第1回 し尿処理のはじまりと目的

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新連載「日本のし尿処理」―その歴史と技術―
第1回 し尿処理のはじまりと目的
元 神奈川県衛生研究所
博士(学術) 田所 正晴
1.し尿処理のはじまり
1.1 し尿の農肥利用の時代1)
人の排泄物であるし尿は、不衛生なものであるため、公衆衛生的な視点で見れば速や
かに処理して生活の場から取り除くべきものである。しかし、わが国では古くからし尿
を貴重な肥料として、農地還元することにより循環型社会を形成してきた。
日本の場合、稲作の伝来とともにし尿の農地還元が伝来し、弥生時代には既にし尿を
肥料として利用していた。信長の時代に日本へ来たポルトガル人のフロイス宣教師は、
「日本覚書」の中で、日本人がし尿を肥料とし家畜糞尿はゴミ捨て場に捨てていると報
告している。なかでも、し尿を売買したり、米と交換する風習には非常に驚いたと記録
している。ヨーロッパと違って、家畜が少なく厩肥(きゅうひ)の生産が少ない日本に
とっては、下肥、すなわちし尿は貴重な肥料であったわけである。
江戸時代、江戸の長屋には共同便所があり、ここに貯まったし尿は大家(現代のアパ
ート管理人)が農家に売る権利を持っていた。このため、大家がし尿の処分権を独占す
るのを店子(たなこ)が皮肉った川柳がいくつも残されている。
明治時代に入ると、稲作主体の農業が発展し、人口も急増した。このため、即効性の
窒素肥料の少なかった当時、東京や大阪など大都市の民家のし尿は一層重要な肥料資源
となる。この頃になると、各戸に便所が設けられ、農民との自由契約によって汲み取ら
せていた(大阪では大便は家主、小便は借家人の収入。)。
こうした価値観は、昭和 20 年代中頃まで続き、都市部のし尿は都市と近郊農村との
連帯によって何とか処分されてきたが、この文化や価値観の違いが、欧米では「水洗便
所」、日本では資源の有効利用を主目的とした「汲取便所」というシステムへ発展して
いった。
1.2 伝染病予防の時代
(1)明治時代から第二次世界大戦終戦まで(大都市の公衆衛生の確保)2)
明治時代には、諸外国との交易が活発化するようになったため、コレラや腸チフスな
ど各種の伝染病も貿易港から上陸し、全国に流行して多数の死者が出た。特に、1879
年(明治 12 年)と 1886 年(明治 19 年)のコレラの大流行では、10 万人以上の死者が
出た。その背景には、明治維新後に国内を自由に移動できるようになった国民が、仕事
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を求めて東京などの大都市に集中してきたという要因もある。人が急激に密集して住む
ようになるとし尿やごみが激増し、江戸時代の定期的などぶさらいやごみ掃除の行事も
なおざりになり、都市環境が清潔に保持できなくなってきた。すなわち、大都市への人
口集中による公衆衛生対策の不備が、伝染病の大流行に拍車をかけた。
このため、強力な伝染病対策が必要となり、1887 年(明治 20 年)には警視庁が「塵
芥取締規則」を制定した。これによって東京市では各戸に塵芥容器が備えられ、清掃業
者が全市内のごみ収集を有料で行うようになったが、業者の多くは都市衛生保持の義務
感に乏しく、実効が上がらず不衛生な状態が続いた。
こうしたし尿やごみの処理が不適切な状況のもとで、さらに日清戦争の帰還軍人達が
各種の病原菌を持込んだことにより、1894~1895 年(明治 27~28 年)に再びコレラが
大発生した。またペストの侵入にも刺激され、政府は伝染病対策として 1897 年(明治
30 年)に「伝染病予防法」を施行し、大掃除を市町村業務として義務付けた。1900 年
(明治 33 年)には「汚物掃除法」が制定され、わが国のし尿・ごみ処理行政がスター
トし、1954 年(昭和 29 年)に廃止されるまで 54 年間に及んだ。しかし、この法律が
意識したのは主に東京、大阪、京都などの大都市であり、全国に清掃事業を拡大するこ
とには至らなかった。特に、都市し尿は大半が肥え桶で農村へ運ばれて還元され、し尿
は有効に利用されたが、赤痢や腸チフスなどの消化器系伝染病の流行と、回虫等畑など
からの土壌伝播の寄生虫病の蔓延が問題として残った。
すなわち、この法律のほとんどは、汚物を市を中心とした区画から取り除いて、場所
的に他へ移動するという消極的な段階に終始し、人夫人仕事的な作業を主体として、大
した技術的進歩もなく、第二次世界大戦まで推移したのである。
(2)寄生虫対策と改良便所の開発1)3)
日本のし尿処理問題は、もともと衛生上から農肥に用いるし尿の安全化を最大の問題
としてスタートしたもので、便所が野放しの時代にはわが国は寄生虫王国であったこと
から、「寄生虫」と「便所」を抜きにして語ることはできない。
