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三井銀行と東京電灯・東邦電力 : 財閥と電力資本との関
係再論
橘川, 武郎
経営史学, 17(2): 23-46
1982-07
Journal Article
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/10086/17835
Right
Hitotsubashi University Repository
学
負
営
経
財閥と電力資本 と の関係再論-
.
三井 銀 行 と 東 京 電 灯 ・東 邦 電 力
-
一 課
橘
川
武
郎
本稿 の課題は、財閥と電力資本 との関係を究明する作業 の 1環として' 三井銀行JJ
東京電灯 ・東邦電力 (
以下それ
ぞれ東電 ・東邦 と略す) 両社と の関係を比較検討する ことにある。筆者は以前 に財閥系金融機関 の電力金融 の実態 を
分析 し、 その中 で' 三井銀行が他 の財閥系金融機関と隔絶 した規模 の電力金融を展開 した こと' 三井銀行 の電力金融
の主要な対象が東軍 東邦 の両社 であ った こと,
.を明らか にし(i
?
0本稿 では, その際十分 に立ち入る ことが できなか
った'東電 ・東邦両社 の経営 に対 して三井銀行が ど のよう に関与 したか、と いう論点を中心的 に取 り上げ た い。
財閥と電力資本 と の関係 に ついては'前者 による後者 の支配を強調する多数説 と'電力資本 の自立性を強調す る少
数説 とが存在お ・両説を分か つ最大 のポ イ ントとな っている のほ 二 九 二〇年代末から三〇年代初頭 にかけての三
井銀行 の東電介 入 に ついての評価 の相違 である。 この介 入を'多数説 のよう に財閥 による支配力 の外 延的拡大 と見な
23
号
2
第
す か' 少数説 のよう に債 権 保全 のた め の 一時 的措 置 と見 なす か によ って'財 閥 と電 力資本 と の関係 の全体 像が 異 な っ
て把握 さ れる ことは言う ま でもな い。 三井 銀行 の東 電介 入 に ついて正確 な評 価 を 下す た め には、介 入過程 だ け でな く'
そ の前 後 の時 期 の東 電 の経営動 向が検 討 さ れねば な らな い。 さ ら に' 三井 銀 行 と東 電 と の関係 よりむ し ろ緊密 だ った
二
1
9
2
22
32
4252
6272
82
93
03
13
23
33
43
53
63
738
一九 二〇年代 の関係 (
二二- 三〇年)
経 営動向
第1 表 にあ る よう に'東 電 ・東 邦 両社
の業 績 は' 一九 二〇年 代 を 通 じ てほぼ 一貫 し て悪化
した。 両社 に共通 す る業績 悪化 の原 因 と し ては' ①
でき る。営 業収 入利益率 の低 落 は①② ③ によ るも の
によ る減価償 却 の不 足、等 の諸 点 を指 摘 す る ことが
第l 表 )
る設備 の遊休 化 (
第2 図)'⑤ 過大 な 配当 (
(
第1 表 )'④ 需要 の伸 びを上 回 る発電 力拡 張 に よ
義 )'③ 自 己資本 比率 の低 下 によ る利払 負 担 の 増 大
割高 な購 入電力 の増大 による発受 電費 の膨 張 (
第l
電
第1 図)' ②
料 金引 き 下げ によ る 気単 価 の低 落 (
(出典) 両社営業報告書,逓信省 『電気事業要監』
. 東邦 の1
9
3
6
年 は推 計値 。3
7・3
8
年 は不 明B
(
注) 1
が 発 足 した 一九 二二年 六 月 から電 力管 理法が 成 立 した 三八年 ま で の期 間 に ついて' 三井 銀行 と東 電 ・東 邦 両社 と の関
巻
(
3)
、
7
日
U
と考 えら れる 三井 銀行 と東 邦と の関 係が '比較 対照 の素材 と し て取 り上げ ら れねば な らな い。 これが 、本稿 で'東 邦
第
営業 収入(
銭)
係 を 比較検 討す る理由 であ る。
W h)
(
環化
東電 ・東 邦 両 社 の 発受電実績(kW h)
の推移
第 1図
2
4
であり'総資本 回転率 の低落 は①④⑤ によるも のであ ったO
以上 の諸点 のうち①②④ は'「電力職」と密接 に関連 し て いた。 一九 二〇年代 の電力業界 にお いては' 長距離送電
技術 の確立 と卸売電力乱視 の勃興,逓信省 の大 口電力 に ついての重複供 給許可 (
電灯 ふ 口電力 に ついては不許可)
等 により、「電力戦」と呼ば れた大都市 の大 口電力需要家 の争奪戦が 展開さ れた。大都市 に供 給区域をも つ東電 (
東京
・横 浜)・東邦 (
名古 屋 ・福岡)の両社は'卸士
慧 亀力会社 の攻勢 を受 け て'供 給独占を 維持す るため に、電 力料金 の引
二〇年代
一
九
25
力 の増 大は
(出典) 『東京電灯株式会社史』, 『東邦電力政務史』, 逓信省 『電気事業
要覧』
き 下げ (
①)や卸売電力会社 から の不利 な条件 での電力購 入 (
②)を余儀 なくさ れた.。購 入 電
年間発受電実績 (
kW h)÷年間時間数(
h) × 100で算出。
(
前年度末発電力+当年度末発電力)
÷2(
kW)
2. 購入電力分を含む。
3
. 東邦の1
93
6年は関西地域 (
名古屋周辺)のみ。.
3
7・3
8
年は不明。
(
注)1
.
東電 ・東邦両社 の発電力利用率の推移
第 2図
学
営 史
経
の 推 移
績
業
の
第 2号
第1
7巻
(
単位 :年率%)
2で算 出.なお,各期の平均資本金は (当期末資本金+前期末資本金) ÷2で算 出。
月,東邦 5月 一1
0
月)
0
の両社 の発電力拡張 の
主因となり (
第2表)
、
設備 の遊休化 (
④) の
原因ともな った。
第l表 に あ る よ う
に'東電 の業績 悪化 の
度合 は東邦 のそれよ-
著 しか ったが' これは
「
電力戦」 に対す る経
営者 の拙劣 な対応 によ
るも のであ った。東電
の場合 には' 二三年 下
期 の利益率 の急落 に示
さ れるよう に関東大震
災 の打撃も大 きか った
が'業績 不振が長期化
し深刻化 した基本的な
要因は'若尾薄八 (二
2
6
電 ・東 邦 両 社
第 1表 ′
東
二年副社長、 二六年社
長) ら 「
.四・
州財閥」系
経営者 の先見性を欠 い
た経営行動 に求 められ
るべ.
