ふるさと散歩 №21 H28.2.8 日立市郷土博物館 《道標シリーズ14 訪ね歩いてみませんか?ひたちの道標》 「十王町高原 坂下の馬力神道標」 ■ 日向集落内の道標から 500mの道標 前号で紹介した日向集落内のY字路を右(北西方向)に進ん で約 500m、人家は途切れて道は山裾を通るようになる直前に、 右手の土手に石仏石塔群が見えます。ここの字名は坂下で、こ こには馬頭観世音9基、馬力神 14 基が密集して建っています。 平成 27 年 12 月の調査時には、土手の上下に別れて建てられ ていましたが、東日本大震災前は土手下にはなかったようです。 強いゆれで落ちたのでしょうか?この上段の右端に馬力神の併 用道標がありました。 (前回の航空写真では②の地点) ★「馬力神道標」… 道標のある馬力神は、高さ 山すそに並ぶ、たくさんの石仏石塔群 77cm、幅 44cm の花崗岩製の割り石で、粗く割って舟形に形を 整えたものです。 中央に「馬力神」 、建立年は「明治三十二年旧二月十六日」、道標は「右 中戸川/左 山/道」とあり、建立者は「根本秋治郎/根本善兵エ」と 刻まれています。 右へ進めば、すぐに山に入り、谷の道を数十m進んで行くと、地元で は「七曲(ななまがり)」と呼ばれる屈曲した坂道になります。上りきって、 尾根に出るとT字路になっています。尾根までの道のりは約 300mで、本 道標と尾根との高低差は 100mほどあります。T字路を右側に行けば、大 平集落方面に行けます。左側に進むとすぐに道標(次回紹介予定の③道 標)があります。この先をさらに進めば「中戸川」に至ります。中戸川 馬力神の併用道標 集落は高萩市にある花貫川沿いの集落です。 左に進めば、谷沿いの道が続きやがて山になりますが、左右 の山の尾根には尾根道があったことが明治 40 年頃の地図から わかります。尾根道に出れば、竪破山の麓にいけました。現在 は3km ほど進むと高原牧場に着き、その先は行き止まりとなっ ています。その途中にも道標がありました。 (23 号で紹介予定) ★ 中戸川集落にも道標…本道標が示す中戸 川は花貫川上流の集落で、土岳山の南麓にあります。この集落 の西はずれの土岳山へ登る道の分岐点付近には、馬頭観世音刻 像の道標があります。建立年は不明ですが、台石には「右大の ふ/左米平小里」と道標が刻まれています。「大のふ」は高萩 市の大能のことで、土岳山の北側の集落です。この大能一帯は、 江戸時代から馬の飼育が盛んで、 「大能野駒山」という牧場が、 延宝6年(1678)に水戸藩によって開設されました。 「米平小里」の米平は中戸川の西隣の集落で、小里は棚倉街道 沿いの小里(常陸太田市の旧里美村北部)のことです。 参考文献:『十王町史 地誌編』(2008) 『ゆずりは』第8号(2002) 馬力神道標 の拓本 『十王町民俗資料館紀要』9(2000) お問い合わせ先 日立市郷土博物館 ℡(23)3231 Fax(23)3230 歴史資料調査員 綿引 逸雄
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