2015 大阪大学前期日程(2/25 実施) 日本史 【解答例】 (Ⅰ)9世紀前半は遣唐使派遣が続いたが,衰退の進んだ唐に対し,日本は航海の危険も あり9世紀末に菅原道真の建議により遣唐使を中止した。その後唐が滅ぶと五代十国 を経て宋が中国を統一し,奈良時代以来交流のあった中国東北部の渤海も 10 世紀に遼 に滅ぼされた。日本は新たな国と正式な国交を持たなかったが,博多に来航した宋の 商人によって書籍や陶磁器などが輸入され唐物として珍重され,朝廷の許可を得て宋 に渡る僧も現れるなど大陸との交流は活発におこなわれた。 (217 字) (Ⅱ)分割相続による所領の細分化や貨幣経済の進展,さらに元寇時の恩賞不足から御家 人の窮乏は激しく,土地を失うものも出た。幕府は永仁の徳政令によって御家人の救 済を図ったが,かえって金融の道を閉ざして御家人を追い込んだ。困窮した御家人は 分割相続を単独相続に切り替えたが,これにより相互に独立的な一族庶子が惣領を中 心に団結する惣領制は崩れた。庶子家は家督を相続した主家に従属するか,自立でき るものは国人化し,または悪党となって反体制的動きを見せた。 (218 字) (Ⅲ)3代将軍徳川家光が発布した武家諸法度寛永令によって制度化された参勤交代は, 大名に対し国元と江戸を1年交代で往復させた軍役の一つであった。大名妻子は江戸 居住を強制され,大名にとっては経済的負担が大きかったが,その後享保の改革での 上げ米の制では在府期間が半減され,幕末の文久の改革の際には負担が緩和された。 参勤交代によって水陸の交通が発達して江戸は大都市として発展し,大名行列によっ て地域間の文化交流に一定の役割を果たした。(211 字) (Ⅳ)政府は戦時統制経済を推進するために企画院を設置し,輸出入等臨時措置法などを 制定して貿易に関する資材や資金を軍需産業に割り当て,電力管理法を制定して私企 業への介入をはじめた。国家総動員法に基づく国民徴用令によって国民を軍需産業に 徴用し,賃金・物価などを統制した。これにより重化学工業中心の新興財閥に既成財 閥も加わり,軍需生産が拡大した。戦争末期には民需を抑えて軍需生産を強化する一 方,国民には食料の配給制や日常品の切符制で耐乏生活を強いた。(219 字)
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