明治期の掃除機広告から家事の電化まで

巻頭コラム
明治期の掃除機広告から家事の電化まで
廃棄物資源循環学会 ごみ文化研究部会・行政研究部会
溝入 茂
家電製品はほぼ成熟しているとずっと思われていましたが、
ここ最近掃除機の市場が賑やかです。きっかけはイギリスの
ダイソン社が発売したサイクロン式掃除機の爆発的なヒッ
トです。
掃除機を語るとき、筆者は右の広告をよく引用します。朝
日新聞に掲載された広告で 1912(明治 45)年です。明治年間
に日本で真空掃除機(器)が売られていたこと、手動式である
こと、値段が 60 円である事等、色々興味深い広告です。ち
なみに、この頃の大工の手間賃は 1 日 1 円、公務員高等官の
初任給が 55 円、小学校教員の初任給が 15 円ほどです。ただ
埃を吸い取るだけの道具に 60 円は高かったでしょうね。
広告の説明文には「輸入以来各病院、鉄道員、電車会社の
需用日に増加し」と書かれており、この掃除機が輸入品であ
る事は確かなのですが、どこの国の製品かは書いてありませ
ん。そもそも手動式掃除機などが本当にあったのか、という
ことで同時代の海外の新聞広告を探してみました。するとイ
ギリスの新聞 The Times に手動式掃除機の広告がありまし
た。1912 年です。外観が少し違う点を除けば、取っ手をギコ
ギコ動かしてノズルから空気を吸い込む同じ方式の掃除器
です。広告の左上にあるキャッチコピーは“the Best Xmas
Present”、この頃は家庭用品がクリスマスプレゼントに使
われていたのでしょうか。値段は 4 ポンド 4 シリング、大ま
かにいうと 50 円ほどですが、もし輸入するとなると 100 円
くらいの値段がつくでしょう。下の写真は、現存するこの掃
除機を畳んだ時の姿です。広告面の真ん中上にあるように、
この掃除機は収納時にコンパクトに折畳めることがアピール
ポイントの一つだったようです。とはいえ、手動で安定して
操作出来るよう、相当の重量であったろうことは容易に想像
出来ます。
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ではこの頃の掃除機はすべて手動式だったかとい
うとそうではありません、左の広告は 1908 年のニュ
ーヨークトリビューンにあったものです。ここでも
広告コピーは「奥様への最良のクリスマスプレゼン
ト」です。広告では上下に分けて使い方を示していま
す、使っているのは同じ掃除機です。何が違うかと
いうと、上が電気式、下が手動式です、どちらの方
式も販売されていたのです。
掃除機の発明は 19 世紀の中頃です。当時急速に普
及しはじめたカーペットの掃除が簡単にできる家庭
用品として登場します。当初は真空を発生すること
が難しくアイデア商品の域を出ませんでしたが、
1901 年にイギリスでガソリンエンジンを使って真空
を実現する掃除機が発明され、後に動力が電気モー
ターになって現在の掃除機のプロトタイプが出来上
がりました。ただ当時は電気モーターも電力料金も高く、手動式も売られていました。
上の電気式では後ろに電気コードが伸び、下の手動式ではレバーを子どもが動かしています。ノ
ズルで床を掃除する姿は今と変わりません。値段は手動式で$25、換算するとほぼ 50 円です。こ
れに対して電動式は$55 と$60 の 2 種類です。電動式は手動式の倍以上の値段だったのです。と
ころで電動式になぜ 2 つの値段があるのでしょうか、それは当時の電気事情に関係します。$55
は直流用、$60 は交流用なのです。電力規格が全国的に統一されておらず、交流地区と直流地区の
両方向けに製品が揃えられていたのです、電気普及期の頃のエピソードですね。
同じ頃、日本でも掃除機の実物が紹介されていました。左図は 1907
年に東京上野で開かれた東京勧業博覧会にイギリスの The British
Vacuum Cleaner Co. Ltd が出品した真空掃除器械です。博覧会で展
示されたのでかなりの市民がみたことになります。この掃除機はガ
ソリンエンジンで動くもので、大きさは台車 1 台分ほどになります。
この台車を家の外に運び、ホースを延ばして室内の掃除を行うので