き であろう0
若尾らは' 二二∼ 二
六年 に'東京近辺 への
送電線をも つ卸売電力
会社 (
桂川電力 ・猪苗
代水電 ・京浜電力) の
合併'東京近辺 への送
電線をもたな い卸売電
力会社 (
大同電力 ・東
信電気 ・信越電力) か
らの山元で 9 電 力 購
入'卸売電力会社 の足
が か-となる可能性 の
ある重層供 強権保有金
2
7
学
史
営
経
(出典) 両社営巣報告書
(
注)
1
. 利益金に は償却金,退職給与金 引当金を含む。資本金 は (
上期平均資本金 +下期平均資本金) ÷
2
. 配 当率の左横 は上期 (東電前年1
2
月 ∼5月,東邦前年 1
1
月 -4月), 右欄 は下期 (
東電 6月 -l
l
東電 ・東邦両社の発電力拡張過程
第 2表
第 2号
第1
7巻
(
単位 :kW)
東
電
東
邦
(出典) 『東京電灯株式会社開業五十年史』,『東京電灯株式会社史』,『東邦電力史』,『東邦電力技術史』,
両社営業報告書
'
(
注)1. いずれ も 1カ年平均値。
2
. 東邦電力の出力増は概算値。
3
. ※は判明分のみ計上。予
4. 各期間の設備償却規模は不明。
5
. △は減少。
備発電力の出力増は含 まず。
社 (
富士水電 ・帝 国電灯) の合併等 の方策を実行 し'卸
売電力会社 の東京侵 入を 阻もう とした。 しかし' これ ら
の方策は'結 果的 には逆効 果を もたら した。 つまりへ合
併 による資産 の水膨 れ (
桂川電力 ・猪苗代水 電は東電 と
の対等合併 の直前 に倍額 以上 の増資を行な った) や不良
資産 の抱 え込み (
「
ポ ロ会社」と評さ れた富 士 水 電 ・帝
(
5)
国電灯は効率 の悪 い多数 の小規模 発電所をも って いた)
∼
山 元 での電力購 入 による送電設備 の肥大化 (
京浜電力合
併 による大 同電力用京 浜線 の取得'東信電気用高瀬川線
・信越 電力用上越線 の敷設)等が生 じて発電 コストが上
(
6)
昇 し'大 口電力 に ついての東電 の価格競争力が減退 した
のである。 そ の結 果東電は' 二六 二 一
七年 に東邦 の子会
社東京電力 (以下東 力と略 す) の東京侵 入を許 し'需 要
先 の喪失 と対抗措置 とし ての料金引き下げ によ って、業
績 面 で打撃を蒙 った (
第1表 )
。東電 と東力 の 「電力戦」
は三 八年 四月 の両社合併 で終 幕 したが、 この合併 によ っ
て東電は 二重投資 の遺物 である膨大 な遊休 設備 を抱 え込
(
7)
む こと にな った。価格競争力を い っそう減退さ せた東電
28
は' 三〇 二二一年 には 日本電力 の東京侵 入を許 し'再び打撃を蒙 った (
第1表)
。
東力 ・日本電力 の東京侵 入によ って'東電 の営業収入中 の電力料収 入の比率は 二六 ・二七年' 三 一年 に 低 落 し た
(
8)
(
第3 図④)
。 この時期 の需要拡大を主導 したも のは電灯 ではなく産業用電力 であ ったが'東電は産業用電力 の 需 要
拡大分を十分 に獲得する ことが できず'■
むしろ電灯料収入 への依存を強 めた。電灯部門 では基本的 に供給独占が 認め
一
られていたが'
・
電力料金 に比 して割高な電灯料傘 の引き下げ を求 める市民運動 にいかに対処するかが問題 であ った。
1
9
2
22
32
42
1
52
62
72
82
93
03
13
23
33
43
53
63
73
声
(出典) 両社営巣報告書.逓信省 .
電気事業要覧j
・
(
注)1.⑧の1
9
3
3
年以降お よび東電の2
2・
3
0
年は不明。
東電は' いち早く定額灯か.
d従量灯 への転換を進め (
第3 図⑧)
' 料金引き下げ 運動 の矛先をかわし つつ増灯 による
第 3図
東電 ・東邦両社の収入構成の推移
r
電灯料収入 の増大を図 った。
29
営 史 学
経
2
号
第
巻
7
1
第
東 電 の 二三∼ 三〇年 の発電 力拡 張 は東 弗 のそれ より著 しか つたが へ これは、 1連 の合 併 によるも のであ った .
(
第2
義)。 需 要 面 での電 力部 門 の伸 び悩 みと供 給 面 で のよ り顕 著 な 発電力拡 張 は、東 電 の過剰 電 力問題 (
設備 の遊 休 化)
を東 邦 のそれより深刻 な も のにした (
第2 図)
。 そ のた め東 電 は' 二三年 下期 以降 の時 期 には'総 資本 回転 率 で東 邦
に大 き く遅 れを と り'営業 収 入利益率 で優 位を占 めた にも かかわ らず '総 資本 利益 率 ・払 込資 本 利益率 ・配当 率 の い
0
ず れ に ついても東 邦 の後塵 を拝 す る こと にな った (
第1 表 )
東 電 の若 尾 とは対照的 に'東 邦 の松 永安左 工門 (二二年副 社 長、 二八 年 社 長) は 「電力戦 」 に巧妙 に対応 した。供
。松
給独占 を 維持 す るた め に卸売 電 力会社 から大 量 の電力 を購 入 した点 では' 松 永 も若 尾 と同様 であ った (
第2 表 )
永 の特徴 は'「水 火併 用方 式 」 を採 用 し て発電 コストを切 り下げ ' 大 口電 力 に ついての東 邦 の価 層競 争 力を 強化 し て
他社 の名古 屋 への本格 的侵 入を 阻止 した点 にあ った。
従 来 の水 力偏 重 の発電方 式 は'需 要が 増大 す る冬季が渇永 期 であ り、需 要が 減 退す る夏季が豊 水期 であ ると いう根
本的 な欠陥 を も って いた。 そ のた め、「冬季 の最大 負荷 を 目標 と し て' 水 力 設備 を為 せば ' 夏季 に於 て益 々剰 余電 力
(
9)
の増加 を招 来す る結 果 とな り、 而 も' 設備 過大 は金 利 の負 担 を重 く Lt引 いて原価 高 を免 れぬ」 と いう状態 であ った。
松 永 は'「蚤電水 力 を最 も経済 的 に開 聾 せんとす る には、 流 量減 少 し て覆電 力 不足 の場 合 ' 他 に是 れを補 ふ方法 を講
(
10)
ぜ ねば な ら ぬ一 と主 張 し'建 設費 が低 廉 な火力 発電 所を補 給用 とし て活 用す る 「水 火併 用方 式 」 と'広 大 な地 域 の発
(
ll)
電 所を送 電線 で連繋 し発電 力 の過 不足を 調整 す る 「超 電力連繋 」 と の' 二 つの方 法 を提唱 した。 これら の方法 は' 不
電
源 拡 充を 行 な い (
第2 表 )、 水
「 火併 用方 式
(
12)
」
に よ る 発電 コ スト切 り下げ
定時 電 力 の定時 化 によ って需 要を増 進 し'多 額 の建 設費 を 要す る水 力 発電所 の利 用効 率 を高 め て、 発電 コストを低 減
さ せる機 能 を も ・
Oて いた.
