YMN002602

然草 における 和歌的 なもの
まえがき
徒然 草に 宗教性 思弁性・教敵性などを兄 るのは常識であろう
が、それらと共に 、あるいはそれらに内包されて、表現性とでもい
ぅ べきものが指摘 されるよう に思われる。即ち、表現すること自体
の楽しみである。 同様のことは万丈記 にもいえそうに思われるが、
徒然草の場合、例 んば説話的とか道念的とかの話題・主題別に章段
を比較することに よって得られる、使い分け入れた兼好の表現の手
石川
十@
八
@
Ⅴ
@
。@
して、徒然草 における和歌的要素のあり方を検討してみ-
右記のような期待から、里穂では﹁和歌的﹂というこ とを
く広義にとり、主題,話題が和歌に関するものや和歌 の 一百
ん,
,ら
を引用する場合だけでなく、それらを踏まえた表現と 堆石
合、歌語,歌題を意識的に用いている場合、修辞法 構成法
釣手法が用いられている場合、きらに視点や美意識のあり方
集辺 までの歌論・歌学に対照できるような場合をも含 めるこ
たい。従って 、柳か暖昧かつ懇意的になる催 れを何程 かでも
一、先学が和歌的典拠などを指摘した章段
するために・検討対象とする章段の抄出を次ぎのよう にした
二、それ以外に私解 によってそれと認めた章段
句
く
を分類し、それぞれの分類内について素材・用語・構成・文体など
ロ の究明である。 それらの集成が行われたとして、全体として徒然
草の真実の解明にどれだけ有効であるのか、最後的な見通しはまだ
持たないが、少なくとも徒然草の実態の解明の一つにはなろう。以
上の期待のもとに、ここでは、話題・主題別検討に入る前の準備と
一五
べ
る
一
れ
に
が
揚
正 和
葉 歌
な
と
と
し
少
。
徒
一ハ
よって 、一
乗勲氏による古典文庫本所 収 のそれに
雪降る日﹂の贈答が三| 五番にあることに
|はついては先
、縦としてのもの
、と同時代または兼好自身のも﹁の
家集﹂と略し、歌番号は高
という性格の異なるものが混
在、
す
るの趣旨から同様に扱っ
が
当稿
よる︶にも﹁
いること
根 拠を指摘で
六一・二 %一九は、花の盛り・名月の時期をいう ものであ り 、家集に
て整理すると、六二の章段数が得ら
れ
る
︵
﹁
序
﹂
を
除
く
︶
。
そ
の
中
もを
もちろん相当 歌がある︵一一二番・九六番︶ことに よってであ
から、枕草子を中心とする物み
語の
類指
の摘で、相当章段の本文
きぬままに止めた段があるが、大略右の範囲であろう。
る一
。その他、例えば一五・一八・二0 などの数段で、
検しても和歌的なものが見
せ出
ぬ
だ考えた六・一一・三五・四
と
セニ・七三セ
・九・一一七・一
二・セ
一
一四・一
セ五・二一四・
右の五三章段を通覧すると、徒然草の初めの方へ 偏って
0.一ハ章二
段三
︵五
以の
下
本、
稿での章段数名・本文は烏丸
に気付く。かりに 五 0 段 どとに区切って、 橘純一氏の﹁内容分類 統
三三
大系本の表記に従
本に拠る岩波典
面
計表﹂︵朝日古典全書﹁徒然草﹂解説︶に照らしてみ ると次ぎのよ
21
2
2
1
2
Ⅰ
2
工
工
工
I
1
1
橘氏の分類した章段数
って加えセ
る章段、計五三章段を検
8
13
ぅ である。
O
一二・一
0
.
0
一・三・五セ
・
,一0
@三
段
五
二五・二六ニ
・セ・二八・二九
六セ・セ一・八八・
0四
一
一0五・一
0セ・一二二・二
一セ 一
三八・一三九・一五五・一
六一・一六九・
セ一
三・一八一一八八・一八九・
0.
