メルマガ講座 「日本のし尿処理」―その歴史と技術― 第3回 し尿処理の体系-収集・運搬・搬入 元 神奈川県衛生研究所 博士(学術) 田所 正晴 1.し尿処理体系に関する法律 し尿と浄化槽汚泥(以下「し尿等」という。)、および生活雑排水は、廃棄物処理法 において一般廃棄物に分類され、これらについては市町村を中心とした処理体制が義務 付けられている。市町村は、これらについて一般廃棄物処理計画を策定し、計画に従っ て収集、運搬、処分を政令に定める基準に従って行わなければならない。この基準には、 収集、運搬、処分について飛散や流出の防止などのほか、し尿処理施設での中間処理、 廃棄物系バイオマスである汚泥の利活用などが定められている。 一般に、し尿処理は以下の体系で収集され、し尿処理施設等へ搬入されて処理・処分 される。本格的なし尿処理施設が出現したのは昭和 20 年代後半である。 汲取便槽・浄化槽→収集→運搬→搬入→処理・処分 2.し尿の収集・運搬 し尿の収集・運搬の目標は、処理処分の適正化のため、廃棄物が適正に処理できるよ う発生源からし尿処理施設や最終処分施設に円滑に移動させることである。 2.1 し尿の収集形態1) 現在、し尿等の収集・運搬業務は、次の3形態によって実施されている。 ①市町村(一部事務組合*)直営 ②委託業者:市町村の委託を受けた処理業者 ③許可業者:一般廃棄物処理業の許可を受けた処理業者 *注)規模の小さい自治体の場合、近隣の市町村と一部事務組合を設立し、共同 でし尿処理施設等を建設し運営することがある。 し尿等の収集・運搬は、ごみに比べ民間による割合が高く、実は市町村直営で実施し ているのは1割にも満たないで年々減少しており、許可業者を活用するケースが多くな っている。許可業者は、一般廃棄物処理業の許可を受けて処理基準に従って行わなけれ ばならない。収集されたし尿等は、し尿処理施設へ搬入あるいは下水道へ投入されて処 理されるのが一般的である。以前行われていた海洋投入処分は、平成 19 年より全面禁 止されている。 2.2 し尿の収集運搬方式とその変遷 (1)明治時代から昭和初期までの収集運搬 一般社団法人廃棄物処理施設技術管理協会メールマガジン 平成 26(’14)年 11 月 第 72 号 1 ※無断転載禁止 明治時代、し尿は汲み取り人である農民が下肥代として住民に代金を払うという江戸 時代からの都市と農村におけるリサイクル方式が踏襲されていた。ただし、大都市では、 大正期に入ると汲み取ってもらう住民の方が払うケースが出てきた。このため、昭和初 期のし尿の収集運搬は、肥桶と天秤棒による荷運びで、リヤカーや荷車・トラック等へ 積替え、そして伝馬船(平水船)による水上輸送で、し尿を海洋投棄するというもので あった2)。昭和 5 年(1930 年)に汚物掃除法が改正されて、し尿の汲み取りは市の義 務となった。この頃になると、下肥に替わるものとして化学肥料が出回るようになり、 汲み取り量と農村の需要の間のバランスが崩れ、し尿の大半は船で海洋投棄されるよう になった3)。しかし、第二次世界大戦が始まる頃には食料の欠乏が甚だしくなり、各 都市に「屎尿農村配給委員会」が設立され、肥料不足を補うためにし尿が見直されるよ うになった。収集し尿は肥桶から肥船の伝馬船に積替え、農家に配られたりしたが、戦 局が急迫すると収集も満足に行われなくなってし尿を川や側溝に捨てる者が後を絶た なかったという3)。 (2)戦後のし尿収集運搬方式 敗戦後には、し尿が消化器系伝染病や寄生中病の悪環境の主因とされ社会問題化し4) 5) 、公衆衛生向上の観点から、昭和 22 年に六大都市で「都市清掃協会」が結成され、 し尿の衛生的取り扱いや適正な農村還元等が図られるようになった5)。昭和 24 年頃か らは、その対策面からし尿の衛生処理が強く取り上げられるようになった。