7・自給自足という「文化」 2012.10.26. 青山・文化人類学II/B 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [2] 前回授業内課題 映像資料「ふるさとの伝承15・水窪」をもとに次の4点 について考え、インプレッションペーパーに書きなさい。 1. 2. 3. 4. 通常わたしたちであれば「買って済ませる・捨ててしまう」よ うなものを「自給自足する=自分で作ったり工夫したりリサイ クルしたりする」ものがたくさん出てきます。どういうものが そうか、映像を見ながら気づく限りリストアップしてください。 逆に、「これはどこかで買ったものだ」と思われるものは、ど んなものでしょう? やはりリストアップしてください。 この映像にでてくるひとびとにとって、生活の中のどういう点 が「喜び・楽しみ」だろうと推測できますか? いまの自分だったら、この映像のような村で、この映像に登場 するようなひとびとと一緒に同じような生活をするとして、ど れくらいの期間生活をともにできる気がしますか? 1日? 1 週間? 3ヶ月? 一生? また季節にも拠る? 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [3] 自給自足と大量消費 1950-60年代を境に、それまでの農山漁村の自給自足型 生活から都市の大量消費型生活へと「普通」が転換した 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [4] 自給自足生活とその崩壊 自給自足の生活とはどんなものだろうか? 100%の自給自足は、原始人まで遡らなければいけない 参考資料:1930年代秋田農村吉田さんの家計簿・献立表 つまるところ、自分の食べるものを作るために、ほとんどすべて の労働と時間を費やすのが自給自足型生活……cf. 前期の最初に見 た民族誌フィルムの各民族の暮らし 自給自足を崩す要因はなんだろうか? 大きなインパクトの一つは、明治初年の地租改正による貨幣経済 の浸透 もう一つは「便利さ/効率性」への欲求=余暇の追求 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [5] 大量消費 大量消費型生活の特徴はなんだろうか? 「手間暇かけて自分でやる」から「できあいのものを買って済ま せる」へ →余暇を得るために働く メディアの浸透によって、全国どこでも同じようなものを欲しが り、流通の発達によって、またそれが手に入れられるようになっ た →画一化の進行(概ね1980年代に完成) 一方で、失われたものを惜しむ気持ちが芽生え始める →ノスタ ルジアの出現(概ね1960年代末以降) 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [6] 変化する文化を「守る」(1) 水窪の映像でみられたのは、ある意味典型的な「古くか らの日本の農業風景」 自給自足度が比較的に高い ものを大事にして暮らしている 山の神・ハタの神・カナヤマサマなどさまざまな神様に祈り、月 見や成木責めといった行事をていねいに行なう 先祖代々の土地を受け継ぎ、自分もそこに骨を埋めるつもりで生 きている 「あなたにもそれができますか?」と訊かれて、「一生 できる」と答えたひとはごくわずかな例外(既に一部体 験したことがあるなど) では「こうした映像にみられる〈文化〉は、変えずに残 して守ってゆくべきか?」と訊かれたら? 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [7] 【確認】文化とは? 文化とは、学習されるものである 1. 先天的に持っているわけではなく、後天的に学習される 家族や地域、学校、友人などから学ぶことになる 文化とは、共有されるものである 2. ひとりで持つものではなく、集団で持つものである 集団(社会・共同体)があって初めて文化は支えられる 文化とは、体系的なものである 3. こまぎれで断片的なものではなく、あらゆる要素がさまざまなか たちで他の要素とつながっている(たとえば生業や環境と密接に 結びついている) ある一つの要素だけを取り出して「保存」することは無意味に近 い 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [8] 変化する文化を「守る」(2) 1950-60年代の映像を見ながら確認したのは「文化は変 化する」ということ おそらく日本全国に広がっていたであろう「水窪のよう な暮らし(自給自足生活)」は、大量消費生活への移行 が雪崩をうって起こった1950-60年代以降、変化し消え ゆこうとしていることは確かである この事実をまえにして、少なからぬひとびとは「それは 惜しいことだ、なんとかして守らなくては」という気分 にさせられる 伝統的な暮らしが消え去ることは、ちょうどトキが絶滅するよう なもので、かけがえのないものをなくしてしまうことになるので はないか? 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [9] 変化する文化を「守る」(3) では、いったい「だれが」守る役をするのだろうか? 現状を冷静に分析すれば、従事者比率が激減し、かつ、急激に高 齢化がすすむ「農業従事者」がそれを守らざるを得ない そもそもキツイうえにもうからない農業に従事するひとびとに、 さらに「文化を守る役割まで負わせる」ことは問題ではないだろ うか? なんのために「守る」のだろうか? どんな犠牲を払わ なければならないのだろうか? 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [10] 映像資料「姨捨の棚田」 棚田の「美しい風景」とその背後にある「ひとびとの地 道な営み」は、単純にすばらしいし、できれば残したい、 と考えるのもおかしなことではない しかし同時に、単純な経済原理から言えば、生産性が低 い棚田は淘汰されてもおかしくない 放っておけばなくなりそうなものを、敢えて残そうとす るための手段として、そのものに「別な価値」を付与す るやり方がある たとえば「観光資源」にして観光客を呼び込もうとする あるいは「大事な文化財」として選び上げ「守るべきもの」とし ての意味を明確にする……姨捨の棚田は1999年に国指定の文化財 のひとつである「名勝」に選ばれた「日本人の心のふるさと」 「限られた地域のひとの文化」ではなく「われわれ日本人みんな の文化」という意味を付与する 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [11] 映像資料「桜紀行」(後半) 先祖の代から受け継いできたさくらの大樹を持つ地域の ひとびとが、観光客に振り回されている、というだけの 話ではない さくらを「祭り」や「伝統文化」に置き換えてみると、 現在の地域社会が置かれている深刻な状況を理解するこ とができる もともと自分たちの先祖が自分たちのものとして守り、受け継い できた、日々の生活に密着した存在であったはず ところがそこに、観光客や役場のひとなどの外部からの働きか け・干渉が加えられ始めている……地域のひとびとを無視した勝 手な・容赦ないふるまい しかし過疎化・産業の停滞に悩む地域のひとびとは、その外部を 事実上拒めず、受け身の立場に立たされつつある 7・自給自足という「文化」 2012/10/26 - [12] 伝統を守るための犠牲 外部からの観光客は、伝統を守るために手を貸そうとし て訪れているのではなく、純粋な消費・余暇活動として そこに来て帰っていくだけ だからごみはそのへんに捨てて顧みないし、畑を踏み荒らしても 自分の写真が撮れさえすればいいし、駐車場がないと文句は言う し、気に入らなければ二度と来なくなる しかし、地元はそれから逃げるわけにはいかない わがままで移り気な観光客に対応していたらキリはないし、対応 しなければジリ貧になる もはや有効な産業を失っている地域は、伝統を守るためにどんな に大きな犠牲を伴うとしても、どんなに気が進まなくても・先に あるものがなにかわかっていても、観光に頼るしかない
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