一一
九九
一二・二二一・二ニ一八・二三九
0
数段車
7
Ⅰ
二四
O
*印を付したものが二によって
加でえ
た段
、根拠を簡略に記すと、
/IA
エ
2
1
5/10@I
3
5
4
五セは﹁
酢
仏物
伍﹂
幅・ゼ一は﹁土日
幅物
証一0七は﹁郭公﹂・一二二
﹂・
工
のおもし
1/ f
五
O
0
537266@
7
0
1
2/g9
4/22
は ﹁詩歌幽玄の道﹂の語があに
るよこ
っと
て、三一は曽
ろう降りたり
朝し
﹂に歌 ・文の贈は
答通例であり、兼好家集︵以下
刮
0 三八六は 同一段 る
れ﹂﹁わびし﹂﹁を かし﹂﹁恕し﹂﹁なきめかし﹂﹁はかなし﹂の
初頭部に集中的に用いられる構成類型であるが、文末 語が ﹁あは
であることを示し、﹁世の人の心まどはす草色欲にはしかず︵八︶﹂
類の主情表現 語 である ことは、それらの対象把握が主情的・風情的
0 ①群の数が ム口れない
0計の欄の分母は徒然 草 全体における数。
いくつかの部類に重出させてあるため。
のは一四段が学問部と趣味部に重出のため。
も、自己の主観的好悪を客観的判断文型に訴えて妥当化しようとす
即ち 、 ①群が際立って多いが、それは橘氏が ﹁趣味・情 操 の睡養
資料﹂とした内容の段が多いということ。同氏が﹁広義の学問資料
る表現であろう。一四段の基本がそのような共通認識にあることを
た ︵八八︶﹂
次ぎに、和歌を﹁をかし﹂と把握した表現のように見えるが、実
先ず注意しておこう。
﹁社会・人
セ 一︶﹂﹁滑稽の興味を主とし
提供﹂とした内容の段が④⑤群では半数にのぼること
事 現象の考察︵一二・
﹁奇聞・逸話 エ八三﹂の内容とした段は極端に少ない ことなどが
知られる。﹁和歌的なもの﹂を前記のように規定した以上、常識的
﹁やさしく﹂なる経過 か ﹁をかし﹂であるにすぎない。﹁この比の
は、﹁あやしきもの﹂
き歌﹂﹁むかしの人のよめる﹂歌は、 ﹁こと
が ﹁おもしろく﹂なり﹁おそろしきもの﹂が
に当然ともいえよ うが、全休の傾向を一応把握しておき キ
@
@@
へ
.
・@
。@.@V
の歌﹂に対する﹁ふる
る。ところで、﹁和歌 こそなほをかしきものなれ﹂という冒頭文の
の﹂を正面からとりあげ、その価値を全面的に肯定したものであ
徒然 草 第一四段の 主題は尚古であろうが、話題は﹁和歌なるも
はれ﹂として肯定きれたといえよう。そうした時、直後の﹁梁塵秘
しては余情として﹁あはれ﹂を感じさせるもの、即ち、和歌は﹁あ
語 ・歌材の扱いが﹁や すくすねば﹂で、姿が﹁きよげ ﹂で、一首と
て、姿もきよげにあはれも深くみゆ﹂るから肯定するとすれば、歌
ばの外にあはれにけしき覚ゆる﹂ものであり、﹁やすくすむほにし
﹁申柄十 こそ︵ ぞ ︶ @⋮主情表現語﹂の型の文が段冒頭に来る構成
抄の邪曲のミロ菓 ﹂の﹁ @
のはれ﹂、直前一三段の漢詩文の﹁あはれ﹂
一
一
ば、その変型として段末文・小段落冒頭も加えると、第五 0段 まで
また、﹁この 比﹂因﹁
﹂の限定について諸説があるとしても、肯定
とも対応できる。
﹁ばかり﹂強調型︵ 二八・三0︶や﹁萬のことは﹂﹁なに事も﹂の
される﹁ 昔 ﹂﹁いにし へ﹂が古今集・新古今集を典型として含む時
に二五の章段数を数え、﹁諒闇の年ばかり哀 なる事はあらじ﹂の
二四・二五木・二九︶をも加えると、徒然草
並邑週型 ︵三一, 二二
一セ
ゆ ﹂﹁覚ゆ﹂
当投で 兼好が肯定
期 であるのは疑いなく、それに、一四段の行文が﹁見
に一貫される状況的態度にあることを加えれば、
した﹁和歌なるもの﹂の把握の特徴を大方指摘したこと になろう。
の契沖書入れ。
一八
㈹﹁あふ さきるさに思ひみだれ﹂に、 吉ム﹁・一0 一八
0
八不知 歌 、源氏・弓木、八雲御抄。
誹詣 ・読
他 に三箇所源氏に関しての指摘があるが、注釈者も興拠 とまでの 指
薫 ︵
同 ・総角︶ の状況が近
摘 ではなく、事実、参考の範囲内と考えるので省く。Ⅲに 関して、
当 段の状況場面は夕霧︵源氏・夕霧︶・
源氏物語に﹁露霜﹂は一例もない︶。歌語としての﹁露 霜 ﹂に乙だ
吉ム﹁以来
似するが、そこでは﹁暁霧﹂であって﹁露霜﹂でない ︵もちろん、
当段の 陽ム
一ロ
、﹁朋@
﹂
われば、契沖がい う よ う に﹁行き行きて逢はぬ
どまがきをてらす白菊の花︵堀河百首・
秋 ・力 ・ム夫