また、急激 な人口集中を受けた当時の大都市では、農業が化学肥料を主体とした方法に変化してき たことによりし尿がしだいに農村還元されなくなり、都市部のし尿が大量に滞るように なる。こうした時期には、し尿は下水道投入や海洋投入によって処分されたが、山林や 河川、沿岸部への不法投棄や海洋投棄が急増し、社会問題化したことから、収集し尿の 量的処分の行き詰まりを生じ、余剰し尿の処理が必要となってきた6)7)。 このため、昭和 25 年(1950 年)には、都市部の深刻なし尿問題を解決するために当 時の「経済安定本部資源調査委員会」が「屎尿の資源科学的衛生処理勧告」を国に対し て行い、汲取し尿収集の機械化やし尿の直接処理(嫌気性消化)の方向性など、し尿汚 染の軽減に関する先見的な技術的指針が示され、バキューム車の実用化と普及が図られ た6)8)9)10))。 以下に当時の収集運搬の変遷について、高杉喜平氏の都市近郊(東京都多摩地区)で の収集の経験談や工藤庄八氏によるバキューム車開発の経過などをもとに紹介する2)。 1)リヤカーによる収集運搬 戦後直後も、農家では下肥が不足し、し尿が貴重な資源であった。このため、都市近 郊の農家の方は、リヤカーに肥桶(2斗≒36L)と柄杓(2升≒3.6L)を載せて、住宅 の汲取便所を回りし尿を譲ってもらい、天秤棒で担いでリヤカーで収集するのが一般的 であった。農家は譲ってもらったお礼に野菜を配ることが多かったという。筆者の家で もこうした時期があり、ネギや白菜を頂いていた記憶がある。ただ、当時は黒ちり紙の 一般社団法人廃棄物処理施設技術管理協会メールマガジン 平成 26(’14)年 11 月 第 72 号 2 ※無断転載禁止 ほかまだまだ新聞紙でお尻を拭く家庭もあったため、畑に新聞紙が残って、ときには舞 い上がるような光景もみられた。 2)荷馬車による収集運搬 住宅の増加で収集先が多くなってくると、収集効率が悪いリヤカーに代わって荷馬車 (肥桶 36 本積載)を使うようになり(昭和 23~30 年頃)、量を確保するために農家同 士で「汲み取り組合」を作って収集地盤を確保した。収集量が増える一方、まだ下肥が 不足していた頃は、畑にあった「肥溜め」を収集し尿で満杯にしてあげることで農家か ら 2,000 円(当時)を頂けたという。昭和 27 年にはオート三輪車(2t 車で肥桶 12 本 積載)を購入し併用した。こうなると農家にし尿を売る「汲み取り業」に専念する者も 出てきたが、その一方で化学肥料が普及し始めると売れなくなった。 しかし、宅地化が進むと収集量は益々増え、役場の助言で自治会と個別契約して汲み 取り手数料をとって収集し、自前の捨て場(自己処分地)を購入して処分するようにな った。昭和 35 年からは役場と直接契約するようになる。 その後、汲み取ったし尿が農家に売れなくなると、昭和 33 年には人家もまばらでし 尿を捨てても文句を言われないような土地(約 1,000 坪)を購入し、そこに砂利層(15 ~16m 下)まで素堀の穴を掘って自己処分地を確保した。周辺の宅地化がさらに進むと、 汲み取り量が多くなる一方で、新たな処分地の購入が困難になってきたが、幸い処分し たし尿は少しずつ地面に染み込み、穴が一杯になっても時間が経てば追加処分できたと いう。ただし、表面はスカムが固まって草が生えるなど地面と区別できなくなって落ち たら危険なため、周囲にバリケードが張られた。新たなし尿はスカムの一部を壊してそ こから捨てたという。 昭和 36 年には、当時約 25 万円もしたバキューム車を購入している。 3)バキューム車による収集運搬 1)2) 前述した「屎尿の資源科学的衛生処理勧告」(昭和 25 年)に基づいて、同年に川崎 市で工藤庄八氏の情熱によりバキューム車(当時は「真空式吸引車」)が開発試作され、 厚生省と資源調査会の推薦もあり、実用化が進んだ。