随想 黄葉の中欧三カ国に旅して 佐藤正之 六年振りの海外旅行 昨 年 秋 、「 黄 葉 の プ ラ ハ ・ ブ ダ ペ ス ト ・ ウ ィ ー ン の 旅 」 と い う ツ ア ー に 参 加 し た 。 六 年 振 り の 海 外 旅 行 で あ っ た ( 注 、『 し ょ う け ん く ら ぶ』第五十八号、拙稿「夫婦で初めて、ポルトガルに旅して」以来 の こ と )。 今回も、ほとんどの趣味が一致しない夫婦が、どうにか一致する のが海外旅行というわけで、婦唱夫随の形にて、ようやく実行につ ながった。 〝 中 欧 と は 、ど こ と ど こ だ ? 〟 と 、現 代 用 語 辞 典 を 引 い て み る と 、 「中欧自由貿易協定」なる項目が載っている。 そして、それはポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリー、 スロベニア、ルーマニアの六カ国間の協定とある。 オーストリアは中欧には入らないのか、気にならないといえば嘘 になる。地理的にもチェコとハンガリーに隣接している。 ともあれ、実際上の旅は、ロンドン空港経由でハンガリーのブダ ペストへ。それからは、バスにてオーストリアのウィーンからチェ コのプラハに行き、再びロンドン経由で成田に帰るというスケジュ ールであった。 素晴らしい景観とか、歴史的事跡とかには、おおむね不感症にな っているひねくれ者にも、処処方方で、素直にその価値ありとする 1 物事があったことは確かだ。 例えば、あのハプスブルグ家が(ベルサイユ宮に対抗して)夏の 宮殿としてウィーン郊外に建立したシェーンブルグ宮は、壮大にし て荘厳、優雅にして華美であった。 プラハ城などの夜景も奇麗であり、市内のレストランも高級で、 すこぶる美味であった。 話は前後するが、ベートーベンが「田園」の楽想を練ったとされ るせせらぎに沿った散歩道のたたずまいなど、本当に心が洗われ気 持ちが落ち着き、自然の楽章に音痴も浸れる感じがした。 もっとも、アイゼンシュタットというしょう洒な街にあるハイド ンゆかりのエステルハージ宮殿では〝コンサートでお楽しみ下さい 〟とされたものの、暑くて、眠くて、退屈至極、一行の大半が中座 を余儀なくされてしまった。 プラハ入りしたのが、あの九月十一日。ホテルに着いた直後、C NNのニュースでNYの国際貿易センタービルのテロ事件を知ると ころとなった。 帰途、ヒースロー空港は、いうまでもなく厳戒体制。わが化粧品 セットの中の小さな(先の丸い)鼻毛切りをも、〝鋭利な鋏である 〟として、文句なしに没収されたのである。 いま、当然、海外旅行は急減が報じられている。昔の台詞ではな いが「デスカバー・ジャパン」とばかりに、国内の古都めぐりとか 温泉旅行が盛況ともいわれる。 しかし、何事にあれ、逆張りこそわれ等が極意。いまこそ、この 国際的風潮に抗して、まだ行ったことがない国々の中から、より魅 2 力あるところを選び出し、今度こそ夫唱婦随で訪れることにしよう か。 わがあだ名の想い出 〝 諸 葛 亮 、 字 を 孔 明 と い う 〟 ――三 顧 の 礼 を 受 け て 劉 備 に 仕 え 、 超人的兵法の大家として一世を風靡した英雄である。 その字(あざな)だが、これから転じてわが国ではあだ名といわ れている。 綽名、渾名、徒名、仇名……要するに、本名のほかに他人がつけ る呼び名であり、英語ではニックネームである。ペンネームとは一 寸ばかり意味が異なる。第一、自分で自分につけるものだ。 そ し て 、あ だ 名 は 個 人 の 容 貌 、性 質 、言 動 な ど の 特 徴 を と ら え て 、 親愛の情などから自然発生的につけられるものが多い。 巧みな例えを持って聞く人の笑いを誘い、和やかな人間関係を維 持する潤滑油のような働きをするものがあだ名といってもよい。 と こ ろ で 、 小 学 校 五 年 生 の 頃 、 自 分 に 新 し い あ だ 名 が つ い た 。「 ガ ンジー」というのである。 子供心に憮然とした。なんとなく不愉快だった。ただ、なぜ、そ うつけられたかは、はっきりと理解していた。 当時、しらくもと呼ばれていた白癬菌による皮膚病が頭にでき、 そ の 治 療 薬 を 塗 り 、包 帯 で タ ー バ ン 状 に 巻 い て 、ク ラ ス の 世 話 係( 注 、 戦時中であり、当時、級長、副級長のことをこう呼んでいた)をし ていたことに由来する。 ・ ・ また、自分でいうのもおかしいが、〝眼はパッチリとで色黒で… 3 …〟と童謡もじりで唄いはやされるというガンジーとの共通点もあ ったに違いない。 ともあれ、マホトマ・ガンジーが、インドの民族主義を標榜する 政治家で、非暴力対抗方式をもって独立運動を指導していたことな ど、漠然としか知らなかった。 し か し 、母 は 微 笑 み な が ら 言 っ て く れ た 。〝 い い あ だ 名 だ よ 〟 と 。 わが名は、戸籍上、正之と書いて、セイシと音で読む。祖父が礼 記の楽記扁の一節「似仁愛之、似義正之」から採り、命名してくれ た。 まことに勿体ないことだが、敬宮愛子内親王の出典は孟子だとさ れている。儒教上同義というか、共通点は確かにある。 さて、そこで、大学当時のわがあだ名は、独語でザーメンであっ た。英語でいわれることは少なかった。別に喜びはしなかったが、 嫌でもなかった。なんといっても、男性の根源ではないか。 就 職 し て か ら は 、苗 字 が も っ と も ポ ピ ュ ラ ー な も の で あ る か ら 、直 ぐ覚えてもらっても、直ぐ忘れられてしまう。 そのため、名刺には、名前に仮名を振ってもらうことにした。現 在も(非常勤ながら籍を置く)NTTアドバンステクノロジ株式会 社の名刺には、そのようにしてもらっている。 あだ名の想い出など、くだらないといえば、まさにそのとおり。 年末に亡くなられた加藤シズエさんからは、それこそ〝人気に ・ ・ ・ たかること(と同じよ)〟とお叱りを受けるかも知れない。 で も 、自 分 で 〝 こ う 呼 ば れ た い 〟 な ど と 望 ん だ り す る の で は な く 、 自然につく場合には、あえて拒むほどのことでもあるまい。 4 (個人会員) 5
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