Title 今日における政治と宗教 Author(s) - KANAGAWA University

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Title
Author(s)
Citation
今日における政治と宗教
中島, 三千男; NAKAJIMA, Michio
歴史評論, 358: 33-58
Date
1980-02-01
Type
Journal Article
Rights
publisher
KANAGAWA University Repository
今 日 に お け る政 治 と宗 教
はじめに
中
島
三千 男
また'私 たち にと って注 目 に価 いす る のは'右 に列挙 した事実もさ
ることながら'有事立法やそ の精神的支柱 と も い う べき 「元号法制
化」 の急 ピ ッチの進展 であ る。思 い起 こし てみれば紀 元節 (
建国記念
これま で、紀 元節 (
建 国記念 の日)や明治 百年祭'あ る いは靖国問
っと限 っても数年 の国会内外 の攻防 の末 に制定 されたも のであ り'ま
の日) の制定 は'実 現 され はしたけれども' 1
0数年 の'あ る いはも
題 は天皇が高齢 であ り' い つ新 天皇 の即位と いう事態が生じ るかわ か
らな いt と いう推 進側 の切迫感 の問題もあ る であ ろう。
同じ尺度 で考え ること はできな いかも しれな い。 又 「元号法制化」問
国民 の間 で' 「慣習」的 に使用され て いた等 の理由 により'それら と
たしかに、元号問題 は紀 元節や靖国問題と違 って'戦後 においても
の歴史 で元号が法制化 され よう として いる のであ る。
ことであ り、今 からわず か 二、 三年前 のことであ る。 わず か 二' 三年
なりはじ めた のは、七 六年 の末'あ る いはもう少 し下げ ても 七五年 の
これ に反 して'元号問題が広く ジ ャーナリズ ムや国民 の間 に問題 に
いて いな い。
ても'まもなく 一
〇年 の歴史 を持 つも のであ り' しかも未だ決着 は つ
た靖国神社国家管理問題も 六九年 に同法案が上程され た時点 から考え
題 を通じ て、国家 による天皇主義的'国家主義的 イデ オ ロギ ー の押 し
つけ に反対する運動 を行 ってき た私 たち にと って' この 一' 二年戸惑
いますぐ に思 い起こせるも のだけを列挙 してみても次 のようなも の
うば かり の反動化'右 傾化が進行 して いる。
があ る。 七六年 二 月 の政府主催 「天皇在位 五〇年 記 念 式 典」 の挙
行、七七年 一月福 田首相初 の伊勢神宮 「公式」参拝'同 二月同首 相 の
国会 におけ る教育勅語礼讃発 言 (これ は以降'何度も行わ れ る)、 四
月同首相靖国神社春季例大祭参拝' 六月小 ・中学校学習指導要領 (
莱)
で 「君が代」 を 「国歌」 と改 める' 八月天皇 の 「人間宣言」骨抜き発
言'七八年 二月民間 の「
建 国記念 の日」奉祝行事 を総 理府が後援' 五月
福 田首相橿原神官 に参拝 し 「内閣総 理大臣」 と官職名 の肩書 を記帳'
さら に八月 一五日靖国神社 に参拝、同じ- 「内閣総 理大臣」 と記帳、
そして今 日 の 「有事 立転」、「元号法制化」 の策動 であ る。
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は、紀 元節問題をたたか った六〇年代前半'あ る いは靖国問題をたた
からだけ であ ろう か。私 はこの問題 の急 ピ ッチの展開 の背 景 に は 実
照 された い。
氏 の 「軍国主義 の可能性と天皇制」 (
﹃
国民文化﹄ 二 一九号)等 を参
るも のであ る。尚'自衛隊を中 心とす るも のの動き について は'同
(
﹃
赤旗﹄ 七 八年 二月 = 日)。本稿も ほぼ これ と共通 した問題 意 識
にも とづ いて'そ の 一つであ る宗教団体 の具体的分析 を行 おうとす
しかし果 して' 「元号法制化」 の急 ピ ッチの展開 はそ のような理由
か った六〇年代後半 から七〇年代前半 にかけ てと は違 った、新 し い事
られ る経済的政治的危機 の進行 とそれ に対す る巻き返 し'さら には中
日的特徴 をあきら かにす るために'戦後選挙史 におけ る教団 の果 して
まず'今 日 におけ る政治反動 と教団 と のかかわり に ついて、そ の今
一 戦後選 挙史 と宗教教 団
態 の展開があ るよう に思う。
この新 し い事態 の背景 として' 一般的 にはベトナ ム解放戦争 の勝利
にょる反動側 の危機感及びそれ以降 のアメリカの極東戦略 =米 日韓 1
国 の安保体制容認 '
日本 の軍国主義化 の支持 、
中間政党 とりわけ公明党
区 にお いて教団がど のよう にかかわ ってき た のかは、そ の 1端 を非常
き た役割 に ついて明 らか にしてお こう。 そ の場合参議院通常選挙全国
体化 の進行 '
またド ル危機 、
石油 シ ョックや自民党単独支配 の危機 にち
の右傾化 、
また国民意識 の微妙な変化等 々を指摘す る ことが でき よう。
によく示 してくれ る ので'それを中 心 にみて いき た い。
しかしながら本稿 ではこの新 し い事態、今 日 におけ る急ピ ッチの右
傾化'反動化 の背景 として'とりわけそ のイデ オ ロギ ー面 の背景 とし
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表1V は戦後 の参議院選挙全国区 に教団が支持す る議 員が何 人当
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選した のかを各選挙、教団毎 に表示したも のであ る。 この表 にもとづ
て'右 に述 べた 一般的背景 と密接な関連 を持 つも のであ るが、実 は宗
教教団 の果たして いる役割が大 であ ること、さら にそ の役割 の果 たし
る。第 一期 は四七年 の第 一回通常 選挙 (
以下回数 だけ で示す) から五
き'選挙 と教団 と のかかわり に ついて時期区分 すると以下 の如- にな
三年 の第 三回選挙 ま でO第 二期 は五六年 の第 四回 から 六八年 の第 八回
方が今 日におけ る反動化 のい- つか の特質 を極 めて象徴的 に示して い
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註︺.
