はじ め に 平成十六年十二月 渡 麻 ﹃七 百 科 ﹄ 辺 ﹃尊 談 ﹄ に お け る 行 、見 云、 問 、 依 普賢 色身 有相行 、二行 共 、見 、可 普賢 里 云 耶。 色身 子 義味思 耶。 口決云、法 者、無 可 時見 也 。 有 相 行 ニ行 ( 以下 略 ) 無 相 行 懺 悔 理 観 也 。無 相 行 観 ・ 行 有 理観 、 是 即念 惣 融 即 解 心 也 。 花 行 有 相 行 .見 見仏 普賢 色身 。 是 勝無 相 懺 悔 者無 義味 思量 理 逆行 体 已 理観、 耶 。 口決 云 、 法 花 修 行 二有 理 観 也 。 無 相 行 観 ・無 生 、二行 共 二可 隣見 也 。 有 相 間、依 ︻ 資 料 2︼ 叡 山 文 庫 真 如 蔵 本 ﹃ 七 百 科 條 鈔 ﹄宗 旨 帖 ・第 七 十 六 条 無生 量 行 体 已 見 仏 。 是勝 園 楽行記云 ( 以 下 略 )︺ ︹止 観 二云 ⋮ ⋮ 弘 云 ⋮ ⋮ 又 云 ⋮ ⋮普 賢 経 云 ⋮ ⋮ 勧 発 品 云 ⋮⋮ 安 間、依 有相 ︻ 資 料 1︼ 叡 山 文 庫 真 如 蔵 本 ﹃尊 談 ﹄ 止 観 一之 二、 第 四 か 確 認 し て お き た い。 ま ず 、 ﹃七 百 科 ﹄ が ﹃尊 談 ﹄ に 、 ど の よ う に 用 い ら れ て い る 二、 伝︱ 忠 尋 撰 ﹃七百 科 條 鈔 ﹄ と の関 係 か ら 論 義 書 ﹃尊 談 ﹄ の意 義 印度學佛教學研究第 五十 三巻第 一号 一、 ﹃尊 談 ﹄ は、( 天1 台) 宗 の学 僧 尊 舜 (一四五 一∼ 一五 一四)( が2 編) 纂 し た論 義 書 であ る。 三 大 部 に も と づ き編 成 し て いるた め、 広 義 に は 三大 部 の注 釈書 と も 言 え る。 集 成 さ れ た 五百 七 十 八 題 の 論 題 や、 各 題 ご と に挙 げ ら れ る多 く の証 拠 の文 か ら 、当 時 の学問 の様 相 を う か が う こと が でき る貴 重 な書 であ る。 証 拠 の文 に引 用 さ れ る多 様 な 文 献 には 注 目 す べき も のが多 いが 、本 (3 稿)では 、伝 忠 尋 撰 ﹃七 百 科 條 鈔 ﹄ ( 以下 ﹃七百科 ﹄と 略す) に特 に着 目 し た い。 ﹃七 百 科 ﹄ は、 従 来 の研 究 に お い て看 過 さ れ てき た が、( 関4 東) 天 台 の談 義 では しば しぼ 用 いら れ た書 で、 ﹃尊 談 ﹄ に お いて も 四 十 八 条 も の引 用 が確 認 でき る。 本 稿 で は、 ﹃尊 談 ﹄ に引 用 さ れ る ﹃七 百 科 ﹄ の考 察 を も と に 、 ﹃ 尊 談 ﹄ の意 義 を 検 討 す る。 成 是 即 念 惣 融 即 解 心也 。 38 大 治 五 年 (一 三〇)、 六 十 六 歳 で天 台 座 主 と な る。 恵 心 流 の た。 比 叡 山 西 塔 北 谷 東 陽房 に住 し た た め、東 陽 房 と 称 さ れ る。 と いう間 を 立 て る。 こ の間 は、 ﹃台 宗 二百 題 ﹄ にお いて は義科 の祖 皇 覚 の他 、 順 耀 ・喩伽 ・観 照 ・行 玄 な ど が いる 。 忠 尋 の 復 興 に 尽 力 し、 そ の 一派 を 東 陽 流 と称 し た。 