古典に親しむ素地をつくる学習のあり方 - 神奈川県立総合教育センター

神奈川県立総合教育センター研究集録21:49∼52 .2002
古典に親しむ素地をつくる学習のあり方
一「読む能カ」の育成を通して二
松 澤 直 子
1
害生徒が卒業後も古典的なものとの関わりをもち続けるため 、高校における古典学習はいかにあるべき机 、
…一つの方向性として「読む」ことに着目し 、その本質を探ることを通して考えた 。生徒は 、対象と自らを関i
1…係づけていく中で
、より深い考え方を身につける 。そのような読みの経験が ・生準 にわたり古典との結び?=
きを強めると考え研究を行 った
。 1
研究の内容
は じ め に
今 、 r学ぶ」ことの意味が問い直され始めていると
いえよう 。変化の激しい杜会の中で求められるのは
、
その時 々の状況に応じて 、考え判断する力をつけるこ
とであろう 。 「学ぶ」ことに対する観点を 、根本から
変えていかねぱならない時期にきているのではないだ
ろうか 。このような杜会の要請に学校教育は 、どのよ
うに応えていくべきか 。そのために必要なものの一っ
生涯学習め視点で牟ろう 。今後は学校教育を 、そ
れ単独でなく 家庭や地域をも含めた 、大きな学習
が、
’、
・
教育体系の二部として考えること 、つまり 、横の広が
りや縦のつながりの中でと 一らえることが一層必要とな
ってくるだろう 。そして 、それに伴い 、各教科の学習
のあり方も 、見直していかなくてはならないだろう
。
1「古典に親しむ素地」とは何か
∼生涯学習の視点から∼
(1)古典を学 、;にとの意義
文学作晶を読むとき 、まずは基本として自分と作品
との対時 、そして対話がある 。この中にこそ“文学を
読み 、学ぶ意義があると考える 。その際 現代の作品
との対話であれぱ 、そこには同時代的な横の広がりし
、’
か見出せないだろう 。そのような横の広がりに 、新た
に時間軸という縦のベク ’トルを加えてくれるものが
「古典文学」なのではないだろうか 。また 、r古典」
と呼ばれる作晶は二長い年月を経て 、多くの読者の目
に触れ 、なおかっ生き残 ったという力をもっている
したがって 、r古典文学」に接することは 、現代の文
。
学に接するのとは 、また 、違う意義があると思われる
研究の目的
(2)高等学校における古奥学習の現状と課題
高等享校国語科において 、このような生涯学習の視
点を最も必要とする科目はr古典」であると考えた
。
現代の高校生が .「古典」に対して親しみがもてない理
由の一つとして 、作品の内容や表現に I自分とのつなが
りが感じられないことがある 。しかし 、年齢や環境が
高等学校の古典学習において 、古典に接する意義は
十分に生かされているだろうか
本来 、学校は生涯学習の入り口としての役割を担 っ
。
ている 。これは 、第14期中央教育審議会の答申におい
変わることで 、わかるようになるということは十分あ
りえる 。そこで 、高校段階では「古典」との接し方を
てr人々の生涯学習の基礎を培うためには 、特に初等
中等教育の 肇階において 、生涯にわたって学習を続け
ていくために必要な基礎的な能力や自ら学ぶ意欲や態
身に付けておくことが必要となるのである
ここでは特に 、その中の一つ「読む能力」に着目し
度を育成することが重要となる」という形で 、はっき
りと示されている 。これに対応するためには 、各教科
。
た。
主体的に読むという力を身に付けておくことが
における 、授業に対する考え方や内容 、も変えていかな
、
生徒と「古典」を結びっけ 、 「古典」に親しむ素地と
なると考えるからである 。本研究ではr読む」ことと
は何か 、 「読む能力」を身に付けるための支援とはい
かにあるべきかを考察することにより 、今後の「古
典」学習の一つgあり方を探 った
。
。
くてはならないと考える 。古典学習について言えぱ
これまでは授業時間内にいかにその作品の内容を理解
、
させるかを一番の課題としてきた感がある 。しかし
、
今後は視点を変え 、学校卒業後も生徒が折にふれて
古典文学やそれに関わる事柄を意識していけるように
、
「古典との接し方』を身に付けることを課題とする必
1平成13年度 長期研修員(国語)
要がある
県立神田高等学校
一49一
。
、
(3) r古典に親しむ素埴」とは何か
その中から様 々な価値を見つけようとする心の動き
これまでも 、さまざまな方法で「古典に親しむ」た
めの研究がなされているが 、その多くは ’「古典に親し
みながら授業に臨む」 走めのものであっ たように思う
が牟るからではないかと思 っている 。 (70代)
