入四間町 宿の道標②

ふるさと散歩
№ 42
H28.6.27
日立市郷土博物館
《道標シリーズ30
訪ね歩いてみませんか?
「入四間町
ひたちの道標》
宿の道標②」
■ 馬頭観世音文字塔の台石に刻まれた道標
前回に引き続き、宿の道標です。ここ入四間宿の入り口には、これで都合
3 基(ふるさと散歩№1・№41 で紹介)の道標があったことになります。こ
れら 3 基の道標は、行き先の表示から考えると、まったく同じ地点に建って
いたものと考えられます。
★馬頭観世音の台石に明治 23 年の道標…
高さ 44 ㎝、幅 27 ㎝の蛇紋岩製の石に、
「馬頭観世音」
「明治廾三年/三月九
日」と刻まれています。この竿石の下には、高さ 15cm、横幅 36cm、奥行き
32cm の台石があり、その正面に「右 やみそ/左 さたけ」と行き先が表示
されています。これまでに紹介したように、右は棚倉街道に出て、大中・八
溝へ行く道であり、左は同じく棚倉街道に出て、太田・佐竹方面へ行く道で
馬頭観世音道標
あることを示しています。この道標の行き先文字は、ふるさと散歩№1
で紹介した「享保 6 年道標」のものと同じ文字が刻まれていることから、
それを手本としたかと思われます。明治 23 年(1890)の建碑ですが、明
治 23 年の頃には「享保 6 年道標」は、現在のように碑の上部が欠けて
しまっていたため、この建立者は同じような行き先の文字を刻んだので
しょうか?また、ここにはたくさんの石仏石塔が集められていますが、
竿石と台石があっていない可能性が考えられます。つまり、整備作業等
の折に誤って組み合わされてしまい、明治 23 年に建てられた道標では
ない可能性が考えられるということです。
★「御岩山大権現」の隆盛…御岩山大権現は寛永 7
年(1630)
、水戸藩主が出羽三山の湯殿山を勧請して、開山しました。
遠い出羽国まで行かなくても、水戸藩内でお参りができるようになりま
した。旧 6 月 28 日から 8 月 26 日の夏山には、大勢の参詣人が訪れまし
た。藩では御山役銭(おやまやくせん)を一人につき 28 文徴収して、う
拓本(台石に刻まれた行き先)
ち 8 文を社費にあて、残り 20 文を藩収入としました。
万治 2 年(1659)から宝永 5 年(1708)の 50 年
間の入山者は、約 380 万人といいますから、1 年当
たり 7.6 万人が訪れたことになります。藩内の各地
から参詣に集まった中には、御山に登って参拝した
後、門前町である宿の宿屋に宿泊する人もいたので
たいへん、にぎわったことでしょう。現在も残る 2
階建ての民家は宿屋として使われていた当時の名残
をとどめています。右の写真は、門前町を描いた絵
図で天保 14 年(1843)のものです。戸数は現在とほ
ぼ同じようです。
現在の御岩神社は春秋の回向祭には多くの人で賑
わい、また、休日には県外からも参拝者や登山者が
たくさん来ています。
参考文献:『村絵図にみる日立』(2004)
お問い合わせ先:日立市郷土博物館
入四間村軒別絵図帳(部分)天保 14 年 12 月より
『ひたちの野仏』1(1984)
℡(23)3231
Fax(23)3230
『日立の民間信仰』2(1991)
歴史資料調査員
綿引 逸雄