弟 子 に、 杉 生流 ﹃尊 談 ﹄ で は、 有 相 行 に依 って普 賢 の色 身 を 感 見 す る か、 ( 四種 三昧義) に分 類 さ れ る ﹁ 有 相 普 賢 ﹂ と いう題 に相 当 し、 口説 は、 恵 心 流 に お いて重 視 さ れ 、 ﹁ 東 陽御義 ﹂ ﹁ 東 陽 口決 ﹂ 天 台 の法 華 の修 行 にあ る有 相 ・無 相 の 二種 の行 法 と 、観 を問 題 に し て いる。 答 と し て は、 有 相 行 に よ って も仏 菩 薩 の姿 を ﹁ 東 陽 口伝 ﹂ な どと し て、 多 く 用 いら れ て いる。 ﹂( と5 述)べ る 。 ﹃尊 談 ﹄ で は 、 こ の ﹃摩 訶 三 大 部 に編 成 し た も のと 思 わ れ る。 玄 旨 ( 玄義) 帖 に 二百 十 ﹃七 百 科 ﹄ は、忠 尋 の口決 と 伝 え ら れ る も のを 、後 に集 成 し 感 見 す ると す る。 智顗 は ﹃摩 訶 止 観 ﹄ 第 二 の四 種 三味 ( 法華 是名 三味 ) の項 に、 ﹁ 南 岳 師 云 、 有 相 安 楽 行 ・無 相 安 楽 行。 豊 非 下 就 二事 理 一 得 中如 二、 ﹃普 賢 観 経 ﹄、 ﹃法 華経 ﹄ 勧 発 品 、 ﹃安 楽 行 記 ﹄ な ど 二十 六 に問 答 形 式 と し、 間 に対 す る答 に 、 ﹁口決 云﹂ と し て、 忠 尋 の 条 、 三帖 合 計 し て七 百 二十 五 条 が収 め ら れ て いる。 一条 ご と 止 観 ﹄ の文 を第 一の証 拠 に挙 げ 、 以 下 ﹃止 観 輔 行 伝 弘決 ﹄第 (6)条 、 経 旨 ( 文句 ) 帖 に 三百 一条 、 宗 旨 (止観) 帖 に 二百 十 四 の例 証 を 並 べ、 さ ら に ﹃七 百 科 ﹄ を 引 用 す る。 ﹃七 百 科 ﹄ で も のと さ れ る 口説 を記 し て いる。 の多 く が ﹃七 百 科 條 鈔 ﹄ を 内 題 と す る。 他 に、 ﹃三 大 部 七 百 ﹃七 百 科 ﹄ の書 名 であ る が、 叡 山 文 庫 真 如 蔵 本 な ど、 諸 本 は、 ﹁ 法 華 の修 行 には有 相 ・無 相 の二行 が あり 、 二行 共 に、 つ ま り有 相 行 でも 仏 菩 薩 を 感 見 す る ﹂ と 述 べ、 ﹃尊 談 ﹄ の議 論 を 補 強 す る。 科 ﹄、 ﹃東 陽 七 百 箇 条 抄 ﹄、( ﹃大 7) 綱 深 義 抄 ﹄ な ど の別 称 が あ る。 書 名 の由 来 に 関 し て 、 ﹃七 百 科 ﹄ 宗 旨 帖 の 末 に 、 興 味 深 い 記 な お、 ﹃尊 談 ﹄ に引 用 さ れ た ﹃七 百 科 ﹄ は、 ︻ 資 料 2︼ に示 し た よう に、 ﹃七 百 科 ﹄ 本 文 に 一致 す る。 同 様 に、 ﹃ 尊 談 ﹄中 一百 廿 重 、妙法 ニ字 妙 也。 述門 云 、 今 此 七百 科 條 云 意 妙 、有 一百 廿 重 法 七百廿重也 。然 、各 々 重皆 六識本有 意 、 一々 ︻ 資 料 3︼ 叡 山 文 庫 真 如 蔵 本 ﹃ 七 百 科 條 鈔 ﹄ 宗 旨 帖 ・末 事 が あ る。 大 綱 口決 用 云 、 本門 意 云 也。故 歴 情執 ト捨 離 六識 用也。付 、無 重 離 法 体、法 に引 用 さ れ る ﹃七 百 科 ﹄ 四十 八 条 は、 全 て ﹃七百 科 ﹄本 文 中 に確 認 でき る。 