入四間町 笹目・ネバ山の道標②

ふるさと散歩
№39
H28.6.6
日立市郷土博物館
《道標シリーズ27
「入四間町
■
訪ね歩いてみませんか?
ひたちの道標》
笹目・ネバ山の道標②」
ば れ き じん
笹目ネバ山の「馬櫪神」道標
入四間町笹目のネバ山にある、もう一つの道標を紹介します。高さ 53cm、
幅 26cm の蛇紋岩製の舟形の切り石に「馬櫪神」の文字が刻まれた併用道標で
す。中央に「馬櫪神」
、その左右に「明治十一年/寅三月日」、
「平塚新之介立」
と建立年と建立者名が刻まれています。
道標は建立年の下部に「右
沢平/左
藤坂」とあります。沢平も藤坂も
現在の十王町高原地区内にある集落です。
この道標も本来建っていたのは、笹目集落中央部の分岐点か、集落東方にあ
る谷沿いの田を通る小道の分岐点であったろうと思われます。どちらへ行く小
道も明治 40 年の地図には載っています。藤坂は県道十王里美線沿いの古田橋
馬櫪神の石塔
から南に 2.3km ほど入ったところの集落で、沢平はさらに 1,6km ほど
南に進んだ先の集落です。沢平は 17 世紀中ごろまでに開発され、当
時は小木津村の新田でしたが、19 世紀には高原村に編入されました。
★「馬櫪神」の文字…ところで、行書体の拓本文字を
よく見ると、「馬」の次の文字は変わった文字です。「木偏」と、「が
んだれ」に「林」を書き、下は「旧」となっています。何と読むので
しょうか?『旧中里村之道標』
(矢島一夫著)では、
「櫪」の誤りと指
摘しています。
「馬櫪・櫪」は馬屋の床下の横木(根太)
、馬の飼葉桶
の意であることから、馬への愛着が一層強い気持ちの現れとしてこの
字を使ったのでしょう。また、「馬櫪神」は「馬櫪」にちなんだ馬の
守護神で、両足で猿とセキレイとを踏まえ、両手に剣を持つ(広辞苑)
と述べています。
★「馬力神」と「馬櫪神」…「馬力神」は市内で
は数多く建っていますが、「馬櫪神」
「馬歴神」は極めて少ないです。
どちらも愛馬の供養塔の一つであることは間違いありませんが、農業
において機械化が進展するまでの間に建てられた石仏石塔を全国的
に調べないと、石仏石塔の種類や分布がわからないのが現状のようです。
馬櫪神の拓本
■石仏石塔を立てて調査終了
調査は倒れていた石仏石塔群を立てて終了しまし
た。地域の方々が藪の篠竹を毎年切っているので、今
後も守られていくことでしょう。しかし、150mほど
離れたところにある「庚申塔」は倒れたままです。何
しろ、高さ・幅とも 1.2mほどの大きさなので、一人
ではどうにもなりませんでした。
里山にあまり人が入らなくなった現在、
落ち葉や土
に埋もれて忘れ去られていく石仏は、
いったいどれほ
どあるのでしょうか。
参考文献:『旧中里村之道標』
(1984)
『ひたちの野仏』第1集(1984)
お問い合わせ先:
日立市郷土博物館
電話(23)3231
中央の大きな『馬力神』と石仏石塔群
Fax(23)3230
歴史資料調査員
綿引 逸雄