肢 の二人 の友人 r i i nuc c i l ・・ i及 び Ba r t hか l e myEnt i e l ・ iの説を 印刷 に付 し て此 書物 となした 人 に過 ぎ 夜 いと 云 ふ<. も あ る。 私自身 は少し の疑問 を さ へも ってゐな SoCg s t l rや P m up g e は未 だ 二十歳 に達 せず し て 7軍 の統 帥 者 と を な った が .私はよ- 此寄茸 を侶 や る J Jとが出凍 る 。な ぜな ら戦争 は勇気 と若 さ と常 識 とをし か必要 とせ ぬから で ヽ ¢ 政 治 に封 す る批 評 に充 ち てゐ るも のが、 二十 二減の青 年 により て あ る。 ま た Ta s s oが十 八歳 にし て整 相"Re n 'q ud" を作 つね のも 8グ オ ルテー ルが同 じく 十 八歳 にし て悲 劇 層 ヽPヽヽ ^書物 いた のも 不 思議 ではな So想像 と詩 とは青 年 に つきも のであ る。然しガ 野 ア ニにより て書 かれ た と云はる ・ の如- 歴史 や人聞 性 に裁 て の泥 S観 察 に充 ち 作 り上 げ られ ると 云 ふ ことはあ り碍 夜 Sと.親 墜 侶ず る。 私 には ガリ ア 品の菩 物 が ィ ンスピ レー ショ ンの作 品 で あ るとは思 はれ な い のであ って p経 て私 は、此書物 は政治や 添律 を 研究した 二人 の人 が ガリ ア ニを し て書 き取ら ( 克也︺ 克也 し めた も のであら う と信 ず る。 それ のみ ではな S.D e u aMo n e t a は ガリ ア この有名 覆 る後 の著 作 L ) i a t o g u e sに 甲ア ユの De i i ; iNL One t aに銑て か 第四十七巻 第 一硯 ( 九八) 九八 見 ら れ る ような 軽 快 な筆 致 を 以 て書 かれ てゐな Sで'高 侍 で は あ るが荘 重 な文 照 を 以 て書 かれ てゐ る。 」 (詫二) I I I es iecJ e ,p.7 8 . ) X V (寧 一 ) J,Pe c c hi o ,Hi s t o i r edel ' i c o nomi epo l i t i quee nl t a t i e ,t r a d・f r a n c ・ ,p p ,) 1 6 ・8・ cc hr o が 云 ふが如 - で あ ら うかoDe t t aM o ne t a の作 者 が ガリ ア ニであ る こ とは 、 此書 の出 版 後 間 も 果 し て Pe De l l aM. n e t a の最 の著者 ら が自 らを 名 乗 り出 で て な -知 ら れ た事茸 な の で あ るが 、而 し て此著 述 を な した f Jと に由 り て多 大 の恩賞 を さ へ受 けた のであ つた が ' ( 註 7) もL P e cc hJ J O の云ふ が如 - であ る とし た ら '何 故 に 抗議 を提 出 し 夜 か つた か 、我 々はそ の理解 に苦 し ま ざ るを 得 患 いであ ら う。Ba r h c t e my h t i r e i は !七 五七 年 に 死 ん だ のであ って'輩 て彼 は De t l aMo n e t a の著 者 が ガ リ ア ユであ る ことを 知 ってゐ た筈 であ る。 そ れ にも拘 ら ず lnt i e r iは ガ リ ア ニに封 し て抗議 を擾 出 し てゐな い。( 詫二) だ から 「我 々が 云 って確 か な こ と は'De t t aMo ne t a LeM ar q u . i 班 Al e xa ndr eR i n t l C C iniや L' Ab b か Ba r t h o l o me o の第 二版 の努 頭 に置 か れ た Avv3 B .PE e r n e s s oa t t as e c o n d ae d i z i o l l e中 に示 され て ゐ る よ う に、若 き著 者 が そ の友 人 - 造 か に年 上 でー 何 ら の著 述を 遺 し てゐ た い! lnt i e I ・ iと の食 詰 か ら得 た 口頭 の教 へを 利 用し - 且 つそ れ から 暗 示を 得 た と 云 ふ こと だ け であ るOL( 註三) ( 註 1) De s s ei n,op・c i t、pp・7 5 ・ 6・ し i n t i eriにがヱ ノ二に封して抗議を提出 てゐな いと云ふのは、 Cu s t odiの如く 7七五 一年八月十三8 ( 註 ニ ) 私がこゝで 「 純 な等繋 船基 礎 とL L Jであ るO 付 ゆか りア ニへの手紙を推定 の基癖 としてではな いe磯 嘘的な