異伝歌 ︶﹂
欣二・ 読八不知︶﹂、私に拾えば﹁露霜によもの草葉 はしは るれ
わるのの つゆじ もにぬれてをゆかんきよはふくとも︵古 ム﹁・一一一一四
萩 が花 ちる ら
妹ゆゑ ひ さかたの 天
は、近辺章段のあり方からいって中流以上の貴族である ぺく、とい
の露霜に濡れにけるかも︵万 ・一一・二三九五︶﹂﹁
う を規制 き れることで
﹁をかし﹂
は たれ て所 さだ の
る ﹁起く﹂
をくらん
﹁夜のまにもき ゆ べき物を露霜のいかにしのべ
と たのめ
ずま どひ ありき﹂と状況的であって、 恋なるものの 情 調の表象でも
︵新古・ 一三四一・ 恋五 ・俊士
じ ﹂などが参考きれるが、どれも 特
右掲 歌から予測され
﹁消ゆ﹂﹁秋の草花﹂﹁秋冷﹂などの余意を考慮しても、 当段 の行
定の典拠とはしがたく、かりに、
当段 には和歌的元雄として以下の点が指摘されている。
﹂たらしめ
るだけに組み合わきれた歌語という最も単純な用法とな
と﹁ しは たれ﹂とは、表現を﹁をかしきもの︵一四段︶
丈 にそれらの余意を訓量 した形跡は全くない。とすれ ば 、﹁ 弔路霜
﹂
なるらむ。﹂および﹁増補鉄槌﹂への拾遺歌 ・和泉式部 歌 以下
天暦中宮﹁つゆじものよ ひ暁におくなれば床にや君が ふすま
㈲﹁露霜にし ほたれて﹂の参考として、新勅撰・一二 0 九 ・雄三
債主義がその実体であったというべきであろう。
ない。冒頭文の﹁ここちぞすべき﹂という当為性は、実 は情意的風
﹁あらまほし﹂と概念化され、記述は﹁露霜にし
すでにそれらの人物の個別性・創造性からは遠く離れ、
﹁なにたやすからず思はれん﹂と恋のありよ
うことは勢語・源氏の各話題の人物と繋がりう べく、 し かしながら
の恋のあり方として﹁和歌的なもの﹂であろう。
ろ う が、 い うまでもなくそのような主題そのものが勢幸m.
ところで、例えば第三段は﹁色 ﹂を好み ぅる男の肯定が 主題であ
(ロ )
㈹ ほ ついては、﹁あふききるさに﹂が古ム﹁欣一首相当
とすれば、
そこに広義の本歌取り的な、古今秋の余意・余情を期待することが
らず﹂の歌には期待さるべきものがなく、
当段の ﹁思 ひ みだれ﹂の
可能であるが、﹁ そ へにとてとすればかⅠりかくすればあないひし
記述ですべては尽きてしまう。
即ち、 当段 における和歌的先縦は 、主題のための素材 として、 そ
何 の余意・ 余
れを状況的に説明する部分に用いられ、行文を﹁をかしく ﹂あらせ
るために行文の意味と全く同意の個個の歌語として、
情も付加することなく用いられたということになろう 。
先雌を持つと指摘きれ
として、主題的に和歌的な傾斜を持っていることは確かであろう。
また、これらニ一章段における、
表現の主題への 揃 わり万は、主題のための素材・前提
っことは、 最
強例などの構成関係において用いられ、前記第三段の用法の他に直
援 引用と広義の本歌取的引用の方法を加えれば、とい,
6通例の引用万法ということであるが、すべてがその中に含まれる
と 考えられる。
以上を要するに、徒然草初頭部分は、それは当稿 にと っては具体
的に第三二段までであるが、和歌的な感覚・印象が相村童としても
主題的にも、 先碓出典的にも多いが、その具体的用法 においても、
対象把握においても情意的・風情主義的であり、章段ぬめ 文章構成
段の中、 6 類型的であった。
いま、第一章に記群
し、
た即
①ち第0
五
段までの
三一章
わると
考
第三段のように、主題が意
何
的ら
でか
和の
歌的なに
も拘
の
三︶U
ての
て部
み類
る名
とを
えられるものに、かりに歌題または歌
宛集
第四三・四四段が一 0 四・一 0 瓦市 段 と共に王朝物語的と評さ
題・ニセ
Ⅱ
ね、三二段と繋がりを持つことは周知であるが、三二段と他 四段と
月花風水・二恋
四ま
Ⅱた神祇・二五Ⅱ無常・
恋二二
六セ
Ⅱ無
では、表現方法、目的について質的相違があると思われ
常述懐・二|
八二O
一n
哀傷
恋・
ま三
た三
哀Ⅱ
傷
に四
﹁・
か一
序
な﹂
一0 四段と一 0 五 段 のそれは
などとすることが可能で、第一段は、一
九段と共四三段と四四段の季節は春と秋の、
夏 と冬の組み合わせで、三三段以降にこの四章段以外に王朝物語的
であろう
とも見られよ一
う
0。
.