現在使用されているバキューム車 は、昭和 28 年に初めて製造販売され、翌 29 年に清掃法が公布されるとともに全国の市 町村に急速に普及していった。これによって収集作業や運搬の効率が著しく向上した。 その後、様々な改良が加えられ、現在に至っている。なお、車輌の開発や普及の経過に ついては、同氏の著書「私の清掃史」などに詳しく記されている。 4)し尿運搬船による海洋投棄 昭和5年頃から、首都圏では人口の急増でし尿汲取量と農村の需要の間のバランス が崩れ、し尿の大半は海洋投棄船で房総半島突端の州崎沖へ投棄されるようになった。 昭和7年には、東京市が海洋投棄を開始したともいわれているが、公式な投棄かは定か でない。東京市では、昭和 10 年に直営の屎尿投棄船「むさしの丸」を建造し、同 12 年 には屎尿の投棄点が初めて定められた。この頃は伝馬船も多数投棄作業に参加してお 一般社団法人廃棄物処理施設技術管理協会メールマガジン 平成 26(’14)年 11 月 第 72 号 3 ※無断転載禁止 り、1万石(約 1,800kL)以上の量が投棄されていた。 第二次世界大戦が始まる頃には、肥料不足でし尿が見直されるようになったが、戦後 の昭和 24 年頃から、急激な人口集中を受けた大都市では、化学肥料の普及でし尿が農 村に還元されなくなり海洋投棄が急増したため、昭和 31 年には国が海洋投棄の原則禁 止を訴えた。 昭和 36 年(1961 年)には、大阪、京都、横浜、東京の4市が「日本清掃協会」を設 立し、し尿処理の効率化と合理化を推進するようになる。し尿処理は陸上処理を中心と することが国の方針であったが、処理施設の建設が排出量に追いつかない都市では、海 洋投棄が緊急避難的に行われ、関東地方の沿岸都市でも北緯 34°50′東経 139°35′の 海域へ投棄していた。しかし、昭和 51 年(1976 年)からは「海洋汚染防止法」により、 沿岸から 50 海里以遠の C 海域と定められ、海洋からの依存は次第に減ってきた。 さらに、し尿等の海洋投入処分量をゼロにすることにより海洋への環境負荷低減を図 るため、廃棄物処理法施行令の一部を改正する政令が平成 14 年(2002 年)に施行され、 5 年間の適用猶予期間を経て、平成 19 年(2007 年)よりし尿等の海洋投入処分が全面 禁止となった。 神奈川県の場合、海洋投入を余儀なくされていた昭和 50 年度の処分量の内訳をみる と、海洋投入(一部埋立処分)が 51.0%で、し尿処理施設や下水道終末処理施設によ る処理は 49.0%と、ほぼ半分を海洋投入に依存していた。昭和 50 年代に海洋投入して いた市町村は、横浜市、川崎市、横須賀市、真鶴町、湯河原町の5市町に減り、それぞ れ神奈川区出田町、川崎区夜光町、日ノ出町、真鶴から海洋投入船が出航し、15 海里 以遠の海域である房総半島突端の州崎沖(北緯 34°50′東経 139°35′)に投入処分し ていた。その後、平成 14 年度から海洋投入処分は全廃された。 [注:し尿の海洋投入については、昭和 47 年 6 月の海洋汚染防止法施行令の改正によ り、昭和 48 年 4 月 1 日以降は領海の基線から 50 海里以遠に投棄することを原則とし、 暫定措置として昭和 48 年 4 月 1 日以降昭和 51 年 3 月 31 日までは 15 海里以遠の海域に 投入することが認められていた。] (3)収集運搬車の構造と機能の変遷 バキューム車は、粘性の低いし尿や浄化槽汚泥のような液状泥状の廃液に適している 11) 。し尿等の吸引は、圧力差による真空方式で、真空ポンプによって貯留タンク内の 圧力を下げて行い、排出は真空ポンプの送気を利用して貯留タンク内を加圧し、ホース (当初はゴム製のため重かった。)から排出する。