明治の漫画から ― 吾輩はネズミである 溝入茂

巻頭コラム
明治の漫画から ― 吾輩はネズミである
廃棄物資源循環学会 ごみ文化研究部会・行政研究部会
溝入 茂
これまで、コレラ、ペストに関連して何度かネズミを取り上げてきました。庶民レベルでの予防
対策であり、誰もが参加できるキャンペーン効果もある対策です。その模様は皮肉、揶揄を含めジ
ャーナリズムの恰好の対象で、多くの一コマ漫画で表現されています。今回は明治期の漫画の中か
らネズミを主人公にしたコマ漫画をとりあげます。
ネズミは古くから食糧をうばう害獣として駆除の対象であり、明治に入って伝染病(感染症)が毎
年流行するようになると衛生面からも駆除の必要が強調されてきました。特にペストが国内に浸入
した時は、ネズミ駆除のために患者発生地区を中心に指定区域全体を焼き払うことも行われました。
その際の様子をネズミの側から描いた漫画があります。掲載されたのは横浜貿易新報です。1902
から 3 年にかけて横浜、東京にペストが上陸し、横浜では海岸通りで焼き払いが行われました。そ
の後も駆除作業が続けられます。さてネズミ一家はどう対処したでしょう、下の漫画とセリフをど
うぞ。
①昨年(1902 年)は海岸 5 丁目で焼き払いが行われ、今年も大消毒が行われるので掃除が済むまで
立ち退くことにしよう
②亜鉛板の陰に隠れて遮断区域外に早く逃げよう、坊やも女房も声を立てないように。
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③逃げたところから見下ろして消毒の真っ最中を見ると人間も小さなものだ、白衣の消毒隊のう
ようよ動き回るはまるでウジ虫同然だハッハ
④雨が降ると消毒を休むから困る、さっさとやって貰いたい。明日あたりは古巣に帰れるだろう。
⑤やっとの事で掃除が終わって古巣へ帰った、お祝いに一杯だ
地区を封鎖して消毒してもネズミは立戻り、効果は一時的なものに過ぎないことをホームドラマ
調ながら皮肉っぽく描いています。
次の漫画は「東京ハーピー」からです。明治の近代化の波は印刷技術にも及び、絵入りの印刷物
まるまるちんぶん
が大量に供給される体制が出来上がりました。最初に成功したのが 1877 年に創刊された「団団珍聞」
です。モデルはイギリスで 1841 年に創刊されたパンチです。この後同種の雑誌が次々と発刊され
諷刺雑誌が一つのジャンルを形作っていきます。その分野で最も成功し後に影響を及ぼしたのが
1901 年に宮武骸骨が創刊した「滑稽新聞」です。これに刺激されて 1905 年に北沢楽天が「東京パ
ック」を創刊して大ヒットします。東京パックを真似た雑誌も次々と創刊されます、東京ハーピー
もそうした雑誌の一つです。
取り上げたのは東京ハーピーの 1907 年から「吾輩は鼠である」です。タイトルからわかる通り、
1905 年から翌 6 年にかけて「ホトトギス」に連載されて好評を博した夏目漱石の小説「吾輩は猫で
ある」のもじりです。内容は本来の「猫」とは全く関係ないのでパロディーにはあたりません。と
はいえ、所々に時事的な話題をちりばめて、単なる滑稽話にならないような組み立てをしているよ
うですが、時事的なものは往々にして賞味期限が短く、あとになると意味が読み取れないというの
が実状です。この漫画にもそういう傾向がありますが、ともかく明治の漫画の雰囲気を味わって下
さい。
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主人公の鼠は「吾輩」、忍び込む先は「星戸菫」君の家です。星菫とは、Wikipedia からの引用で
すが「星やすみれに託して、恋愛や甘い感傷を詩歌にうたったロマン主義文学者のこと」で、現実世
界から遊離したものとして揶揄の対象でもありました。それを反映してか、星戸菫家では家人がカ
ルタ遊びをしていて、そのカルタには「恋」なんて字が書いてありますが、特別の意味はありませ
ん。家人がカルタ遊びをしているうちに吾輩は台所に忍び込んで食べ物を貪ります。この有様に飼
...