ろ抗議 を がLi i文書が今 日ま で瞥 見掌 りれて ゐな いと云ふ畢 p Cus t odiに 云ふo" . T J' a V V OCat OLui gi Di c dat i .c hes c r i s s ees t a m ひi nNapotine tJ788unaVi t adiGat i an i 享. I ,di c e c her e st at u t t oraかs s on e l t ' an i modimo t t i .c hei 〓i br os u II aMonet as i as t a t of a t t oi ng r anpart ed aBa r t ot o me o Z n t i e r i;macheq u e L ' o pi ni on eかStat adi vul gat ada al c unima i e v ot ide lGal i ani .Ad ducei np r o vaunal e t t e r at r ? v a t at ral edil u icar t e ,scri t t a gt idaMa s s al iL Sagos I o1 7 5 1ne T t aq u a t eL ' ab at el n t i eric osi s ' e sprl me ︰LHot e t t o , ec on ammir a N i o n eedi l e t t oi nespl i cabi t ei 〓r at t at os op r aZ eMone t e .enon s ol o' th ol e t t o ,mad i p pi . L Inehosc・ s e mb r an on ri t t o amo t t im・'1 e ia mi ci ,t o c c o daこafo r zafat t ami da〓a l ent os t upe nd o diunu o mo ,ches e n Zadub bi os ih ag ua ・ da gnat oi lpri moi u ogoi nquest as or t adiargo me nt o . Amei l mododidi s c or r e r ed av e r c )fi t o s ofo ・ ' 1nt i e r i が p . ne t a と I)i a l o gues に 於 け る文 照 と筆 致 の相 異 に 至 り て は. ま こ と に マカ ロ ック が 云 ふ が 如 九九 ・ s ot on uo v o ,mac os iben ti r at o ,chepc ) c his onc apacid' e s s ergl ip a lagOnati jOrsedunq ueI n t i erine r l1 . a ut o re } に c o nch⋮ u dei ts i g. Di odat山 .n o navrebb es c r i t t oi n que s t ag ui s aalGa3 i ani J'( Del t aMc ) net a、ed, Cus t odi ,No t i z i e . Xt X. )然 し乍らエコ三 一 が 謬明しi 1 与 フに dei taMonet aに 一七五 一年 り九月 にLか出版 ぜられて ゐ な い。 故 i t he nt i c i 蒜 は疑 ほし いと考 へられ れぼなら の。 てゐろわけ であ って-徒 て鹿手紙 の a1. か ?ア 二に宛 てi 11セ五 7年八月 十 三日付 の草紙 にp未 だ出版 せられ てゐな い書物在出版 せられ ゐるもの ∼如- に問題 とし M (註 三) Duboi s ,Le si + . a ori e sps yc h o i ogi que sdei aval e urauXVI I I es i a c l p ,dansRe vued' i c on,po t . ,1 8 9 7 ,p.芸l , もし夫 れ l ) elta e c c hi o の 云 ふ が 如 - で あ る が IDe t 1 aMo n e t a の出 版 が あ っ て か ら Di a l og u e sが 出 版 せ ら る 1ま で に - で あ り .P (九九 ) は 十 八 年 の歳 月 が 流 れ て ゐ る こ と を 観 過 し て は 覆 ら な い. 十 八 年 の歳 月 の経 過 は 青 年 時 代 の文 照 と 筆 致 を 著 し - ガ?ア この De l l aMonet a に放 て 第 四十七魯 第 7鱗 〇 〇 (一 〇〇) 一 襲 化 せし む る に充 分 であ る。