Biosphere 2 (biosphere:生命圏) http://www.bio2.edu/ 「人は宇宙ステーションのような完全密閉空間で生き られるのか?」 → アメリカ・アリゾナ州の砂漠の真中に、スペースコ ロニーのような施設を建設 → 大規模な生活実験 ヒトとヤギが暮らす「ミニ地球」 青森県六ヶ所村でヒトとヤギの閉鎖実験が始まる 環境科学技術研究所の閉鎖型生態系実験施設 ・イネや大豆などを育てる「植物実験施設」 ・2人のヒトと2匹のシバヤギがくらす「動物飼育・居 住実験施設」 ・空気・水の浄化と排泄物処理の「物質循環処理 施設」 などからなり、エネルギーと情報を外から取り入れ る以外はリサイクル 2005年度からの本格実験開始前に、11月29日か ら予備実験 環境科学A(髙島) 【まずはじめに頭の体操!?】 右の図は、自然界における炭素の主な循環の 様子を表したものである。これについて次の問 に答えなさい。但し、回答は一つとは限らない。 (1). 図のa~nの中で光合成を表しているのは どれか? (2). 図のa~nの中で呼吸を表しているのはど れか? (3). 図のfの過程は、化石燃料の燃焼による炭素 の移動を示している。近年、この過程を通じての 大気中の二酸化炭素の増加により、気温が上昇 することが予測されている。その理由として最も 適当なものを下から選び、その記号で答えよ。 ア. 二酸化炭素によってオゾン層が破壊され、地表に到 達する紫外線の量が多くなるから。 イ. 酸性度の高い雨(酸性雨)が降ることが多くなり、地表 の石灰岩と反応して大量の熱を発生するから。 ウ. 大気中の二酸化炭素が、地表から宇宙空間に放出さ れる熱を吸収するから。 エ. 二酸化炭素は空気より重いので、大気の対流が弱ま るから。 (4). アメリカのカイバブ高原では、高原にいる鹿 の数は4,000頭前後であまり変化はなかった。し かし、鹿を保護するために鹿狩りを禁止し、鹿を 食べる狼などの肉食動物の狩猟を奨励したところ、 それぞれの個体数に変化が起きた。狼などの肉 食動物は射殺によって次第にその数が減少し、 やがてほとんどいなくなった。では、鹿の狩猟を禁 止してから、鹿の数はどのように変化したと思わ れるか、次のア~エの中から一つ選び記号で答 えよ。 ちなみにこの問題... 神奈川県の公立高校の入試問題です。 環境科学A(髙島) 【公害問題】 公害とは? 事業活動、その他の人の活動に伴って生ずる 大気の汚染 水質の汚濁 土壌の汚染 騒音 振動 地盤の沈下 悪臭 によって人の健康又は、生活環境に係る被害が 生ずること 環境基本法より抜粋 環境科学A(髙島) V 日本における公害の歴史 日本における環境問題 1880~1890年代:浅野セメント降灰事件 場所:東京深川の浅野セメント合資会社 症状:煙突からセメント粉末が降る 解決策:工場がコットレル集塵装置(電気の 力で粉塵を集める装置)を輸入設置した結果、 降灰問題は一挙に解決、住民側も工場移転 要求を撤回 1891年に大阪市で煤煙発生工場建設禁止令 日本における公害の歴史 1880~1890年代:足尾銅山の鉱毒 場所:栃木県上都賀郡の足尾銅山(渡良瀬川) 症状:魚が死んで浮き上がる 山林の伐採及び“ばい煙”で森林に大きな被害 → 洪水の頻発 解決策:渡良瀬川と利根川の合流点に近い栃 木県下都賀郡谷中村を1907年に土地収用法 に基づき強制買収、遊水池とし、同村は廃村。 足尾銅山鉱毒事件は公害による住民運動の発端 日本における公害の歴史 1880~1890年代:足尾銅山の鉱毒 1891年:帝国会議で栃木県選出の衆議院議員田 中正造が足尾鉱毒事件について初の質問 1900年2月:被害民数千人が請願のため上京途中、 川俣村で警官隊と衝突した「川俣事件」 1901年:議員を辞職した田中正造が明治天皇に 直訴、公害問題が全国的に知れ渡る。 1958年:鉱石の残りかすの捨て場が決壊、鉱毒問 題再燃 1973年:銅の採掘中止、翌年鉱山側が鉱毒被害 を認めて損害賠償を支払う。 