人工的水分・栄養補給法をめぐる意思決定プロセスガイドラインをめぐって

コラム:医療と法
「人工的水分・栄養補給法をめぐる意思決定プロセスガイドラインをめぐって」
清水哲郎
東京大学大学院人文社会系研究科特任教授
高齢者が経口摂取できなくなった場合に、人工的水分・栄養補給をするかどうか、するとすればどの方
法にするかに関する意思決定のあり方について、本年になって日本老年医学会が「立場表明 2012」(2012
年 1 月)および「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン―人工的水分・栄養補給の導入を
中心として」
(2012 年 6 月)を公表して、この点についての態度を明確にした。このうち後者は、日本老
年医学会を含む 6 学会からなる老年学会理事会の合意に基づいて、複数の学会から出た委員に、倫理学・
死生学、宗教学、法学の専門家、介護・福祉職、一般市民を加えたワーキング・グループおよび検討委員
会により、原案が練り上げられ(2012 年 3 月公表)
、老年医学会理事会がこれをほぼ原案通り、同学会の
ガイドラインとして承認したものである。筆者は、同ワーキング・グループにおけるガイドライン案の起
草に携わったので、その考え方を以下に提示する。
まず、ガイドライン第一部では医療・介護における意思決定プロセスについて一般論が提示される。そ
れは本人の意向および本人の人生にとっての最善という観点で、どのような治療や介護をするかについて、
本人、家族、医療・介護関係者らが話し合いを通して合意を目指すプロセスを辿るというものである。本
人の意思(ないしその推定)が肝要であるが、それだけで結論を出すのではなく、これと本人の人生にと
って何が最善かについての検討との双方で決定を支えること、本人の意思確認ができる時にも家族がその
当事者性の程度に応じて参加すること、また本人の意思確認ができない時でも、本人の好き嫌い等の気持
ちが表明できるような場合には、そういう気持ちを大事にし、それへの対応もすること、といった留意点
を示している。
次に第二部では、
「いのちをどう考えるか」について方針を示している。すなわち、
「身体が生きている」
という際に注目している〈生命〉と、
「生活している、人生を送っている」という際に注目している〈人生〉
を区別し、生命が長続きしたほうが良いのは、人生がより豊かに展開する可能性を拓くからこそであり、
生命だけを切り離してそれがより長いほうが良いということではない、とする。ここから、ある生命維持
を可能とする可能性がある医学的介入をするかどうかの選択に際しては、ただ生命維持が結果する見込み
があるというだけで決めるのではなく、その結果どのような人生が可能になるかについて検討し、本人の
人生についての意思を尊重しつつ、第一部で示すような意思決定プロセスを経て、どうするかを決めるこ
とを提示している。
以上は医療・介護についての一般的な考え方である。これを前提とした上で、第三部で、人工的水分・
栄養補給法の導入如何をめぐる留意点が挙げられる。ここでは、人工的な補給の検討に入る前に、経口摂
取の可能性について適切に評価すべきこと、人工的な補給をするかどうか、するとしたらどれにするかに
ついて、第二部で示した考える順序に則って、考え、ことに、
「人生をより長くすること」と「日々の生活
を快適にすること」の双方を目指すのか、それとも後者のみ目指すのかという目的の選択と、どの方法を
選ぶのか、あるいはどれも選ばないのかという選択とを区別しつつ併せ行うやり方を提示している。さら
に、このようなプロセスを辿って、一旦は人工的栄養補給(例えば胃ろう)をすると決めた後でも、本人
の状況の変化に応じて、プロセスを辿り直し、その結果人工的栄養補給はしないほうが本人の人生にとっ
て良いということになった場合、人工的栄養補給を中止する、あるいは補給量を相当減量することになる
が、これはその時点で本人の人生にとってそれが最善だからに他ならないとする。つまり、それは死を選
択するといった話では全くないのである。第三部ではさらに、本人の今後の生活の場の事情や、家族の思
惑により、最善とは言えない選択を余儀なくされるといった現実に起きている状況を鑑み、医療・介護者
としての努力を促してもいる。
総じて、医学系の通常のガイドラインとは違い、意思決定プロセスについての倫理的ガイドラインとな
っている。また、単にどういう行動をするかだけでなく、本人に対する姿勢、意思だけでなく気持ちを尊
重するといった、ケアにおける人間性を大事にしようとしているところに特徴があると言えよう。ガイド
ライン原案を創る過程で、看護師、介護関係者、一般市民が参加したことがこうした結果につながったと
もいえる。
最後に、医療現場で法的なことを心配する医療従事者のために、本ガイドライン原案段階で、元最高裁
判事を複数含む多くの法律家から「本ガイドラインに従って意思決定プロセスを進めた結果としての決定
に基づく行為に対して、法的な介入がされるのは筋違いである」という趣旨の見解(精確にはガイドライ
ン自体を参照されたい)への同意を得ている(ガイドライン附録に収録)
。これは論理的にそうだという考
えから同意した方も、また、裁判沙汰になることは実際上あり得ないという考えから同意した方もおられ
よう。法については素人である私の判断を超えているが、このような人間性を大事にするソフトローによ
る問題解決の一つの試みとして、ご検討いただければ幸いである。