佐 々木 隆爾氏 は今 日 の右翼 的'反動的勢力 の行動 の特徴 を
選挙 ま で。第 三期 は七 一年 の第九回選挙'
から七七年 の第 二 回選挙 を
)
ること、 この二点 に ついて明らかにしょうとす るも のであ る。
「
大同団結と国民を組織 す る動き」と と ら え、 そ の中核 は防衛協
経 て今 日に至 る時期 であ るO
教団 と天理教 であ る。天理教 は幕末期 に生まれた民衆的な新景教 であ
34
第 一期 にお いて当選者を出 して いる のは'真宗 の東'西本願寺 の二 、
以 上'簡単 にそれぞれ の時期 について の特徴 を指摘 しておこう。
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会'
隊友会、
郷友連合会'借行会遺族連合会等 の 「
自衛隊 を中心 に軍
国主義 の強化 をめざ してき た諸団体」 と'生長 の家'神社本庁、勝
共連合等 の 「
宗教団体 であ りながら右翼的な政治活動を展開 してき
たも の」 と の 「二 つのグ ループ からな って いる」 と指摘 し て い る
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次 にそ の議員 の所属 をみると東 (
大谷派)を除けは無所属 'あ るい
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は緑風会所属議 員 であ る. つまり こ の期 の第 二の特徴 は既成教団が国
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り'東'西本願寺教団等 の既成宗教 とは厳密 には区別 されなく てほな
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会 に議 員を送り込 む目的が、参議院創設 の本来 の目的 であ るとされ た
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らな いが、天 理教 はす でに戦前 の段階 でそ の教線 の発展 を 遂 げ て お
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り'そ の意味 では以下 の論述 の関係 から 一応既成宗教 という範噂 に入
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良識 の府 、学識'経験者 の府」 と い ったも のに沿 ったも のであ ると
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れ て いる如く、既成教団 の現状維持な いし後 退と い- のがまず第 一の
を摸 した天理教が第 五回選挙以降 は全-出 し得 ていな いこと にあ らわ
も ひき つづき議員を出 して いるが'前期 において 一時期 四名も の議員
第 二期 は'前期 に議員 を送り こんだ東 ・西本願寺 はこ の期 にお いて
来 の新宗教教団 の進出が 一層進行 した ことであ る。
教団が'第 九回 (
七 一年) の選挙 で西本願寺教団 の推 した川野三暁氏
(
3)
を落選 さ せる こと により、完全 に凋落 した ことであ る。そ して前期以
第 三期 はまず、前期以来現状維持な いし後退現象を強 めて いた既成
の如く'対創価学会 と い った宗教的要因 を主とするも の で は なく'
第 二の特徴 は、それら新宗教教団 の政治的進出 の エネ ルギ ーが前期
これ に替 って' こ の期 を特徴づ け る のは何 とい っても'戦前 の日本
特徴 であ る。
の阻止と い った政治的 ・党派的要因
帝国主義 の確立期 から フ ァシズ ムの成立期 に、また戦後 期 に成立、発
展 し神社神道'仏教等 の既成宗教 に対比 して新宗教教団 と呼ば れ るも
〝
与野党接近 ″ ' 〝
与野党逆転
″
「参議院選挙 はわれら の大勝 となりま した。 -玉置和郎候補 の得票数
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は、宮 本共産党委員長 の約 二倍 だ った」'「各宗教団体が与野党逆転 に
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・・
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完全 な歯 止め役 を はたした」 にみられ る如く'反共 ・反革新あ る いは
を主 とす るも
のの台頭 であ る。そ してこ の引き 金 にな った のはもちろん新宗教 の 一
つであ る創価学会 の政治進出 であ り' 五六年 の第 四回選挙 にお いて三
一方 では創価学会 =公明党が〝
言論出版妨害事件 ″
や教線拡大 のゆきづ
こ の変化 の背景 としては六〇年代後半 から七〇年代初頭 にかけ て、
のとな ったと いう こと であ る。
名 の当選者 を出 した こと であ る。
日本独占資本 主義 の復活'確 立過程 と並行 してそ の教線 を拡大 して
べ -ナ ム反戦運動や住民運動 の高揚 を背景 とす る革新自治体 の急 増'
まり によ って、
政治的 にも宗教的 にもゆきづ まり を示す中 で'
他方 で紘
〃
にのり出 した のを皮切り に' 六〇年代 はまさ に
にされた立正佼成会がまず 五九年 の第 六回選挙
と学会 の "
打倒対象
挙
い った創価学会 の政治 への進出 に対抗 して 「西 の天理'東 の佼成会」
にお いてはじめて選
った。こ のことを決定づ けた のが'七 二年 二 一
月 の総選挙 において社'
草新勢力 の台頭があ-、 とりわけ各種選挙 におけ る共産党 の躍進があ
共 が進出、 と-わけ共産党が 二四議席 を増大さ せると いう驚異的進出
創価学会 と激 しく競 合した新宗教教団が続 々と選挙 に登場 した時期 で
この期 のも- 1つの特徴 は、前期 と違 って宗教議員 が 創 価 学会←
をや ってのけ た こと'他方自民党が 一七、公明党が 一八とそれぞれ議
あ る。 これが第 二の特徴 であ る。
(
公明政治連 盟)
← 公明党 '他 の諸教団←自民党と は っき りと党派色を
席 を減少 さ せると いう自民党 および.
