想いを汲むことから聴くことへ - エーザイの一般生活者向けサイト | Eisai.jp

想いを汲むことから聴くことへ
繁 田 雅 弘
なぜ聴かなかったのか
なぜ最近まで認知症の人の話を聴かなかった
のだろう。なぜ問いかけてみることをしなかっ
たのだろう。
﹁どのような毎日ですか﹂
﹁気分は
いかがですか﹂
﹁どのようにつらいですか﹂
﹁何
かしたいことはありませんか﹂
﹁知りたいこと
は何ですか﹂尋ねてみることさえしなかった。
言いたいことがある人も大勢いたはずだ。なぜ
気が回らなかったのか。認知症になると考える
ことができなくなる、そうした先入観や偏見に
まみれていたためか。
﹁変わりないですか﹂と
形式的に声をかけることくらいはしたが、声を
かけられたくらいで話し始められるわけがない。
それは認知症に関わってきた人間なら一番よく
知っているはずだ。家族の前で気を遣って言え
ないこともあっただろう。それが分からなかっ
た。今となってみればそのような自分が不思議
でならない。やはり偏見は恐ろしい。
(443)
CLINICIAN Ê16 NO. 648
3
に入れた理由を家族に聞きたいが、家族を困ら
者の声が発せられ、2005年には﹁呆け老人
2004年に京都で開催された国際アルツハ
イマー病協会の総会で、日本を含め各国の当事
ま伝えることをあきらめてしまったことは間違
考えていたか知る由もないが、想いを隠したま
れない。実際のところ、この女性がどのように
認知症の人の〝あきらめ〟の言葉から
をかかえる家族の会﹂が﹁認知症の人と家族の
いない。別のアルツハイマー病を持つ 歳代前
せるなら聞かないほうがよいと考えたのかもし
会﹂と名称変更した。それでも筆者は診療場面
ずれの発言も胸に刺さるが、とくに印象が深か
語りを追った調査がある。論文に記載されたい
みられてからグループホーム入所までの本人の
るようになっている。例えば、認知症の兆候が
頃には本人の語りを拾い上げる調査も散見され
で認知症の人々の声を聴けていなかった。この
計なことを言ってスタッフの機嫌を損ねてはい
から嫌われないようにしなければいけない。余
時に嫌われていたら、よくしてもらえない。だ
設のスタッフの世話になるか分からない。その
まだ身の回りのことは自分でできるが、いつ施
らあかんよ﹂と自分に言い聞かせていた。まだ
半の女性は、
﹁かわいらしくないことを言うた
けない。そう考えたに違いない。
歳代前半の血管性認知症を持つ女性は﹁私
は本当の気持ちは言ってないです﹂と述べた。 この二人の女性は想いを分かってもらうこと、
自分の想いを伝えることをあきらめていた。最
ったのは本人のあきらめの言葉だった。
70
になる。もしかしたら自分に言えない理由で施
りたくないと家族に言えば家族を困らせること
目指していたように思う。本人の想いを汲もう
ことなく、上手に本人をあきらめさせることを
近までの筆者の診療は、精神症状を顕在化する
この女性は施設に入りたくなかった。しかし入
設に入れざるを得なかったかもしれない。施設
4
CLINICIAN Ê16 NO. 648
(444)
70
とすることもあったが、それは波風立てずに穏
の仕方は、認知症の種別や状況によって異なる
ば本人の訴え、すなわち主観症状に思いが及ば
基づいた治療の違いに関心は向くものの、例え
た。認知症疾患の症候や病態の違い、それらに
患を暮らしの中に位置づける視点も持てなかっ
励ましくらいはしたかもしれないが、認知症疾
った。介護に疲れた家族に向けて、形ばかりの
た症状を抗精神病薬を使って鎮静するくらいだ
にみられる精神症状、例えば不穏や興奮といっ
老年期痴呆︶や血管性認知症︵脳血管性痴呆︶
療といえば、アルツハイマー型認知症︵当時
申し訳なく思う。1980年代の筆者の日常診
と生活の質を高める緊急プロジェクト﹂
、20
の施策においても2008年の﹁認知症の医療
医や認知症サポーターの養成も開始される。国
師が始まった。2005年には認知症サポート
が、2006年には認知症高齢者看護認定看護
この年だ。2002年には老人看護専門看護師
本老年精神医学会の専門医制度が始まったのも
状況の変化が顕在化するのはこの頃である。日
知症ケア学会も設立された。認知症を取り巻く
介護保険制度や成年後見制度が始まり、日本認
はまだまだ時間を必要とした。2000年には、
が、経験の積み重ねから体系化に向かうために
やかにあきらめさせる説得のためだったと思う。 ことに気づいていたはずだ。しかし認知症ケア
なかった。精神医学では病識研究も従来行われ
て﹂
﹁認知症施策推進5か年計画︵オレンジプ
12年の﹁今後の認知症施策の方向性につい
こうした変化の中で、認知症という疾患や認
知症を持つ人への理解も随分と変化した。
〝問
ラン︶
﹂につながっていく。
てきたが、その知見を認知症に活かすことがで
経験ある介護者は、本人の苦痛を減らす介護
認知症への理解の深まりの中で
きていなかった。
(445)
CLINICIAN Ê16 NO. 648
5
症状という理解ではなく、認知機能の低下や合
状〟などと呼ばれるようになり、本人が有する
複数の意味の可能性を考えながら聴き続け、治
聴くことができた言葉を、訂正することなく、
進行すると発言の意図も曖昧で不確かになる。
な言葉にすることはできない。とりわけ高度に
併症を基盤にした、環境や人間関係への人格の
療に活かしていくことが筆者の今の課題である。
題行動〟は、
〝行動症候〟
〝精神症状〟
〝心理症
反応と理解されるようになった。本人の想いを
︵首都大学東京大学院人間健康科学研究科
教授︶
汲み取り、理解する潮流が大きくなっていた。
しかしながら、それでもなお、筆者は診療場面
で認知症を持つ人の想いを聴くことができてい
なかった。
想いを聴くこととは⋮
ここ1∼2年、認知症の人からいかに本人の
想いを聴くかが筆者の課題になった。本人に気
兼ねしない形で家族の本音を聴くことにも注力
するようになった。本人の想いをどこまで聴け
るかまだまだ分からないが、まずは耳を傾ける
ところから始めている。共感も容易なことでは
ない。認知症を持つ人は、隠したり嘘をついた
りすることは少ないように思うが、想いを適切
6
CLINICIAN Ê16 NO. 648
(446)