東 邦 は、 一九 二〇年 代 に火 力 優 先 の自 社
3
0
学
史
営
経
(
13)
を進めたO その結 果'他社 の名古屋 への本格的侵 入を阻止 した東邦柱、東電 とは異なり産業用電力 の需要拡大分を そ
のまま獲得する ことが できた0割高な電灯中心から割安な電力中心 への収 入構成 の変化 (
第3 図④) は'東邦 の電気
。東邦は' 電力料収入 の比重増大 による電気単価低落 に対処
単価低落を東電 のそれより著 し いも のにした (
第1 図)
.
一
するため発電 コストを切り下げ ると いう'電力業 の発展 のためには避 けて通る ことが できな い課題 に いち早く取 り組
んだと言う ことが できよう。
しか■
Lt東邦 の発電 コストの切 り下げ は、長期契約 で料金が固定さ れた購 入電力 の増大 によ って限界づけられて い
たO発電 コスJ
T
を本格肘 に切 り下げ るため には東邦 一社 の内部努力だけ では不十分 であると考 えた松永は'各地域 の
小売電力会社 への卸売電力会社 の統合 (
立体的統制) と'各地歯 間 の 「
超電力連繋 」 (
水 平的統制) とを主内容 とす
(
4
1
)
超電力連繋 」を実現する上 での足が かりを得るために'東京 へ進
る電力業界 の根本的再編成を提唱 した。松永 は'「
(
15)
出 Lt業界 の中心的存在 である東電 に対す る影響力を獲得 しようとした。後述するよう に'東 邦 の子会社東九 の東京
(
16)
進出は' かかる意 図 にもとづ いて実行さ れたも のであ った。
以上 のよう に、「電力戦」が展開ざ れた 1九 二〇年代 には'東電 ・東邦両社 の業績はとも に悪化 したQ しかし、「
電
力戦」 に対す る経営者 の対応 の巧拙 によ って、両社 の業績 悪化 の度合 は異な った。当時 の経済雑誌等.で'若尾 の 「
放
一九 二〇年代 には' 三井銀行 と東電 ・東邦両社 と の金融的関係はきわめて緊密 であ った。両社は'社
漫経営 」と松永 の 「科学的経営 」と いう対照的な評価が 下さ れた のは' この点を反映 したも のであ った。
金融的関係
債 中心 の資金調達を行な った (
第3表)が、内債 の発行引受 ・担保付社債 の担保受託 の点 で三井銀行 に大きく依存 し
(
17)
ていた (
第4表)
。 また' 両社は' 短期性資金として資金運用上重要な役割をはたした借 入金 に ついても、 その大部
(
18)
分を 三井銀行 から借 り入れて いた。 三井銀行 にと っても'東電は最大 の、東邦はそれに次ぐ社債発行引受先 ・担保受
31
東電 ・東邦両社 の資金調達過程
第 3表
第 2号
第1
7巻
(
単位 :千円)
東
蛋
東
邦
(
出典) 両社 営業報告書
(
注)1.いずれ も 1カ年平均値。
2. 借入金には支払手形を含む。
3. 積立金は法定準備金 ・別
4. △は減少。
5. ※は減資分を差 し引いた数値。
途積立金 ・前期繰越金か らなる。
託先 であり' 二三年 以降 の時期 には両社 のうち のいず れか
が つね に最大 の新規貸出先 であ った (
第4表 )
0
第4表 にあるよう に' 三井銀行 の東電向 け貸出金 は、 一
九 二〇年代 の後半 から 三〇年代 の初 頭 にかけ て固定化 した。
三井銀行が事態 を重視 して外債 による肩代 り回収 と いう非
常手段を と った 二八年を除 けば'貸出残高 は 二六年 から三
二年ま で継続的 に増加 した。中 でも 二六 二 l
七年' 二九 ・
三〇年 には新規貸 出高が返済高を大幅 に上 回 った。 これ に
対 して東邦 の場合 には、 一九 二〇年代 には貸 出残高が 二年
間連続 して増加 した事例はなか った。
三井銀行 の東電向 け貸 出金が国定化 し、東邦向け貸出金
..
が 固定化 しなか った事情 は、時期 によ って異な っていた。
二三∼ 二七年 には'東電 ・東邦両社 とも 三井銀行 から多
額 の借 入を行 な ったが'借 入金 の返済が順周 に進捗 した の
(
払 込資本金額 と同額) ま で社債
は東邦 の場合 だけ であ った (
第4表 )
。東邦 は商法第 二〇
〇条 に定 められた限度額
を発行 する ことが できたが'東電 は 二三年 の英貨債発行時
の特別契約 により払 込資本金額 の半額 ま でしか社債 を発行
3
2
経
営 史 一
学
第 4表
三井銀行の東電 ・東邦向け金融の推移
(
単位 :千円)
R
ド
■圭
u
東
京
東
灯
電
.
カ
電
貸
質
出
内債 引受率
捕
担保 受 託率
午
M
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書
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2
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98
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'
:
Zoi
2
5…'
,
5
2
0
;
(出典) 興銀 r
社債一覧』.三井銀行 r
額締役会議事録』,同 L
F
業況報告山 岡 F
事薫別貸出金調』,同 『
抜
琴大 口貸 出先』,同 r
調査週報号外j(
1
9
2
5
年 6月1
0日)
(
注)1
・東電に時東電証券,某邦には東邦証券を含む。
2
・ 「内債引受率」は,三井鈍行引受高÷内債発行高 ×1
0
0(
%)。「
担保受託率」は,三井銀行担保受
託高÷担保付社債発行高 ×1
0(
%)。
3
. -は内債 (ない し担保付社債)が発行 されなか った ことを示す。
4. 「年末貸出残高」の1
9
2
5
-2
8年は推計値。
5
. 「新親貸出高」は,『硬結役会議事録』に記載 された貸出を計上。 ○内の数字は, 貸 出先中の新
規貸出高脂位。
6
. 空欄は不明。
'
33
(o
/
a)
芸
の推移
ユ9
22232425262728293
031323
33
435363738
(出典) 両社営業報告書
す る ことが できなか った (
第4
図
)
)
。 このため
34
( 19
東 電は'支払金利 の節 減 ・償 還期間 の長期化 の
意味 をも つ社債発行 による借 入金 の返済 と いう
点 で' 東邦 に大きく遅 れをと った (
第3表 )
0
かく て この時期 には三井銀行 の東電向 け貸出金
だけが固定化する こと にな ったが' これは'償
還期間が長期 である.と いう英貨債 の有利性 のみ
に目を奪 われた若尾らが'将来 の社債発行を制
約する特別契約を安易 に結 んだ ことによるも の
であ った。資金調達 に ついて明確 なヴ ィジ ョン
東邦は、 二八∼ 三 一年 には 三井銀行 から の借 入規模を縮 小した (
第4表)
。 これは' この時期 に 「金融機関 の自 己
(
22)
防衛的信用引締政策 と事業 に関す る干渉」 が強 まる中 で'「企業資本を して濁立優越 の地位を保 たしめ' 金融資本 は
(
23)
(
24)
単 にその補助機関たら しめる」必要が あると考 えた松永が、意図的 に短期性資金 の借 入を抑制 した ことによるも ので
ての進取的な姿勢 を反映 したも のであ った。
のわが 国初 のオープ ン ・エンド ・モーゲージ制 による担保設定 (二五年)
、 米国 の優先株を 日本 に適 用 した小額社債
(
21)
の発行 (二五年)' 社債発行限度額 の拡張 運動 の展開 (二六年)等 の特徴的な東邦 の動向 は'松永 の資金調達 に つい
を もたな か った若尾 とは対照的 に'「金利 の 高
(
20)
低は葺 に電菊 の原債を左右す る」と考 えた松永は'低利 で安定的な資金調達方法 の開拓 に力を注 いだ。米貨債発行時
琴 4図 東電 ・東邦両社 の 志 筑
第 2号
第1
7巻
学
史
普
経
」/
あ った。
第4表 )
o 東電年
東電は' 二八∼ 三〇年 にも 三井銀行 から多数 の借 入を行な ウた (
この時期 には支払利息 の i瓢
.
