聴覚障害児教育

聴覚障害児教育
太田富雄
第1章 わが国における聴覚障害
教育の歴史と今日の課題
第1節 教育体制の変遷
1 学校教育の始まり
1852(明治5年)学制「廃人学校アルヘシ」
1874(明治7年)京都市第十九番校
古河太四郎
瘖唖教場 2人の聾唖姉弟
1878(明治11年)盲唖院開学
1889(明治22年)京都市に移管
1871(明治4年)山尾庸三
「盲唖学校ヲ創立セラレンコトヲ乞フノ書」
1880(明治13年)楽善会訓盲院
1884(明治17年)楽善会訓盲唖院と名称変更
1885(明治18年)文部省直轄の東京盲唖学校へ
その他
1879(明治12年)大阪府立模範盲唖学校
8ケ月で閉校
1880(明治13年)金沢盲唖院
2年後に閉鎖
2. 私立盲唖学校の広がり
1886(明治12)年 小学校令 義務教育の規定
疾病家計困窮などは就学猶予
1890(明治23)年 小学校令改正
就学猶予・免除の規定、1948年まで続く
市町村が盲唖学校設置可能
私立も府県知事の許可で設立可能
1894(明治27)年 盲唖学校教員の資格・任用
の規定
地方で小規模な私立盲唖学校の設立が進む
1900(明治33)年 小学校令改正
盲唖学校の小学校への附設が可能
1902(明治35)年 宮城師範附属小学校
1903(明治36)年 長野尋常小学校に学級設置
1904(明治37)年 岡山県の全小学校が盲・聾児
を受け入れ
徳島、高知、和歌山、三重なども設置
1912(明治45年)学校数が37校
3. 盲学校及聾唖学校令と盲・聾教育の分離
1909(明治42)年 東京盲学校
1910(明治43)年 東京聾唖学校
1923(大正12)年 盲学校及聾唖学校令
盲と聾の分離が規定
府県の学校設置の義務
1923年から1946(昭和21)年までに県立に
移管した学校数は31校
1925(大正14)年 京都市立盲唖学校が
盲・聾分離し、1931(昭和6)年には府立へ
1925年(大正14)40校 3000人
1930年代 60校
1943年(昭和18) 8400人
第二次世界大戦の激化で
休止状態に
4.第二次世界大戦後の状況
1946(昭和21)年11月 日本国憲法
1947(昭和22)年3月 教育基本法
保護者の就学義務
都道府県による聾学校設置
1947年 小・中学校の義務教育制実施
1948年 盲・聾学校義務教育制実施
新1年生より順次義務
5.聾学校教育の充実と就学者数の推移
1948年 64校→1972年109校
1962年から幼稚部の計画的設置促進
専攻科 職業専門学科
理容科や歯科技工科
1959年 聾・知的障害学級(宮城)
1948年7930人 1957年2万人超
2001年以降は6500~6800人代
6.養護・訓練と自立活動
1964年 聾学校学習指導要領小学部編
聴能訓練を国語と律唱に、言語指導を国語に
位置づける
1971年 「養護・訓練」新設
4つの柱12の項目
1989年改訂 5つの柱18の項目に改訂
1999年「自立活動」に改称
5つの区分 22の項目で構成
7.難聴児の教育
1934(昭和4)東京市小石川区
礫川尋常小学校に難聴学級設置
1959年 愛知県碧南市立新川小学校
1960年 岡山市立内山下小学校
1962年 東京都に9つの学級設置
1965年 中学で初の台東区立下谷中学校
1993(平成5)年 通級による指導開始
8.高等教育機関の設立
1970年代 一部の聾学校で学年対応可能
毎年10名前後が大学・短大に進学
1987年 聴覚・視覚障害者を対象、3年制の
筑波技術短期大学創設
2005年10月に4年制 筑波技術大学へ
第2節 教育方法の変遷
1. 初期の教育方法
M11 京都 盲唖院 古河太四郎
発音起源図、瘖唖手勢五十音図
手勢法 文字と結びつける
M13 楽善会 訓盲院
筆談と手話
1886 伊沢修二のもとへ唖生派遣、視話法で
発音が可能に
1898 ベル来日 口話法採用を提言
2.口話法の採用
1920年代 口話法へ
1920 ライシャワーが日本聾話学校開設
西川吉之助 「口話式聾教育」発刊
西川聾口話研究所、後の滋賀県立聾話学校
東京聾唖学校 1925年から口話法へ
名古屋聾学校 1920年から口話法へ
1925年 日本聾口話普及会発足
1935年頃 全国ほとんど口話法へ
1929年 大阪市立聾唖学校
大曽根源助 指文字考案
校長 高橋潔 ①口話中心、②口話・手話・
指文字、③手話・指文字に分けて指導
ORAシステムと名付け1932年から実施
さまざまな議論がなされたが、
戦争の混乱の中で休止状態に
3.聴覚口話法の確立
第2次大戦後、アメリカの聴能学(オージオロ
ジー)が紹介された。
医学、工学の進歩とともに補聴器も進歩
1960年代には音声語による教育方法が確立
4.多様なコミュニケーション手段の
活用
1968年 栃木聾学校の同時法
1969年 京都府立聾学校幼稚部の
キュード・スピーチ
その後、奈良、千葉、生野でも実践
アメリカでは、1970年代から
トータル・コミュニケーション(TC)へ
1993年 聴覚口話法を用いた国語によるコミュニ
ケーションをベースにしつつ、手話や指文字、キュー
ドスピーチなどの多様な手段も活用
第3節 今日の課題
1.特別支援教育と聴覚障害教育
特殊教育から特別支援教育への転換
聴覚障害担当者が他の教育的ニーズを持つ
児童生徒をも抱え込まざるをえない。
一定数以上の児童生徒の集団が維持される
ことが必須
教師に高度の専門性が求められる
特別支援学校が地域の支援センター的役割
通常の学級で学ぶ聴覚障害児童生徒について
聾学校からの巡回による支援
聾学校特別支援教室への通級
これまでの難聴学級や通級指導教室に蓄積さ
れた教育資源が有効に活用され、集団が確保
される指導を重視
2.人工内耳と手話の問題
新生児聴覚スクリーニング検査の広がり
→早期発見・早期療育開始
母親への出産前からの働きかけと、告知での
慎重な対応が必要
人工内耳を適用することだけが強調されるお
それがあり、慎重な対応が必要
2000年以降 毎年400例超が手術
手術のリスク、長期の聴覚学習と言語指導、
継続的医療管理などを考慮
日本手話で教育を行うことを求める動きもあ
る。2003年日本弁護士連合会に人権救済申
し立てを行う。
2005年「手話教育の充実を求める意見書」
国は手話が言語であることを認め、聴障者自
ら選択する言語を用いて表現する権利を保
障すること、教委は手話による教育が可能と
なるように環境を整備すること、聾学校は幼
稚部・小学部から手話を積極的に活用
これまで以上に幅広い多様なニーズへの対
応が求められ、人工内耳か手話かという二極
分化の傾向が強まるおそれがある。
そうならないためには、教育全体を包含した
新たな理念の確立と方法の具体化が必要