日本における公害の歴史 1920年:イタイイタイ病 場所:富山県神通川、神岡鉱山の流域 症状:カドミウムの大量流出による農作物の被 害、腎臓の尿細管障害を起こし、骨粗鬆症を伴 う骨軟化症が認められる病気。 日本における公害の歴史 神岡鉱山のその後 1968年 被害者が企業に対して損害賠償請求訴訟。 直後に、国がイタイイタイ病の原因は神岡鉱山のカ ドミウムであることを認める → 1971年に原告勝訴 (四大公害裁判の中で最初に出た判決) 認定患者(述べ180名以上)には補償協定に基づい た補償が行われている。 カドミウムに汚染された神通川流域の農用地を復元 するための事業も富山県によって実施。 1983年:カミオカンデ竣工 1996年:スーパーカミオカンデ竣工 2002年:小柴東大名誉教授ノーベル物理学賞受賞 日本における公害の歴史 1893年:別子銅山による煙害 場所:愛媛県新居浜市およびその周辺都市 症状:銅の精錬に使う木炭のために樹木が伐 採、煙害によっても山々の地肌がむき出しの状 態に。銅精錬排ガスによる大規模な水稲被害。 解決策:1929年に硫酸製造装置を導入して排 ガス中の二酸化硫黄(SO2)の半量から硫酸を 製造、さらに1939年に酸性の硫黄酸化物をア ルカリ性のアンモニアで中和する技術(排煙脱 硫技術の一つ)を導入。 日本における公害の歴史 19世紀末から20世紀初頭にかけて 1889年にスバンテ・アレニウス(スウェーデン)が、 二酸化炭素の排出が地球温暖化をもたらすと指 摘。宮沢賢治の小説『グスコーブドリの伝記』にも、 火山の噴火がもたらす二酸化炭素の温室効果に よって冷害から農民を守ろうとする主人公の姿が 描かれている。 第一次世界大戦、第二次世界大戦などを通じて、 様々な化学兵器が各国こぞって開発される。 第一次大戦:ドイツ軍によるサリンの開発 第二次大戦:1945年 広島、長崎に原爆投下 日本における公害の歴史 1930年~:水俣病 場所:熊本県水俣市を中心に不知火海(八代海) 周辺 症状:手足のしびれ、言語障害、体中がけいれ ん、意識喪失、精神錯乱、胎児性水俣病 も 【メチル水銀が原因の水銀中毒】 食物連鎖による生物濃縮 認定患者だけで2000人を超す日本最大の公害病 化学物質の動態(濃縮) 難分解性の物質は環境中で濃縮作用を受ける ことがある。 ・生物濃縮 汚染物質を含んだ水 水だけしか排出されない → 体内で物質濃度上昇 食物連鎖によって更 に濃縮! 食物連鎖による生物濃縮 海水中のPCB濃度 植物プランクトン 動物プランクトン アミ 1倍 250倍 500倍 食物連鎖の末端 にいるのは人間。 4万5千倍 小魚 大型魚 人間 人間が最も濃縮 83万5千倍 された状態で汚 280万倍 染物質を摂取す る。 XV 日本における公害の歴史 1930年~:水俣病 その後の対応: 1956年:水俣病(有機水銀)の公式発見 1968年:チッソ水俣工場は水銀の流出を停止。 1980年から約10年かけヘドロ除去(熊本県) 現在では、漁業も再開。 しかし...胎児生水俣病患者は病気のまま、今な お病気と闘っている現状を忘れてはならない。 1996年:水俣病の未確認患者とチッソが和解 日本における公害の歴史 1960年代~:新潟水俣病 場所:新潟県、阿賀野川流域 症状:水俣病と同じ症状(けいれん、精神錯乱等) 患者の毛髪から高濃度の水銀が検出され、水 俣病と同一の原因・症状であることからこの名 前がつく(第二水俣病とも言われる)。 上流にある工場でアセトアルデヒドを合成する際 に使用した水銀が原因と判明。 阿賀野川の魚介類を食べないよう指導が出され、 1976年に水銀で汚染された川底の汚泥の浚渫が 行われた。 日本における公害の歴史 1950年代~:四日市ぜんそく 場所:三重県四日市市のコンビナート周辺 症状:ぜんそくと似た症状。気管支喘息、慢性 気管支炎、肺気腫など。 