29.板橋 郁夫「環境装置担当機種の思い出」

ASEE レポート(No,29)
環境装置担当機種の思い出
一般社団法人 シニア・環境技術支援協会 理事
板橋 郁夫
昭和 47 年、1 ドル 360 円の時代。回転型破砕機を担当していた。課長からいきなり
「研修に技術提携先のアメリカへ行って来い」と言われた。その時は新型機を開発中で
あった。初めて乗った飛行機がパンナムの B747 ジャンボ機で着いたところがロサンジ
ェルス。上空から見た朝のフリーウエイは片側 6 車線以上あり、通勤車が列をなして朝
日に輝いていた。ここがアメリカかと興奮したのを今でも鮮やかに思い出す。国内線に
乗り換えるためターミナルを出ると大きな警備兵が銃を構えていたのには驚いた。当時
の新鋭機で垂直尾翼の付け根にエンジンの付いた DC10 を近くに見た。ユナイテッド航
空 B737 でシカゴ経由アイオワ州の目的地に無事に着いた。
破砕機の防音、粉じん、防振対策等は日本のほうが進んでいた。アメリカは国土が広
いため、それらを心配する必要がなかったのである。電源のないところはデイーゼルエ
ンジン駆動であった。
日本とのやりとりはテレックスで、ローマ字で原稿を書いてオペレータに頼むのだが、
英単語が出てくると「わかる」と言ってニコッと笑って打ってくれた。休日にシカゴへ
行ってみたいと言ったら「シカゴで一人歩きは危ないから止めておいたほうが良い」と
言われ、あきらめた。また、ゴルフをやるかと聞かれたが当時はやっていなかったので
これも辞退。今思えば残念なことをしたものである。研修も無事に終わり、帰りは紹介
されたサンデイエゴ市役所に立ち寄り、ごみ圧縮機と埋立処分場を見学した。当時の埋
立処分場は郊外の谷地にあり、ガス抜き用の配管が何本も突き出ていた。そして、埋立
用地は広いので焼却処理はしていないとのことであった。アメリカン航空 B707 でシカ
ゴからサンデイエゴに移動中、遥か下にグランドキャニオンが見え、いつか来たいと思
っているが未だに実現していない。帰国はハワイ経由にしようと思っていたが調整がで
きず、アンカレッジ経由にした。雲海上に鮮やかに突き出た富士山の姿を見てほっとし
たと同時に、もう少し海外見聞をしたいという思いが交錯して複雑であった。
新型破砕機も完成した。当時は破砕して磁選機で鉄分回収のみで、至極シンプルなシ
ステムであった。
昭和 54 年頃は乾式排ガス脱塩装置を担当した。既設焼却場の EP 入口前の限られた狭
いスペースに、消石灰スラリーを噴霧し脱塩処理を行う反応蒸発塔を設置する内容であ
る。現場にそびえ立つ反応蒸発塔は遠くからはっきり見える。その 20 数年後、再び訪
問する機会があり、メンテしながら減温塔としてご使用いただいていることに感謝した。
そして納入時お世話になった担当の方が幹部としてご活躍されている姿に感動し、当時
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のお礼を申し上げた。そして当時の思い出話などで懐かしいひと時を過ごさせていただ
いた。異動がある中で、偶然としか思えない出会いであった。
その後は単段増速ブロワを担当した。増速歯車で増速した高速回転ピニオン軸端に羽
根車を取り付けた構造である。ごみ真空輸送装置や下水処理用ばっ気ブロワとして使用
されている。高速回転するため軸受け潤滑は強制給油方式である。起動・停止時は電動
油ポンプで給油するが定常運転に入ると節電のため直結油ポンプに切り替えて給油す
る。停電時は天井近辺に設置したヘッドタンクからブロワ停止まで給油する方式でヘッ
ドタンク設置場所の選定や配管が複雑となる。
ところが、である。7 月に伊豆高原で行われた協会内部研修時、技術進歩が目覚まし
いことを教えていただいた。電気・制御技術の進歩や磁気軸受けの使用により、さらに
高速回転が可能で、ヘッドタンクも不要とのことである。技術が確実に進歩しているこ
とに感動した。
終わりに
携帯はいまだにガラ携。孫たちはスマホを使いこなしている。現役から遠ざかるとい
つの間にか技術進歩から取り残されていることに気付く。そして、教えることより教わ
ることが多くなってくる。これもまた、楽しからずや。
【筆者プロフィール】
JEMA 総括管理士
栃木県足利市出身。三菱重工業株式会社横浜製作所入社、その後三菱重工環境エンジ
ニアリング㈱横浜事業所、重環オペレーション㈱を経て現在に至る。
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43 号 1.加固 康二「運転維持管理は「清めること」から始まる」
44 号 2.大久保 隆史「大は小を兼ねないのか?」
45 号 3.新井 唯也「震災がれきに思う」
46 号 4.松田 修「ごみ焼却用流動床炉と私」
47 号 5.中島 宏「私の建設した し尿処理施設小史」
48 号 6.眞瀬 克巳「ダイオキシンと出会って 30 年」
49 号 7.西澤 正俊「脱硝触媒のトラブル事例」
50 号 8.川原 隆「廃棄物発電に思う」
51 号 9.岩崎 臣良「過去の仕事(下水道施設工事)の思い出」
52 号 10.石崎 勝俊「海外の産業廃棄物処理施設建設・運転のこと」
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53 号 11.佐々木 勉「廃棄物処理施設建設反対訴訟に携わって」
54 号 12.中村 輝夫「台湾の思い出」
55 号 13.加固 康二「
“シニア“ 活用のお薦め」
56 号 14.和田 勉「ガス化溶融炉の運転」
57 号 15.大久保 隆史「中辺路からの熊野本宮大社参拝の記」
58 号 16.板橋 郁夫「お世話になった上司の思いで」
59 号 17.松田 修「ASEE と仲間たち」
60 号 18.新井 唯也「原発のごみは?」
61 号 19.岡田 実「ごみ焼却施設建設とのかかわり」
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63 号 21.西澤 正俊「OB から見た環境施設技術者の育成と技術の継続」
64 号 22.鈴木 政治「清掃工場建設の思い出」
65 号 23.眞瀬 克巳「温暖化雑感」
66 号 24.川原 隆「ごみ焼却処理に思うこと」
67 号 25.加固 康二「私の環境原点-公害は外部不経済である」
68 号 26.松本 久克「あっという間の42年 ―高負荷処理とともに―」
69 号 27.和田 勉「廃棄物処理施設における人材育成」
70 号 28.大久保 隆史「タイ ゴルフ紀行」
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