22.鈴木 政治「清掃工場建設の思い出」

ASEE レポート(No,22)
清掃工場建設の思い出
一般社団法人 シニア・環境技術支援協会
鈴木 政治
私は昭和45年にNKKに入社し、新造船の機関室の建造に15年、その後日本原子
力研究所の実験用原子炉の実験装置設置工事に5年程従事した後、薹が立ちすぎた新入
りとして平成3年に清掃工場建設部門の環境プロジェクト室に配属されました。
当室は清掃工場建設の原価管理・工法検討・工程管理・現場監督が主務です。清掃工場
に設置されるボイラ・タービン・ポンプ等ほとんどの機器は造船で手掛けており、これ
までの経験を十分生かせると意欲満々でした。しかし今こうして振り返ると、次から次
へと思い出される失敗談の多さにいささか驚きました。しかしそれにより自分は成長し
たのだと自己弁護しつつ・・・。
レクチャーの一環で各地の炉を見学しました。この頃の弊社の焼却炉の形式は、主流
のフェルント式ストーカ炉と産声を上げたばかりの流動床炉でした。先輩は実績豊富で
ボイラ・タービン付きのストーカ炉を好み、まだ開発途中でトラブルの多い流動床炉を
敬遠していましたが、私は紅に輝き、ダイナミックに踊り狂う流動床炉の炎に魅力を感
じました。
意が通じたか、担当1号炉は産廃用流動床炉でした。
現地工事も始まり消防署へ貯蔵所設置等の申請書の提出に行きました。担当者は“こ
この記入が違っています”と一言、次の人を手招きしました。先輩に逆らわないよう釘
をさされていたので、ただしょんぼりと帰社しました。翌日に今度こそはと再提出に行
きましたが、別の個所を指摘されました。他に申請者が居ないのを幸いに、他に不備な
点が無いか恐る恐る尋ねたところ、他はなんとかとの返事に一安心。しかし“素人が申
請に来るとは”と決定的な一太刀を浴びた初申請でした。その後の一廃施設では担当者
は皆親切で、厳しいのは産廃への管理強化と自分なりに納得しています。
担当2号炉は中国地方のS組合の一廃流動床炉でした。建設地は御多分にもれず田圃
の外れ、里山の麓です。4月に工事も最終段階の試運転に入り、暗騒音の測定を行いま
した。日中、はるか遠くを通る高速道路の騒音をかすかに拾ってはいますが、まずまず
の値ですんなり終了する見通しでした。ところが夜間の計測を開始したところ、規制値
をもはるかに超えています。カエルの合唱会です。こちらが物音をたてまいと細心の注
意を払いおとなしくしているのを、良き聴衆を得たかの如くここかしこで声高らかにで
す。1時間ほど様子を見ましたが一向に終演の気配はありません。色々と対策を検討し
ましたが良い案が浮かびません。単純な実力行使と決定し、バケツに小石を集め、境界
線に沿って数名を配置し測定を再開しました。準備中はおとなしくしていた敵も、こち
らが息を潜めて測定を始めると合唱を始める。舞台の中心と思しき所に小石を1つ発射、
ガサと小石の落ちる音で静寂が戻る。測定開始。しかし3~4分程すると、どこかで斥
候が試し鳴き、それを合図に合唱の再開。再び小石での威嚇。これを3時間ほど繰り返
し、やっとの思いでデータを得ました。暗騒音に悩ませられるとは想定外で、恋の季節
の測定は避けるべしと痛感しました。
准連炉なので試運転も朝に立上げ、夕方に一時埋火でした。焼却を開始して10日目
程、立上げ前の点検時に、減温塔下のコンベヤに小さな水溜りが発見されました。噴霧
ノズルからの漏洩を確認しましたが異常は無く、前日の運転でも乾燥した灰が順調に排
出されていたので、埋火で冷えた水蒸気が結露したのであろうと運転を開始しました。
その日は要注意項目に挙げ、定期的に灰の排出状況を観察しましたが異常無し。しかし
翌朝の点検でまたコンベヤ内の水溜りを確認、しかも前日より増していました。急きょ
運転を中止して減温塔の内部点検を行いました。マンホールが開かない、やっとこじ開
けるとそこには湿った灰の壁が立ちはだかっていました。閉塞寸前の便秘状態を夜な夜
な訴えていたのです。
日に日に増加するピットのごみにせっつかれながら、減温塔内の灰を掻き出すのに5
日程費やしました。“試運転開始時は早い時点で減温塔の内部点検を実施すべし”と反
省帳に大書しました。
ここには嬉しい思い出もあります。引渡し後1年経過しましたが、客先からのクレー
