《遺跡シリーズ2 山尾城跡の堀調査》 山尾城跡(城跡の南西部発掘)の

ふるさと散歩 № 53
H28.8.29
日立市郷土博物館
《遺跡シリーズ2
山尾城跡の堀調査》
■ 山尾城跡(城跡の南西部発掘)の遺跡見学会から
十王町友部の山尾城跡は、現在の十王中学校敷地とその周囲
が範囲です。今年度、城の丘団地側から中学校に向かう道路建
設に先立って、発掘調査が行われています。
(右写真の矢印)
また、当館で開催中の特別展「古代ひたち人のくらし」の中
で「つくる」という視点が示され、その一例として城郭の堀や
土塁が紹介されています。この展覧会と時期を同じくして城跡
の発掘が行われているという好機を利用して、8 月 27 日(土)
に遺跡見学会が行われました。
山尾城跡発掘現場(矢印部分)
★中世の城跡群…十王町友部地区には中世城郭跡
が 3 つあります。南から「友部城」
「山尾城」
「櫛形城」の3つの城です。これらの内、友部城(十王駅の
南西にあり、常磐線陸橋のすぐ西に位置する城)は、14
世紀中ごろに佐竹氏の家臣の小野崎氏により築城されまし
た。この城は水の便が悪かったため、14 世紀末に山尾城がつくられ、移転したといわれています。ま
た、十王川を挟んで山尾城の北に位置する櫛形城(ゆうゆう十王の西側の山にある城)は、(諸説あって)創建
は不明で山尾城の砦的存在であったとも考えられています。
★山尾城…多賀山地から東にのびる丘陵の先端(山の尾っぽで、
友部宿から 35mほどの高さ)に、東西、南北とも約 350mの規模の城
をつくりました。北側は十王川や上石(あげいし)川を堀とし、北西側の
自然の崖を活用し、東側の緩斜面は切岸(きりぎし。人工的に崖を削って急な
斜面にした)を用いたり、土塁を築いたりするなど、防御の工夫がなされ
ている中世の城です。尾根の一番高いところに、中心となる主曲輪(し
ゅぐるわ。主郭とも)を築き、その周りに一段低い曲輪を複数築いています。
8 月 27 日(土)の遺跡見学会
この山尾城の弱点は南西方面に続く尾根です。この弱点を克服するために、城の中央部南寄り付近に
大きな大堀切(おおほりきり)を設けて城の主要部を守っていました。さらに、南西方向に伸びる尾根を
3ヶ所に渡って切る堀切を設けていました。大小 4 ヶ所の堀切を設けたわけですが、大堀切は学校建設
時にほとんどが消滅し、残っていた堀切のうち2か所は昭和時代に土採りのため消滅してしまいました。
今回、残っていた尾根上の堀切とその下部の竪堀部、さらに曲輪の一部が発掘されました。
★簡単には侵入できない 驚くべき防御施設…発掘調査されているの
は山尾城のごく一部ですが、長年の間に埋まった土砂を取り出した状態
の築造当時の様子を見ることができます。下部の堀は薬研(やげん)状で、
落ちたら簡単には上がれない(斜面は急でとても登れない)ものであり、
その防御の工夫には驚かされるばかりです。
このように堀切の端部を切岸加工
し、外部からの侵入を防いでいる施
設は、山尾城の大堀切の東の先端に
も見られますが、夏場は藪のために
容易に近づけません。
発掘前(左)と発掘中(右)の様子
参考文献:リーフレット『遺跡見学会
いにしえの“造る”
』(2016)
『十王町史 通史編』
(2011)
お問い合わせ先:日立市郷土博物館
十王町の文化財リーフレットの一部改変『山尾城跡』
(2011)
℡(23)3231 Fax(23)3230
歴史資料調査員
綿引 逸雄