便器の広告-明治期にはおどろきの絵があった 溝入茂

巻頭コラム
便器の広告-明治期にはおどろきの絵があった
廃棄物資源循環学会 ごみ文化研究部会・行政研究部会
溝入 茂
新聞には色々な広告があります、便器の広告なんてものもあります。この分野は文字だけの広告
ではなんとも味気ないので、絵付の広告を探しました。今回はし尿の歴史の連載が始まったことに
勝手に協賛したコラムです。最後にアッと驚く絵を用意しました、不謹慎と叱られるかも・・・
最初の絵は左が 1895 年、右が 1900 年です。取り立てて特徴らしきも
のはないのですが、いずれも特許ということと警視庁より認可を受けて
いることをうたい文句にしています。どちらも広告文では汚物をみるこ
ともなく、臭気も防いで
衛生的なことを掲げて
いますが、絵で見るかぎ
りそうした効能のある
仕組みがわかりません。
汚物が直接見えないこ
と、臭気が防げること、
この二つが当時の便所
に必要とされていたこ
となのでしょう。その点からすると、小林商店のほうは臭気抜きの管が
1 本立ち上がっており、タダの便壺より工夫が見られますが、実際には
それほどの効果はなかったと思えます。あえて特徴らしいものを探すと、
小林商店の便器に有田風の装飾が施されていることでしょうか、どこか
明治の風を感じます。
臭気防止というのは殆どの広告に掲げられていて、3 つ目に示す広告はその名
も「美術無臭便器」、何が美術かさっぱりわかりませんがこれも汚物を見ず臭気
なしとうたっています。1907 年です。
次ページに示すのは大正に入って 1913 年の大野式衛生便器の広告です。構造
が複雑でなにかよくわかりません。よくみると名称は便器ですが実は便器そのも
のではなく、便器に付帯する装置がその内容です。下段にある専売特許 24147 号
にあたってみました。すると大野式衛生便器の目的はこうなっています「汚水の
反飛することなく、常に便所内の清潔を保ちて、臭気及び蛆ハエ等の発生を防ぎ、
その布設と汲取りを便ならしむる」。臭気とハエの予防、これが広告の「夏期衛
生の福音」ということです。
一般社団法人廃棄物処理施設技術管理協会メールマガジン
平成 27(’15)年 1 月 第 74 号
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構造としては、便壺の上に両開きのフタを置き、
それが入ってきた人の体重で自動的に開くのが特
徴ということです。特許明細書の絵がわかりやすい
ので下に示します。踏み板イに人が乗ると連動して
開閉蓋チが開き、人がいなくなるとバネの作用で踏
板が元に戻るというものです。なにやらすぐにダメ
になりそうな、あまり実用的な感じがしません。
臭気は汲取り便所の宿命であり、その対策は大き
な課題であったのです。こんな絵もありました。
1909 年発行の東京パックからです。絵の説明は「電
車停留場の傍に辻便所 稀には便利を感じるもの
もあろうがサテモ迷惑な・・・」、英文タイトルは
Tram Station and Lavatory、電車を待つ人に臭気
が漂っている絵です。
さて最後に、
予告したアッと驚く絵です。下を見て下さい。
新聞にこんな絵が堂々と掲載されたのです、1908 年です。
たしかに便器の広告ですから使用中があってもいいでしょ
う、、、そうなるとモデルはおじさんじゃなく若い女性のほ
うが目を引くということでしょうか。広告とはいえ、こうい
う絵を新聞にのせていいのかな-、品がないというか。
掲載したのがあやしげな新聞だったら、まあ売るためには
なんでもやるンだな-と妙に納得しますが、この広告を掲載
したのは実は大阪朝日新聞、大阪毎日新聞です。現在の朝日
新聞、毎日新聞の前身、当時から既に一流紙に格付けされて
いた新聞です。そんな一流紙にあった広告だけになんとも衝撃的だったようで、明治期に独特の毒
とパロディーで大きな人気を博した宮武骸骨が発行する滑稽新聞はこの広告に対しこう書いてい
ます「もしも我社発行の絵葉書世界にでもこん
な図画を掲出したならば、該社員どもは醜陋極
まるものとぬかすであろうに」。滑稽新聞社が
こういう絵を掲載すると醜悪極まるというく
せに、大阪朝日ならなにもいわないのか、と叫
んでいます。まあ、なんともこれが明治の時代
ということでしょうか。
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溝入
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37号 遺跡とごみ箱 溝入茂
38号 カーニバル・カーニバル・カルナバーレ 溝入茂
39号 ハエを数える 溝入茂
40号 がれき処理を考える-震災後 1 年
溝入茂
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42号 ゴミの連作広告-積水化学の試み-
43号 ゴミの広告つづき-奇妙な広告編-
44号 箸休め-カツ丼食べて自白のシーンはいつから-
45号 渋谷塵芥焼却場のいま
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62号 チェコのごみ箱・クリスマスマーケット
63号 ごみ坂についての考察(その4)-湯島のごみ坂
64号 ごみ坂についての考察(その5)-駿河台のごみ坂
65号 ボロと食器と一流店 - 昭和 11 年東京
66号 ごみ坂についての考察(その6)-麻布のごみ坂
67号 イタリアのパスクワ
-コモ湖とガルダ湖のごみ箱
68号 マントヴァ、ノヴァーラのごみ箱
69号 ごみ坂についての考察 派生編2 ―犬の糞新道1―
70号 ごみ坂についての考察 派生編3 ―犬の糞新道2―
71号 ごみ坂についての考察 派生編4 ―犬の糞新道3―
72号 ごみ坂についての考察 派生編5 ―犬の糞横町―
73号 明治期の掃除機広告から家事の電化まで
74号 大量消費時代の申し子、百円ショップのはじまり
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