を固定資産 に繰 り入れ て決算を粉飾 し,無理な配当を強行 LS)
o これは・金融恐慌 による若尾系企業 (
東洋 モ スリ ン .
若尾銀行 ・三引物産等) の破綻 に直 面 した菅尾が、 一族 の財産を保全す るため に東電株 の株価維持を意 図し てと った
(
妨)
措 置 であ った。資金操が悪化 した東電は' この時期 にも 三井銀行 から の多額 の借 入を必要 とした。 一方' 二八年 に大
規模外債 による東電向 け貸出金 の肩代 り回収 に成功 した三井銀行は'外債 発行が可能 な この時期 には' 一応 「安心し
て」東電向 け貸出を継続す る ことが できた。 かく て二九 ・三〇年 には' 三井銀行 の東電向 け貸 出金は再び固定化 した。
二八年 の大規模外債発行 の際 に二三年 発行 の英貨債 は繰上償 還さ れ'
二見電 の社債 発行 に対す る特別な制約はなくな っ
た (
第4 図)
。 しかし' 二九 二二
〇年 には借換債 の比率が高 まり'東電は' 社債発行 による借 入金 の返済を十分 に行
なう ことは できなか った。
以上 のよう に'
■資金調達面 でも、若尾 の 「放漫経営 」と松永 の 「科学蘭経営 」と の差異は歴然 として いた。 三井銀
筆頭常務池 田成彬) の東電 ・東邦 両社 の経営 に対す る関与 の実態 を示したも
一
第5表 は' 三井銀行 (
行 の東電向 け貸出金が固定化 Lt東邦向け貸出金が固定 化 しな いと いう対照的な事態が生 じた のは' この差異 による
も のであ った。
経営 への関与
のである。 一九 二〇年代 の特徴 として以下 の二点を指摘 しう る。
第 一は'東電 に対 しては積極的 に介 入した にもかかわらず'東邦 に対 してはほとんど 口出 しを しな か った こと であ
る。池 田ら の仲介 による東電 と東力 の合併 も'既 にふれた松永 の東京進出 の意 図とけ っして矛盾 したも のではなか っ
(
節)
・
た。 む しろ東力はあらかじめ東電 に合併さ れる ことを見 込ん で東京 へ進出 した のであり、松永 の問題関心は'東電 に
3
5
三井銀行 (
池 田成彬)の東電 ・東邦両社経営への関与
第 5表
1
2.池 田成彬ら, 日本電力 とのJ
紛争を
31 1 7. 池 田成彬 ら,大同電力 との紛争を
第 2早
第1
7
巻
午
裁定。
(出典)
F
乗京電 灯株式会社 開業 五十年史 』, F
東邦電力史 』, 『男 爵輝誠 之助君 伝 』, 「東電 問題 の経緯 」
(
『ダイヤモ ン ド31
9
3
0
年 5月2
1日号 - 8月 1日号 ). 津島寿- F
森貿書 さんの こと(
下)A
(
注) 左の数字は月を示す。
対す る影響力を獲得す るため に い
かに有利 に合併を行なう かと いう
点 にあ ったO結 果的 には松永 は'
東電 と東カ の合併 によ って'東電
の筆頭株主 (
東邦社長 ・東邦証券
代表名義) と取締役 の地位を獲得
した。 ここでは池 田は'松永 の東
う
。
(出 )
進戦略 の協力者 の役割をはたした
と言えよ
第 二は、東電向 け貸出金が固定
化 した 二七- 三〇年 に集中的 に東
電 へ介 入した こと である。池 田 の
介 入 の意 図はt のち に 「東京電燈
と いうも のは借金が減 らな いば か
- ではな い。非常 に殖 え てく る。
到底若尾君 では いかんと いう ので
最初 に小林君を賓 塚から引 っ張 つ
(
29)
て来 よう とした」と述懐 している
3
6
学
負
営
級
ことからもわかるよう に、若尾 の .
r
放漫凝営 」を是正 し、固定化 した東電向 け貸出金を回収する ことにあ った。池 田
は、 かかる意 図.にもとづき' 二七 二 二<年 と三〇年 に東電 の経営 へ介 入した〇
二六年 ま で事態を静観 していた池 田に東電介 入を決意さ せた のは,東力と の 「電力戦」によ って東電 の業績が い っ
そう悪化 した こと'東電内部 で若尾 の行動を チ ェックす る役割をはたしてきた重役 五名が 二七年 二月 のいわゆる 「
御
(
30)
三家騒動 」によ って 一斉 に退陣 した ことt等 の事情 であ った。池 田は,東電 と東カ の合併 により 「
電力戦」を終結さ
せる こと、および若屈 の 「
放漫経営 」 に対す る東電内部 のチ ェック機能を強化する ことが緊急 に必要 であると考 えた。
そのため池 田は、 二七年 七月 に東電 の重役人事 に介 入し、長年東京株式取引所理事長を つとめ 「
財界世話役」朗存在
であ った郷誠之助を会長 に'阪急電鉄社長 であり 「
敏腕経営者」と の評価を得 ていた小林 三 を取締役 に就任さ せた。
(
31)
(
32)
小林は'松永 と特 に親密な関係 にあ っ美し甲州出身者 で7
0あ った ので,束力と の合併 や東電 の内部改革を進める上 で
恰好 の人物 でき た。池 田は,.
