ふるさと散歩 №25 H28.3.7 日立市郷土博物館 《道標シリーズ17 訪ね歩いてみませんか?ひたちの道標》 ご ぼ う だいら 「十王町高原 牛蒡 平 の馬頭観音道標」 ■ 山砂に埋もれた石仏群 十王町高原地区において、県道十王里美線と県北東部広域 農道は、300mの間、同じ道筋になっています。入四間から北 上してきた広域農道と十王里美線との交差点から西に 200m ほどで、大平集落入り口に至りますが、大平橋の手前、北側 の山すそに西を向いて、4基の石造物があります。 平成 27 年 11 月に訪ねた時には、山の斜面には上から崩れ 落ちた土砂が厚く積もり、1基の石造物しか確認できません でした。しかし、12 月末に訪ねた時には、1㎥以上の土砂が 取り除かれて、 石造物群の前にはお酒が供えられていました。 地域の方が祀ったのでしょう。お陰で、調査はしやすくなり 右端「東堂山」と掘り出された石造物群 ました。右から、 「東堂山」、 「馬頭観世音」2基、 「馬力神」と並んでいます。 ★「馬頭観世音塔の道標」…道標のある 馬頭観世音の併用道標は、 右から3番目にあります。 高さ 90cm、 幅 60cm で、厚さは土砂の中なので不明です。石材は花崗岩で 十王川の転石かと思われます。一面を粗く磨いて、中央に「梵 字のカン(馬頭観世音菩薩)と馬頭観世音塔の文字」、年号は 「安政五歳/午六月吉日」 、そして「願主/金作」 、道標は「右 た志ろ/左こすけ/たなくら」と刻まれています。歳は年を あらわす語で、安政5年は 1858 年です。道標の表示からみる と、 本来の建立場所は現在地ではなく、 西に 30mほど行った、 大平集落入り口であったと考えられます。そうすれば、表示 拓本採取中の石仏(上)と拓本(下) と整合します。右へ進むと大平集落を経て、山道に入 り、田代集落(高萩市)に行けます。左へ進むと日向 集落に入り、「ふるさと散歩」№20 で紹介した「日向 集落の道標」を左に進み、分水嶺を越え、中深荻町菅 集落に至ります。菅からは、川沿いに下り棚倉街道の 細田集落(旧里美村)に行け、北上すれば小菅です。 ★「東堂山」も馬の供養塔…「東 堂山」の石碑(安政3年建立)は、かつては山の上に 県道日立いわき あったものを現在地に祀ったそうです。東堂山とは、 線の「黒磯」バス 福島県田村郡小野町にある「東堂山満福寺」のことで、 停 古くから家畜繁盛・守護のご利益があると広く信仰を 集めてきた寺です。参道の石段は馬が歩きやすいよう に幅広に作られていて、家畜を大事にしていた当時の 人々の思いを感じとることができます。 「東堂山のスギ 林」や「鐘楼」 「440 体以上の羅漢像」などを見学でき ますので、春のドライブにいかがでしょうか? 参考文献:『十王町史 地誌編』(2008) 『十王町民俗資料館紀要』9(2000) お問い合わせ先: 日立市郷土博物館 ℡(23)3231 Fax(23)3230 歴史資料調査員 綿引 逸雄
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