このため、コンパクトで高性能な真 空ポンプが必要で、吸引効率を高めるために改良が重ねられ、現在では真空度 0.093MPa (700mmHg)が実現し、吸引高さ(揚程)7~8m程度が達成されている1)。 昭和 40 年代前半には、車載型ホース巻き取り装置(ホースリール)が開発され、現 在の形になった。最近では、街中での美観の点から、タンク外部をアルミ板で覆ったア ルミ板式の架装車も出現し、臭くて汚いというイメージの払拭が図られている(写真 一般社団法人廃棄物処理施設技術管理協会メールマガジン 平成 26(’14)年 11 月 第 72 号 4 ※無断転載禁止 1)。 ところで、このタンクからの排 気ガス中に含まれる臭気について は、様々な脱臭装置が考案され実 用化されてきた。当初は効果があ まりなかったが、その後改良され、 現在は以下の4方式が使われてい る。 ①マスキング脱臭(エジェクタ ーにより排気ガスに脱臭液を 噴霧させる構造) ②バブリング水洗脱臭(装置の 槽内に張った水の中に排気ガ スを通し、気泡を発生させた後 臭気がじゃま板間を通って水 と混合させる構造) ③活性炭吸着脱臭(水溶式で活 性炭に吸着させる方式) ④燃焼脱臭(ステンレス製排気 筒の中心部に燃焼用バーナー を取付け、排ガス中の可燃性臭 気成分を燃焼させる構造) 当時神奈川衛研の大野茂博士や児玉威博士(所長)、矢込堅太郎博士もし尿の脱臭対 策を研究していた12)13)。また日本環境衛生センターに転出された武藤暢夫博士は、 重田芳弘氏とともに臭気測定法や防臭対策の研究を行い、成果をあげている14)。 その後、浄化槽が普及し、それに伴って浄化槽汚泥量が急増してくると、小型車から 中型車へ移行されることも認められるようになった。この時期、搬入先のし尿処理施設 では、浄化槽汚泥の急増による処理能力の限界に対処するため、受入制限を行う施設も 出てきた。 一方、浄化槽の場合は清掃後に水張りが必要なため、張り水を調達したバキューム車 がピストン輸送するなどして対応してきた。また、浄化槽汚泥はし尿に比べ希薄である ことから、中間水を戻すことができる2槽式のバキューム車が開発され、活用されてき た。 最近では、浄化槽汚泥の収集において、し尿処理施設へ搬入される汚泥の量的増加と 希薄化に対応するため、従来のバキューム車による清掃で発生する浄化槽汚泥を濃縮し 一般社団法人廃棄物処理施設技術管理協会メールマガジン 平成 26(’14)年 11 月 第 72 号 5 ※無断転載禁止 て1/3以下に減量し、分離液は浄化槽の張り水として利用できる「浄化槽汚泥濃縮車」 や「脱水車」が開発され、導入が進んでいる。 3.し尿の収集・運搬・搬入の問題点と今後の対策 3.1 近年の収集運搬および搬入状況の変化と広域化処理方策について (1)近年のし尿等搬入状況の実態と問題点 近年のし尿等の搬入状況をみると、多くのし尿処理施設では、公共下水道の整備に伴 って計画処理能力に比べ実際に搬入されているし尿や浄化槽汚泥の量が年々減少して きている。また、浄化槽の整備に伴い、汲取し尿の搬入量は益々減少し、浄化槽汚泥の 収集比率が増加する傾向を示している。さらには搬入量の減少だけでなく、浄化槽汚泥 混入率の増加により収集物の性状が希薄化し、効率的なし尿処理を行うことも困難にな っており、低負荷運転への対応が要求されている。 (2)収集運搬の効率化を目指した車輌の普及と開発 こうしたことから最近では前述したように、浄化槽汚泥の収集において、清掃作業の 効率化の目的で従来のバキューム車の機能に加え、遠心分離や凝集処理の機能を備えた 設備を設けた濃縮車が開発・実用化され、普及が進んでいる(大型の浄化槽では施設内 に遠心分離濃縮機等が設置されているところもある。)。引き抜いた清掃汚泥を濃縮す ることで減量化し運搬されるため、作業時間は延びるが、輸送効率が上がる。ただし、 電源の有無、騒音、臭気の問題もあるため、使用場所の選定が必要になる場合もある。 