一二
各・
段
は
三い
一か
のに雑
も
が、そこまでいはなくとも二一章段がる
、持
個つ
個表
の現
先は
離別 章段は全くない。一季節一段、四季四段と春秋・夏冬 0組み合わせ
一九
二O
暮 つかた﹂から暮春のタ、四四が﹁稲葉の露﹂・﹁夜 寒﹂・﹁虫の
四章段を通観すると、構成素材としての時期設定は空 ニが﹁春の
らいを書く気はなかったのであろう。換言すれば、行為者として登
や類型的に情景化された場面にすぎない。初めから兼好は男女の語
行為であって、源氏の賢木・苗木・花散里などに繰り返されてもは
びは鳥もはなやかなる声にうちしきれば﹂の部分はすでに名残りの
するとしても﹁来しかた行末かけてまめやかなる御物藝由に、この汁に
ぬかどとがまし﹂・﹁仏事﹂への参仕から中秋|暮秋 の初更、一 0
場 したかのどとく見える主人公たちは、それ自体情景化 きれ、また
は意図的であったとしてよかろう。
﹁霜﹂﹁有明の月﹂から初冬の暁と見え、冬期の自然美 の極盛期を
四が ﹁卯月﹂﹁
タ づく夜﹂﹁曙﹂から初夏の主として曙、 一0五が
三章段はもっと明瞭であり、それは例えば 一0五段に兼好の経験を
rぅ
0他の
情景化される一段構成のための点景として配置されてい@ネ
いう理解とは異質のものである三三段に兼好の何程 かの経験性を
ずらした、余情美の深い時期である。
場所設定は四四が洛外である以外は定めがたいが、空 二・一0 五
認めることには福者もやぶさかではない︶。
らには読経の声までが聞こえてくるべきであるが、例 ,
んば紫式部日
最も多く昔の記述のある四四段において、﹁虫﹂﹁笛 ﹂﹁造木﹂さ
また、この四章段に共通して、音が聞こえないのも奇妙 である。
は洛中上京辺、一 0四は下京辺 ででもあろうか。いずれにせよ由緒
一0 五は
正しい邸の点で共通し、しかも春 ・夏 ・冬の邸には荒 れがひそみ、
秋は山里辺と、権勢の中心を外した構えである。
主人公たちは中流以上の貴族で共通し、また、 一0四
記冒頭部の土御門殿の生き生きとした昔の響きに較べて果たしてど
男女の語らいでありながら、女は存在の予定だけで眼一
制しないとい
ぅ であろうか︵福者は四三・四四の基調に紫式部日記のこの箇所が
えぬだけでなく、人物自体に実体感が感じられない、影 絵の趣きで
ぅ万法も共通する。とすれば四四の仏事主催者は亡夫のための末亡
ま﹂と訓むべきであろう。しかも、特徴的なのはいかなる主人公も
ある。それらの理由の一つは、男女の場面がいかにもあるべくあっ
あると考える︶。そう いえば四四段の﹁若き男 ﹂は、笛 の音が聞こ
決して筋 としての行為をしない点である。最も立ち動 くかに見える
たように、常に薫物が強調きれ、常に垣間見の方法が用いられ、御
るべきで、本文は﹁⋮⋮男、女と、なげしに尻かけて 物語するさ
一0四の男主人公も﹁さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに
丁寧にまた主人公を﹁ゆかし﹂がらせるなど、特定の物語的場面に
人の可能性がある。序でながら、 一0五の女は当然障屏具の内に居
夜深き鳥も鳴きぬ﹂が、男女の語らいの記述のすべてであり、付加
の新樹の﹁めづらしく青み渡りたる﹂さまに視点が決まる。 一0五
され、その後朝の人物像を点景とし、薄白む空に取り巻
かれた﹁佳﹂
が取り包んで、場面が決まる。 一0四段で読者は時間の推移を誘導
尊貴な宮・女房,故づきたる若き労らが揺曳し、それを山里の自然
て、実体は無用なのであった。眼前の秋庭、向こうの御堂、そこに
の田園風景の中に御堂の庭を徐徐に大う つしにする誘導手法であっ
とき、全体が一枚の絵として定着する。四四段の﹁若き男 ﹂は眼前
からか へと誘導され、焦点が﹁清げなる男﹂の﹁さま口に決まった
東面︵薄暗い︶へと読者の視線は兼好によって背景から前景へ、大
どやかに艶 なる空﹂に始まり﹁木立﹂﹁庭上の花﹂家
﹁﹂ の南面から
的に構成されているからであろう。四三段の場合、空問的には﹁の
にあるのであろうが、より強くは、四章段が徹底して視
然るべき記述が然るべく、共通して記されるという類ゆ性 ・観念性
くとも和歌定形の捨離 であった。