同時 に長年英仏駐在財虜官を つとめ外債発行 に通暁 していた森賢 を東電 の財務顧問
に就任さ せ'外債 による東電向 け貸出金 の肩代 り回収 の準備を進めた。おりしも 二七年 八月 に,ギ ャラ ンティ社等 の
米英投資銀行 から東電 に対 して、東カ と の合併が実現す るならば大規模外債 の発行引受 に応 じる旨 の提案が持ち込ま
(
33)
れた。池 田は'郷 ・小林 の協力を得 て東電 ・東力 の合併 工作 に全力をあげ, ついに二八年 四月 に合併を実現 した。森
の活躍もあ って二八年六月 には東電 の大規模外債が発行せ れ、 三井銀行 は固定化 していた東電向け貸出金を い ったん
全額回収す る ことが できた。
郷 ・小林 の重役就任後も'東電 の内部 では社長 であ った若尾が引き続き大きなカをも って いた。既 にふれたよう に
若尾は決算を粉飾 して無理な配当を強行 したが, これは, 二八年 の外債 発行時 に締結さ れた信託契約 の中 の利益金社
(
34)
内留保条項 に違反するも のであ ったOさら に、 二九年 には東電が外債 の減債基金を滞納すると い った事態 も鮎 )
,栄
37
号
2
第
巻
7
r:
第
(
36)
英投資銀行は東電 の減 配と若尾社長 の更迭を要求す る に いた った。 再度 固定化 した 三井 銀行 の東電向 け貸 出金を再び
外債 によ って肩代 り回収 しようと考 えて いた池 田は、米英投資 銀行 の この要求を無視 する ことは できなか った。池 田
〇年 四月 にギ ャラ ンティ社 のウ オー カー副社長が東電 との交渉 のため来 日した際 に斡旋役を引 き受 け' 三野 の
は二 二
減配 (
第l表) で妥協を成立さ せた。若尾 の処遇 に ついては'池 田と郷 の協議 でい ったん若尾 ∵小林 ・松永 の三副 社
長案 (
若尾 の社長 から副社長 への降格 を意味す る)が まとま ったが' そ の後株主団体 である東電会 の若尾排斥 運動が
高 まり' 折衷的な 三副社長案 では収拾が 不可能 とな った。「整理を しな い減 配 には緯封 に反封 である。 減配をす るな
(
37)
らば須らく食紅内部 の整 理を せよ」と いう東電会 の主張 に直 面し て'若尾は 三〇年六月 に東電退社を余儀なくさ れた。
一九三〇年 代 の関係 (
三一
-三八年)
(
38)
第l表 にあるよう に、東電 ・東邦 両社 の業績 は' 三二 二二三年 には 「電力外債 問題」 によりさ ら に悪化
三
以後東電 は'郷社長 ・小林副社長 の新体制 で再出発す る こと にな った0
経 営動向
したが' 三四年 以降は回復 に向 か った。 両社 に共通す る業績 回復 の原 因としては'①料 金引き下げ に歯止めが かか っ
' ②購 入電力料金 の引 き下げ による発受電費 負担 の軽減 (
第l
た こと による電気単価低落 のペー スダ ウ ン (
第1 図)
義)
へ⑨外債償 還 ・内債低利借換 ・借 入金返済 による利払負担 の軽減 (
第1表)
'④ 発電力拡張を上 回る需要 の増進 に
ょる設備稼動率 の上昇 (
第2 図)
、⑤ 配当 の抑制 (
第l表) に上 る減価償 却 の進展 (
第3表)
t等 の諸点を指摘す る こ
とが できる。営業収入利益率 の回復は①②⑨ によるも のであ-'総資本 回転率 の回復 は①④⑤ によるも のであ った。
の成果
三四年 以降 の業績 回復は' 景気 回復 による需要 の増進 (
④) と いう外的条件 の好転 の■
結 果 でもあ ったが、 同 時 に
「電力外債間撃 を契機 とした五大電力 (
東電 .東邦 毒 治 川電気 .大 同電力 .E
E本電力) の経営行動 の鮎
3
8
学
負
営
経
でもあ った。「電力外債問題」 で大打撃を蒙 った五大電力は' 三 二年 四月 の電力連盟結成など相互間 の協調を強 める
ととも に'各社 レベ ルでは金利負担 の軽減 ・減価償却 の拡充 に本格的 に取 り組むよう にな った。業界協調 の進展 によ
り「
電力戦」は次第 に終息 し、電力料金引き下げ競争 の停 止 (
①) や'小売電力会社と卸売電力会社 の妥協 による購
入電力料金 の引き下げ (
②)等 の事態が生 じた。 五大電力各社は、配当抑制や資産処分 による外債 の償 還' 三三年 の
担保付社債信託法 の改正 (
オープ ン ・エンド ・テ-ゲージ制 の導 入)をうけた担保付低利内債 の分割発行 による既発
内債 の低利借換 ・借 入金 の返済等を推進 して'金利負担を軽減さ せた (
⑨)
。また、「電力外債問題 」 により配当抑制
に対する株主 の抵抗が弱ま った ことは'五大電力各社 に減価償却.i
k
J
拡充するための恰好 の機会を与える こと にな った
(
⑨)
0
景気が 回復 し業界協調が進んだ状況 の下 で金利負担軽減や減価償却拡充 に取 り組 んだ点 では'東電 ・東邦両社 の間
第1表)
0
に大きな違 いはなか った。 その結果'両社 の総資本利益率は ほぼ同様 のペー スで回復 した (
第3 図④)
。若
一九三〇年代 には、「電力戦」 の終息 により'東電 の収 入構成 も電灯中心から電力中心 へ変化 した (
尾 の退社後東電経営 の実権を握 った小林 (二八年副社長' 三三年社長)は'信越電力 の後身東京発電 の合併 による購
入電力 の整理 (三 年)
, 電力損失 の軽減対策 の推進 (
三二年 3'配?)
,「
永火併用方式」 にもとづ ぐ鶴見火力発電所 の
大規模増設 (
三六年、第2表)等を実行 して'発電 コスj:
の切 り下げ に努 めたo小林 のもと で来電は'割安な電力料
収入 の比重増大 に対処 して不断 に発電 コストを切り下げ ると いう'東邦;が松永 のもとで 1九 二〇年代以来追求 してい
た のと同 一の課題 に取り組むよう にな った。
以上 のよう に' 一九 三〇年代 には 二〇年代 とは異なり'東電 ・東邦両社 の経営者 の経営行動 に大きな差異はなか っ
た。 ただ し'東邦 の松永は、 三五年以降発電力不足に直 面して (
第2図)
' 東電 の小林 より積極的 に発電所 の新増設
39
号
2
第
堵
1
第
を行な った (
第2表)
。松永は'設備投資が再び活発化 した三五∼ 三七年 に株金 の払 込徴収を実行 した (
第3表)
。こ
(
4
1)
(
4
2)
の時期 に東邦 の払 込資本金比率が上昇 し (
第1表)
'社債依存度が低 下した (
第4 図) のは' この株金払込徴収 によ
第3表 にあるよう に' 一九三〇年代 には東電 ・東邦両社 の新規資金調達方式は'従来 の社債中心から
るも のであ った。
金融的関係
自 己資金中心 へと変化 した。社債が新規資金調達手段 とし.