特 にガリ ア ) Tの場 合 の如- 十八年 の歳 月 の経 過 中 に於 て '謹厳 な る青 年 生 酒から革 かな る外交 官 生酒 への捧 向 が起 って ゐる場合 には.文鰹 と筆 致 の蟹 化な き こと J Jそ却 て不 思 議 であ ら う. c c hi o ら の王 張を覆 す に充 分 に有 然 し右 に奉 げ て来 た理由 は何 れも推 測 以上 のカを もた な Sも のであ って .Pe 力 なも のではな S。我 々は彼 ら の主 張 に反対 し碍 べき何 らか より 梶 S理由 を もた ぬぼな ら な いO 私 は此 理由 を 、 De t t aM o n e t aと Di a t o gue sと のうち に共通 に含 ま る 1所 の特異 な る歴史 的相 封主義 のうち に見出 し得 ると思 ふ。 Di a l o gues を結 ぶに役 立 つであ L t pMo ne t a のうち には聾者 に より て未 だ に明 に指摘 され てゐ な い 7 ヂ Hノア大挙 の アリ ア ス教 授 はか つて、「De 鮎 があ る 。 此 7鮎 は甚 だ重要 であ る。 J Jれ を明 にす るととは De t t aMo ne t aと R e vuedess c i e nc e spot i t i que S ,3 ' ui l t e Ts e pt e mb r et 9 2 2, ら うし、ま ね ガリ ア この思想 の 7質 せる J Jと の謹接 に摸 五 つであ らう」( ま) と云 った が .此 1鮎 とはま さし- 開 音 に. 共通 な る此 歴史 的相 対主義 な のであ る。 ( 註) G. Al ・ i a S , Fe r di na n d oGali a nie tL e sph y s i c c r a t e Ⅵ ,da n sl a p.356. 私 はそれを 党づ De i i aMo ne t a に見 る。 此苦 の第 三編 は De lv a l o r ed e t t amo n e t a と置 せられ そ の中 に D e r n. ヽヽヽ a t z a me n t o .os i a de l t amut a z i o ledipr o po r z i o neモ r at u t t at amO ne t aeip r e z,Ji dt e l eme r c i .を兄 だL と忽 せ る第 悪銭 と名 目憤 値 の引上げ - は既 にガリ ア 1 Lに達 す る数 倣紀 の昔 より歴 々行 はれ '綻 て塾者 の批 評 の対象 と 三章 があ る。兄 だL が示 し てゐ るが如- そ こでは貨幣 改鋳 の問 題 が取扱 ほれ てゐ る。 云 ふま でも夜- 貨幣 の改鋳 - な つた ことも度 々であ った息 だ が此 ら の峯老 中 には此ら 改篤 を 通常 なり と考 ふる者 は殆 ん ど 粂- 無か った よう で あ る。何 れ の畢者 も .そ れ が無智 な る人 民を描 薯 す るに過 ぎ な S手段 であ るとし て'それを 難 じ てゐ る。 仏と- ダ リ ア このみが 此第 三茸 に於 て- こ のこと に勤 し特 異な る立場 を太臆 に表明 し てゐ る のであ る0 私 がか- 云 ふに し ても 、勿論 それ は ガザ ア こが何ら の保佐 を- 改頃を承 認し 食 と 云 ふ意 味 ではな い。他 の横 倉 に説 明 す る であら う が如 - 、財 及 び貨幣 の債 値 は 二光の常 任 的法則 に支配 せらる と主 張しな紋 が、諸侯 の任意 的貨 幣改 鋳 を 承認す + (き筈 はな い. だ から 私 が云は ん と す る こと の意 味 は、 ガリ ア ニが此貨幣 改鋳 の問 題 を、 アジ ア ス教 授 の所謂 n pl ・ O b 1m 6 Oh i s t o r i c ?い C c c o mi q u e とし て取扱 ってゐると云 ふこと に過 ぎな いO U ガリ ア ユによ ると視覚 の事 賓 とし て貨 幣 の改鋳 が貸衛 の偵臆 を 低 下せL む るには多少 の時間 的経 過 を必要 とす るも のであ る 。貨幣 の改鋳 が行 はれ挺其瞬 間 に、 物債 がそ れ に相燈し て轡 化 す るも のでは覆 いO=Fa t t ouna l z a me ・ T n t o .nonsubi t ov ar i a nc . ip 1 ・ e Z Z ide l i eme r e , ipe ra (j a t t a r s ia t 1 el mO V Omi s ua ,mal e n t a me n t eedig r a d oi ugr a d o . "( 註 1) だか ら 三 又は国 家 は貨幣 の改橿 により て此時間 的経過 中 に於 け る利益を牧 め る J Jとが出凍 る0 否 丁貨幣 の改錆 と 揺.