しかしながら、し尿や浄化槽汚泥の引き抜き、収集・運搬に関連する車輌は、効率化 をさらに図るため、新たな機能を備えたものが今後も開発されるものと期待される。 (3)し尿処理体系の広域化方策の推進15) 近年、し尿処理施設を取り巻く状況は、前述したし尿等の搬入状況の変化だけでなく、 施設の老朽化と機能低下、自治体の財政逼迫によるし尿処理財源の減少など、様々な問 題点を抱えている。し尿処理施設がこうした状況に対応していくには、今後はし尿処理 体系の広域化・集約化を進めていく必要があると思われる。 3.2 その他 し尿処理施設の処理技術の中心は生物処理であるため、収集し尿等の搬入時には浄化 微生物へ悪影響を及ぼす有害物質の流入を防止しなければならない。ごみなどの廃棄物 最終処分場では搬入時に有害物質の受入チェックを実施する施設も出てきているが、し 尿処理施設では目視程度で、化学的なチェックはほとんど行われていない。このため、 化学工場から浄化槽汚泥と称して有害物質を高濃度に含んだ液状・泥状の廃棄物が搬入 され、生物処理の機能障害を生じさせてしまった事故事例が神奈川県内でもいくつかあ った(例:消火器用薬剤の搬入による嫌気性消化の機能停止など)。 今後はこのような事故の未然防止対策として、搬入時の簡易で理化学的な受入チェッ クを実施するような対策も、衛生安全対策や災害時対策とともに検討が必要であろう。 一般社団法人廃棄物処理施設技術管理協会メールマガジン 平成 26(’14)年 11 月 第 72 号 6 ※無断転載禁止 <参考文献> 1)公益財団法人日本環境整備教育センター:浄化槽清掃技術者認定講習会テキスト、 公益財団法人日本環境整備教育センター、p.45、pp.292~301(2012) 2)NPO日本下水文化研究会屎尿研究分科会編:トイレ考・屎尿考、技報堂、pp.2 ~16(2003) 3)(財)日本環境衛生センター:廃棄物処理施設技術管理者講習管理過程「し尿・汚泥 再生処理施設」'01、pp.18-19(2001) 4)田辺弘:わが国の公共水汚濁とその防止対策、日本衛生学雑誌、10(1)、pp.8-9(1955) 5)三浦運一:我が国の屎尿処理の現状とその対策、日本衛生学雑誌、13(1)、pp.1-4 (1958) 6)児玉威先生記念出版グループ:私たちの記録-児玉威先生とともに 20 年(1970) 7)武藤暢夫:し尿海洋投棄の問題点、生活と環境、Vol.2、No.2、p.28(1958) 8)武藤暢夫:屎尿好気性処理の研究、日本衛生学雑誌、13(3)、pp.1-24(1958) 9)タクマ環境技術研究会編:水処理技術絵とき基本用語、オーム社、pp.164-165(2001) 10)児玉威:日本におけるし尿処理の歴史、用水と廃水、23(12)、pp.3-13(1981) 11)廃棄物学会編:廃棄物ハンドブック、オーム社、p.699(1996) 12)児玉威、大野茂、矢込堅太郎:し尿処理場の防臭対策、第 13 回汚物処理対策全国 協議会資料、pp.39~45(1962) 13)大野茂:し尿の臭気と水洗法による防除、空気調和・衛生工学、38(3)、pp.1~14 (1964) 14)武藤暢夫、重田芳弘:脱臭の原理とオゾンの利用、用水と廃水、6(8)、p.619(1964) 15)環境省大臣官房廃棄物・リサイクル対策部廃棄物対策課:し尿処理広域化マニュア ル(2010) メルマガ講座「日本のし尿処理」―その歴史と技術―バックナンバー 70号 第1回 し尿処理のはじまりと目的 71号 第2回 便所の歴史と便器 一般社団法人廃棄物処理施設技術管理協会メールマガジン 平成 26(’14)年 11 月 第 72 号 7 ※無断転載禁止
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