ての機能を失 った のは'外債 の発行停 止 により発行規模が
従来 より縮 小 した こと' および借換債 の比率が急上昇 したと とによるも のであ った。 ただ し'社債発行額自体は多額
にのぼ り'社債 は必要資金調達手段 としては引き続き重要な役割をはたした。 一九 三〇年代 には'東電 ・東邦両社 の
資金調達面 での金融機関 に対す る依存 は、弱まり つつも継続 したと言う ことが できよう。
三井銀行 と東邦 と の金融的関係が 一九 三〇年代 にも緊密 であ った のに対 して' 三井銀行 と東電 との金融的関係は 三
四年 以降従来 より稀薄化 した。第4表 にあるよう に' 三二年 ま で三井 銀行 の単独引受な いしそれに近 い形 で発行さ れ
てき た来電内債 は' 三四年 からは九 つの金融機関 の共同引受 で発行さ れるよう にな ったO 三井銀行 の東電向け貸出残
しQ
i3. 三井銀行 の東邦向 け新規貸出高は 三五年 から増大 し, 三六年 以降 は東邦が
高 は三四年 に急減 Lt以後は返済高 にほぼ見合う額 の新規貸出 しか行なわれなか った。 これに対 して、東邦内債 の三
井銀行 の単独引受は 三七年 ま で継続
最大 の新規貸出先 とな った。
三井銀行と東電と の金融的関係が 三四年以降稀薄化 した背景 には'池 田が 三三年九月 に三井合名常務理事就任 のた
め三井銀行常務を辞任 し ㌘ いう事情が あ った。 のち に池 田が 「私が取引 した中 では三越 と東京電燈とは随 分思 ひき
(
45)
って貸 した方 で」あ-、「三井 としてはとにかく東京電燈 に封す る貸金がうまく行 かなか ったら致命的 でしたよ。 だか
(
46)
ら内部 も非常な反対が あ ったLt世間 から非常 にやかま しく言われた Lt大分私 の立場が困難 にな って来 た のです」
4
0
学
負
営
経
と述懐 している ことからもわかるよう に、 三井銀行 の東電向 け金融は池 田の個人的敦断 によ って展開さ れた側面が強
か った。池 田辞任後 の三井銀行 には'池 田に代 わ って東電向け金融を積極的 に推進する人物 は いなか った。 三四年 に
第5表 にあるよう に' 三 一
∼ ヨ画年 には池 田は'東電 ・東邦両社 と卸売電力会社 (
大同電力 ・日本
東電 の担保付低利内債 発行 により再度固定化 していた東電向け貸出金 の回収 に成功 した三井銀行は'以後東電向け金
(
5)
融 に対 して従来 より消極的な姿勢を とるよう にな った。
経営 への関与
(胡 )
争
電力) との間 の 一連 の紛 を裁定 した。 ただし、 これら の紛争裁定は' 二七∼ 三〇年 の東電介 入とは 異なり'必ず し
(
曲)
も 三井銀行 の利害を直裁 に反映 したも のではなか った。 そのことは'池 田のほかに同じく電力連盟顧問 に就任 した各
務鎌吉 (
東京海上)・八代則彦 (
住友銀行).
・結城豊太郎 (
興銀) の三名や木村清 四郎 (日銀出身)む裁定 に参加 した
(
50)
こと'裁定自体が紛争当事者 の電力会社 の依頼 にもとづ いて行なわれた ことへ等 に示さ れてい′
る。 のち に池 田が 「電
燈電力と いうも のには始終ご たご たが あ った。 -・
・
・(
中略) -・
・
・
・
と ころが逓信省はどう いうわけか知らな いが'月 か
らは手を出さずt.
我 々を先 に立 てて自分は後 ろに隠 れ てお った。-- (
中略)--問題が起 った時 に我 々を立 てて仲
裁さ せる。我 々だ つて技術問題はわからな いから'逓信次官なり電気局長なり技師なりから説明を聞き'裁定 の原案
5
1)
(
た」と遜懐 している ことからもわかるよう にへ池田らは逓信省 の意向を代弁す
ま でも作 って貰 わなければ出来なか っ
る形 で裁定を行な った. 1九三〇年代 の前半 にお いては逓信省は'電力業界 の自主的統制を尊重 し' それを積極的 に
,
Ll
l
t
等
の池 田ら の紛争裁定 は, かかる逓信省 の方針 にもと
助成する方針を と っていた。 その際逓信省は'「政府自体が表面的 に行動する こと にも問題が あると の見地 から' 銀
行業界を通じて これを推進 せしめる こととLBr・ 三
づ いて実行さ れたも のであ った。
1九三〇年代後半 になると逓信省は,電力業界 の自主的統制 に対 して否定的な姿勢 をとるよう になり'患 力業界 の
41
号
2
第
(
53)
反対を押 し切 って電力国家管理を推進 した。 逓信省 と五大電力 の協調を前提 とした池田ら電力連盟顧問 による紛争裁
定方式 は, この時期 には機能を はたしえなくな った。例 えば' 三六- 三七年 の東邦 ・日本電力両社間 の購 入電力/
料
L′
金
(
54)
紛争 の際 には,両社 は,電力連 盟顧問 ではな い大河内正敏 (
理化学研究所) と宝来市松 (
興銀)を裁定人 に選んだ。
-1
二四年 の紛争裁定
以上 のよう に, 完 三〇年代 には池 田は'卸売電力会社 と の紛争を裁定す ると いう形 で、東電 ・東邦 両社 の経営 へ
巻
7
日H
P 池 田ら の紛争裁定が 三五年 以降行なわれなくな った のは' かかる事情 によるも のであ った。
第
関与 したo ただ し二 王 ∼ 三〇年 の東電介 入が直接的 ・全面的な関与 であ った のに対 して' ≡
は間接的 ・限定的 な関 与 にとどま った。 これは'池 田 による裁定が' 三井 銀行 の利害を直裁 に反映 したも のではな か
論
った こと によるも のであ った。
四 結
以上 の検討 から, 三井銀行 の東電介 入は,電力資本 の支 配を企図 したも のではな-、債権保全 のた めの ー時的措 置
であ ったと結論づ ける ことが でき よう。 そ の根拠は'① 三井銀行が、東電 ・東邦両社 と緊密 な金融的関係をもちなが
ら,貸 出金,,&固定化 した東電 に対 してだけ積極的 に介 入した こと0② 三井銀行が来電 へ介 入した のは貸出金が固定 化
した時期 だけ であり, 三四年 以降 は 三井銀行 と東電 と の金融的関係自体が稀薄化 した ことO の二点 である。
三井銀行 の東電介 入が社長 人事 にま で及ぶ激烈 なも のとな った のは,若尾社長 の 「放漫経営 」 の根本的是正な- し
ては貸出金 の回収が 不可能 だ ったから であ った。若尾 の 「
放漫経営 」は,東電 の業績 の著 し い悪化をもたらし、株 主
や内外 の金融機関、経済雑誌等 の厳 し い批判をうけ ていた。 かかる状 況 の下 で、「放漫経営 」 の是正をめざ した三井
銀行 の東電介 入は,大 きな摩擦を喚起す る こi,
なく'短期間 に顕著 な成果をあげ る ことが できたo
4
2
学
皮
営
港
若尾が東電を 退社 した三〇年 六月以降 の時期 には'従 来 のような 三井銀行 の東電 に対す る直接的 な介 入は行なわれ
(
55)
(
班)
なくな った。若尾 の退社後東電経営 の実権 を握 った小林 は' 三井 銀行 から干渉をうける ことなくへ東邦 の松永 とほぼ
同様 の経営行動 を展開 した. 三井銀行 の介 入後 も東電 は' 三井財 閥 の傘 下 に包摂さ れたわけ ではなか った.