民衆 が、自 ら商 品 の慣 稀 と貨幣 と の問 に作 ってゐた観念 の関 係を変化す る こと.e遅 い のを利 用 し て Aモ叉は z a me t i t Ode 1 1 amono L aかunp r o f i t t ochei lPr i nc i p e j 国 家 が利 益 を収 め る ことそれ白 鰹 を云 ふ」( 註二) のであ る。 "Ai e l l ∼s Tu a t or i t r a e da l l at e nt e z z a .c o f lC uit amo i t i 旨i i nee a m〇 . 山 E Lt aCOnCe S S l o 宕 de t t ei d 母 ei n ton ro a 'pr e z z id e uemere c, . a ( ) e uaMone i aに放て (1 0C l 〇一 d e t l &mo z ) e t a , "(寧 ニ) それ にし ても 此商 品 の慣梅 と貨幣 の問 に作 ら る ム観念 の関係 の変 化 が遅 S のは何 に基 因 す るす か?ア この 第四十七懸 第 一妨 (] 〇二) ]〇二 のであ るか。ガリ ア エよれば 、それは人間 の心理的傾向 E E Ladi s po s i Z i o nede neme n t iuma ne" に因 り て起 る の虎 と 云ふ。 「或食 料品を ]ヂ ユカで買 ふのを習慣 としてゐた 人 々がゐたとす る。 此 ら の人 々が今各 ]ヂ ユカを得 て、 こ れで いつも の食料品を質 はんし てゐ るとし て.も し此ら の人 々の思想 に奨 化が起 ってゐな いとしたら 、彼 ら は此 食料品を安 ら ぬと拒 む人や慣 格を つりあげ る人を批難す る で あ ら うO それだから債格 の愛 化は遅 Sのであ る. 」 c hかg l iuo mi nia v ve z z iaFa g a r eunaVi va ndaut ldu c a t o .s e mp r ec h.2 乳 ha nnoi nma t 1 0unaC O S ・{t .C he =Es it ar da.pe r ( 註 二) tb i d. 、 p, 琵2. (話三) Ib i d, , p. 汚 4・ di ce S iundu ca t o .vo g t i o noc o l l av i v a nd a .s ido l g o node l t ' d ・ Vari 2 ; i adic . n 〓ane g 賢S el o r o .oi nc o l p a nos c i o c e a me nt ea l t r ui v e rf a t t ai nc a r i r eo g nic o s a . "( 鼓三) dia ( 建 1) Ga l i a ni . De l l aMone t a . e d. or i. g i na l e ,p. 2 4 3. と ころ でかよう改構 格 の変 化 の遅 S性質を利 用して'王 や国 家 が貨幣 の改鋳 により て人民 を欺 - ことそれ自身 Jかような方 法 の濫 用 のみが盛 事 な ので は ア ・プリオリ に意等 であ るとは.ガリ ア ニは考 へな い。彼 によればた Z あ る.必要 な る場合 に必要 なる程度 に此方 法を用うる ことは督然 に許 されなけ ればならな So 王や国家 が何 ら の 理由 な- 人民 の耕作 地を探璃 した としたら 'それはま さし-盛事 であ る。けれ共 「正義 のた め の重大な る戟翠 が ある場合 に.政府 にむ か つて我 が耕 地 にて戟牢 を せぬよう にと訴 へた-.信仰的憧 曙 によ って建 設 された教禽 だ から .これを 横壊 せぬよう にな どと云 ふは正常 ではな い。 」(誰 一)同 様 に王や 「国家 が危急存 亡 の秋 に際脅 し て #常 で 定額 の経費 を 必要 とし 之を減縮 すれば兵 士や役 人 の士気を損棄 せし むるが如 き場合 には.貨幣 の改鋳 も . あり . 必要 であ るOL L LE ne c e s s a r i o,quandoB ivuo lr o hl O r a r et as pe B a ,mape ニ ane c e s B i t hde l l egue r r eno nB ipub pa t e s e me l t t edi mo s t r i L r t O.pe rnO ndi s g us t a r eeS O t t e Va r1 8mi l i l i e .eima gi g t r a t i ,i mp i c c o t e n dois o t di ・ "( 琴 一 ) 戎 と ころ dic o mme nda z i o nei lPr i ncIL PeS ePa L q ame nOde tc o nv e nut o,es edi mi nui s c eis o t diqua ndo.no na v e ndop i t ) では ガ リ ア ニは此 議論 を 更 に推 し 進 め て'貨 幣 の改鋳 を な す国 王を ぼ稲 場 に値 す る者 であ ると さ へ云 つてゐ る。 "E d e gl 岩 ( 註 二) tb id . , p .3 2 9 . ( 註三) I bi d. 、p.2 40. de n ar o.c ol ) o s c ebO ne 怒e r eS Pe di e nt edi s s an gua r eL 'i nf e t i c ec o nt a di nods co l a t odal) aba r ba t ・ i ede L t egue r r e 、pe l ・S O di s f a r e ) a ppi e noi lr i c c hi s s i mofina nzi e r e."( 註三) ( 註 1) Ga t i a nrDe t t aMone t a .p. 21 9 . さ はれ ガ リ ア 二の足 意 は此 貨幣 改 環 を絶 封 的 必要 以外 の場合 に承 認 し よ う とす る のではな い。「如何 に有数 な暫 薬 でも .之 を健 全な る人 にす 1め る腎 者 は な か ら うLJま た 罪 な き者 に刑罰 を 科 さ う とす る法官 も な S で あ ら ラ.」=h T i unmc di c os c r i ve ndode t l avi l ・ i ud e Jme di c a me nt inedi r as uts uppo s t ot l heS i e nod at ia.B ani:naigi ur i s p e r i t i t r a t t a node t l epe ne ,aC u ic o ni ngiustizi as ic o n( ) a nl l a nOg l'i t l nO C e nt i ・ "( 読) 貨 幣 改 鏡 も ま さ し- よ S腎 葉 の如 きも の Gal l Lq l t 如 ,op.c i t . ,pp,241-2. であ っ て '掲 封 的 に必 要 な る場 合 のほか有害 で あ り無 益 であ る。 (註 ) これ が ガ リ ア 一 叫の貨 幣 改 転 籍 の概 要 であ るO こ 1に 今 私 は アリ ア ス教 授 が間 へる が如- .此貨幣 改 頃論 が今 田 (1 〇三) 一o ョ De l l aMoncta のうち に貨幣 改構 の承 認 とな って現 はれ も 倍 活 き た真 理 を含 む か香 かを間 は ん と は しな い。 た ゞ か?ア この De l l aMone t aに就て 第 糾 十 七 魯 第 一 硯 (一 〇四)一〇四 た オポ チ W .K . .ム アリ ア ス教 責 の所謂 l i e l a t i vi s mehi s t . r i c o ・ & co n o m首 eを見届 け縛ればそれ で私 には足り る 。 T.t r l 此同 じ歴史 だ酉 的相封主義を 、私 はまた D e t 1 aMo neta の十八年筏 の著作 Dia o l g u e s s ecommercedeSbteds にも見出 し得 ると思 ふ。 D叫 a l o g ue sは擁 国人 Ma r qu1'L Sd eRc q L 7 L C ma u r e と伊閑人 C h e l lc1 1 i e L・dOZ昌Obiと の問答 を託 した書 物 である. ダ オ ルテ- ルが.此書物 にはプ ラ・ LI ンと モリ エー ルが協同し てゐ るとさ へ賞蛮 した ほど問答 は上品 である J対話 O ( 註) 二人は小変 の貿 易 の u e ma u r Q は白 痴主義 の署 撃思想をも ち.経済 的自 由主義 の信奉者 であ るO 封話者 の他 者 の T方 M a r ql l i sde Ro q l e V a l i e ldeZ a T I O b i の 7方 Cl ﹀ .さ 一 1 t一 一t t 1 1は批評家 で懐 疑家 で、著 者 ダリ ア ニ白身 の代摺者 であ る 。R oquem aue r 些 式はぼ アイヂ オ クラ ツ・ 1の代間者 で.小変 の貿易 に封 す る障椙 は悉 皆排除 せら 自由を議論 す る れねぼな ら ぬと力説 し.其冷媒 を軍 に.