筆 問政党 の後退現象 であ った。
この結果 は自民党 に対 して 1万 では共産党 に対 す る現実的危機感 を
に対す る
の副次的 側 面 で あ
〃
〃
〟
与野党逆転
与え'他方 で参議院 におけ る 〟
与 野覚接 近
″
る。 こ の点が次 の時
危機感 を与え た。
あ
出 した こと であ る。 しかしながら こ の期 の党派性 と い っても それ は創
価学会対そ の他 の宗教教団 と い った 〝
宗教戦争
(
2)
り'中 心 は宗教的対抗が主 であ ると いう ことで
期と大きく異 な る点 であ る。
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36
以降良民党 はこ の危機 を打開 す べく、自 己 の基盤 の再点検 '整備 、
拡 大強化 を必 死 で行 って い-。 そ の選挙 で のあ らわれが' 企業ぐ るみ
″
のキ ャソべ
選挙 を はじ めとす る自 己 の基盤 の総 動員 であ り'宗教票 の大量動員 で
あ った。 またそ のた め にも 理念的 には 〝
自由社会 を守 れ
一万 ㌧宗教側も こ の事 態 に直 面 し て根深く持 って いる反共体質 を顕
- ソであ り'徹 底 した反共 攻撃 であ った。
在 化 さ せ'革 新 (
共産 党 )政 権 が生 まれれば宗教 の自 由が 奪 わ れ る
〇回選挙 にお いて自民
このよう な形が は っき りあら われ た のが第 一
た した のであ る。
こ の期 の第 三 の特 徴 は、右 に述 べた宗教 団体 の政治進出 の エネ ルギ
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・ ○印が当選者, また創価学会 につい ては省 略
と、自 民党 の要請 に積 極的 に応え て いく。
五人中 二 1
人も占 めたと いう事実 であ り、ま た 二 回 の選挙 ではそれ
党 公認 の全国区候補 の内'宗 教票 を何 ら か の形で頼 り にす るも のが 三
が 1層 すす み 二 二人中実 に 1五人 と'半数 以 上を占 めたと いう事実 で
〇回選挙 にお いては靖国問題が か
そ して' こ の宗教 票 の動員 は第 一
あ る。
ら んでいたり' ま た技術 的 な失 敗 から必ず しも良 い結果 を納 め得ず 、
の
う ち l九人が当 選、 そ のう ち 二 人が宗教 票
ますます 〝
与 野党接 近 ″状況 を生 んだが、第 二 回 の選挙 にお いて は
自 民党 公認候補 二二 人
った候補 者 は田英夫 氏'江 田五月氏 ら 八人 であ ったが'そ のう ち自民
の支援 を受 け たも のであ ったと いう ことや、 ま た百万票 台 の大台 に乗
党 の玉置和郎氏'内藤 誉 三郎'楠 正俊 氏' 町村 金吾氏 の四人 はいず れ
も宗教票 の支援 を受け た人 であ り' と りわけ町村 氏を除く他 の三人 は
はば 純然 た る宗教票 を基本 とす るも のであ ったと いう よう に'宗教 票
はまさ に 「与 野党逆転 に完全 な歯 止 め」 を かけ る上 で大き な役割 を果
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7
蓑2
≫最近 2回の参院全 国区にお ける教 団推薦候補
≪
の進出が目立 つこと であ る。 す でに第 二期 にお いて登場 した生長 の家
にから ん で'新 宗教教団 の中 でも いわゆ る右派 的な色彩 を持 った教 団
Iが宗教的 な側 面 よりも む しろ に政治 的なも のに変 化し たと いう こと
前 提 にして はじ めて可能 であ った のであ る。
が 地方議 会 や自 治体 の選挙 へも 積極的 にかかわ って いると いう こと を
会 におけ る驚 く ほど の組織 的な議 決運 動も右派教 団 を中 心 とす る教 団
と であ る。後 に述 べる 「元号法制化」運動 におけ る'府 県'市 町村議
き な役割 を果 し て いると いう問 題意識 にも とづ いて'再度 '今 日 の選
さ て'本稿 の課題 であ る今 日 の反動 化'右傾 化 にお いて、教団が大
は'具体 的な政治 目標 として① 日 の丸 の掲揚 '㊤ 君 が代 を国歌 と して
げ 、紀 元節 制定運 動 や靖国神 社国家管 理運動 、 さら には 「自 主憲法 制