。
「年齢」を重ねることが「古典」との関わりの中で
本研究では 、卒業後も生徒が折にふれ 、古典文学やそ
大きな意味をもっていることを指摘した意見が多数あ
れに関わる事柄を意識していけるための「素地」とは
何かを考えた
った 。高校生の段階では理解や共感することができな
。
くとも 、人生のどこかの場面で 、ふとわかるというこ
古人が作品を通して伝えようとしたことを自
とがあるのだろう 。学校時代に何らかの形でr古典を
自分の中に引き寄せる鉤」のようなものをつくってお
分との関係のなかでとらえ 、考えられる観点
くことが 、将来 、自ら進んで古典と関わることに結び
つくと思われる
。
古典を学ぶ目的は 、作品自体に接することにあるの
ではなく 、作晶と接することによって 、自分の内面を
深めていくところにある
・高校の授業で 、先生が光源氏に惚れ込んでいて 、熟
っぽく語 ってく巾たことが三 以後読んでみようとす
。
るきっ かけになった 。 (60代)
物事の意味や価値を自分に引きつけながらな
おかっ根本から問い直せる姿勢
これまである程度決まったものとして扱われてきた
ものについても 、それらを知識としてそのまま受け入
れるのではなく 、もう一度自分自身で考えるというこ
とが重要であろう
教師自身が「対話」の営みに参加していくこと 、こ
れは授業として「読み」を行う際 、大変重要な要素で
ある 。なぜなら 、同じ読み手として 、教師が古典と主
体的に関わろうという .意欲をもっこと、 自らの心の動
きを明らかにすることが 、生徒の心を動かし 、その後
の生徒と古典との主体的な関わりのきっ かけになると
考えるからである
。
。
日常に埋もれている古典的なものを見逃さず
自分と結びつけることができるまなざし
(5) 「古典に親しむ素地」をつくるための指導計画
「古典」との出会いはいつどのような形で訪れるか
わからない 。また 、非常に些細で気がつきにくいこと
かもしれない 。したがって 、目常生活の中に埋もれて
いる古典的なものを見逃さないまなざしも必要なので
はないだろうか
。
に関する事例研究
r素地」をっくるためには 、他者と ’の関係性に基づ
き、 物事を考えることが必要であろう
。このような考
え方を授業の中で活用するため 、今回 、次の6個のキ
ーワードを考えた
。
〈関連>
・結びつきの広がりが 、多面的な思考を支える
(4)古典に対する意識調査より
。
・常に自分との関連を意識することは 、実感として物
現在の高校生は「古典」をどのように考えているの
事をとらえることにつながる
神奈川県高等学校教科研究会国語部会教育課程研
究委員会が 、県内の高校生1 ,318人を対象に実施したア
〈比較>
ンケートを分析した 。それによれぱ 、分野別の好き嫌
通点」 r類似点」を見つける
いでは 、現代文の好き 、どちらかといえば好きが70%
であるのに対し 、古文 ・漢文に対しては30%程度であ
・別個のものだけでなく 、同じものを違う側面からと
らえ 、そのr差異」やr変化」をr比較」する
か。
る。
。
・それぞれの要素の特徴を呪確にする 。 「差異」 「共
。
。
しかし 、その一方で 、「国語学習で特についたと
〈反復>
’
思うカ 、つけたいカ」については 、38%の学習者が
・物事の関係の変化を意識し「関連」 「比較」を繰り
「現代語訳に頼らないで古文や漢文を読む力」を「っ
返すことで 、考察はさらに広がり深まる
く交換>
けたい」と思 っている
また 、現在 、カルチャーセンター等で古典を学んで
。
。
・対話し 、考えを交換することで 、一人では考え得な
いる方 々には実際にアンケートを実施した 。その中に
か ったものに出会う
は、r素地」を考える上で重要な意見が多数あった
く総合>
。
。
・個別的なことを一般化していくという作業により
・授業をっまらなく感じたのは 、受動的に受けざるを
普遍的なこと 、本質的なことを常に意識する
得なか ったからではないか 。玩在おもしろく感じる
のは 、人生の晩期に差しかか って 、過去を振り返り
〈保持>
、
一50一
。
、
・物事の意味や価値は関係や状況で変化していく 。授
べきもので 、作晶は自明の価値を有するものとされ
業を離れた生活の中でも 、問題意識をもち続け 、吟
味し続けていく
児童生徒に画一的な読みを押しつけて 、教化 ・感化す
ることに主眼がおかれた(丹藤2000)。 戦後 、教育
。
はアメリカの経験主義によるところが大きくなる 。そ
の中で 、国語科は「言語生活主義」の言語教育が中心
このような観点をもって授業を行うことにより 、生