文 であることは、一面における和歌離れといわねばなるまい。
沃 による和歌の表象美の確認であると同時に、作り上げ
段における和歌的なものは異質であり、それは、例えばが古今
肯定し、その風情主義にどっぷりと浸っていたのに較べ、この
のように見てくると、三二段までの兼好が和歌的情趣美 を感覚
らによる構成的自然情景表象歌 のそれと共通するであろ ワO
容 に多少の相違はあるにせよ、その意図と万法とは、新 吉ム﹁
の
の素材を配置構成したと見られよう。こう見てくると、その審
の情調美を一段として視覚的に表象すべく、人 ・時 ・刻 場所
それの本意的情調美を優 ・艶 ・寂などとするならば、そ のよう
とは院政期以来の和歌伝統の中で確かめられてきたこと
三段に関していえば、春の自然美を春曙 ・春タ ・暮春などに見
あり。四四の話題は仏事であっても、主題は季であろ,
っ。即ち
に従う。
三・四四と一
0
四・一
0
一一一
五の各 段 が右記のように共通した意識
すべきであるが、より深い視点について記したことで、すべて
お、前章で行ったような、先縦を指摘された表現につい て個個
段 では﹁北の屋陰 ﹂に﹁さし寄せたる車の睦﹂に置いた霜 という微
細な一点から始まった視線は、前景の日害・巨大な屋形の陰の中を
に
智
一定方向︵あるいは酉か︶に移動し、四方から斜に照らす月光とも
のの隈との交錯のあわいに詰らう男女の色彩点景を加えて定着す
る。
以上のように共通した表現方法を四章段に見てくると、執筆意図
も又共通であるべく、 一0四・一 0五の話題は恋であっても主題は
四
たもの
段の間の検討す べき五四・五セ ・五九・六二・六六・六セ ・セ一
を 以て書かれ、 二 二段までと対立するのであれば、四四段と一0四
御時百首和歌の研究﹂の本文篇によれ は、本文に異同があり、﹁あ
ように堀河百首・無常・師頓敵が最も早い。しかし、﹁校本堀 同院
意を越えて、出家・遁世のそれと限定して用いるのは・ 諸注がいう
一一一一
八八の八章段も また、右記四章段と共通の意識で重日かれているべき
りなし﹂ 一
・あるなし﹂の万にむしろ
信 偲桂 があって典拠とするに陣
る。一万、管見の範囲では兼好辺までの散文に限定された意味の用
≦。
であろ ,
六六・六 セ段 は歌学的知識︵橘氏は ﹁広義の学問資料提供﹂に
分
的に対応する 章 段 である。五セ段は和歌の価値の肯定を前提とし
があり、﹁さだめがたくおもひ乱るⅠ ことのお 卜きを﹂の前書の家
高正 歌 ・統 千載・雑巾・一八三一八読
・八不知歌など、確かにその例
例は見えぬが、和歌の方では国歌大観によるかぎり、﹁出家の後よ
て 、和歌評価へ の自信を窺わせるが、それも知るべき道の 一として
集四セ番歌 にも用いているところから 少なくとも中世の和歌伝統
類 ︶、六二, 八八は歌学雑話としての知識︵橘氏は六二を﹁奇聞
冷静に客体化された﹁和歌﹂であり、以上の章段は三二段までの風
の中で認められた用法といえそうである。徒然草中の他の三例は名
み侍りけ る ︵承前︶﹂の詞書の続古今 拙下・一八四五・ 明教法師
債主義からは 確実に訣別しており、それにつれて行文は﹁けり﹂中
詞一 ︵一八九段︶・動詞︵
セ ・一八八段︶であるが、いずれも遁世
逸話﹂八八を﹁滑稽の興味﹂と分類︶、五四も聞きかじりの知識
﹁あいなし︵五四︶﹂呆意 なし︵五セ︶﹂﹁か
の限定はない。五九段は行文の上から、限定を予測した語義であろ
歌、﹁題しらず︵承前︶﹂詞書の新後撰 ・雑下 ・一四五一・按察 匝
たはらいたし・ ききにくし︵五七︶﹂五古しからずヱ八六︶﹂など
ぅから、そうすると、特殊に限定された歌語の用法を散文に持ち込
︵橘氏は ﹁畑 生訓﹂に分類︶と、大半が和歌的な話題に関して知識
の、客観的判断 を期待する語が、しかも否定的な語が用いられてく
んだこととなる。
心の文脈となり
る。このような 傾向からすれば、通風草和漢朗詠集の話題の八八段
五九段の典拠 指摘は語法・句法の参考例を除けば、﹁あらまし﹂
ほのす ちき﹂の語義・用法は秘事として語らぬから、歌人の心構え
無名抄の登蓮法師の話をやはりいうべきであろう。無名抄は﹁ます