第 一に'今 日自民党 を支え る基盤 として教 団 の果 た し て いる役割 が
挙 と教団 と のかかわり の特徴 を指摘 すれば 次 のよう にな る であ ろう。
学校 で教 え る'㊥ 現憲法改 正、明治 憲法 復 元'④ 紀 元節復活 など を掲
の組織 的動負
へ
定 国民会議 」 の有 力 メ ンバ ーと して の活 動等 を行 ってき た こと はよく
大 であ り'大 企業 や農業関 係団体 に匹敵 す る力 を発 揮 し て いること で
知 られ て いる。 この他 に橿 原神官 で の 「紀 元節式典 」
で知 られ る霊友会 や新 宗教教団 の中 では生長 の家 となら んで最 も右派
あ る。
ま た統 一協 会 =勝共連合 の最 近 の動き は周知 の事実 であ り' さら に
のと りわけ高度経済成 長 による社 会変 動が大き な関 係 を持 って いる。
し展 開 しておき た い。仏 教 を中 心とす る既成教 団 の役 割 の低下 は戦後
宗 教 教団 であ ると いう こと であ る。 この点 の持 つ意味 に ついても う少
と して軽 視 でき な い力 を持 って いるが'何 と い っても 今 日 の主力 は新
第 二に'教団 と い っても神社本庁 やあ る いは既成 の仏教教団も依然
的な仏 所護 念会 ' さら には世界 救世教 と い った教 団 の活躍 であ り' ま
た表 には出 て いな いが こ の他 に弁 天宗 、念法真 数等 の小教団 の登 場 で
これら新宗教 とは区別 され るが'生長 の家 となら ん で右 派的教団 を代
あ る。
表 す る神社本庁 の選挙 への積極 的 かかわりが それ であ る。
が ってとく に農村 にお いて強 い力 を発 揮 し て いた。 と ころが戦後 の高
以 上'参院 全国区 を素材 にしなが ら'戦後 選挙史 と教団 の関係 に つ
だ大量 の不安定 な層 を中 心 に結集 し て急 成長 を遂げ た のが' ま さ に新
壊 さ せた。 そ のこと によ って既成教団 の
現実 的影響力 は大き く低 下 し
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た のであ るo そ し て' これ に反 してを のよう な過 程 で都 市 に流 れ こん
す なわ ちそれ ら は家 を核 にした檀家 制度 に依拠 した教団 であ り、 した
したが って'次 に これら の教 団 によ って還出 され た議 員 の多 くが '
(
6)
〃議 員 であ り、 元号 や
度 経済成 長 は大量 の農村 人 口を都 市 に流出 さ せう そ の基盤 を大き く崩
いて三期 に区分 しながらそ の特 徴 を述 べてき た。 ここで述 べ た こ と
の自民党支 持率 の低 下現象 から 七〇年代 の半ば 以降 の自 民党 の都 市 と
宗 教教団 であ った のであ る。 ま た' これ と関 連 し て六〇 年代 を通 じ て
化
の積極的 な推進者 と
A表2V の如く '青嵐 会 の会員 を含 む 〝タカ派
靖国ある いは有事 立法等 '今 日 の反動化'右傾
は'単 に参 院 全国区 のみならず 地方 区 にお いても 'ま た衆議 院選挙 に
な って いると いう こと であ る。
お いても' さら に自治体 の各種 選挙 にお いても はば 共通 し て言え る こ
38
りわけ大都市 におけ る 「
復調」傾向 は' この新宗教教団 の選挙 への積
(
7)
極的なかかわりと いう こと にそ の 一つの要因 をも って いると考え る。
指摘 した いのは'最近 の特徴 として の右派教団 と の積極的な かかわり
新宗達 (
新 日本宗教E
E
]
体連合会 ・八〇団体 ・七〇〇万人)加盟教団 と
二一
月 の総選挙 にお いて五 二名も の民社党候補を推薦 したが'当時 の
かかわりを持 ってき たと いう こと は周知 の事実であ る。 しかしここで
の阻止と い った政治性 の強 いも のにな って いるこ
と'したが って新 宗教教団 の中 でも右派的側面 の強 い教団が目立 って
事情 について右翼認体' 日本民主同志会を主宰 Lt世界救世教外事対
〃
第 三に、それら新宗教教団 の政治進出 の 干ネルギ ー が 反 共'反革
いること であ る。 さら にはそ の支持 によ って選出 され た議 員 には 〝タ
新' 〝
与野党逆転
であ るo そ の典 型が世界救世教 と の関係 であ る?