自由 に委 せられた る自然 は必然 的 に均衡状態 に落 ち つく も のであ ると云 E . G au d el n et, L.Ab bm Ga t h ni et laqu estion du o cm me r c e d es 1 b e s , p. 1 4 3 . uo biは先づ Ro q l e ma u r e の此論接 に反封 の意 を表す る。 ふ主 張 に置 -.Za ( 諌) 「自由 に委 せられた自然 は均衡 に落ち伸- も のであると云 ふことほど誤 であ るも のはな いが、また それ ほど最 理 ( 間 は思索 す る とき には自然 と であるも のも な い。 それは形而上単著 の頭脳 中 に明 に窺 し出 された最 理であ る O 人 同じ程度 に偉大 にし て且 つ虞 大 にな-錯 るから 。)我 々は自由 に委 せられた自然 のうち に因果関係を見 ることが出 来 る。然し人 々綻此自由 に委 せられた自然 が均衡を賛現す る のに複願 のため の時間的串韓 を必要 とす るととを考 O それ で君 の云 はれ ることは覚際 家 の へてゐな い。人 々は等 しく な いも のも禍 項 相殺 し て平均 し て仕舞 へぼ等し いも の と覆 ると考 へて.蹄 てを 平均す る。即 ち 人 々は思 惟 の中 にし かな S所 の串均 億 を琵在 す るか の如- 考 へる 手 の中 に入 る と誤 ったも のにな る。 な ぜか と云 ふに、人間 が行動 す る とき には僅 か に五 尺 と 云 ふ小 さ- 弱 い動 物 とな って、自 分 の構 造 の脆 さ と其 生命 の短 か さとそ の欲垂 の偶然 性 と不寧 等 と の春 在を感 知し 'そ し て何も のも 金 の ち つ- こ あ る所 、消費者 のあ る所 に小変 が流 ム小変 の債 格 が平衡 状態 に落 カ芥 祷項 し牢 均し得 るも のではな- .苦 痛 と死 とを選 む に葬 れば.物 里 牛か にす る こと の出来 ぬ のを感 す る であらう から。 私 は此原 理を 小変 の誰論 に適 用した いと思 ふ。自由 に放任 せら る と、それ ほど最 理 であ るも のはな い。貿 易 が自由 にせら れた とき には ー ど れ て行 - - それ ほ 輿 望 であ るも のはな い。 詳論 の上 では これ ほど琵 理であ るも のはな い。 けれ共嘗際 に於 て小 小変 が 7地方 より他 へ移り行 - た め にも時間 がか 1る。も し 此ら の時間 が十五 変 の妖 乏を 例 へぼ或都 市 より他 因 へ報知 す るには、芽 郵 送 のた め に物 L i t . 的時間 を 必要 とす る ことを忘 れてはな ら ぬ. ま た此報知 が到着 し てから 日間 であ るとし てー君 の都市 に 7週間 に食 ふ小穿 し かな いとした ら .君 の都 市 では人 々は八日間 食 はな いでゐな けれ ばな ら ぬ。 人間 と宿 せら る 1動物 にと って八 日間 の断食 は.死 ぬにし ても飴 - に長 過ぎ る。 だから君 の推論 は正し Sが、然 し君 の問 題 の解 き方 は誤 ってゐ るわけ であ る. 此小 さ Sみす ぼら し S小変 の世話ま でも自 然 にし て貰 ってはな らな い。自 然 は こんな小 さ い物 の世話畠言 す る のには飴り に大 き過ぎ る女 であ るO寧 ろ私共 は此自 ( 一 〇五) 1 〇五 然 に、大革命 や長 い期 間 の大蓬 動 の世話を し て竃 はう ではな いか.政 治政策 は偶然 的原因 により て生ず る偶 然 的 ガ ザ ア この DeuaM o ne t a に放 て 第 四十七 巷 第 1親 〇 六) T O六 ( T r時 的運動 を汲 潤し '塾 頓す る こと に他 なら な S U之 にL P i ( し大革 命 は自 然 の仕 事 な のであ るO之 に封 し ては人 の 2 g d . o ri g i na l Ln . pp. 3ヂ 7. Gat i ani ,Di a t oguessurlec o mme r c ed e sb t ed s. カ は如何 ともな し難 いoL( 註) (註 ) d eZano bi が云 った所 の此長 い句 の引用 により て怒ら- は明 か にせら れた であら う と思 は る 1が如 C. . evatier - 、 ガリ ア 二は小参 の顛燥件 在 る自 由貿 易 に原則 とし て反対す る のでもな ければ'原則 とし て賛 成 す る のでも な いO彼 誓 小 夢 の貿 易 の問題 は輿 へら れた 時 に於 て.輿 へられ た時 の小夢 の特撃 なる必要 の程度 を考 へて解 決 せ ら れな け れば な ら な いと云 ふだけな のであ るO或者 に役 立 ったも のも 或 者 には何 の役 にも 立た な い. 歴史 的 .I 時桝 に於 て最 理 であ ったも のも .