﹁命は人を待つものかは﹂について
は、﹁諸法集成﹂の指摘する
と﹁命は人を待 つものかは﹂の二箇所である。﹁あらまし﹂につい
な いう知識としての歌話であろうが、 ﹁命は我も人も雨のはれまな
は、滑稽を越え て、相伝主義の否定が主題であるかもしれない。
て、名詞﹁あらまし﹂の例は和歌・散文共に多いが、期待・予測の
第一0セ段には先瑚の指摘はなく、確かに典拠は示しが:
ナロノ
・ハ
・
第一小段落の話題は﹁初郭公﹂歌題理解に相当し、﹁これは難なし﹂
﹁人の命は雨のはれ間を
もまつものかは︵徒然一八八段︶﹂に較べて、 当段 ﹁命は人を待つ
という評語が歌合判に通じるところからも、歌合的感覚を生活人事
どまつ物かは︵無名抄・歌学大系本︶﹂
ものかは﹂の表現はぎりぎりの論理のみに・凝縮きれて主題に直結
に持ち込み、それを散文に記述したものと考えられる。従って﹁ゅ石
﹁しれたる
女
したたかな確信がそこに見られよう。和歌的なもので はないが、
用は実用として容認しても、幽玄の道は絶対的に金であるという、
たれども欽の益多きに及かざるがどとし﹂と同じ認識であろう。実
世にはこれをもちて世を治る車輌おろかなるに似たり。会 はすぐれ
に糸竹に妙なるは、幽玄の道、君臣これを重くすといへども、今の
肯定に繋がると考えられる。それは続いて一二二段に ﹁詩歌に巧み
ものも又、﹁しれ﹂て用いられるそれの否定が逆に和歌的なものの
逆に、次元の異なる﹁色﹂の容認への志向であろうから、和歌的な
り﹂の一文は、 ﹁な﹂の徹底否定を媒介とする主体の確丈 によって
れ ︵Ⅱ
女 ・恋情︶に随ふ時、やきしくもおもしろくも覚 ゆ べき事な
却 きれたどとくに見える。しかし、段末の ﹁たビ迷ひを 主としてか
そして、完膚なきまでに否定される﹁女﹂と共に和歌的 なものも追
0セ段の主題であり、第一小段は主題のための導入部に相当する。
応対をするかにあったのであろうが、そのような﹁女﹂ の否定が一
房﹂たちの期待は、歌題の本意を身に付け、臨機にいかに情趣ある
倉 にて聞 て候 ひしやらん﹂の見守の応答を可とする
ぅ和歌的人間をも無視し
し、いっさいの情趣的なものを、登蓮とい・
的なものを拒否した厳し
た上に出てきた舌辞
口であり、風情的・和歌い論理のみの用法である。
セ 一段を稿者は心理学的な章段としてではなく、本歌取りの方法
の散文的記述と見るのであるが、紙数がたりず、諸法、先雌 をい う
こともないので省略する。
以上を通じて、和歌的なものに拘 わるかぎり、四三段から 一0 五
段 に一つの共通認識、即ち、Ⅲ和歌的なものに対する認識 が三二段
までとは異質、㈲和歌・和歌的なものの肯定は共通、㈹但し、和歌
約定形の散文化とい, 姦の 既成の和歌的形式の否定ま たは無視、㈹
0 四・一 0 五段がそれだけ 隔 たって排列
和歌的な知識は客観的な知識として肯定、が認められよう。
なお、四三・四四段と一
された理由、即ち、章段排列のあり方は当論の直接の論点ではない
け)
から・これ以上触れぬが、一つの憶測を﹁補説﹂欄に記したので 参
看されたい。
四
りカ
仔円
みに、みかきが原の露骨山ん在明の空も、我見 ざまにしの
﹁な﹂を否定し、﹁結婚﹂を否定したのちに﹁梅の花か うばしき 夜
0%
かじ﹂という
二四
九月十三夜は婁宿の故に清明とする断案で、暦 ・宿曜に関する知識
に留まり、和歌的なものとは何ら直接しない。もちろん先縦の指摘
もない。しかし、なぜ兼好がこの短章を書かねばならなかったかを
思う時、自然美の典型としての花・月に対する揺ぎない確信が、そ
ぱ るべくもなからん人は、たゾ色 このまざらんにはし
﹁色 ﹂の肯定の論理と全く同じであり、その主題のため の否定的前
の美が関係的に認識きれ、風情主義を脱するからである。このよう
の木然 のあり方において把握されていると考えざるをえない。その
以上のように見てくると、徒然草 における兼好の和歌 的なものへ
な花月の美に和歌的なものを見ることは許 きれようから、徒然草に
提部 に恋に関する歌語・歌枕の類の直接引用が繰り返 きれるのも 一
の認識は、四三 |一 0 五段とは質的に違った境に飛翔し たと考え ろ