〇月 にはじめて民社党支援を明確 にLt七六年 の
同教団 は七 六年 一
カ派 ″議員が多く'今 日 の自民党 の反動化'右傾化 の先兵として の役
策委員長 であ る松本明重氏 は次 のよう に語 って いる。 「か つてうち は
る基盤 として の比重が高 ま って い
る国民 の不信 の増大'自民党 の単独支配 の崩壊を見越 して、民社党 を
橋渡 し にな る。そ の歯 止めとしてわれわれ とは、 と にか-民社を育 て
(
a)
な いかんと い う 使命観 があ る のです」。自民党 の金権腐敗政治 に対す
え
〝
逆転 〃状況が現出す る中 で新宗教教団∼
あ る。 そうす ると いず れ連合時代 です。それ は共産党 の革命政権 への
命 を忘 れ て民族 の伝統を食 い散 らし'国民 から見捨 てられ凋落 し っつ
自民党 を後援 した。 それ は今も かわらな い。 しかし'今 の自民党 は使
割 を 果 たしていること であ る。
今 日'自民党が急速 に右傾化を図 って いること'以前 にお いては必
〃
ず みられた自民党内 の 「良識派」 の発言や行動があ まり表面 にあ らわ
ヽヽ
れな-な った こと'さら には福 田首相が ジ ャーナリズ ムによ って宗教
ヽヽ
好きな首相 であ ると評 され て いること等 々は'今 日自民党が支持率を
低下させ、 〝
与野党接近
さら に同氏は具体的 に 「
衆院 では奈良 の青 田之久さん'大阪 の西村章
対共産 の防波堤 として育成 しようと いう意図が率直 に語 られ ている。
とりわけ右派的教団 の自 民党 を支
ること' したが ってそれら の教団及びそれ によ って選出 された議員 の
ている のであ る。
三さん'うちが死力 を尽 してや った人 です。参院 では名古屋 の井 上計
(
9)
さん-」 と語 り'そ の吉 田之久氏 は 「
危機 に瀕 し て いた民社が衆参あ
発言力が急速 に高 ま ってき て いること' ここにそ の 一つの要因を持 っ
最後 にA表 1V にあらわれ ていな いこと で' し かも選挙 を通じ て今
この救世教 の民社支援 を皮 切り に七六年総選挙以降'生長 の家 や霊
わせて三九人 に党が躍進 Lt ここま で内容を整え得 た のは救世教が全
(
lo)
国的 に応援 して下 さ ったそれが大きな要素」と語 って いる。
日 の政治 と宗教の関係を見 る場合 にどう しても ぬかす こと のでき な い
ついて であ る。 これ に ついてはこれま で新宗教教団 の中 にあ っても靖
これら教団 の民社支援 の動き は 一方 では信者 の自民党離 れ に対す る
友 会 と い った右派教団が続 々と民社支援 にのりだ して いく。
もう 一つの点 について触れ ておき たい。 それ は民社党 と教団 の関係 に
p ・L)教団など によ って結成 され ている
パー フ ェクト ・リバ テ ィ (
国神社法案反対など の運動 にも積極的 に参 加 してき た'立正佼成会 や
39
りあげ'国会 で違憲質 問したことを契機 にして いること からも明 らか
に当時 の民社党春 日委 員長が松本明重民 の ﹃
共産党 リ ソチ事件﹄ をと
苦肉 の策 であ るととも に、他方 では右派教団 の民社支援が七 六年 一月
あ る。本章 ではこの点 に ついてみて いき た い。
それを基盤'脅 し' エサにした 「国民運動」 の新 たな展開があ るので
の働き かけ は、選挙 で の支援 に止まらず'もう 一つ重要なも のとして
しかしながら'実 は宗教団体 による自民党を中心とす る保守政治 へ
まず今 日におけ る反動的 「国民運動」 の拠点、総司令部とも言う べ
な よう に'また先 の松本氏 の発言 にもあ るよう に'民社党 の 「身体 を
張 っての反共攻撃」 に共鳴 し'またそれを 一層育成 しょうとす る意図
自民党 だけ ではなく、民社党も'草新勢力 の台頭 に直面 Ltそ の党
そ の代表委員 はA表3>
,の如- であ る0 この会 は代表委 員 の 下 に
力 の台頭に対す る危機感をバネ にした'反動側 の新 たな対応 であ る。
末 から七〇年代初頭 にかけ て の国内外 におけ る新 し い潮流'革 新的勢
うな教団 と のかかわりも十分注意されなく てほならな いであ ろう。 と
今 日 の民社党 を考え る場合企業ぐ るみ、労組ぐ るみととも にそ のよ
りわけ後 で述 べるよう に 「元号法制化推進議員連 盟」 への全党を挙げ