ムが1件もありません。誠意をもって建設した結果だと少々得意な気もありました。し
かしその実態は、客先を訪問し、何か不都合な点はないか尋ねたところ、“設備に関し
ては運転委託の所長に尋ねてほしい。彼に任せてある”とのこと。さっそく所長を訪ね
て状況を聞くと、長時間停炉するようなトラブルは無いが、ちょっとしたものは時々発
生する。しかし何とか運転員で処置できているので本社には改善要求を上げていないと
のこと。工場内を回りあちこちで改善点の説明を受けましたが、自分たちでできる方法
を駆使しての対応に感心し、またこの様な日常の積み重ねで客先の信頼を得たためだと
わかり、所長及び運転員の努力にただただ頭が下がる思いでした。
A市の建設工事は、旧炉の老朽化のため隣りへの建替え工事でした。
初めての現地訪問で、最寄りの駅からタクシーで向かうと、清掃工場のシンボルとも
言えるきれいな煙突が見えてきました。建替えるにしてはやけに新しいなと思っている
と、その前を少し通り過ぎて停車しました。目の前には別の十分使いこまれた焼却施設
が有りました。新炉建設はこれからなのにと、いささか狐につままれた思いでいると、
新しい焼却炉はO市の施設とのこと。近所に有るとは聞いていましたが、垣根を挟んで
お隣さんとはいささか驚きでした。いずれの市でも建設場所には苦心している様子がう
かがえると共に、品定めの場にもなり得ると気が引き締まる思いでした。
建設用地が狭いため、敷地全体をスーパー堤防にして、従来は建設禁止の河川堤防部
分を使用可にして拡張を図る計画でした。工事内容は敷地全域を5mほど盛り土し、側
面を支える擁壁建設を含むもので、運び込まれる土砂はダンプ3,000台程度となり
ます。工期は通常の3年で、その間での焼却施設とスーパー堤防の建設終了が必須条件
です。しかも焼却施設は市でスーパー堤防は県の担当、工事をスムーズに進行させるた
め、全体の工程計画は焼却施設側で担当させてもらいました。建築確認の受理を1日千
秋の思いで待ち、いよいよ建設開始。更地上で地下部分の配筋・型枠・コンクリ打設と
順次進め、地上1階部分の躯体及び機器の設置までが一区切り、それと並行して擁壁の
建設も進め、それ等が終了した時点でいよいよ盛り土開始です。当初盛り土は作業効率
と圧密度向上のため全般に平均して嵩上げし、さらに土砂の確保等で何期かに分割され
る計画でしたが、それでは焼却施設の納期内完工が困難で、最終的に工期は分割するが
区画ごとに完成させる事で了解をいただきました。
盛り土実施区画の外部足場が一時撤去され、やっとの思いで高くした建屋が1日10
0台程のダンプで運び込まれる土砂で地中に隠れていく光景は、なにか工程が後戻りす
る感がしました。盛り土区画・施設工事区画の分割と区画ごとの工程管理、多量の工事
車両の通路確保、加工場・資材置場の移動計画と、もともと手狭な敷地であり、それら
を色々やりくりしてクリティカルパスの短縮に無い頭を悩ます日々でした。さらに、大
規模な盛り土工事であり、転圧には十分注意を払いましたが、雨の後には主に建屋周り
に陥没が何箇所か現れ、雨降って地固まるを実感させられました。その後完工まで、雨
天後の外部足場基礎点検は必須項目となりました。
思い出は尽きませんが、薹が立ちすぎた新入りが、数々の失敗を繰り返しながらも竣
工にこぎ着けられたのは諸先輩方の御指導のおかげであり、またそれ等の施設が大きな
トラブルもなく稼働しているのは、引き継いで運転・維持管理に携わった方々の不断の
努力の賜物であると、改めて感謝の念を抱いております。
【筆者プロフィール】
S22 埼玉県で生まれる。
S45 東北大学工学部精密工学科を卒業。
S45 日本鋼管㈱に入社、
造船部機関艤装に配属、
新造船及び LNG 船の建造技術開発に従事。
S60 原子力部に配属、日本原子力研究所の実験用原子炉の実験装置建設に従事。
H3 環境技術部に配属、清掃工場建設及びアフターサービスに従事。
H15 日本鋼管(のちに JFE)環境サービス㈱に入社、運転員の技術支援等に従事。
H22(一社)シニア・環境技術支援協会に入会、現在に至る。
ASEE レポート
43 号
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