高级日语Ⅲ 第10课 徒 然 草 吉田兼好 授業の内容 ●背景知識 ●注釈と説明 ●作品について ●本文の解説 ●練習 ●本文の内容について考えよう 背景知識 作者について 吉田兼好(よしだけんこう)(1283頃-1350 頃)。鎌倉末期から南北朝初期の歌人・随 筆作者。本姓は卜部(ウラベ)。和歌を二条 為世に学び、二条派の和歌四天王と称せ られ、「続千載集」以下の勅撰和歌集に一 六首入集。兼好法師。 その著「徒然草」(二巻)は「枕草子」と並ぶ 随筆文学の傑作。1330~31年頃成立(異説 あり)。随想・見聞などを、著者の感興のおも むくままに記したもの。無常観に基づく、著者 の人生観・美意識などがうかがえる。 背景知識 つれづれなるままに、日ぐらし硯 にむかひて、心にうつりゆくよしな しごと. 背景知識 兼好法師塚 背景知識 仁和寺 世界文化遺産 京都市の有名なお寺、 真言宗御室派の総寺院、 紀元八八八年に建てら れたもの。 背景知識 亀山殿 (かめやまどの) 京都市右京区 嵯峨町にあった 離宮。後嵯峨天 皇が建てた。今 の天龍寺はその 旧址。 背景知識 石清水 (いわしみず) 石清水八幡宮の ことを指す。京都府 八幡(やわた)市男 山(おとこやま)にあ るので男山八幡とも いう。 背景知識 極楽寺(ごくらくじ) 高良(こうら) 二つとも男山の 麓にある八幡宮 付属の寺社。 「高良」は「高良 明神(こうらみょう じん)」のことを 指す。当時は神仏 混合であった。 極楽寺 高良 注釈と説明 【五】卜部 (ウラベ) 古代、諸国の神社に属し、卜占を職務とした神官。律令 制下で神祇官に属したものもあり、代々世襲して卜部氏を 称し、後世、学者も輩出。 作品について 徒然草 鎌倉時代末期(成立年代未詳)に書かれた随筆。 北村季吟の『徒然草文段抄』(1667<寛文7>年)以降、序 段を併せて244段に分けるのが通例。各段はそれぞれ一 つの主题をもち、独立して書かれているが、段と段との間 には、有機的なつながり(「非連続の連続」「連歌的展開」) を持っている場合が多く、おそらく執筆の順序も、ほぼ現在 の流布本系の構成通りであったと推定されている。作者の 関心はつねに人間そのものに向けられており、内容は人 生観・宗教論・処世訓・恋愛観・自然観・趣味論・有職故実 ・巷説・逸話と多岐にわたっていて、文字どおり随筆の名に ふさわしい。 作品について 思 想 『徒然草』全編を貫く思想、または求心的にそこに収斂してゆく思想 が、一言で言えば「無常観」ということになるのは周知のことである。 この「無常」(あるいは「不定」)は作品中随所に現れるが、これは兼 好個人の感覚ではなく、当時の人々の生活感情でもあった。末法 思想・皇室の分裂・朝臣の動揺・階級鬪争、これらすべてが京都と いう一地点において混沌としていたのが、鎌倉末期という時代であ る。しかし、この無常観をあくまで主体的・自覚的に引き受け、ある 意味では冷徹な「見え過ぎる眼」(小林秀雄)で、複雑な人間存在の あり方、矛盾・撞着に満ちた現実を見据えながらも、そこに自己の あり得たかもしれない姿を見出し、深く同情し、同感してゆく中で、 揺れ動く自己をありのままに表現しようとしたところに兼好の、そし て『徒然草』の独立性がある。 作品について 文学史上の位置づけ 随筆文学として『枕草子』『方丈記』と並べて考えられるが、西尾実は 『日本文学史辞典』(日本評論新社、1960)で以下のようにまとめてい る。「枕草子には、どこにも詩人的な感覚や神経がピチピチと活躍して 的な自己凝視の鋭さと深さはあるが、それがあまりにも単一で変化に とぼしい。ところがつれづれ草になると、人間性の把握が広く、鋭く、か つ深い。いわば、詩人の随筆でも宗教家の随筆でもない、随筆家の随 筆だという趣きが著しい。日本文学史について、随筆形態を決定したも のはつれづれ草だといっても過言ではあるまい。」 練 習 1、随筆文学の特徴について述べてください。 2、「徒然草」の第五十一段と第五十二段を勉強して、そこ から受けた啓発を800字前後でまとめてください。 3、「徒然草」の初段、第十五段、第十八段と第一〇九段を 現代日本語に訳してください。 本文の内容について考えよう 1、「徒然草」の理念とその基盤について考えてみよう。 2、作者の人生に対する態度をまとめてみよう。
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