1 コラム:医療と法 「夏の終わり――終末期医療について」

1 コラム:医療と法
「夏の終わり――終末期医療について」
丸山 英二
神戸大学大学院法学研究科教授
私事にわたるが、今年の 8 月 30 日、母を 95 歳で看取った。以下では、看取りまでの 3 か月あまりの状
況と、その間、終末期医療について考えたことを記してみたい。
母は 2001 年秋に路上で転倒して入院、その後老健施設でリハビリを受けたが、3 か月をめどに退所とい
うことで、2002 年 2 月に介護付老人ホームへ移った。ここは、基本的に介護認定を受けた人が入居の対象
となるが、母の場合、当初は要支援 1~2 で、食事等の世話は受けるが、日常生活はかなり自立しており、
外出も、受付で GPS 端末を借り、一人で手押し車を押して散歩や買物に行っていた。単独の外出は今年 3
月まで続いていたが、その少し前からベッドに横になることが多くなり、3 月終わりには部屋のトイレに
行くのにも、そしてほどなく、ベッド横のポータブルトイレに座るのにも難渋するようになった。
5 月 13 日に心筋梗塞で入院(バルーンで冠動脈開通、ステント留置後、6 月 9 日退院)、6 月 19 日に下血
で入院(自然に止血し、同 30 日退院)、7 月 8 日に誤嚥性肺炎で入院、と入退院を繰り返した。6 月頃から
食欲が衰え、看護師・介護福祉士や家族が与える食事ものどを通らなくなった。事あるごとに、医師・看
護師から、母の付添者としての私に対して、終末期医療をどこまで行うかということが問われた。本人が
高齢であり、いつまでも生きられるというものでもないことから、私は、本人に大きな負担にならないこ
とを第一に、なるべく生命維持を図ってほしいということをお願いした。心肺停止時における心臓マッサ
ージなどはしないよう求め、人工呼吸器は使用しないことで合意した。水分栄養補給については、①末梢
静脈からの輸液を漸減して看取りに向かうか、②中心静脈栄養のポートを作成するか、③経腸栄養のため
の胃瘻を作成するか、の選択肢を説明された。
①を選択しないとした場合、入院して少し状態が良くなると母はホームへ戻ることを強く求めたこと、
ホームでの管理のしやすさなどの点で、③が第一選択となった。胃瘻については、90 歳代での造設はあま
りないというのが、医師とホームの看護師の説明で、また、胃瘻造設は手術的操作となるので、本人に意
識がある限り、その同意なしに行うことは倫理的に問題があるというのが病院側の態度であった。
うとうとしていることが多い母の状態に照らすと、一次的な判断は私が下して、その方針に対する可否
の判断を母に求める以外にすべはないように思えた。私が一次的判断を下す際には、母の自己決定の尊重
ということが念頭にあったが、終末期医療について本人から希望を聴いたことはなく(というか、その話題
は避けてきた)、いわゆる最善の利益基準によらざるを得なかった。具体的内容としては、苦痛と負担の最
小化ということを考えた。
胃瘻造設については、それによって延長できる生命の状態として、意識がある程度確保されることがあ
ってほしいと思った。そのような状態が得られるかどうか、判断を下しかねていたが、胃瘻について母に
話を持ち出すたびに、母は話をそらしたり、あるいは私に帰宅をすすめたりすることが続いた。ホームの
フロア長の看護師さんに相談したところ、母は都合が悪くなると話をそらすことが多いといわれた。これ
を聞いて、私は母にはまだ思考能力が残っていると感じた。思考能力が維持できるのであれば、母の言動
から、退院してホームでの生活をもう少し続けることを希望していると思われたため、造設の負担を考慮
しても胃瘻の選択が望ましいように(確信は持てなかったが)思われ、その造設を依頼することにした。そ
のあと、病院の方針に従って、胃瘻造設について本人の同意を得ることが必要となったが、ホームと病院
の看護師、ホーム併設クリニックと病院の医師の協力によって、母から「そんなものを付けないといけな
いというのは情けないね~」という渋々同意を得ることができ、7 月 27 日の胃瘻造設に至った。
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造設後、8 月 15 日にいったん退院したが、同 26 日に脱水によるショック・意識障害で緊急入院。治療
は、輸液、強心剤、蜂窩織炎に対する抗菌薬の投与であったが、ほどなく反応しなくなり、敗血症を起こ
し 30 日に永眠した。その間、私は、母に対する負担の回避を望みながら、ときに、ただひたすら生命の物
理的延長を求めている自分に気づいた。また、臨終時には、母が人生のゴールに至ったと理性的に受け止
めつつも、後に幾度となく、
「あの時ああしておれば、もう少し生き続けられたかも」と思ってしまう自分
を感じた。
ふり返ると、胃瘻造設以降は、がんばりを母に求めすぎたのかもしれない。その判断の是非については、
医療経済のことも併せて、今後も考えていきたい。家族の終末期における治療方針決定について、ガイド
ラインなどに謳われた自己決定と最善の利益は有益なものさしになるが、辛い状況における難しい判断で
あるため、割り切れないところを残す重いものとならざるを得ない。それを改めて感じた夏の終わりであ
った。
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