冒頭 でふれたよう に'従来 の研究史 にお いては'財 閥 による電力資本 の支 配を強調す る見解が多数を占 め ている。
しかし' これら の見解 は'金融的依存関係 と支 配従属関係を事実上 混同 し ているよう に思 われる。電力資本が資金調
達 面 で財閥系金融機関 に依存 して いた、
ことは事実 であるが、 そ のことによ って電力資本 の自立性が失 われたわけ では
な か った。本稿 で取 り上げ た三井銀行 と東邦 と の関係は' その点を 示す典型的な事例 である。東電 の場合 にも'若尾
の 「放漫経営 」が存在 せず貸出金 の固定化 と いう事態が 生 じなか ったな らば' 三井 銀行 の介 入は行 なわれな か った で
あろう。 やや極言す れば、従来 の研究史 における多数説が最大 の論拠 としている三井 銀行 の東電介 入は'財閥と電力
資本 と の関係全体 から見 れば むしろ例外的 な現象 だ .
ったと言う ことが でき よう。
戦前 の電力資本 のど へイヴ イアを理解す るためには'若尾 より松永 の動 向を重視す る必要が あろう。 周知 のよう に
松永 は、電力国家管理 に最も断固 として抵抗 Lt 戦後 の電力再編成時 に指導的な役割をはたして、「電力 の鬼 」 と呼
ば れた。松永 に代表さ れる電気事業経営者 の自立的 な経営行動 を視 野に入れる ことな しには、第 二次大戦をはさんだ
電力業界 の激動を正確 に把握する ことは不可能 であると言えようC
t
吻
㈱
( 1 ) 拙稿 「
戦前期 三井銀行 の電力金融」(
﹃
社会経済史学﹄第 四七巻第 一号)参照。以下 「
電力金融」と略す。
( 2 ) 多数説としては松島春海 「
電力外債 の歴史的意義」(
﹃
社会経済史学﹄第 二六巻第六号)
'柴垣和夫 ﹃日本金融資本分析﹄(
東京大学出版会、 一
'坂本雅子 「
電力国家管理と官僚統制」(
﹃
季刊現代史﹄ 第五号)
' 浅 井良 夫
九六五年)
、加藤俊彦 ﹃日本 の銀行家﹄(
中央公論社' 一九七〇年)
「一九 二〇年代における三井銀行と三井財閥」(
﹃三井文庫論叢﹄第 二 号)があり、少数説としては高村直助 「
独占資本主義 の確立と中小企業」
(
﹃
岩波講座日本歴史18近代5﹄' 1九七五年)
'僑本寿朗 「
﹃五大電力﹄体制 の成立と電力市場 の展開^
」 (﹃
電気通信大学学葡﹄ 第 二七巻虜
43
号
2
第
巻
7
1
第
二号'第 二八巻第 ㌻ 二号)がある。
( 3 ) 前掲拙稿 「
電力金融」 二八 ・四〇貢参照 。
(4) 本稿 では'特定区域 への供給権をも つ会社 でも'その権利を行使 せず小売電力会社 への電力販売を中心的巣務としたも のは、卸売電力会社 と
して取り扱 った。
(5) 「
東京電灯 の解剖」(
﹃
東洋経済新報﹄ 一九 三〇年五月 三日号) 一五頁参照。
(6) 資産永膨れ ・不良資産抱え込み .送電設備肥大化は'東電 の発電力 一キ ロワ ット当り設備費を増大させ'金利負担 ・減価償却費負担 の膨張に
よる発電 コスト の上昇をもたらした。
( 7 ) その結果、過剰電力問題が深刻化 した 二八
-三〇年 にも'東電 の発電力は東邦 の二倍以上 の増加率 で拡張した (第 2表)0
( 8 ) 二六年 の場合には'多数 の電灯取付先をも つ
帝国電灯 の合併も、電力料収入 の比率低落 の要因とな った.
( 9 ) 栓永安左 二
門 「
電気事業統制 に就 いて」二 九三三年)。栗原東洋編 ﹃
現代 日本産業発達史Ⅲ電力﹄ (
交諭社へ 一九六四年) 二二三頁より再引
用。
( 10 ) 於永安左 二
門「
電気事業」(日本評論社 ﹃
社会経済体系﹄第九巻' 1九 二七年)三九 三頁o
(11) 枚永 は他に貯水池 の設置も提唱したが.適当な設置地点が少な いこと'周辺住民 の反対が強 いことを理由に'実効性は乏しいとした。
(1) 東邦 の営業収入に対する発受電費 の比率は東電 のそれを上回 っていたが (
第 1表)、これは'東邦 の方が火力発電所 の比重が大 きく原料費 (
石
炭代) の負担が重か った ことによるも のであ った。
(13) 阿部留太 ﹃五大電力 の優劣﹄(
ダ イヤ モンド社 ' 一九 三 一年 )四 一頁によれば、 販売地における発電力 一キ ロワ ット当り設備費 は' 東電が八
八四円'東邦が七九 二円であ ったQ
1五四二頁参照。
(14) ﹃
東邦電力史﹄(l九六 二年)五四 一
(15).池田成彬 ﹃
財界回顧﹄(
世界 の日本社' 1九四九年) 二二四- 二二七頁参照O
(16) 二二年 の東邦本社 の東京移転' 二三年 の東京復興電化会社設立計画' 二四年 の大日本送電会社設立計画等 の 1連 の琴 氷の施策も'ほぼ同様 の
意図にもとづくも のであ った。
(17) 東電 ・東邦両社とも' 二二-三〇年 の三井銀行 から の新規借入高 の累計 は、 同時期 の社債発行総額 の六割前後に達した (
第 3表 ・第 4表)
。
なお、東電 ・東邦を含む五大電力 の資金調達 のあり方に ついては、拙稿 「五大電力と電力外債」(
﹃
土地制度史学﹄第九六号)参照。以下 「
電力
外債」と略す。
18
( ) 両社 の各期 の平均借入残高 の累計値に対する三井銀行 の各期 の両社向け平均貸出残高 の累計値 の比率を、 二五年上期 から三〇年下期ま でに つ
いて算出すると'東電 で六四労へ東邦 で九〇%となるCただし、平均残高は'前期末残高と当期末残高 の平均値とした。
前掲拙稿 「
電力外債」三九頁参照。
松永前掲 「
電気事業」三九九貢o
この運動 の結果' 二七年 に電気事業法が改正され、電力会社 の社債発行限度額 は払込資本金額 の二倍に引 き上げられた。
前掲 ﹃
東邦電力史﹄四五四頁。
琴 氷安左 工門 「
企業資本 の構成と運用」(
﹃
ダ イヤモンド﹄ 1九 二九年 一〇月 t日号)三六貢O
「
借金会社 の研究」(﹃
東洋経済新報﹄ T九 三 一年 二 月 二八日号) 二八貢参照.
