深川塵芥処理工場をめぐるグロな事件とその顛末 溝入茂

巻頭コラム
深川塵芥処理工場をめぐるグロな事件とその顛末
廃棄物資源循環学会 ごみ文化研究部会・行政研究部会
溝入 茂
最近でもごみ焼却場で札束が見つかって、持主の名乗りを待っているといったニュースが散見さ
れます。昔からごみの焼却現場あるいはし尿の処理現場には色々のものが入ってきて、時には大き
なニュースネタになっていました。今回は戦前の代表的な焼却施設、東京市深川塵芥処理工場で起
きた事件を紹介します。
事件が起きたのは昭和 11 年、エログロナンセンスと言
われた時代の最後の頃です。事件を報せる朝日新聞の見
出しは「グロ!女の手首」という扇情的なものでした。
事件はこうです。昭和 11 年 1 月 27 日朝、いつも通り前
日夜に投入したごみの燃え殻、焼却灰を掻き出していた
時です、燃え殻の中から細い手首状のものが出てきまし
た。26 日夜のごみはその前日の 25 日に東京市で雪が降
......
ったためぐしゃぐしゃの状態で、燃え方がよくなかった
こと、また見つかったものが細くすんなりした手首状で
マニキュアもしてあるように見えたことから、マネキン
の手が燃え残ったと作業員達が見ていましたが、中の一
人が切断された箇所の表皮がめくれあがっていると言い
だし、本物の手首だと騒ぎになったわけです。
で、どうしたかというと(以下発見者の談)。「・・人形の手と思ったくらいですから勿論女の手
首です。そのとき考えたのは、もし生きている人でこの手首を落としたいる人があれば気の毒だな
アーと馬鹿馬鹿しいことを思ったわけです」と、なんとも牧歌的な感想です。その後「塵芥かきの熊
手ではさんで取り出し、そばの堀まで持ってきて『南無阿弥陀仏』と手首の冥福を祈って投げ込み
ました」。グロな事件という割には念佛を唱えて、何か全体にのんびりしたものです。ところが翌日
所轄の刑事がきて「お前が捨てたんだからお前が捜査しろ」と命令され、作業員が手分けして熊手で
堀を捜し、件のものを見つけました。これが見出しの「グロ!女の手首」です。それでも見つけた本
人は「中々小綺麗なものでした」と、どこまでも人を食ったような感想です。
以上は朝日新聞ですが、東京日日新聞、読売新聞も記事にしています、しかも両紙は現場写真付
です。東京日日の見出しは「猟奇・ゴミ燒竈から 生々しい女の手首」-手首は帝都の中心京橋区
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八丁堀方面から運搬された塵芥の中から出たというので事件はいよいよ猟奇をよんでいる-、とテ
レビのワイドショーも真っ青の書きっぷりです。読売も「猟奇の新登場 溝河への怪事件」と、何や
らおどろおどろしい書き方です。右の写真は東京日日です。写真の右下の人物は手首の発見者と堀
から見つけ出した作業員です。右上に横に突き出たものがあります。これは第 2,3 工場の間にあ
る灰の搬出用のクレー
ンのレールと思われま
す。左上にもちょっと影
が見えます。こちらは第
1 工場のごみの吊り上げ
用クレーンのレールで
す。左の写真は読売です。
上の方に鉄組が見えま
す。これは艀からのごみ
の吊り上げ用クレーンのレールです。奇しくも事件のおかげで深川工場の一部が見えました。
話を戻します。警視庁は直ちに調査に入ります。翌日にははやくも手首は男のもの、死後切断さ
れたもの、切断に使った用具は鋭利な刃物等と推定されました。その結果、事件性が薄れ同時に男
だとわかったことで話題性もなくなり、グロ事件だと盛り上がった新聞も一挙にテンションが下が
ってしまいました。事件もウヤムヤで終わったようです。
ここで見出しにもなったグロというのはグロテスクの略です。エログロナンセンスと組で使われ
る事も多いですが、単独でも使われます。たとえ
ば、1933 年に某県の火葬場で起きた事件、死体を
