【解答例】 一 一 文学作品には、それぞれの分量に即応した文章の調子 が あ り、 執 筆 に 際 す る 作 者 の 意 識 や 意 図 も 異 な る た め、 長編と短編では文章自体の性質が根本的に異なるから。 二 短編は、作者の心に浮かぶ生き生きとしたイメージの 広がりや連鎖を軸に描くものだが、長編は、説明や注釈 を用いて作者の思想を読者に伝えるものである。 三 本来、短編小説の優れた描写は、網膜に映り心に浮か ぶ像の単なる再現にとどまらず、作者が記憶を反芻し回想 する時間の中で、採集したイメージを交錯させ、そこで新 たに増殖するイメージの総体を言語化したものだから。 四 『にんじん』の第一話に『めんどり』を置けば、作者が殊 更に説明しなくても、描かれた会話を通して物語全体に 登場する各人物像や人間関係、役割を読者に一挙にわか りやすく示せるという巧妙な作者の意図が窺えるから。 五 作者が、十分な時間をかけて回想し心の中に広がった イメージの連鎖を、説明的な叙述を排して、イメージに ふさわしい文章のリズムや間合いで描き出し、さらに登 場人物でさえも、会話を巧みに用いてその人物像を表現 する、徹底した描写の手法を貫くことで生まれる。 二 人情」は認められないが、長生きしたせいで人の生死に 一 生を祝ぎ死を悼むという、人間の普遍的で尊い感情を 人情と言うならば、それに背きその価値を否定する「不 者の自然とニヤけた顔の表情として表れるだろうから。 四 親しい人の死に際して、老いた筆者の心に思い浮かぶ のは、その人の楽しく愉快な思い出ばかりで、それが筆 鈍感になる「非人情」なら許されるだろうということ。 今は人の死にも馴れて大した衝撃も受けず、またそれに 五 親しい人の死は、若い頃には深い痛みを伴うまさに厳 粛な事実だったが、親しい人が次々と死ぬ老齢に達した 二 死は、その当事者や残される者の思惑などとは関係な く容赦なく訪れる冷酷なもので、決して周囲を巻き込む 何の自責も覚えず、むしろ自ずと甦る親しい人との愉快 な思い出を静かに懐かしむ大切な機会と受け止めている。 ことなく穏やかに迎えられるものではないということ。 三 老齢に至るまで、近親の死に際する機会が稀な青少年 期と同様に死の衝撃を全身で素直に受け止め続けること は、人間の自衛本能ゆえに不可能で、もし可能だとすれ ば、それはむしろ非人間的な事態を表すということ。 三 一 (1) こ の千蔭の右大臣以外に、妻を持たない男性で高 貴な人がどこにいようか、 北 の 方 は、 私 が 世 間 並 み の 男 だ と お 思 い に な っ (2) て、独身のままなので声を掛けなさるのだろうか 千蔭の右大臣は、いっそう昔の妻のことが思い出 (3) されて、たまに北の方のもとを訪問なさっても、気 持ちがうち解けることもない様子であるけれど、 二 夫に先立たれ、雑草が生い茂るほど荒れ果てた邸に住 み悲しい想いをしている私と、妻を亡くしたあなたとは 同じ境遇にいるのも同然ですから、いっそのこと、その 同じ境遇の私のもとへ通ってくれませんかという誘い。 三 驚いたことに、北の方が興趣や風情がある折に触れて 切実に求愛してきたので、いくら昔の妻を忘れられない といっても、まったく取り合わずにいるのは思いやりが なく、また高貴な女性に対して失礼だとも思ったから。
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