おける和歌的なものの認識の変移は、徒然草の水質に拘るものと思
本然性に対応して﹁万の事も始め終りこそをかしけれ二三 セ段︶﹂
ね、そこでは和歌・和歌的なものがその本然壮 において 確信されて
われる。この、本然としての和歌的なものへの確信が前提されて初
0 セ段 と同 越 である。
段の半数
めて、評価も詠嘆も交 じえない記述、例えば小町伝 ︵一七三段︶
帝
が助動詞﹁べし﹂﹁なり﹂の文脈行文であり、他も多く
喚子鳥︵ 三 一0段︶ に典型的な、右記故実・歌学的章段の当部分へ
いると見られよ う。 一0 セ段 以降の当面対象とする二一
で記されるのも以上のことと無縁ではあるまい。
の集中が可能となる。そう いえば、前章に記した六二・六六・六セ
各 段の故実・知識が共感を以て記されていたのは、やがて当所に至
るべき先駆であったろう。
八一・一八八・一九八・二0 二・二 一0. 二二一・二三八の一二年
ありのままに記きれたものであろうし、一三九段のコ %.草 づく
﹁恋﹂の・一九一段は ﹁夜 ﹂の・三一二段は﹁秋月﹂の本然の美が
兼好の当部における視点を以上のように見るならば、一九0段は
段の多くに歌学的知識・歌話的故実が記きれるが、それらよりも留
し﹂もこれに準じてよいであろ,。
っ
算出の基準は冬至・時正より立春を可とする、後者は八月十五夜
意すべきは一六一・二三九市段と思われる。前者は花の盛りの時期
の論拠・補足例 ・讐楡として一三八・一五五・一六九・一セ 三・一
一0七段以後にあるいは話麒として、あるいは主題・話題のため
(ロ )
という 瞳味な規定に終始せざる
頃。久保田淳氏
﹁徒然草 研究入門︵解釈と鑑賞,
の﹁和書﹂ 頃。福田秀一氏
昭巧 3︶ ﹂の﹁出典と源泉﹂
昭蝸 ︶﹂ ﹁徒然草必携︵別冊
﹁徒然草講座第四巻﹂の﹁源泉﹂の﹁和歌﹂︵久保田氏︶・﹁ 物
語 ﹂︵桑原博史氏︶
﹁西行・長明・兼好︵明治書院・
国文学№ 托 ︶﹂の関連 項。久保田氏
﹁徒然草全注釈﹂の注釈中の指摘。宏度岡東作氏
一0 セ 段収
後の本然的確信という転換が認められはしないかということであっ
それらは一覧表として呈示し、個個の検討が示されねばならぬ
和歌的なものに限っても、例えば冷泉・京極浦との交渉の意味な
行 ・長明・兼好﹂所収﹁討と散文の間﹂﹁中世和歌における伝
を排列させつつ、徒然草の哀傷部かときれた︵注①記問氏 ﹁西
②第二八|三 0段の推移について久保田氏は新古ム
﹁美哀
一傷部の歌
が、紙幅の都ムロ
ですべて省略し、結果のみを用いた。
ど考究きるべきことは多く、和歌的と井立すべき漢詩文的・法語的
統と創造﹂︶。稿者が各段 に歌集部類名を宛てたのも同上論に
各段 における和歌的なもののあり万は以後の
﹁徒然草哀傷部﹂説は稿者にとって非常に
説話的などの要因の調査がなされねばならず、軽軽に三段階成立
﹁諸説一覧徒然 草 ﹂の﹁出典
中の参考指摘。田辺歯 氏
源泉・元雄﹂の﹁和歌・和文﹂
﹁徒然草諸注 集成﹂ 一三段補説 の﹁和歌・物語﹂ 項 および注釈
こととする。
二五
﹁哀傷部﹂をい う べき 他部との関係も不定のまま、今は採らぬ
。
カナ
@@
Ⅰ
然 草草 段排列の連続性をいうことで一応処理でき、かたノ
魅力的であるが、
るまいかというまでである。︵昭 ㏄ ・9. 皿 ︶
あ
本論に述べる範囲内であり、主題を同じくする章段の連続は徒
で
口注口
唆
①先学による指摘章段の抄出は以下のものに拠った。
小
を 主張するものではない。行論のめ㎜ 旨 に限って、以上のようではあ
あった。
た。そして、そのまま徒然草 全篇の 論理に通じようかとするもので
段 辺から 一0 五段 辺 までの形態 転脱 などの否定的媒介・
階の質の柏 違、即ち、第一段から 三 二段 辺までの主情的没入・四三
おいて一貫して肯定されているものの、その認識に少なくとも三段
をえなかったが、和歌またそれを核 とした和歌的なものは徒然草 に
行論の主旨から﹁和歌的なもの﹂
五
/
0
三
︵または四︶段階成立とを
一一
-トノ
暗黙の中に予測して
章段排列の関係を群移動と整理された桑原氏の卓説 ︵大修館﹁常緑 水徒
