コラム:医療と法 「医療被害者からは見えない法」 石川 寛俊 関西学院大学司法研究科教授・弁護士 ひょんなことから医療被害に関わる弁護士となり、35 年が過ぎた。最初の相談者は核黄疸 の脳性麻痺による寝たきり幼児の祖母、麻酔による低酸素症脳症を患った青年の前途を心配す る老母、交通事故で骨折から救急搬送された先の病院で突然死した娘の両親が続いた。社会経 験が無きに等しい新米弁護士に、障害者を抱えた家族の苦悩や嫁の離婚申出で残された孫の行 く末を案じる老母の訴えが、いかほど理解できるかは疑わしい。多くの人が何度も話を聞いた のだろうか、手短かで要領よいメモ書きが送られて来ていた。 当の病院は、いつも通りの薬を使い同じスタッフが行う型どおりの手術治療なのに、予想外 の結末になったのは患者が特異体質であったと考えるほかないと言い、そのうち迷惑顔で厄介 払いにあうようになった。地域の医師会へ行ったし、役所や警察にも届け出た、知り合いの医 療関係者にも相談した。が、誰も話を受け付けるでもなし動こうともしない。ため息混じりの 歪んだ顔が、私たちを守ってくれる法はないのですかと私に迫ってくる。 交通事故や労災事故ならば、通報後に被害者が救急搬送され所要の手当を受けられる。警察 や監督行政が現地を調査し原因を突き止め、再発防止策を講じて関係者を処分する。被災者の 救済は自賠責保険や労災保険での補償給付で賄われる。これらすべては関係法令に基づく災害 補償制度で処理され、その上で責任の所在や範囲に争いがあったり社会の耳目をひく一部案件 だけが、司法判断を求めて裁判に至る。 しかし医療事故は大きく異なる。年間死亡者数は交通事故での 5000 人の 3-4 倍、労災事故 1500 人の 10-14 倍にのぼる 15000-20000 人と推定されるのに、現地調査や原因追及、再発 防止策が講じられた例はまず聞かない。事故は通報されないから、医療事故が起きたことすら 知らされない。まして被害補償の保険や加害者処分の制度も無きに等しいから、医療被害者の 救済は図られることがない。これだけ人身被害が累積し、社会経済的な損失が続き、安全な医 療への信頼が揺らいでいるにもかかわらず。 医療被害者には、守ってくれる法はどこにも見えない。相談窓口も、被害補償の制度も、事 故を解明する役所機関もない。時には、直接の医療機関へ苦情を呈すれば、モンスターペイシ エントと怪物視されて排斥の憂き目にあう。しかたなく法を扱っている弁護士を訪ね、法を司 る司法機関へ訴えることになる。新米であろうと熟練になろうと、医療被害者からの相談を受 けた経験のない弁護士はいないだろう、それほど医療被害者が頼るべき法はこの社会には見え ない、むしろ法は存在しない。医療界には司法による介入と映るのは、そのほとんどが医療被 害への責任追及であり、その範囲で個別医療の当否が俎上にのぼる。過去の医療事故に対する 責任分配を決めるだけの司法が医療への介入と映るのは、年間数件の刑事裁判と 200 件弱の民 事裁判の有責判決が医療の部外者からの批判だからであろう。しかし司法判断はすべて部外 者・第三者の判断であるから、全ての社会領域は司法判断を受けることになり、これは法治国 家の宿命でもある。 ともあれ、置き去りにされた医療事故が被害者側から解明を迫られている現状が、もっぱら 司法による医療への過剰介入と映る側面は否定しがたい。医療事故は、医療の現場で医療者(施 設及び人)の行為から生じ、患者及び医療者が被害を蒙るものである。医療安全を医療現場で 医療従事者が図るべき目標であるならば、その被害を受ける患者や関係者の救済の法ルールは、 第三者の司法が介入するより前に、医療関係者によって法を作り適用するのでなければ実効性 はない。専門家集団の規律ルールは、その専門家集団の自律的ルールなしには生まれない。 医療事故は実在するものと捉え、医療被害が跡をたたない実際を見つめ、医療事故は防止す べき対象と考えるところから、医療被害者が求める法は見えてくる。患者が安心し信頼できる 医療は、先進医療での輝く成果とともに、いずれは死に行く身体を看取る術を心得た医療者に よって担われている。医療が患者を守る法を内在し、法が医療を支える力となるように、「医 療と法ネットワーク」に期待したい。 (「医療と法ネットワーク」Vol.4、2011)
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