ふるさと散歩 №52 H28.8.29 日立市郷土博物館 《道標シリーズ39 訪ね歩いてみませんか? 市外の道標》 「日立市域に関係のある道標①」 ■ 常陸太田市の道標 市街地の馬場町に「瑞龍山道」と刻まれた大きな道標があります。これは昭 和 3 年(1928)に建てられたものです。地元の誉田村の補助の他、水戸徳川家、 義公生誕三百年記念会、篤志者からの寄付によって、水戸徳川家の墓地や瑞龍 台地へ行く新道路が御大典記念として竣工したことを祝った道標です。 瑞龍の地名の起こりについては、次のような話があります。 永承 7 年(1052)、八幡太郎源義家の乗る馬が突然に駆け出し、 この辺(瑞龍)で留まった。義家の心に髄い足を留めたところと いうことで、髄留の地名が起こった。ところが寛文年間に徳川光圀が墓所とし 馬場町の道標 て工事を始めたときに一匹の白蛇が現われた。光圀はまことに瑞兆であると大 変喜び、延宝 7 年(1679)になって瑞龍と改名された。(『常陸太田市の文化財』第4集より) ★日立市域を通る「棚倉街道」を示す道標…今回紹介する同市瑞竜町 小野にある「棚倉・御山/道」の道標は、前記 の道標から瑞龍町のある台地に上がり、細長い 台地を1km ほど北上したY字路にあり、高さ 175cm、幅 48cm、厚さ 30cm の大きな花崗岩に刻 まれています。正面は平に磨かれ、「従此/右 棚倉/左御山/道」の文字が刻まれています。 従是ではなく従此の文字が使われ、棚倉の棚の 字はつくりが一部略されています。 碑の左右と下部は、コンクリートによって固 められていて、建碑年号、建碑者名は探しまし 瑞龍町小野の道標 たが確認できませんでした。最下部の「道」の文 字の配置から考えると、当初はもう少し下部があ ったものと考えられます。 右へ道をとると、すぐに瑞龍の台地を下り、里川右岸を北上する棚倉街 道です。ここから約 5.3km で町屋宿、さらに 4.5km で上淵宿(日立市域) 、 そして旧里美村の河原野宿、折橋宿へと続きます。水戸から棚倉までは二 十一里十七町(約 84km)の行程です。左へ道をとると、一度台地を下り、 約 1.4km で水戸徳川家の墓所である瑞龍山(御山)へ行くことができます。 建碑年号のない道標ですが、 『常陸太田市の文化財』第4集によると、 「光 圀公が父君頼房公(水戸徳川家初代藩主)の意を体して墓所を瑞龍山に定 めて寛文元年(1661)に建てられたものであると瑞龍山麓に住む古老は伝 えているが、古記録が見当たらないので明言することは避けたい」とあり ます。また、 『常陸太田市史』では、寛文年間に建てられたものとしていま す。瑞龍山の水戸徳川家墓所では初期に花崗岩が使われていること、この道 下部が欠けた道標の拓本 標も花崗岩であることやその大きさから考えて、藩の意向が入ったもので、江戸時代の中ごろまでには 建てられたものと考えます。 【拓本採取に関しましては常陸太田市教育委員会の方にお世話になりました。】 参考文献:『常陸太田市史』 (1984) お問い合わせ先: 『常陸太田の金石文集』第 4 集(1978) 日立市郷土博物館 電話(23)3231 Fax(23)3230 『常陸太田の歴史散歩』 (1986) 歴史資料調査員 綿引 逸雄
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