いう こと'及び趣旨 にもあき らかなよう に' この会 の結 成も 六〇年代
き 「日本を守 る会」 の結成とそ の持 つ意味 に ついて述 べておこう。
ヽヽヽヽ
一九 七四年 四月 「混迷す る社会状況 に対処し、 日本 の伝統精神 の原
(
ll)
点 に立ちかえ って'愛国心を高揚 し、倫 理国家 の大成を図 る」 ことを
(
12)
趣旨 にした 「日本を守 る会」が発足 した。そ の結成が七 四年 であ ると
から出 たことは明瞭 であ ろう。
て の参加等 は この側面を ぬき にしてはわ からな いであ ろう。
勢 の挽回 のために'そ の支持基盤 に右派的な教団をし っかりと組 み こ
教関係者 'さら には 一部 のキリ スト教関係者 の名が出 て いる。 「神仏
会'立正佼成会 と い った新宗教団体 や山 田悪評 (
天台宗座主)等 の仏
方大会 では'参 加教団と して'世界 救世教'世界真光文明教団'解脱
のメンバ ーに ついて確定す る資料 を兄 い出 せて いな いが'後述す る地
いはそ の時 々の活動方針 を決定 して いる。残念ながら この百人委員会
「百人委員会」な るものを設け'年数回 の会合を持 ち'そ の年 のあ る
む こと によ って'またそ のためにも'自 ら の政策 を大胆 に右旋回 さ せ
て いる のであ る。
二 反動的 「国民運動」 の新 たな展開
(
1) 今 日におけ る反動的 「国民運動」 の拠点 と して の
「日本を守 る会」
それ でもそうそうたる メソバ ーであ る。事務局長 に明治神官宮 司副島
基 の代表的宗教者 および学者文化人有告 」と自称す る程 ではな いが'
広之 氏を据 え ており'前章 で見 た如く選挙 にお いて今 日 の自民党 を支
さて、前章 にお いて右派的な新宗教教団を中心とす る今 日 の宗教団
大 し'そ の結果' これら の政党 の右傾化'反動化がすす ん でいると い
え る右派教団を核 とした教団 の大連合 であ ることがわかるであ ろう。
体 の自民党、 さ らには民社党 をも含 めた保守 の基盤 として の比重が増
う ことを明ら か にした。
4
0
曹洞宗管長 (
大本 山総持寺買主)岩本
勝俊
金子
日成
朝比奈宗源
o既済宗 門覚寺派管長
広之
副島
明治神官権 宮司
清水谷恭順
荘八
念 法真数教 団灯主
小倉
霊現
神社本庁事務総長
篠田
康雄、 浅草寺買主 (
聖 観音宗 )
仏所護念会 教団会長
関 口とみ の
明治神官宮司
伊達
巽
生長 の家総裁
谷 口 雅春
修養 団主幹
蓮沼
門三
笠 間稲荷神社宮司
塙
モ ラ ロジー研 究所所長
広地千 太郎
全 国師友協会会長
安岡
日本会会長
山岡
瑞比舌
正鴛
葉圭)
日蓮 宗管長 (
歪枯
て'次 の五 つを 掲 げ て い
会 は基 本運動 方 針 と し
極 めて慎 重 に練 られ何 で味 方 を拡 大 し'どう いう敵 を孤立 さ せる のか
たき こまれ て いると いう こと であ る。 ま た 一つ 一つの ス ロ ー ガ ソが
いる イデ オ ロギ ーを中 心とす る反 動化 ・右傾 化 の目標' 理念が総 てた
心とす る反 動化、右傾 化 の最 大 公約数 的 なも のが示 され て いる こと で
と いう ことがあき ら か にされ て いる' いわば 今 日 のイデ オ ロギ ーを中
る。
に則 り'愛 国 心を高
一㌧ わが国 の伝 統的精 神
あ る。
福 田首 相 と会見 し 「国民 の連帯精神 の恢 弘 に関 す る要 望書」 を提 出 し
さ て' この会 の結 成以降 の活 動 に ついて は'例 えは 七七年 一月 には
この点 に注 目した いから であ る。
と評 す る のは、先 に述 べた大連 合 と いう組織 の大き さととも に、実 は
私 が この会 を今 日 の反動的 「国民運 動」 玖拠点 、あ る いは総 司令 部
揚 Lt倫 理国家 の大
成 を期 す る。
一㌧ 正 し い民 主主義を守
り明 る い福祉社 会を
一、偏向教育 を排 し' ひ
ま た元号、国旗' 国歌 の法制化 や建 国記念 の日を政府 主催 の公式行事
W
H
iコ
と して祝 う ことなど 三項 目 の実 現 を要 望 したり ' さら に 二月 にはNH
建 設す る。
ろく教育 の正常 化 を
推進 す る。
め'唯物 思想 や独裁
一㌧言論報道 の公正を求
ま た地方 で の組織 化を兼 ね て 「一般 国民 の啓蒙」活 動も 行 って いる。
に ついて政府 や関係団体 に要 望あ る いは抗詠 を精 力的 に行 って いる.