す。博覧会の調査報告はこう書いています「・・・衛生上より見て特に
重要と認むべきは此の法を実施中室内に少しも塵粉を揚げざるにあ
り室内の大気始終変換して終了後棚、卓子、其の他覆蓋物の上を細
に点検するに沈下した塵埃痕跡だも認めず・・・」、要するに埃を吸い
込んで外に出さないので掃除が終わった後には埃が残らないとの説
明です。これに対し従来の掃除は埃をはたいて単に別の場所に移動
させているだけなので、真空掃除機のほうがずっと有効としていま
す。しかしこのとき、日本で実際に入っていたのは鉄道庁だけだっ
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たためか、文章の最後はこう締めくくっています「本法は日本風の家屋にも洋館に於けるが如き効
能ありや否やは実地に使用したる上ならでは明言出来ざれども兎に角衛生上最も注目すべき発明
なるを以て・・・」
1910-1920 年代に欧米では機械化、電化の波が家庭
にも広く波及し、様々な家事労働の現場に入っていき
ました。その様子を紹介する新聞記事をいくつか並べ
ておきます。はじめの紙面はニューヨークタイムスの
1912 年、手動式洗濯機、プレス機などが掲載されてい
ます。
次は 1913 年のザ・タイムス、電化の紹介です。メイ
ンは照明ですが、下の段にはトースター、グリル、ポ
ットなどのキッチン用品、真空掃除機などが示されて
います。
そして 3 つ目が 1920 年のニューヨークトリビューン、
1912 年のニューヨークタイムスで示された
手動式の洗濯機などがすべて電動式になっ
ています。洗濯機、プレス機、食洗機、掃除
機、この 4 つの電化された道具を Servants
とするキャッチコピーは 20 世紀の生活様式
を暗示しているともいえます。
今回は家庭でのごみ処理として掃除機を取り上げ
ました。さて次回は・・・思案中
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溝入
茂のコラムバックナンバー
37号 遺跡とごみ箱 溝入茂
38号 カーニバル・カーニバル・カルナバーレ 溝入茂
39号 ハエを数える 溝入茂
40号 がれき処理を考える-震災後 1 年
溝入茂
41号 カーニバル2012
42号 ゴミの連作広告-積水化学の試み-
43号 ゴミの広告つづき-奇妙な広告編-
44号 箸休め-カツ丼食べて自白のシーンはいつから-
45号 渋谷塵芥焼却場のいま
46号 ペスト、ネズミ、ネコ -明治のイラストより
47号 ペスト、ネズミ(承前)
48号 最初の焼却炉特許のこと
49号 トルコへ行ってきました
50号 大正時代のウォークマン
51号 明治 36 年東京市のペスト騒動
52号 明治 36 年東京市のペスト騒動(承前)-焼き払いを中心に-
53号 東京大学の焼き払い-明治 34 年のペスト騒動
54号 新聞資料の横道 -紙面散歩の楽しみ
55号 学校の掃除は誰がするのか
-大正 3 年の論争
56号 学校の掃除は誰がするのか
-その2
57号 ごみ坂についての考察(1)千代田区番町のごみ坂
58号 ごみ坂についての考察(2)新宿区市ヶ谷のごみ坂
59号 ごみ坂についての考察(3)-新宿区牛込のごみ坂
60号 ごみ坂についての考察 派生編 1
-乞食橋、貧乏神神社-
61号 第12回オリンピック東京大会
62号 チェコのごみ箱・クリスマスマーケット
63号 ごみ坂についての考察(その4)-湯島のごみ坂
64号 ごみ坂についての考察(その5)-駿河台のごみ坂
65号 ボロと食器と一流店 - 昭和 11 年東京
66号 ごみ坂についての考察(その6)-麻布のごみ坂
67号 イタリアのパスクワ
-コモ湖とガルダ湖のごみ箱
68号 マントヴァ、ノヴァーラのごみ箱
69号 ごみ坂についての考察 派生編2 ―犬の糞新道1―
70号 ごみ坂についての考察 派生編3 ―犬の糞新道2―
71号 ごみ坂についての考察 派生編4 ―犬の糞新道3―
72号 ごみ坂についての考察 派生編5 ―犬の糞横町―
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