文化生活は、便所の改善無くして営むことはできない。在来の汲取便所の改善方法と
しては、便池にネズミや蚊、ハエ等が侵入しないように密閉し、便器には蓋をすること
であった。また、し尿の大半が行く末は農肥利用であったため、腸管系伝染病の源とし
て、また寄生虫病の温床として便池内撲滅が目標とされてきた。
そこで、改良便所が登場する。洪水でも雨水が侵入して溢れることの無いよう便池が
陶製の肥壺になったのは百数十年前のことで、それまでは方形木箱が使われていた。さ
らに、わが国でし尿を最初に衛生学的に意識して扱ったものとしては、大正9年に当時
の船医城口権三氏らの発明による「大正便所」があげられる。これは、便器の下に排便
管を付けて便池内に押し込み、一部新鮮屎尿の分離消化を図ったものである。大正年間
に全国的にかなり普及し、さらに須賀商会によって改良された「昭和便所」が出回った。
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また、大正末期には内務省衛生局で便槽内における屎尿中の病原菌の死滅(生存期間)
について調査を行い、昭和7年に「内務省式多槽便所」の原型が発表された。構造的に
は故障等が少ない3槽式が普及した。
これが後に改良され、「厚生省式改良便所」として登場することになる。貯留槽と汲
取槽を組み合わせた構造からなり、古いし尿から順次第1槽より次へ送られ、その間に
消化されつつ 100 日間くらい経って最終槽へ出るようになっていた。原理的には、し尿
は長期間蓄えておけば腐熟作用によって嫌気性腐敗を生じ、病原菌や寄生虫卵が死滅す
るというもので、この構想から約 100 日間程度貯留できる容量の便槽を完成したもので
あった。ただし、腸チフスなどは夏場の水温を経過しないと死滅しなかった。
(3)戦後の寄生虫問題と神奈川衛研式「屎尿分離式改良便所」1)3)4)5)
戦後のわが国の寄生虫蔓延は著しかったことから、昭和 24 年に全国組織の「回虫病
研究委員会」が発足し、当時実行可能な処理方法の研究に乗り出した。殺卵を目的とし
た薬剤処理、集団駆虫、肥溜めの改良、し尿分離便所などについてそれぞれ学会や研究
機関が連携し、活発な研究が進められた。
昭和 25 年の検便(筆者を含め年配の方は昭和 30 年代まで検便用に便をマッチ箱に入
れて学校に持参したものである。)による調査では、全国平均で回虫卵の保有率が 56%
(範囲 32~90%)、鉤虫で 3~4%もあった。神奈川県の場合、昭和 26 年における農村
での寄生虫感染率は、最高で回虫が 80~90%、鉤虫 16~27%に及んだ。
このため、当時はいかにして土壌や野菜を通じて人体に入る過程を断ち切るかが大問
題で、農村におけるし尿処理、都市し尿の農村還元対策が先行的に取り上げられた。ま
た、同時にこれらの寄生虫を早急に防除することが最大の研究課題で、その際考えられ
た方向としては、①し尿の衛生的かつ合理的処理、②集団検便と集団駆除、③殺虫剤の
利用による屎尿の安全化などであった。
神奈川県衛生研究所(以下「神奈川衛研」という。)が改良便所の問題を取り上げた
のは昭和 22~24 年で、昭和 24 年に「蛔虫病予防研究委員会」(委員長小島三郎博士)
を設けた。昭和 25 年には「神奈川県寄生虫病予防研究会」(会長村山衛生部長)を設
け、これを機に、まず①の課題を分担し、昭和 25 年には当時所長(戦後の任期は昭和
23~44 年)であった児玉威博士のし尿分離の発想により「屎尿分離式改良便所」が開
発された。これは、尿が無菌で量も大便の 10 倍あることから、最初からし尿を分けて
利用すれば、衛生学的にも肥料的にも極めて有利に働くという構想に基づくものであ
る。翌年には野外実験に成功し、これらの成果を「屎尿処理の知識とその研究」にまと
めて報告し、全国的に注目された。筆者が神奈川衛研に在籍していた頃、この便器がま
だ平成の初めまで屋上に出る踊り場にゴロゴロとわびしく無残に転がっていたのを記
憶している。便所の歴史や構造については、紙面の都合上次回以降に図表を交えて詳し
く述べたい。
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なお、②に関しては駆虫剤の効力試験、③については昭和 28 年頃からし尿中に化学
薬品を投入して寄生虫卵を殺滅する研究などが行われた。
(注)神奈川衛生研究所:
明治 35 年にペスト検査所として創立された日本最古の地
方衛生研究所の一つである。その後神奈川県中央衛生試験所と称し、昭和 23 年に衛生
研究所と改称された。当時は横浜市南区中村町にあったが、昭和 39 年に横浜市旭区郊
外の二俣川に、さらに平成 15 年には茅ヶ崎市に移転し現在に至っている。昭和の時代
は全国トップレベルの衛生研究所で、特に戦後から昭和 50 年代まではし尿処理研究で
