11・ヤノマミと異文化理解 2012.07.11. 成蹊教養・文化人類学の考え方 11・ヤノマミと異文化理解 2012/07/11 - [2] ヤノマミとはどんなひとびとか? ここまでみてきたように、有史への突入=四大文明の登 場(7000~8000年前)以前に、ほとんど全世界にヒト は進出した。 なかでもモンゴロイドは、環境適応を行ないながら、寒 冷地・海洋部へ進出していった。南米にすむヤノマミは いわば「ヒトの進化の(現時点での)最終形態」ともい える。 少なくとも、人間的能力において、ヤノマミとわたした ちとの間に明白な集団的差異(個人的差異ではない)は 存在しない……異文化理解の出発点 11・ヤノマミと異文化理解 2012/07/11 - [3] ヤノマミは理解しがたいのか? 確かに、おぎゃあと生まれているのに葉っぱに包んで見 殺しにし、白蟻に食べさせて、最後は巣ごと焼き払う、 という表面だけを見ると「理解しがたい」 それはなんだか、「自分たちの文化」からは遠くかけはなれたよ うなイメージである しかし「ねこ=漢方に基づく精力剤」という知識を入れ たのと同様、「人工妊娠中絶の問題」という知識を背景 に考えてみると、どうだろうか? 11・ヤノマミと異文化理解 日本の人工妊娠中絶(1) 2012/07/11 - [4] 11・ヤノマミと異文化理解 日本の人工妊娠中絶(2) 2012/07/11 - [5] 11・ヤノマミと異文化理解 2012/07/11 - [6] 日本の人工妊娠中絶(3) ヤノマミビデオでは「年間20人前後生まれる赤ん坊のう ち、半数以上が精霊として森に還される」とされていた 日本の1950年代は、実はそれと大差ない 1975年は「年寄りの恥かきっ子」、2005年は「若者の過ち」と しての人工妊娠中絶割合が目立つ(件数としては主ではない) 日本における人工妊娠中絶の変化 1948年以前:そもそも禁止(1940年国民優生法と優生思想) 1948-1976年……28週未満は可(優生保護法による) 1949年:経済的理由による中絶を認める 1976-1990年……24週未満は可 1990年以降……22週未満は可 1996年:優生保護法を母体保護法に改正 11・ヤノマミと異文化理解 2012/07/11 - [7] 「ヤノマミ」と「わたしたち」 「人工妊娠中絶の問題」という知識を背景に考えてみる と、どうだろうか? 人工妊娠中絶が「殺人」にならないのはなぜか? ……「法律」 でそう決まっているのだとすれば、ヤノマミは? 22週未満の胎児が「ひとではない」のなら、母親が抱き 上げていないまだ精霊のままの赤ん坊が「ひとではな い」のと、なにがどう違うというのだろうか? そもそも、どの時点から「ひと」になるのだろうか? それは文 化によるのだろうか? 11・ヤノマミと異文化理解 2012/07/11 - [8] ヤノマミはわれわれを「ナプ」と呼んだ 「ナプ」=人間ではないもの・人間以下のものに位置づ けられることは、違和感・不快感を伴うだろう それこそが「自文化中心主義的」スタンスだと言うこともできる では、わたしたちがヤノマミを「原始人=原始そのまま の暮らしをしているひと」「人間の本質・もともとの暮 らし方をするひと」と位置づけることは、それと違うだ ろうか? どうひいき目に見ても「原始人」は誉め言葉ではなく、「いまだ わたしたち〈文明人〉になりきっていない生き物」としか受け取 れないのではないか? cf. 進化主義的人間観 →わたしたちの視線も、オブラートに包まれてはいるが やはり不快な「自文化中心主義」なのではないか? 11・ヤノマミと異文化理解 2012/07/11 - [9] [再]自文化中心主義/文化相対主義 自文化中心主義とは、自分の文化の基準で周囲をはかり、 自分と異なる点について、ヘンだ・おかしい・間違って いる・劣っている・遅れている、などと判断する立場 それだけ聞くと、ずいぶんよくないスタンスのようだが、ひとは 誰でも成長過程で「自分の文化」を形づくっている以上、完全に この見方を排除することは極めて難しい 文化相対主義とは、相手の文化も自文化同様しっかりと した「体系」を持っており、そのひとびとの間で共有・ 学習され、継承・ブラッシュアップされてきたものであ るから、互いに尊重されあうべきものだ、と考える立場 それだけ聞くと、とてもすばらしいスタンスだが、これを実現す るためには、i. 相手の文化を(コミュニケーションを重ねた上 で)きちんと認める、ii. 自文化を相対化・客観視する、iii. 全体 の中での位置を(自他ともに)把握することが必要であり、なか なか簡単に成し遂げられるものでもない 11・ヤノマミと異文化理解 2012/07/11 - [10] [再]文化の定義 「ある一定のひとびとの間に共有されるルールや規則・ 慣習・知識・感覚のようなもの」 ほかにもいろいろな説明・定義は可能だし、この講義のなかでも いろいろな表現をしていくことになるが、まずはこれを叩き台と して考えてみよう 文化人類学の古典的な定義としては次のようになる 「文化とは、後天的、歴史的に形成された、外面的および内面的 な生活様式の体系であり、集団の全員または特定のメンバーによ り共有されるものである」(KLUCKHOHN & KELLY [1945:98]) この定義のポイントは3点 1. 2. 3. 文化とは、学習されるものである(=自然にもって生まれてくるもの ではない) 文化とは、体系的なものである(=部分や要素に還元できない) 文化とは、共有されるものである(=個人ではなく、集団が想定され ている)
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