「夕顔之墳」の石碑 義経と弁慶が戦ったとされる松原橋 五条天神宮。住宅に囲まれた一角にある と し て 京 都 経 済 の 取 材 に 従 事 し て い る 。 二 〇 〇 三 年 か ら 京 都 支 局 編 集 ス タ ッ フ 表 。 そ の 後 監 査 役 、 顧 問 な ど を 歴 任 。 を 経 て 、 九 七 年 同 社 取 締 役 大 阪 本 社 代 新 聞 大 阪 経 済 部 長 、 同 編 集 局 次 長 な ど 佐 井 西 通 産 経 新 聞 入 社 後 、 グ ル ー プ の 日 本 工 業 宮 崎 県 生 ま れ 。 関 西 大 学 経 済 学 部 卒 。 西 大 路 通 ジ ネ ス ア イ 編 集 ス タ ッ フ 。 一 九 四 一 年 、 ︿ た て や ま あ つ し ﹀ フ ジ サ ン ケ イ ビ わ れ て い た こ と は 最 近 知 っ た 。 な ど の 葬 儀 が 営 ま れ た 所 と い わ れ て い る こ と こ ろ 、 物 語 に 登 場 す る 桐 壺 の 更 衣 や 夕 顔 の 君 道 い ・ う 天 地 道 獄 の 道 六 ・ 種 餓 の 鬼 冥めい 道 界かい ・ へ 畜 の 入 生 口 道 と ・ さ 修 れ 羅 て 道 い ・ た 人 り 、 あ の 世 と こ の 世 の 分 岐 点 、 仏 教 の 教 義 で が 平 安 時 代 の 葬 送 地 ・ 鳥 辺 野 へ の 入 口 に あ た 源 氏 物 語 と の か か わ り は 、 こ の 六 道 珍 皇 寺 〇 を も 〇 つ 九 トメ き 日 ルー 近 に 早 い 訪 朝 行 れ に 列 た 境 が が 内 で 、 に き 早 設 て 朝 置 い 六 さ た 時 れ 。 過 て ぎ い に る す ﹁ で 迎 に え 五 鐘 ﹂ の 精 霊 迎 え に 一 〇 万 人 近 い 人 が 訪 れ る 。 筆 者 四 日 間 開 催 さ れ る ﹁ 六 道 ま い り ﹂ に は 、 お 盆 ︲ 東 洞 院 間 で は 前 祭 の 巡 行 が 行 ろ 、 一 九 五 六 年 ま で 通 り の 寺 町 二 四 日 の 後 祭 に 分 か れ て い た こ う だ っ た の だ ろ う か 。 伺 わ せ る が 、 果 た し て 真 実 は ど た ﹁ 五 条 の 橋 ﹂ で あ っ た こ と を は ﹁ 弁 慶 物 語 ﹂ で は 両 者 が 戦 っ し た ﹁ 義 経 記 ﹂ で は 両 者 出 会 い 条 天 神 宮 は 、 源 義 経 の 一 生 を 記 と た 宣 の 之 が は に 一 増 と 孝 作 墳 あ 夕 よ 方 す い の 者 ﹂ り 顔 る 、 。 う 葬 ・ の 、 が 。 話 送 紫 石 町 住 堺 義 を の 式 碑 家 ん 町 経 聞 煙 部 も の だ 通 ・ く を も 残 一 と を 弁 と 人 ま る 角 さ 上 慶 、 知 た 。 に れ が ゆ 趣 れ 夫 源 は る っ か は ず ・ 氏 ﹁ 夕 た り 一 送 藤 物 夕 顔 所 の 段 っ 原 語 顔 町 に 五 堀 川 通 松原通 祗 園 祭 が ま だ 一 七 日 の 前 祭 と 西 洞 院 通 ●五条天神宮 6 三洋化成ニュース 松 原 通 界 隈 の 地 で あ る こ と を 、 ま た 松 原 橋 烏 堺 丸 夕顔之墳 町 通 ● 通 寺 町 通 河 原 町 通 の 名 で 親 し ま れ る 。 