他 の歴史 的時期 には最 理 であ ることが出 来な い。 戎 時 に有益 であ る小変 の自由 ど も彼 が 貿 易 も或 時 には有 益 ではな いQ r偉 大なり し コルベー ルは法を 定 め て選 河 や港 鷲を計 墓 し た。此 ら の大計 書 の完 成 の膿 には コルベー ルは此法を撃 へた に相違 夜 S。 我 々は偉 大な る コルベー ルを模 倣す べき であ る。 けれ な した通 り のこ とを な す べき ではな い. 」 彼 の言葉 で要約 すれ ば、 これ が ガリ ア ニが Di a l o guc sに於 て小変 の貿 易 の白 由 に対 し て持 った態 度 であ る Uそ れ には .経 済政策 に就 では歴史 経済 的邦封 主義 が とら れ夜 けれ ぼなら な い " La pas de G al iani , concepti on hi st c・ n e t a に於 け る と同 じ- 1経 済 現 象 に於 け る 自然 津別 を と云 ふ強 い特 色 が掠 れ てゐ る0 両 も こ の特色 は De t 1 aMo も 香 淀す るような 相封 主義 では な いJ Jと により て更 に特 色付 けら れ て ゐる. J Jれ が我 が、 de r O V e naT]tde ]flnat u r ed e sho mme se t sc ho s eS n. 邑 el es t o I ' Bi c oに O mq leSP rl qt t O at 1 cm andequi ni V( , i l apo ur quoij edi s a i squel eほ ほ ほ 9etl e 泌旧居 t f o r me n unvS r i t a bl ec tun i queB yS t ⋮ m ・ "( 謹) e と 云 へる アリ ア ス教 授 と共 に、De l l pM o l l e t a と Di f1 t O gue S とを そ れ ら に共 通 な特 異 な る歴史 経済 的 相 封 主義 によ って結 び得 る と考 へる所 以夜 のであ るO 爾書 が共 に同 じ著 者 ガリ ア この作 で は な S主 式ふ琵 接 に はな ら ぬで あ ( 註 ) Ar i a s .Fe r di na ndoGa l i a nie tl e sPh y s i oc r a t e s .Re vuede ss c ⋮ e nc e spc ' 1 i t i quc s .]' ui l l e Ts e pt e mb r e199.2.p.3 6 5 . ) t 1 . IM o ne t a にも ま た Di a t o gl l e Sにも 報 れ てゐ る とす る と、雨 音 の文 髄 右 に指 摘 し ヤ歴史 経 済 的相 対 主義 が De や筆 致 に似 通 ってゐな い鮎 のあ る事案 も ら う0 それ にし ても ガ リ ア ニは 何故 に ロe t l aM o ne t aを匿 名 で公 にし た の で あ るか. 第 二版 (7七 八〇 年) の tic ? N' かtai t ・ c c , o r e の示 す が如 - ' 1七 五 1年 の第 7版 は何 故 に極 甜 裡 に耳出 版 を 進 めら れ た のであ るか。( 註 T) Avvi s ode lt'edit 一〇七 此問題 を未 だ に Et a i t ・ c et ac r ai nt eques o l ]C XL r t"j n l eJ e ul l e S S en.i nf l uc e ぷA tdか f a vo r a t , 1 e me nこapr c mi S r ei mpr e s s i o ndupub 〇七) (一 pB Spt ut btunedec e sf a l l t a i s i c saulque l l c spr e l l a i tpl a i s i rs one s pr i tna t ur e l l e mo ntma l i c i e t ] x?( 註≡ 私 は解 - こ とが出 衆 な S.( 完) ( 註 一) Ga t i an3 .De t l aMe ne t a ,i d・Cus t od山 , . pp. 3A ;g d.Ni c ot i ni ,p.3 6 rS , (註 二) E. De-, s e i n.Gal i anie tl aque s t i ondet amonnai eauXVI I T es i a c t e ,p7 . 4 . す' ・ ア 二のLI ) e t l aM( ・ ne t a● 1 ' 銑て
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