完全に焼却せずに途中で引き出し指輪や金歯を取
った事件ですが、完全に灰になる前に取り出した
ことから、一部では脳を取るのが本当の目的かと
取りざたされ、事件はグロと言われました。
これなんかは内容からしてグロでいいのですが、
では次の写真はどうでしょう。1934 年の朝日新聞
からです。「グロな驀進ぶり」、何か意味がわかり
ません。これは当時世界的に流行した流線型を導
入するために C53 形蒸気機関車を改造した機関車
です。空気抵抗の軽減が目的ですがその当時のス
ピードではさほど効果はなく、逆に多くの部分が
カバーされたため点検作業の時間が大幅に増えて、
実用性には乏しかったようです。この型は実際に
特急の牽引にも使われました。
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さらに次の写真、「雪のグロ風景」、いよいよ意味がわかりません。1933 年 2 月に東京に雪が降り、
午後一時の積雪量は 5 センチになりました。駿河台の坂を通る荷車が写った写真ですが、これのど
こがグロなのか、筆者にはさっぱりわかりません。筵をコート代わりにしている姿が異様で、それ
がグロだというのでしょうか。不思議な言語感覚です。ちなみに雪にかすむドーム屋根はニコライ
堂でしょう。
深川塵芥処理工場、いろいろエピソードもあるゴミ焼き場のようです。
溝入
茂のコラムバックナンバー
37号 遺跡とごみ箱 溝入茂
38号 カーニバル・カーニバル・カルナバーレ 溝入茂
39号 ハエを数える 溝入茂
40号 がれき処理を考える-震災後 1 年 溝入茂
41号 カーニバル2012
42号 ゴミの連作広告-積水化学の試み-
43号
ゴミの広告つづき-奇妙な広告編-
44号 箸休め-カツ丼食べて自白のシーンはいつから-
45号 渋谷塵芥焼却場のいま
46号 ペスト、ネズミ、ネコ -明治のイラストより
47号 ペスト、ネズミ(承前)
48号 最初の焼却炉特許のこと
49号 トルコへ行ってきました
50号 大正時代のウォークマン
51号 明治 36 年東京市のペスト騒動
52号 明治 36 年東京市のペスト騒動(承前)-焼き払いを中心に-
53号 東京大学の焼き払い-明治 34 年のペスト騒動
54号 新聞資料の横道 -紙面散歩の楽しみ
55号 学校の掃除は誰がするのか
-大正 3 年の論争
56号 学校の掃除は誰がするのか
-その2
57号 ごみ坂についての考察(1)千代田区番町のごみ坂
58号 ごみ坂についての考察(2)新宿区市ヶ谷のごみ坂
59号 ごみ坂についての考察(3)-新宿区牛込のごみ坂
60号 ごみ坂についての考察 派生編 1
-乞食橋、貧乏神神社-
61号 第12回オリンピック東京大会
62号 チェコのごみ箱・クリスマスマーケット
63号 ごみ坂についての考察(その4)-湯島のごみ坂
64号 ごみ坂についての考察(その5)-駿河台のごみ坂
65号 ボロと食器と一流店 - 昭和 11 年東京
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66号 ごみ坂についての考察(その6)-麻布のごみ坂
67号 イタリアのパスクワ
-コモ湖とガルダ湖のごみ箱
68号 マントヴァ、ノヴァーラのごみ箱
69号 ごみ坂についての考察 派生編2 ―犬の糞新道1―
70号 ごみ坂についての考察 派生編3 ―犬の糞新道2―
71号 ごみ坂についての考察 派生編4 ―犬の糞新道3―
72号 ごみ坂についての考察 派生編5 ―犬の糞横町―
73号 明治期の掃除機広告から家事の電化まで
74号 大量消費時代の申し子、百円ショップのはじまり
75号 便器の広告-明治期にはおどろきの絵があった
76号 海藻を焼く――明治の公害にはこんなものがありました
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