「法の言葉とその内容」

1 コラム:医療と法
「法の言葉とその内容」
宇田
憲司
宇田医院院長
京都のある医師団体で、医療安全対策や医事紛争の解決支援活動の係りを引き受け
てから 10 数年になる。医師・医療従事者など医療機関側から経過報告を聞き、患者
さん側からの訴えを聞き、不良な結果が生じたのはいったい何が原因であったのか、
また、医師などの判断や行為にどのように過失があったのかなど、担当した係りとし
ての判断をあるレベルまでまとめ、他の医師や法律家とも協議のうえ委員会としての
結論を出す。
結論をどのように受け取るか否かは、当事者側の問題であるので、決して強制的な
ものでない。例えば、採血検査時に注射器の針先が神経にあたり、痛いと声を上げ直
ぐに中止されたが、後々まで神経痛が残り苦痛で手仕事ができない、それなのに、過
失がない・落ち度がない、したがって損害賠償責任も生じない、と判定されても納得
できない、となる。それに、医療機関側も患者さんへの説明や協議にも困る、訴訟に
なって新聞にでも出れば評判も落ち営業にも差し障る。
相談担当者としては「採血時に過失があったとは認められなかったからです」と説
明するが、よく理解できたとの顔つきではない。そこで、
「過失」を「落ち度」に柔ら
かく言い替えてみるが、癌や肉腫など悪性腫瘍を「たちの悪いできもの」と言うのと
同様、その奥にある本質的な内容が伝わらないと何のことか解らない。更に、
「『過失』
について説明しますと、悪しき結果を予見できるなら予見して、悪しき結果を回避で
きるなら回避すべき義務に違反して、悪しき結果を引き起こした不注意のことで・・・」
と勉強したての知識を自信無げに披露する。
「ヨケンとはどんな字を書きますの?・・・
それなら、予測や予想とどう違いますの?」
「・・・よう似たもんですが、予見は法律
用語のようで、それに洞察という意味もあり微妙に違うかも知れません・・・」と頼
りない。「責任がないとは、どういうことですか?」「それは、確か民法第 709 条で、
故意または過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、それ
によって生じた損害を賠償する責任を負う・・・とありまして今説明した『過失』が
ないと損害を賠償する責任が生じないのです」
「変な法律ですね!それでは、患者の権
利はどうなりますか?」
「いや、権利とは法律上保護される利益のことで、例えば、生
命・身体つまり健康のことですが、それに自由・名誉・財産などで、毀損・滅失など
侵害されて、お上に訴え出れば救済を図ってくれることになっておりますが・・・」
「ここへ来ても、役に立たんということですね?!納得できません!」
「いや、過失が
ないということについては、正しく説明しましたが・・・」
というように、話がかみ合わないまま、腑に落ちないまま、時には不毛のやり取り
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が続くことになる。医療上の判断・行為の結果は患者の心身に生じるので、結果が悪
いと苦痛はすべて医師など行為者の所為と感じがちで、生じた損害は常に医療機関が
補償して当然との誤解が生じやすくなり、紛争化しやすくなる。医師・医療従事者、
患者を含め、国民レベルで、不法行為責任の基本構造の理解について、これを学校教
育の中に取り込んで、進める必要があるということであろうか。
(「医療と法ネットワーク」Vol.5、2011)
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