Kが放映 した テ レビド ラ マ「斑鳩 の白 い道 のうえ に」で聖徳太 子が崇 峻
(
_4)
天皇 殺害 に関係 したよう に扱 った のはけ し から んt
と抗議 '
謝罪 さ せる
(
16)
など 「天皇 の尊厳護持 や国旗 '
国歌 '
元号 の法 制化 '
教育 の正常化 など」
例 えば 七 六年 九月 には 「天皇陛 下在 位満 五〇年 を奉祝 す る日本 を守 る
的革 命主義 を排 除 す
る。
ゆ る世界平和 の道 を
の
一'国際協調 の中 にあ ら
〃
「日本 を守 る会'北海道 大会」を 〝日本 の心と国 土を回復 し よう
会、関 西 の集 い」 (
於 フ ェステ ィバ ル ・ホー ル三千名)'翌年 八月 には
の
ぬく。
間
目標数 )を決議 し て いる。ま た本年 九 月 には 「日本 を守 る会 '東 海大
ス ローガ ソで行 い、「北方国 土復帰 のた め の五〇 万署名」 (一カ月
求 め祖国 日本 を守 り
この五 つの方針 を み て気
づ く こと は、今 日進行 し て
41
3≫ 「日本を守る会」代表委鼻 (発足時)
≪表
o事務局長
しかしながら会 の運動 として、今 日 の反動的 「国民運動」 の拠点'
会」を開催 して いる。
つのこと であ る。
総司令部として の役割を いかんな-発揮 した のは何 と い っても次 の二
でに いく つか の地方自治体 で行 わ れ て いる自治体も参 加した奉祝行
と ころで'総 理府が後援 す る にあ た って、実 は総 理府 と奉祝側 (
「
建
事 を 1層増大さ せ、 ひ いては学校行事 として の奉祝 への道 を ひら-ち
(
16)
のであ り'極 めて危険な動き であ ると言え よ-。
国記念 の日奉祝運営委員会」黛敏郎会長)と の問 で八百長的 に'奉祝
(
七七年 ) の東京 での奉祝行事が今 ま で の奉祝
に 「日本を守 る会」が大き な役割 を果 たした の
一つは'七六年 二 月 の政府主催 の 「天皇御在位 五〇年記念祝典」
〃
かけが行 われ て いたことはす でに明ら かにされ て いること であ るが'
年
行事が 「
政党色'宗教色がなく国民的規模 の行事」 であ ると いう見 せ
であ る。 つまり'昨
実 は この 〝
見 せかけ
(
於 日本武道館、 七千 五百人) に関連す る こと であ る。 この記念式典
化」運動が 一気 に盛 りあが りを みせたよう に' この式典 は今 日 の反動
の挙行 は実 に大きな意味 を持 って いた。 この式典を機会 に 「元号法制
的 イデ オ ロギ ー攻勢 に大き な拍車を かけ る役割 を果 たした のであ る。
名 の下 に行 われ て いたこと であ る。
会 の主催 ではなく' 「日本を守 る会」 と の共催 で 「
奉祝国民大会」 の
このよ- に 「日本を守 る会」 の組織及びそ の運動 は'反動的 な'き
しかしながら'当初政府 (
三木首相) は この式典 の挙行 に対 して慎重
れた のであ る。 このためら いを押 しき ら せた のが'前年 (
七 五年 ) 一
るか のよう に見 せかけ る'装う点 で'そ してそ のこと によ って政府が
わめて党派的 ' イデ オ ロギ ー的な運動をあ たかも 「国民的」運動 であ
であ った。天皇問題が政治問題 に発展し'国論が 二分化す る ことを恐
年間 にわた って'神社本庁等 の 「日本を守 る会」参 加団体 が行 った全
た 「日本を守 る会」主催 の 「昭和 五〇年 を祝 ふ国民集会」 (1万 二千
さて' この 「日本を守 る会」 の結成 にはじま る反動的 「国民運動」
こたえ る会」 の結成
(
2) 反動的 「国民運動」 の路線を象徴 す る 「英霊 に
それら の運動 に呼応す る点 で、非常 に大き な役割 を果 たして いる ので
(
17)
あ る。
国 での奉祝運動と'それを集約す るかたち で 二 月 に武道館 で行 われ
名) の 「
成功」 であ り'それを背景 とした政府 への圧力 であ った ので
あ る。
二 つめは'本年 の二月 一一日 の 「
建 国記念 の日」 にお いて' これま
で の民間団体 によ って行 わ れ て い た東京 での奉祝行事を総 理府が後
る
の路線 の持 つ特徴 に ついて'もう少 ル展開 してお こう.素材 とす る の
「靖国神社国家護持」運動 の
は 「英霊 にこたえ る会」 の結成 にい
一九七六年 六月' 「
靖 国神社 国家護持」運動を長年 にわた って続 け
た
事 化 であ り' この日をたんな る 一休 日としておわら せる のではなく、
路線転換 の問題 であ る。
援 した こと に関連す る こと であ る。 これ は 「
建 国記念 の日」 の国家行
