1 コラム:医療と法 「法律と医学」 井口昭久 愛知淑徳大学教授、名古屋大学名誉教授 夕方、庭を眺めてビールを飲みながら 1960 年代のオールディーズの CD を聞くのがこの頃の私の至福の 時である。庭ではゴーヤがネットを昇り、カボチャの茎が地を這っている。 6 年前まで私は国立大学病院の病院長をやっていた。国立大学が法人化された最初の病院長であったの だが、病院長の影は薄かった。多くの職員は院長の顔を知らなかった。 病院長になりたての頃であった。エレベーターに若い看護師二人と私が乗っていた。私は彼らの目の前 で顔を見せていた。二人は病院のやることに不満であり不平を述べあっていた。そして「病院長の顔が見 たいわ」と言った。 院内に売店があった。病院の職員であると何割か負けてくれた。私が私服で買い物をするとレジの女の 子に聞かれた「お客さんは病院の職員ですか?」 患者も病院長の顔は知らなかったがしばしば訴えられた。胸部大動脈瘤の手術中に死亡した 40 歳代の娘 の父親の怒りは収まらなかった。種々の病院で「手術をすれば死亡する危険性が非常に高い」と言われ、 大学病院を受診した。大学病院の医師も「手術しても 9 割以上は成功しない。開胸したとたんに破裂して 死ぬ確率が 90%以上である」と説明した。しかし患者と家族は頑強に手術を希望した。放置すれば 2 年以 内の命しか保証できなかったからであった。そして胸を開けると動脈瘤は破裂して、死亡してしまった。 「お前のような奴が病院長をやっているからこういうことになるんだ」と私は外来の待合室で罵倒された。 遺族は愛する者が死亡した後、自責の念にかられ更に周囲への憎しみが生まれる時期がある。愛する人 を失った悲しみは、悲しみの過程を通過しなければ消えないのだが、その悲哀の過程に「我慢できない」 人たちがいる。悲しさを憎しみに転嫁してしまう人が増えていた。 「この憎しみに耐えられないのです」と 言われれば、私たちはその憎しみに優しさで答えるには限界があった。憎しみの連鎖を医学は処理できな い。 私の知らない所で事件は起こり、私の知らない人に訴えられた。そして知らない人の裁きを受けなけれ ばならなかった。そういう役割を果たすのが病院長であると、法律で決められている。 私はアトピー性皮膚炎に長年悩まされてきた。友人の皮膚科医は老人性皮膚乾燥症というが、私はアト ピー性皮膚炎であると確信している。何故なら老人でない頃からこの病気にかっかっていたからである。 眠っている間に皮膚を掻きむしることが直接的な原因である。毎晩爪切りのヤスリで爪の先端を削って皮 膚に角が立たないようにしていた。丹念に爪を削らないと一晩で爪は凶器となって皮膚を襲う。私は毎晩 ビールを飲んで私の胸の内に芽生えてくる凶器を削った。 名古屋大学医学部は医療事故を隠さないことが原則であった。問題が起こると医療事故委員会が開かれ た。事故であることが明らかな事例は意見は分れることはなかったが、多くは、公表してテレビの前で病 院長が頭を下げるべきか意見が分れた。医療事故であるか事故ではないのか、グレイな事例が多かった。 事故として公表すると当事者に傷がつく。委員は重い課題に責任を負いたくはなかった。必ず最後は「病 院長が決めてください」ということになった。 公表するかどうかで意見が分れた場合、公表しないという結論を病院長が下すことはできなかった。私 はしょっちゅうテレビに出た。それを病院の職員が見て、私が病院長であることが周知されるところとな った。 医療者は事件が起こると普段は意識しない法の存在を感じる。法律はどのように発展してきたのだろう か。勉強していない私は、ヒポクラテスの時代から現在まで、法律がどのように進歩してきたのか知らな い。 ゴーヤが天に向かいカボチャが地を這って育つように、医学と法律学は別の方向を目指して発展してき たのではないだろうか。 今は真夏の夕方である。法律と医療は、手を携えて発展していってもらいたいものだ、と思いながらビ ールを飲んでいる。 庭ではゴーヤがネットを昇り、付き添うように朝顔のつるがネットを巻いている。
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