訪日本論では直接に記さなかったが、 稿 者が徒然 草 の逐段 執筆と結果としての
9 ︶
⑧
口上
2
ぬ綴鍋 ㏄ 蛇甜姐萄和総
⋮・・・相当する
Ⅱ㎝
段
十 Ⅱ
鵠|
一
一一1
一
Ⅲ
ヘ リ乙
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|
和独︶
53
肪 ⋮Ⅲ
一一
ニ5
l@
Ⅱ㏄
ポ蝸へ
⑥
は きらに以下のように単純化される。
Ⅰ 90123
位置は直接の関心から外れる。そうすると桑原氏の 群
イ㌍
㏄
・:
お士Ⅹ︵緩衝章段
3456274548967g0
433343445334444445555
4
︵︶内は常緑 水順 烏丸本章段
分類⑧
一
烏
ェ
1
ぱ吊
一
烏
ぜ吊
3
り
い
チ0
6-
⑮⑪⑪①
ト跨 ㈹
一一一
Ⅳ 駆
リ㏄
確証はないのだから、後人編纂説を含みつつも、二分冊 以前の状況を推測するのも無意味ではあるまい。この時 、﹁花は盛りに﹂
桑原氏説は、徒然草の二分冊・﹁花は盛りに﹂を下巻冒頭とする前提を官 む。ところで、徒然 草 が初 次 段階か ら 上下二分冊であっ
草﹂所収﹁参考﹂︶に 籠 って、和解を述べてみたい。
るのは確かである。その点に関して、烏丸木と常緑水と
然い補口
のた
桑
原
私
市 、
氏の分類は、常緑本を根幹に右掲書 に記されたものを、私に、烏丸本基準に並べ替えたもので、⑧⑧⑥⑪の順に辿れば右掲書の
れ目︶が必然きれる。 ロはついては本論三章㈲で述べたことが規矩となる。四三・四四と一0四・一0五の四章段が共通目的で
た。そして総体としての ニホヘトとヂとは南木間でそのまま入れ替わるだけである。従って島本川とⅢ・川と獅の間に継ぎ目
順序で排列されることになる。尤も一三セ ︵宮本一一
セ︶段の位置によって章段数に一の増減が生じるが、これは先きに関心外
いう単一段が前出しただけで、ロの複雑な移動と趣きを異にする。その二章段の移動を例外として含めばニホヘトは共通章段が
﹁、ニへを見るに二はⅢ・ へは
分 では共通頓 に排列される章段。 ロ二へはそれぞれの内部で排列順序に移動のある章段である。ム
それを私解 一に整理した。ィハリは章段番号・順序が両本共に一致する固定章段。ホトチは一連章段番号は違ぅが共通章段がそ
を重要視されたから⑧⑪⑧が分立するが、右記の全巻 一冊の観点に立てば⑥と⑪また⑪と⑦は連続し、⑬は⑪の中に収納され
なる。尤も、⑥のⅢとⅢの間には、もう一回Ⅲ| Ⅲの間に屈折がある︵私解一参照︶。氏は上巻末︵一五五︶ 下巻巻頭︵一 二
るれ群書(
。
にか
と共 Ⅲの るセ順桑
し通と部。
)に 原
。残余五章段は不定となる。そうすると、ハのⅢから訪は間違いなく烏木四三まで延長できる。それを整理したのが私解 二であ
早投下部︶が得ら
共通して四三・四四段以前にあるもの、以後にあるものを検すると、共に前出四章段︵。印︶・共に後出一0土
れてあれば、その間は質的に同一群であるべきである。そ 乙で、烏丸本順と常緑水頓 に並べ替えた烏丸本の章段排列を較べて両
切
とも無縁となる。これが、また、この中のどれかが、上不二巻編成前の徒然草草段編成の大綱ではないかと憶 測するのである。
ロの四三段より前出の九章段を、当面定めがたいままに残すと四群に大別できることとなる。そして﹁花は盛りに﹂の段はどの
る
一九
0.
ⅡⅣに分u
かれ
に、
は一段も属きない。加えて1所属とⅡⅣ所
章段における主題への認識は、和歌的なものの場ムロ共
と通するとみられる。かたがた付加する所以である。
セ
二三九︵二四0の誤りか︶の 一0章段を当表 に照らすと、1.
説﹂に分類された八・九・三一・三二・三六・三セ ・ 一0セ
。最後に、橘氏が ﹁女性・結婚・色欲についての
生麦Ⅱ・Ⅳ間の質的相違は確認できなかった。緩衝章段の扱いと共に、今後、他の諸要因の検討の間に解決が得られれば幸いで
広していなければ徒然草の真実の追究には役立たない。本論の﹁和歌的なもの﹂に関して、大体その対応は見られたように思う
ぅまでもないことであるが、これはただ伝本による出入を形式的に整理しただけであり、具体的にはそれらの群が記述内容の質
飾
二三八