徒は 、関係性に基づき物事をとらえるようになる 。そ
となっていく 。この「言語生活主義」とは 、単に言語
して 、それは「古典に親しむ素地」をつくることを支
えると考えられる
、
の形式的な操作を学習することではなく 、個人の人格
形成に深く関わる 、主体の場として「言語生活」をと
。
らえるもので 、それを支えるための言語能カの育成を
、2『読む能カ」を育成ナるために
目指すものである(桑原1984)。 1950年代に入ると
(1)学習指導要領における「読む能カ」
、
学力の低下などが危倶され 、いわゆる「新教育」に対
今回の学習指導要領の改訂で特徴的だと思われる点
する疑問や批判が出されてくる 。国語科においても
の一つに 、領域の変更があげられる 。現行の領域は
「表現」 「理解」及び〔言語事項〕からなっているが
系統主義的な「言語能力主義」という考え方が出され
た。
、
、
しかし 、 「言語生活主義」の考え方は 、 「さまざ
今回の改訂により 、その内容が「話すこと ・聞くこ
と」r書くこと」r読むこと」及び〔言語事項〕へと
まな立場からの批判をあぴながら 、それでもなお 、今
目の国語教育の有力な理論的支柱となっている」 (田
変更された 。これは教育課程審議会答申の基本方針に
近1985)といわれている 。今 、その育成が望まれてい
示されたものである 。この変更は「言語の教育として
る「生きてはたらく国語の力」も 、このような考え方
の立場を重視」し「言葉で伝え合う能力の育成」を達
を現代杜会の中で具現化したものであると考えられよ
成するためのものである 。このような能力は「理解」
う。
「表現」というように言語の受容と発信を分けた学習
の中ではなく 、方向性をもった言語活動が総合的に行
われる学習の中でこそ育成されるものであろう 。今回
本研究においてはr読者論」に着目しr読み」を考
えた 。これは 、基本的に「言語生活主義」の流れをく
むものである 。しかし 、作品や他の読者と関わるため
の領域構成q改訂はそうした言語活動重視の考え方を
には 、その仲立ちとなる言語能カや客観的な読みも
示すために行われたといえるだろう 。これはまた
「言語能力」の育成を重視しながらもその方法として
おろそかにはできない 。したがって 、r主観 ・客観」
「読者論 ・作品論」といった二元論的な発想を一旦く
単なる知識の注入ではなく 、児童生徒の興味
・関
ずし 、その上で 、一 もラー度新たな「読み」のあり方を
心をひきながら 、彼らの主体的な活動を通してなされ
創ることこそ 、今後の国語教育に求められるものなの
るべきだという言語生活主義的な教育思想が戦後の国
語教育の根底にあることの現れともいえよう
ではないかと考える 。 (第1図参照)
、
は、
、
。
また 、これまで用いられてきた「読解し鑑賞する」
という文言が 、今回の改訂で「読む」という文言に改
められた 。本来 、「読む」という行為の中では 、「読
解」 「鑑賞」という二つの要素は 、切り離して考える
ことが難しいものであろう 。例えぱ 、言語学的に 、そ
の文章を完全に分析できていなくとも 、読者がその作
系読主義的
品から 、何かを感じるということはある 。また 、読者
化
■垣事一づく客o的な竈み 聰真同■との対決 ●
自身の感情が作中にフィードバックされ 、作晶の構造
■
匿
竈
済
成
£
}
代
「鑑賞」が相互に影響を与え合い 、共鳴し合うことで
。
このような改訂点を中心に 、学習指導要領における
「読む能力」をまとめた
1自
8民文掌■の螂8仁コ竈
腕固IIの簑口 文
□ の
を解く .鍵となることもあるだろう 。つまり「読解」と
「読む」ことが深まっていくと考えられる
罠
の
■
n
。
〔=・ >科学方凄の1{
r仙欄み』岱カの■庇
v じ
主佑性の■祝 ,
8竃の自由を暮9
U
現代教育の詣同園
旦
相射主竈への眉屋提起
「知竃 ・理腕1視の見直し
募二篇:膿孟膿と1言猟至章孟」
値観を見直すことへつなげることを可能とする力
:元2の見直し
(2)戦後国語教育史における『読む能カ」
戦前の文学教育は 、いわぱ「文学研究教育」という
第1図 戦後国語教育史におけるr読む」ことの流れ
一51一
また 、さらに言えぱ 、前項で考察した学習指導要領
限らず 、あらゆる事象にたいして主体的に関わってい
の文言や領域の改訂の意図するところも 、この新しい
「読み」のあり方と 、同じ方向を目指すものであると
こう .とする意欲を育てることが必要である 。このよう
な意欲は「感じること 、考えることの楽しさをしる」
考える
ことから生まれる 。三れこそが「学ぶ」ことと言えよ
