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*文明 の生態史観 *比較文 明論 の展開
*文明学 の課題と展望
比較文明学 研究
梅棹 忠夫 の名を 不朽 たら しめた ﹃文 明 の生 態史 観﹄を中 心 に
比 較文 明学 の論 考 ・講 演 をお さめた巻 であ る。文 化人 類学 (民
である。
族 学 ) から文 明学 への飛 躍 の足 跡 をた どるう えでも必 須 の文 献
文 化 人類 学 は いわ ゆる未 開 社会 や 少数 民 族 を あ つかう学 問
にとどま らない文明 学 を構想 し、 文化 人類 学 の限 界 にひとつの
だ とかんがえられがちである。 しか し梅棹 は文化 や民族 のレベル
活 路 を ひら いた。 すな わち、 文 明 を 人間 "装 置 系、 人間 11制
度 系 と して定 義 し、文 化 を そ の精 神 的抽 象 、精 神 的 投 影と み
な した のであ る。 そして、 人間= 自 然 系 とし ての生態 系 から人
間 11装置 系 と しての文 明 系 への連 続 的 移 行 について論 じた。 生
態 学 を基 礎に、 そ こか ら装 置 ・制 度 系 と しての文明 を 展 望 し
た と ころに梅棹 文明 学 の独創性 があ る。
梅棹 は文 明学 を 展 開 す るにあ たり、 ま ず単 独 行 動 からはじ
めた。 そ の成果 が ﹁
生態 史 観﹂であり、﹁
中洋 ﹂論 や宗教 の ﹁
疫学 ﹂
アナロジーであ つた。 しか し、 一九 八〇 年 の還 暦 シンポジ ウムを
機 に組 織行 動 へと戦 略 を転 換 した。 そして一九 八 三年 、 比較 文
明 学 会 の創 立 にかかわると と もに、 ﹁
館 長 直 営﹂ と いわれた 谷
口国際 シンポジウムの文 明学 部 門を 民博 で開始 した。
いわば 日本 と いうカード を入 れた 比較文 明 学 であ り、比較 文 明
谷 ロ シンポは ﹁近代世 界 におけ る日本 文明 ﹂をとおし題 目と し、
のすべてに出席 し、 冒頭 の基 調 講演 を 担当 した。 本巻 には その
学 から の日本 研 究 であ った。梅棹 は 一
週 間 にわ たる シンポジウム
う ち初 期 の六 回 分 がおさ められ て いる。 谷 ロ シンポは 一九 九 八
年 まで一七 回開催 され、 日本語 と英 語 で報 告書 が刊 行 された。
梅棹 が構想 した 比較 文 明 学 はた んな る直 感や類 型 論 ではな
く、 総合 的 な洞 察 と類 比を 武器 と していた。 モデ ルとしては有
機 体 ではな く生 態 系 が威 力 を 発揮 した。 そして古 代 文明 から
現 代文 明 にまで、世 界 の五 大陸 をま たにかけ、単 独 な いし組織
的 に、 かつ戦 略 的 見 とお しを も って果 敢 に切 り 込 んでいった 戦
果 が本書 であ る。 (中牧 弘允 )
知的先覚者の軌跡
梅棹
忠夫一
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