い猫の夏目君と下女は職務怠慢で家人の不興を買います。流れに関係はないですが、夏目君の着物
の柄は魚です、猫だからですかね。
一念発起、夏目君と下女の警戒は厳重になり、その結果吾輩は台所で食物を得られなくなって、
家人が大切にしているタンスをかじりはじめます。そのため、夏目君と下女はますます家人の怒り
をかうというのがオチです。あまり決まったオチではありません。箱火鉢とヤカン、タバコのキセ
ルで猫を叩く奥様、部屋の隅でいじけている下女、この頃の茶の間の普通の光景ですな。
「鼠」はこのあと 2 回続きます。舞台も 1 回目は家内の出来事でしたが、2 回目は屋外に広がり、3
回目は更に広がっていきます。次号に続きを掲載することにして、今回はこれまで。
溝入
茂のコラムバックナンバー
37号 遺跡とごみ箱 溝入茂
38号 カーニバル・カーニバル・カルナバーレ 溝入茂
39号 ハエを数える 溝入茂
40号 がれき処理を考える-震災後 1 年 溝入茂
41号 カーニバル2012
42号 ゴミの連作広告-積水化学の試み-
43号
ゴミの広告つづき-奇妙な広告編-
44号 箸休め-カツ丼食べて自白のシーンはいつから-
45号 渋谷塵芥焼却場のいま
46号 ペスト、ネズミ、ネコ -明治のイラストより
47号 ペスト、ネズミ(承前)
48号 最初の焼却炉特許のこと
49号 トルコへ行ってきました
50号 大正時代のウォークマン
51号 明治 36 年東京市のペスト騒動
52号 明治 36 年東京市のペスト騒動(承前)-焼き払いを中心に-
53号 東京大学の焼き払い-明治 34 年のペスト騒動
54号 新聞資料の横道 -紙面散歩の楽しみ
55号 学校の掃除は誰がするのか
-大正 3 年の論争
56号 学校の掃除は誰がするのか
-その2
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57号 ごみ坂についての考察(1)千代田区番町のごみ坂
58号 ごみ坂についての考察(2)新宿区市ヶ谷のごみ坂
59号 ごみ坂についての考察(3)-新宿区牛込のごみ坂
60号 ごみ坂についての考察 派生編 1
-乞食橋、貧乏神神社-
61号 第12回オリンピック東京大会
62号 チェコのごみ箱・クリスマスマーケット
63号 ごみ坂についての考察(その4)-湯島のごみ坂
64号 ごみ坂についての考察(その5)-駿河台のごみ坂
65号 ボロと食器と一流店 - 昭和 11 年東京
66号 ごみ坂についての考察(その6)-麻布のごみ坂
67号 イタリアのパスクワ
-コモ湖とガルダ湖のごみ箱
68号 マントヴァ、ノヴァーラのごみ箱
69号 ごみ坂についての考察 派生編2 ―犬の糞新道1―
70号 ごみ坂についての考察 派生編3 ―犬の糞新道2―
71号 ごみ坂についての考察 派生編4 ―犬の糞新道3―
72号 ごみ坂についての考察 派生編5 ―犬の糞横町―
73号 明治期の掃除機広告から家事の電化まで
74号 大量消費時代の申し子、百円ショップのはじまり
75号 便器の広告-明治期にはおどろきの絵があった
76号 海藻を焼く――明治の公害にはこんなものがありました
77号 深川塵芥処理工場をめぐるグロな事件とその顛末
78号 グロという価値観(というほど大袈裟なものではないです)
79号 ごみ坂についての考察 番外編 -しくじり横丁-
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