三 、 忠 尋 と ﹃七 百 科 ﹄ 東 陽 房 忠 尋 (一〇 六五∼一 一 三八) は、 幼 く し て比叡 山 に登 辺) り、 比 叡 山 の長 豪 ・覚 尋 に顕 教 を 学 び 、 良 祐 よ り 灌 頂 を 受 け 論義書 ﹃ 尊談﹄ の意義 ( 渡 39 辺) と 記 さ れ る。 千 妙 寺 (現在茨城県 真壁 郡関城町黒子 ) も ま た 尊 論義書 ﹃ 尊 談﹄ の意 義 ( 渡 七百科條者、 拠 大数 也。所詮、当流 意 、 一宗 諸文皆収 舜 以 来 、著 名 な 談 義 所 で あ り、 同 様 に ﹃七百 科 ﹄ を 蔵 し て い た のであ る。 こう した 諸 本 の存 在 は、 ﹃七 百科 ﹄ が、 関 東 の談 七百科条 、 一法 一文トシ, ア無時非ユコト七百科條 .也。 な お他 に、 ﹃豪 慶 文 義 集 ﹄( で9 は) 、 ﹃七 百 科 ﹄ が 三条 引 用 さ れ 大 略 を 述 べれ ば 、述 門 の六 識 の情 執 ・本 門 の六 識 本 有 の法 計 の七 百 二十 重 と な る。 そ れ を概 数 と し て ﹁ 七 百 ﹂ と 称 し た、 て いる。 こ の書 は 、 尊 舜 の師 賢 慶 の談 義 も 所 収 さ れ て い る。 義 所 で共 通 に用 いら れ た書 であ った可 能 性 を示 唆 し て い る。 と いう の であ る。 さ ら に、 恵 心 流 の心 はす べ て ﹃七 百 科 ﹄ に 賢 慶 は 比 叡 山 の学 僧 で あ ると 思 わ れ、 ﹃七 百 科 ﹄ が 関 東 に 留 の ﹁六 ﹂ に つき 一百 廿 重 を 歴 れ ぼ 、 六掛 け る百 二十 重 で、 総 収 め ら れ、 一法 一文 と し て ﹃七 百 科 ﹄ に無 い も のは な いと も ま らず 、 広 く天 台 の談 義 の場 で受 容 さ れ て いた こと も 推 察 さ 四、おわり に れ る。 記 し 、 そ の重 要 性 を 強 調 し て いる。 ﹃七 百 科 ﹄ の成 立 時 期 は定 か で はな い。 ﹃七 百 科 ﹄ の諸 伝 本 の奥 書 に よれ ば 、 例 えば 、 日光 山 輪 王 寺 天 海 蔵 本 の本 奥 書 に 本 稿 では、 ﹃ 尊 談 ﹄中 に引 用 され る多 く の文 献 のう ち ﹃七 百 は 、 元 弘 三 年 (一三三三) の書 写 と記 さ れ 、 金 剛 輪 寺 蔵 本 の 奥 書 に は 、 建 武 元 年 (一三 三四)年 の書 写 と あ る こと な ど か 科 ﹄ に 注 目 し、 ﹃尊 談 ﹄ の意 義 に つ いて検 討 し た 。 ﹃七 百 科 ﹄ の時 代 には、 談 義 所 間 に流 通 し て いた と考 え ら れ る 。 は、 恵 心 流 で重 視 さ れた 忠 尋 の口伝 の集 成 と 伝 え ら れ、 尊 舜 ら 、少 な く と も 鎌 倉時 代 末 期 には成 立 し て いた と考 え ら れ る。 ﹃七 百 科 ﹄ の現 存 諸 本 は多 く 、叡 山文 庫 真 如 蔵 本 (写本 一冊 . 三巻合)、 叡 山 文 庫 生 源 寺 蔵 ( 写本 一冊 ・三巻合 )、叡 山 文 庫 華 ﹃尊 談 ﹄ に 集 成 さ れ た 引 用 文 献 は、 尊 舜 の学 問 のあ り 方 に 示 唆 す るも の であ る。 ﹃七 百 科 ﹄ の他 にも 、 例 え ぼ ﹃法 命 集 ﹄ 蔵 院 蔵 (写夲 二冊) な ど十 一本 が確 認 さ れ 、( そ8の) 広 がりがう 群 馬 甲 桃 井 山小 田松 尾 ﹃鉄獗 書 ﹄ ﹃説 法 明 眼 論 ﹄ ﹃円 頓 止 観 ﹄ な ど、 注 目 す べき 引 用 留 ま らず 、 関 東 天 台 にお け る学 問 の諸 相 や、 人 と 本 の交 流 を 持 ﹂ と 記 さ れ 、 中 世 に天 台 宗 の談 義 所 と し て 著 名 であ った 、 文 献 がな お多 く あ る。 今 後 は さ ら に、各 論 題 の議 論 の内 容 も か が え る 。 叡 山 文 庫 真 如 蔵 本 の奥 書 に は 、 ﹁ 御 本者、 上野州 柳沢寺 ( 現 在群馬 県榛 東村山小田) の学 僧 が所 持 し て いた こと 合 わ せて検 討 し て いき た いと考 え る。 柳沢寺東覚院権大僧都 法印心俊御所 が わ か る。 ま た 叡 山 文 庫 華 蔵 院 本 の奥 書 に は 、 ﹁時 天 正 十 四 ︿丙 戌 ﹀ 年 南 呂 下 涜 於 常 州 千 妙 寺 写 之 。 探 題 法 印権 僧 正 亮 信 ﹂ 40 1 2 3 4 ﹃尊 談 ﹄ の概 要 は 、 拙 稿 尊 舜 の経 歴 等 は 、 拙 稿 学 報 ﹄ 四 五号 ) に 論 じ た 。 ﹁ 尊 舜 編 ﹃尊 談 ﹄ に つ い て﹂ ( ﹃天 台 ( ﹃印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ ﹁ 尊 舜 の学 系 に つ い て﹂ ( ﹃天 台 学 報 ﹄ 拙稿 ﹁ ﹃鷲 林 拾 葉 鈔 ﹄ と ﹃轍 塵 抄﹄ 四 四 号 ) に論 じ た 。 ﹃七 百 科 ﹄ に つ い て触 れ た 先 行 研 究 に は、 藤 平 寛 田 氏 ﹁ 日光 五 二 ・二 ) で、 ﹃三 百帖 ﹄ に注 目 し た 。 天 海 蔵 ﹃摩 訶 止 観 第 二 見 聞 ﹄ に つ いて﹂ ( 平成十 五年天台 学会 6 5 ﹃ 大 綱 深 義 抄 ﹄ に つ い て は、藤 平寛 田氏 に ご教 示 いた だ いた 。 大正 四六 ・一九 二頁 中 。 ﹃普 賢 観 経 ﹄ は大 正 九 ・三 八 九 頁 下 。 大 正 四六 ・一四頁 上 。 発 表 ) が あ る。 7 ﹃七 百 科 ﹄ は こ の他 、 叡 山文 庫 慈 眼 堂 蔵 本 ( 写 本 三 冊 )、 叡 ( 写 本 二 冊 ・玄 旨 帖 欠 )、 叡 山 文 庫 池 田 蔵 本 8 ( 写 本 一冊 ・経 旨 帖 の み )、 叡 山 文 庫 金 台 院 蔵 本 ( 写 本 一冊 ・玄 山 文庫双厳院 蔵本 ( 真 如 ・内 ・ 一五 ・三六 ・一 六 〇 )。 写 本 十 旨 帖 の み) 身 延 山 久 遠 寺 蔵 本 ( ﹃大 綱 深 義 抄 ﹄ 一巻 、 寛 正 五 年 叡 山文庫真 如蔵 (一四六 四) 泰 藝 写 、未 見 ) な ど が 知 ら れ る 。 冊 。 全 六 十 八 題 の論 義 書 。 9 ( 渡 辺) ( 早稲田大学大学院博士課程修了 ) ︿キー ワー ド ﹀ 尊 舜 、 ﹃ 尊 談 ﹄、忠 尋 、 ﹃ 七百科條鈔﹄ 論義書 ﹃ 尊 談 ﹄ の意 義 41
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