先進的な役割を果たした。
1.3 し尿処理研究の夜明け1)
寄生虫対策から発展したし尿の衛生処理は、環境衛生関係者の支持もあり、戦後の環
境悪化の主因として大きく取り上げられるようになったわけであるが、これには必然的
な原因もあった。戦後まもなく、化学肥料の増産からし尿が農村に還元されなくなり、
その処分に困るようになったことである。
特に昭和 20 年代後半に入ると、化学肥料が急速に普及し、これまで農村で肥料とし
て還元されてきたし尿が使われなくなったため、農家の収集に頼ったし尿の農地還元が
間に合わなくなり、その処分に困るようになってきた。また、産業・経済復興期である
この時期は、都市の発展に伴い急激な人口集中も、排出し尿の量的処分の行き詰まりに
拍車をかけるなど大きな問題となってきた。都市化の波は下肥使用に対する農村の受入
れ意欲をますます衰退させ、山河への不法投棄や沿岸都市の海洋投棄が急増した。
戦前からの病原菌や寄生虫による健康障害は、し尿の非衛生的処分によるところが大
きいとの判断もあって、各自治体ではし尿を収集して衛生的に処理を行うことが必要に
なった。昭和 30 年代にはし尿処理に対する国のビジョンが策定され、嫌気性消化処理
のほか各種の方式が開発され、し尿処理研究の夜明けを迎えた(昭和 34 年には全国 73
都市に施設が建設)。
2.し尿処理の目的5)
し尿処理の基本的な目的は、次の3つであり、これらが満足された場合に放流水の水
質は基準値以下にでき、水環境を保全することができる。
① 安全化:し尿中の病原微生物や寄生虫などを死滅、除去する(衛生的)
② 安定化:し尿中の腐敗性有機物質をできるだけ分解除去する(化学的)
③ 減量化:膨大なし尿量を少なくし最終処分量を軽減する(物理的)
しかし、人のし尿という特殊な有機性廃棄物を処理する場合、これだけでは放流先水
域の着色や富栄養化を引き起こしたりするため、環境に悪影響を及ぼさないような配慮
が必要である。このため、最近では上記の目的に、④を加えることもある。
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④高度化:富栄養化原因物質(N・P)や感覚的不快物質(臭気・色)を除去する
2.1 安全化
し尿による汚染が問題となるのは、し尿中に排泄される病原微生物や寄生虫による汚
染で、伝染病の発生や寄生虫病の蔓延の原因になるからである。安全化とは、これらの
病原体を死滅させたり、除去したりすることによって、衛生的に無害なものにすること
である。微生物とは、一般に肉眼でみることのできない単細胞生物、もしくはそれに近
い簡単な体構造をもつ生物群をいい、細菌、真菌、原生動物(原虫)およびさらに原始
的な生物であるリケッチアとウイルスを包括する。なお、し尿中に排泄される病原微生
物・寄生虫の大部分は、大便中に含まれる。
2.2 安定化
し尿中には化学的な多量の汚濁物質や様々な汚染物質が含まれており、し尿による汚
染が問題となるのは、これらの物質が公共用水域の汚濁の原因になるからである。安定
化とは、し尿中の腐敗性を持つ有機物をできるだけ化学的に分解・除去して、処理水が
放流先で再び腐敗することのないようにすることである。
2.3 減量化
減量化とは、膨大な量のし尿の中の汚濁物質の絶対量を物理的に少なくすることであ
る。し尿を安全で安定にした後、残渣が出てくるが、これは最終的に埋立処分される。
最終処分場の確保が困難になっている現状では、減量化の必要性が一段と重要になって
いる。例えば、し尿を活性汚泥法で処理すると、最終処分に要する余剰汚泥量は全し尿
量の1%程度に減少できる。さらに減量化の目標を達成するため、脱水、乾燥、焼却等
を行う。減量化は、環境汚染を軽減することにも通じる。
2.4 高度化
昭和 40 年代に入ると、放流水中の窒素が水稲などに与える影響が懸念され始め、窒
素除去法が研究されるようになり、生物学的脱窒素法が実用化された。
<参考文献>
1)児玉威先生記念出版グループ:私たちの記録-児玉威先生とともに 20 年-(1970)
2)岡田誠之、田所正晴ほか:水とごみの環境問題、TOTO 出版、p.106~108(2007)
3)石関秀穂:屎尿浄化槽設計資料集、相模書房、p.49~70(1973)
4)鈴木武夫、原田文雄、助川信彦:改良便所普及農村に於ける寄生虫卵検査成績、公衆
衛生学雑誌、7(4)、pp.156~158(1950)
5)児玉威編:屎尿処理の知識とその研究、神奈川県衛生研究所、pp.1~224(1951)
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6)大野茂監修:し尿処理施設の機能と管理、産業用水調査会、pp.7~9(1975)
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