前掲 「
東京電灯 の解剖」 一四1 一五頁参照。
(((((((
252
4232
22120 19
))))) ) )
4
4
(26) 経済之 日本社 ﹃
全国株主年鑑﹄ 二 九 三 ハ年)によれば' 若尾 一族 の所有株式五七万九五〇八株 のうち三 一万八四八六株 (五五%)は東電株
であ った。
駒村雄 三郎 ﹃電力界 の功罪史﹄(
交通経済社、 一九三四年) 二二七頁参照C
前掲拙稿 「
電力金融」四 一頁参照 。
池 田前掲 ﹃
財界回顧﹄ 二三人見o
若尾らは'金融機関に対する東電 の信用を高めるため、 二四- 二六年 に三井 (
藤原銀次郎)二二菱(
桐島像 丁 志村源太郎)・安田 (
長栓篤菓)
の「
御 三家」代表を東電 の取締役に加えた。しかし' 「
御 三家」代表 四名は常務人事をめぐ.
って取締役根津嘉 一郎と対立し' 二七年 二月に根津
とともに 1斉に辞任 した。これが いわゆる 「
御 三家騒歴 である。根津 は' 「
甲州財閥」系経営者 の 1員 ではあ ったが' 若尾 の経営行動には批
判的だ った。
(31) 小林と松永 は.箕面有馬電軌 の梅 田野江線に関する贈賄問題 でい っし ょに投獄された ことがある (10年)
C また、 日本電力が名古屋侵入に
着手した際 tを永と池尾芳蔵 (日本電力専務)と の間 で調停役を つとめ、両者を和解させた のは小林 であ った.(二四年)
。
第 5表)は'若尾 の尽力によるも のであ った。ただし'その後 '合議制
(32 ) このため当初は若尾も小林を歓迎 した。 二八年 の小林 の副社長就任 (
の導入 ・信濃川水力発電所 の建設延期等 の小林 の合理化方針をめぐり'若尾と小林 は決定的に対立するに いた った。
(33) 津島寿 一 ﹃森賢吾さん のこと(下)
﹄二 九六四年) 二六 二I 二六 四貢参照。
(a;
) 「
東電問題 の経緯 (六)
」(﹃
ダ イヤモンド﹄ 一九 三〇年 七月 二 日号) 二七貢参照。
(35) 池田前掲 ﹃
財界回顧﹄ 二三 一貫参照.0
(36) ﹃
男爵郷誠之助君伝﹄(一九 四三年)六三九貫参照。
(37) 「
東電問題 の経緯(七)
」(﹃
ダ イヤモンド﹄ 1九 三〇年 七月 二 1日号) 二七貢C
(38) 三 1年 1二月 の金輸出再禁止以降 の為替低落 によ って電力外債 の元利金支払負担が急増し'電力外債を発行 していた五大電力および台湾電力
が大 きな打撃を蒙 った問題。
( 39 ).
前掲拙稿 「
電力外債」五〇- 五 一頁参照。
東京電灯株式会社史﹄(一九五六年)七四貢によれば、東電 の全損失率 (
変電所送電電力量に対する電力損失 の比率)は、三五年上期 の二六・
(40) ﹃
'発生電 力 量 1
五% から 三八年下期 の六 ・八労 へと低下した。東電 の場合'三二年 以降 の時期 に電力料収入 の比重が増大しながら (
第3図㊤)
キ ロワ ット時当り営業収入が低落 しなか った (
第 1図) のば' この全損失率 の低下によるも のだ ったと考えられる。
(41) この結果、東邦 の払込資本利益率 些 二六年 以降低落しへ
.三八年 には東電 のそれに凌駕された (
第 1表)
o
(42) この結果、 一九三〇年代後半には東邦 の利払負担は著しく軽減された。 一九 三〇年代には営業収入利益率に ついても東邦が東電を 上 回 った
が、 これは、金利負担軽減や資産処分に対して東邦 の方が東電より積極的だ った ことによるも のであ った (以上第 1表)
。
三井銀行 ﹃
第 一四〇 七回取締役会議事録﹄によれば'三井銀行は四二年 にも東邦 の五回担保付社債を七〇%引受した。
池田は'さらに三五年 八月に三井銀行取締役を辞任 した。
池田成彬 ﹃私 の人生観﹄(
文垂春秋新社、 一九五 1年) 1五 -貢。
池田前掲 ﹃
財界回顧﹄ 二二 一頁。
一九 三〇年代における三井銀行 の社債発行引受先 ・貸出先 の変遷に ついては'別 の機会に立ち入 って検討する予定 である。
東電と日本電力 の瀞争は重 点での 「
電力戦」に関するも のであり'その他 の凝争は購入電力料金に周するも のであ っ
・
た。なお、凍層と大同電
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学
史
営
経
第 2号
第1
7
巻
(
東京大 学大学院)
カ の紛争には'大同電力 の東京進出問題も からん でいた 。
49) 裁定 の結果東電と日本電力 の 「
電力戦」が終息 し'大同電力 の東京進出が阻止された ことは'固定化 した東電向 け貸出金を抱 えた 三井銀行 に
と っても有益 であ ったoただし'裁定内容 は東電に 1方的 に有利 なも のではな か ったo この点 に ついては' 三宅晴輝 ﹃日本 コンツ ェルン全書 Ⅶ
電力 コンツ ェルン読 本﹄(
春秋社、 一九 三七年 )三四三 ・四 一三頁参照 。
(50) 五大電力が第 三者 の裁定 によ って相 互間 の紛争 の解決を図 った ことは'業界協 調 の気運 の高まりを反映 したも のであ った。
(51) 池 田前掲 ﹃
財界 回顧﹄ 二二九1 二三〇頁。
(52) 通商産業省編 ﹃商工政策 史第 二四巻電気 ・ガ ス事業﹄二 九 七九年 ) 二 一
四頁 (
由井常彦 氏執筆部 分)
。なお、電力統制問題を めぐ る 五 大 電
力 ・財 閥系金融機関 ・
逓信省 の相互関係に ついては、別稿 「
電力連 盟と電気 委員会」 の中 で立ち入 って検討す る予定 であるQ
(53) この結果、 三八年 に は電力管 理法 と日本 発送電株式会社法が成立 した。
(54) この裁定 の過程 で、裁定人と逓信省 の見解が敵酷を きたすと いう 「
稀有 の事態」が生 じた。 この点 に ついては、電気新報社 ﹃電気年報昭和 一
三年版﹄ 〓 1
九- 一三二頁参照 o
(55) 三三年に郷と小林 の対立が表面化 Lへ 郷会長 ・小林社長 の新体制 で事態を収拾した (
第5表)際 に、 池 田は両者 の仲裁に 一役買 った。た だ
し'中心的に仲裁を行 な った のは松永 ・
河 西豊太郎 (
東電取締役)・名取和作 (東邦取締役) の三名 であ った。 この点 に ついては'池 田成彬 ﹃
故
人今 人﹄(
世界 の日本社' 1九 四九年 ) 一七二 頁'および三宅晴輝 ﹃小林 1三伝﹄(
東洋書館 、 一九五El
年 ) 二三 二I 二三三頁参照 .
(56) 小林 は、社長就任 と同時 に'池 田 の義弟 である本間利雄を常務 から平取締役 へ降格 したo
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