。
う。
このような学習は 、もちろん教育全体を通してな
されるべきことであるが 、本研究では 、その中で国語
(3) r読むこと」における主体性とは
これまで「読者論」で重視されてきた 二ものは 、 「自
科が負うべき分野として「読む」ということを取り上
分に引きつけ 、自分の価値観で考える」ということで
ある 。もちろんこれは「主体的な読み」を考えるため
げた 。その中で「作品」 「読み手」という二者が等し
には 、大切な要素である 。また 、 r人それぞれ」とい
行為を支えるということがわか った 。そこで 、主体性
に蔦点を当てた学習が「読む能力」を育て 、そのよう
く尊重され 、関係していくことこそが「読む」という
う形で読みの自由を保障することが 、読者を尊重する
ことにっながるとの考え方がある 。しかし 、 r自分」
にして育 った「読む能力」が読み手の主体性をさらに
や「個性」ということ自体 、絶対的なものではなく
常に問い直されるべきものなのである 。読み手はr読
育てていくという 、相互作用を「読む」ことと結論づ
けた 。 「作晶」か「読者」かといった二項対立的な考
む」という対象とのやりとりを自分自身の中で繰り返
え方でなく 、その聞にある「関わり」に注目すべき時
、自分以外の他者の「読み」に触れる中で 、自
分とは 、個性とは何か考える 。このような思考の営み
にきているのである 。そして 、このような考え方は教
育全体に通底し 、それぞれの分野における「素地」を
、
したり
は、
つくり 、生涯にわたってその人を支えると考える
周囲との関わりの網の目の中に自分自身を位置づ
。
けてくれる 。そして 、各人が 、このような網の目を通し
2今後の課題
今回の研究では 、調査協力員の授業を通し 、「古典
て周囲と関わっていこうとすることで 、一人ひとりの
主体性は確立されていくのである 。さらには 、そのよ
うに確立された主体性が次なる新しい「読み」をつく
に親しむ素地」について考察した 。そこにおいて生徒
は、 自らの「未知のものを発見しうる可能性」に気づ
「読み」はさらなる広がりや深まりをみせていく
とととなる
り、
いた 。さらにこのような経験を繰り返す中下 、「感じ
。
’本研究の中で追究している「読み」とは 、対象が持
ること 、考えることの楽しさ」をしるようになるとも
っている何かを「見つける」ことやr身に付ける」こ
とではない 。対象に触れることによって 、自らが持 っ
考えられる 。こういった生徒の変容を支援するために
ている感情や思いや価値観といったものを目覚めさせ
教師はどうすれぱよいのか 。この点をさらに追究し
、
授業を構築していきたい
、
。
動かしていく ’こと 、場合によっては 、一旦それらを解
体し 、再構築することである 。そして 、対象や他の読
引 用 文 献
み手 、さらには自分を取り巷くあらゆるものとの関わ
井関義久1995「『分析批評』の授業への応用」『戦後
りの中で 、その感情や思いや価値観等を意識して見直
国語教育50年史のキーワード』明治図書
し、
自分自身を形づくっていくこと 、この過程全体を
を「読み」 ’ととらえたい
田近淘一1985「国語教育における言語生活主義の検
討」「東京学芸大学紀要第2部門人文科学」
。
丹藤博文2000r読者論の歴史とその授業」『読書論
・
読者論の地平』和田敦彦編 若草書琴
研究のまとめと課題
文部省1999『葛等学校学習指導要領解説国語編』東洋
1研究のまとめ
生徒が 、常に何事をも固定的ではなく 、周囲との関
わりの中で考えるようになれば 、どのような状況にお
かれてもそれに対応することができると考える 。本研
究では 、この問題を高等学校国語科 、特に「古典」の
学習という側面から考察し 、以下のような結論に至っ
館出版
参考文献
桑原隆1984「言語生活主義と言語能力主義」『国語教
育の課題と創造』増渕恒吉編 有精堂
田近淘一1974『言語行動主体の形成』新光閣
た二
田近洵一1993『読み手を育てる一 読者論から読者行為
まず 、 「素地をつくる」という考え方である 。今後
論へ』明治図書
の高校における古典学習において目指すべきは 、限ら
田近淘一1999『増補版戦後国語教育間題史』大修館書
れた時間内での知識の習得や内容の理解ではなく 、い
つr古典」と出会っても親しむことができるという
店
「素地」をつくることなのである
このような「素地」をつくるためには 、「古典」に
西研2001『哲学的思考 一フッサール現象学の核心』筑
。
田中実1998『読みのアナーキーをこえて』右文書院
摩書房
一52一