十王町高原 悦子 平 の馬頭観音道標

ふるさと散歩
№
35
H28.5.16
日立市郷土博物館
《道標シリーズ24
訪ね歩いてみませんか?ひたちの道標》
い つ こ だいら
「十王町高原
悦子 平 の馬頭観音道標」
■ 十王町 長久保集落と台・日向集落間の馬頭観世音道標
長久保集落はその名の通り、山々に囲まれた細長い谷沿いにあ
る集落で、三方向から入ることができます。南からはふるさと散歩
№26 で紹介した馬頭観世音併用道標がある黒田集落から低い峠を
越えて行けます。また、県北東部広域農道の黒田集落と牛蒡平(ふ
るさと散歩№25)の中間から、谷沿いに行くことができるのが、東
側の道です。さらに、県道十王里美線で台・日向集落を右手に見て
さらに西へ進むと、左に進める道があり、小さな峠を越えても長久
保集落へ北側から入ることができます。
悦子平の道標は、県道十王里美線から小さな峠を越えた、右側
尾根近くのY字路にある石造物
頂上付近の三叉路近くに 15 基の石仏石塔群があり、その中に馬頭観世音の
群
併用道標があります。この石仏石塔群は、現在でも祀りが行われていて、
ひときわ大きな大正 14 年(1925)造立の馬頭観世音碑は花崗岩製の石垣上
に建ち、その四方には竹が立てられ注連縄が結ばれていました。
★悦子平の馬頭観世音道標… 道標のある馬頭観世音
文字塔は、高さ 48cm、幅 22cm、の蛇紋岩(町屋石)製の駒形です。
石仏には「馬頭観世音」のほか、
「嘉永六年丑三月吉日」の建立年と「右
高原道/左山道」の行き先が刻まれています。嘉永 6 年は 1853 年です。
右に古道を進むと現在は自動車用道で切り通しになっているためにつなが
ってはいませんが、高原地区の台・日向集落へ行けます。左へは人家のな
馬頭観世音の併用道標
い山間部や細長い谷津田に行ける、まさに山道です。
★高原地区の馬産…延宝 6 年(1678)、旧里美村北
東部から高萩市北西部の山間に、徳川光圀によって、水戸藩営大
能牧場(大能野駒山)が開設され、相馬馬やオランダ馬等を入れ、
繁殖と馬格の改良が始まりました。住民は柵の補修や捕馬に度々
動員されたり、良馬の払い下げを受けたりしたことから、以来、
旧里美村や高原地区・中里地区などの県北山間部では馬産が主要
な産業の一つになりました。
明治 15 年(1882)になって高原村に常陸生産駒会社が設立され
たり、高萩で開かれた馬市(年に春秋の 2 回、期間は 1 週間)で
は 1 回の会期に 90 頭程度が競りに出されたりするなど、県北の馬
産はますます盛んになります。さらに明治 45 年には「国有種雄馬
種付所」が高原地区に開設され、大正時代には国有林を放牧地に
するなど山を利用した馬の放牧飼育が盛んになったりします。昭
和時代に入り日中戦争が始まると、軍馬の生産に拍車がかかりま
したが、戦争終結や戦後の農機具の改良普及により馬産はすたれ
ていきます。高萩で行われた馬市は、昭和 42 年が最後となりまし
たが、馬の代わりに、食肉用としての牛の需要が高まり、現在は
牧畜中心の牧場があります。
参考文献:『十王町史 地誌編』(2008)
馬頭観世音併用道標の拓本
『十王町民俗資料館紀要』9(2000)
お問い合わせ先:
日立市郷土博物館
℡(23)3231
Fax(23)3230
歴史資料調査員
綿引 逸雄