経緯: 1955年:水質汚濁、異臭魚の出現 1960年:異臭魚の取れる範囲が四日市市の沖合4 kmまで拡大。ぜんそく症状を訴える住民増加。 1963年:高濃度の硫黄酸化物(SOX)が原因と判明 1976年:浄化システムの設置や煙突の高度化に よって、全ての地域で環境基準をクリア 日本における公害の歴史 戦後の高度経済成長の裏で、様々な公害が 発生した。様々な機会・物質がつくりだされ、 様々な物質が環境に放出され、アオコ、赤潮、 青潮等の水質汚濁、汚濁物質から食物連鎖 による生物濃縮による被害など。 気圏では光化学スモッグも発生。 その中でも「水俣病」、「新潟水俣病」、「イタイイタ イ病」、「四日市ぜんそく」を四大公害と言う。 日本における公害の歴史 1952年:PCBの輸入開始(アメリカでは1929年に工 業生産)、その後、生産開始 PCB:Poly Chlorinated Biphenyl(ポリ塩化ビフェニル) 水に溶けにくい(油に溶けやすい)、熱で分解しにくい、 不燃性、電気絶縁性が高いなど、化学的にも安定な性 質があるため、電気機器の絶縁油、熱交換器の熱媒 体、ノンカーボン紙など他用途で使用 XX 日本における公害の歴史 PCBの毒性:目やに、爪や口腔粘膜の色素沈着、 座瘡様皮疹(塩素ニキビ)、爪の変形、まぶたや関 節のはれなど 1968年:カネミ油症事件 場所:九州を中心とした広範囲 症状:食用油「カネミライスオイル」を摂取した人 に黒いにきび症状 食用油の製造過程で熱媒体としてPCBを使用して いた。ステンレスのパイプに穴が空き、油の中に PCBが混入。当初は原因がわからず患者が拡大。 認定患者は1800人以上。 日本における公害の歴史 ここで紹介した事例は、被害の大きかったもの で、しかも一部分に過ぎません。 そして忘れていけないことは... 決して過去のことではないと言うこと! ・未だに公害による後遺症に悩まされている人も います。 ・世代に渡って被害が出ることもあります。 ・裁判で和解したらハイ終わり、そんな簡単な問題 ではありません。 日本における公害の歴史 例えば最近のニュースとして... ・2000年:雪印乳業の牛乳食中毒事件 ・1996年:大阪府堺市を中心としたO-157事件 ・授業で紹介した内容では... 2002年8月昭和区隼人池で鯉など大量死 掘留下水処理場・新堀川の異臭なども そして現実問題として、酸性雨が降ったり、地球が 温暖化していると言う事実を認識し、対策を取って いかなくてはいけません。 日本における公害の歴史 1960年代後半~:徐々にではあるが、環境が汚 染されていくプロセスや原因物質が明らかとなり、 法による規制が行われ、環境基準も定まる。 悪臭防止法、公害対策基本法、公害防止条例など そして現在:消費者のニーズの多様化によって、 様々な物質が世に送り出されている。 過去に経験したことの無いような、もっと過激な環 境汚染に遭遇する可能性はゼロではない。 よく考えてみてください 「四日市ぜんそく」後、大気は環境基準値をクリア しています。では、四日市の空気は綺麗ですか? 新堀川や堀川、綺麗ですか?(魚が住んでいま すか?臭いはどうですか?) 「環境基準値」はあくまで目安の一つです。 (法や規則と企業や消費者との妥協点) 我々は、もっともっともっと綺麗な地球を目指す べきです! xxv 環境科学A(髙島) 出席カードを前に提出してください 第3回レポート(12月8日まで) 出身地の自治体のゴミ捨てについて調べ、問題 点を指摘してください。 何県何市と記述すること。 ・何と何を分けるのか?(例:可燃ゴミ、不燃ゴミ、資 源ゴミ、その他) ・新聞紙,雑紙類,電池,ペットボトル,スプレー缶,生ゴミ, カイロ,使用後の油,粗大ゴミの回収頻度と回収方法 ・回収用の袋は?(種類と値段)
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