毎 年 八 月 七 日 ∼ 一 〇 日 の 鴨 川 松原橋 建 仁 寺 派 に 属 す る が 、 京 都 で は ﹁ 六 道 さ ん ﹂ 川 端 通 六 道 珍 皇 寺 は 、 山 号 を 大 椿 山 と 号 し 臨 済 宗 条 天 神 宮 で あ る 。 橋 と 、 西 洞 院 通 と の 交 差 点 近 く に 位 置 す る 五 六道珍皇寺 ● 義 経 ・ 弁 慶 ゆ か り の 場 所 は 鴨 川 に 架 か る 松 原 東 大 路 通 大 路 通 か ら 西 に 入 っ た 所 に 建 つ 六 道 珍 皇 寺 、 こ の 通 り で 、 源 氏 物 語 ゆ か り の 場 所 は 、 東 清水寺 を 歩 け ば ︱ ︱ ︱ ︱ 285 立 山 篤 写 真 = 増 田 雅 与 志 六道珍皇寺の「六道まいり」開催時期は 参拝者で大いににぎわう松原通(上、筆者撮 影)。六道珍皇寺山門 (下、写真提供=六道珍皇 寺) 。六道珍皇寺の「迎え鐘」をつくお堂 (左ページ右) と 呼 ば れ る よ う に な っ た と い う 。 に 美 し い 松 林 が 広 が っ て い た こ と か ら 松 原 通 の 名 を 奪 わ れ 、 室 町 時 代 か ら 近 世 に か け 周 辺 五 条 の 橋 を 現 在 の 五 条 通 に 架 け 替 え た 際 に そ く 参 道 と し て に ぎ わ っ て い た が 、 豊 臣 秀 吉 が 平 安 時 代 ま で は 五 条 大 路 と 呼 ば れ 清 水 寺 に 続 西 通 の 一 筋 西 ま で 。 こ の う ち 寺 町 通 か ら 西 は 走 り 、 東 は 清 水 寺 門 前 か ら 、 西 は 右 京 区 佐 井 か り の 深 い 通 り だ 。 四 条 通 の 四 筋 南 を 東 西 に 松 原 通 は 、 こ の 源 氏 物 語 と 義 経 ・ 弁 慶 に ゆ 彩 な 記 念 事 業 を 展 開 し て き た 。 月 一 日 の 記 念 式 典 を ク ラ イ マ ッ ク ス と し て 多 ﹁ 源 氏 物 語 千 年 紀 委 員 会 ﹂ を 組 織 、 今 年 一 一 ら 京 都 で は 昨 年 一 月 か ら 産 学 公 が 連 携 し て ょ う ど 一 〇 〇 〇 年 目 に あ た る 。 そ ん な こ と か 物 語 ﹂ が 、 そ の 存 在 を 歴 史 的 に 確 認 さ れ て ち ま た 卓 越 し た 文 学 作 品 と し て 知 ら れ る ﹁ 源 氏 二 〇 〇 八 年 は 、 世 界 最 古 の 長 編 小 説 と し て 屋 町 通 と 三 回 に わ た っ て 紹 介 す る 。 ら 筆 者 の 住 む 松 原 通 を ス タ ー ト に 三 条 通 、 木 く の ﹁ 通 り ﹂ も そ う し た 中 の 一 つ 。 そ の 中 か が ら 、 な お 昔 の 名 残 を 失 わ ず 情 緒 に 富 む 数 多 の う し て い る 。 時 代 を 経 て 大 き く 変 ぼ う し な 社 仏 閣 、 史 跡 見 物 と 四 季 折 々 の ﹁ 京 ﹂ を た ん ん 、 清 水 寺 、 金 閣 ・ 銀 閣 寺 、 平 安 神 宮 な ど 寺 め 大 文 字 送 り 火 、 時 代 祭 な ど の 催 事 は も ち ろ え 切 れ な い ほ ど 訪 れ た 街 だ け に 、 祗 園 祭 は じ 京 都 に 住 ん で 五 年 。 好 き で 学 生 時 代 か ら 数 2008 冬 No.451 5
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