この日 の制定 のねら いであ る'国家主義的'天皇主義的 イデ オ ロギ ー
の国民 への押 し っけを意図 したも のであ るo この聴 理府 の後援 は、す
42
≪蓑 4 ≫
相原
「英霊にこたえる会」発起人
良一 (
東京水産大教授)
天野 良英
池田弥三郎
池部
良
板垣 直子
)
高橋富士雄 (
i梨県キ リス ト教嘉
筑波 藤磨 (
靖国神社宮司)
(
元,統幕議長)
(
慶 大 教 授)
(
俳
優)
(
国士舘大教授)
NHK野球解説者)
鶴岡 一人 (
優)
鶴 田 浩二 (
俳
土居 好子 (
音 楽 家)
石 田 礼助 (
元,国鉄総裁)
井手 成三 (
元,法制局次長)
野尻
高経 (日本教育会副会長)
馬場
案光 (日韓議員連盟事務総長)
上村健太郎 (
裂学習 警 財望)
宇野 精一 (
東大名誉教授)
羊介 (
歪 壷露 墓姦去孟夏)
家)
船坂
弘 (
作
福 田 恒好 (
評 論 家)
福 田 信之 (
筑波大学副学長)
藤浦
洗 (
詩
人)
平山
大石
扇谷
大場
義雄 (
京大名誉教授)
正造 (
評 論 家)
鐘作 (
評 論 家)
桶谷
繁雄 (
京都産業大教授)
勝部
真長 (
お茶 の水女子大教授)
藤島 泰輔 (
作
松 田 敏江 (
音
鎌 田 純一 (
皇学館大教授)
木内 信胤 (
評 論 家)
松下 正寿
松下井知夫
宮 田 東峰
三好
修
村上
薫
北条
誠
細川 隆元
健一 (
慶大名誉教授)
沖縄総合教育セソクー
菊地 藤吉 理
事
木原美知子 (レポーター)
(
建 築 家)
(
沖縄奉賛会会長)
(
学習院大教授)
(
評 論 家)
柴 田 勝治 (日本大学副理事長)
柴 田 焚天 (
国士舘大総長)
談
(
評
(
評
(
作
(
評
論
論
論
家)
家)
家)
家)
八木
治郎 (テ レビ司会者)
安岡
師友協会会長)
正等 (
会 鷲
吉 田 忠雄 (
望主社 主義 究会慧
岩泉
敬 (
京都産業大教授)
)
師)
てき た 「
靖国神社国家護持貫徹 国
民協議会」 (
以下靖国協 と略)が解
散 し、 これ にかわ って会長 に石 田
和外 (
元最高裁長官)' 副会長 に
扇谷正造 (
評論家)'宇 野精 二 束
大名誉教授)'石井好 子 (
音楽家)'
有末精 三 (
日本邦友達 会 長)'紅
長)'佐藤 信 (
日本遺族 会 専務 理
露み つ (
各種婦人団体 連 合 会 会
辛 ) の六氏'事務局長 に板 垣正氏
(
日本遺族会事 務 局 長)そ れ に
(
_c
o
)
A表4V の如き発起人'発起人団
にこたえ る会」が発足 した。
英霊
体 を連らねた新 たな組織、 「
この 「
靖国協」 の解散 と 「
英霊
にこたえ る会」 の結成 は'たんな
る名称 の変更 ではなく'実 に極 め
て大胆 な路線転換だ っ・
た の であ
る。
そ の意味 を、
そ の転換を画した
日本遺族会第 1四五理事会報告書
(
19)
(
七五年 1
0月) にみてみょうO
まず 七 五年 の 「七五国会 におけ
る 1万人世論調査'参考人 の意見
43
馬琴 (
講
(
元,立 大 総 長)
画
家)
(
漫
(
音
楽
家)
安田美代子 (
体操指導者)
山田 無文 (
花園大学長)
山岡 荘八 (
作
家)
清水 宣雄 (日本移動教室協会会長)
城光寺崇夫 (
歩一会幹事)
文部省社会教
末次 一郎 審 議 会 委
(
千
宗室 (
茶道家元)
宝井
家)
升 田 幸三 (
元,将 棋 名 人)
気賀
黒川 紀章
具志望宗精
香山 健一
斎藤
忠
家)
楽
「英霊にこたえる会」発起人団体
会
会
賀屋
木村
興宣
可縫
日本 傷 病 軍 人 会
伊丹川善通
日本 遺 族 会 青 年 部
国松
善次
目 本 邦 友 連 盟
有末
精三
日本 遺 族 会 婦 人 部
中井
澄子
軍 恩 連 盟 全国連合会
岡田
広
日 本 民 主 同志会本部
松本
明重
借
行
社
辰己
栄一
世
藤枝いつ き
水
交
会
庵原
貢
日本民謡舞踊交流協会
庄田
光
全 国戦友会連合会
鵜沢
尚信
日本 を考える青年会議
飯野
清徳
伝五
会
松井
日本 教 育 推 進 連 盟
阿村
勇介
国
湯沢
光行
金城
和彦
国
田中
源基
中
京 田 民雄
田扉
仁志
代 田 ク ラ ブ 伊藤
久雄
紅露
みつ
和動
育
秦
1
,
・
の運 人 団
工
戦 目国各 修
本
健
育
会
山本
会
末次
士
舘
大
学
柴 田 焚天
国 際文 化事業協会
松下
正寿
全
国 師 友 協 会
安岡
正鴛
日本 宗 教 放 送 協 会
若山
幸男
白
鴎
杉
暁夫
日 本 相 撲 協 会
春 日野清 隆
樹
新
邦彦
志育
正志
午
中野
日 本 青 年 遺骨収集 団
千
会会村会 会
高経
青 山新太郎
渡辺 塙二
館林三善男
育新 同数
静枝
安倍
一郎
日
国
会
目
育
立仙
抑揚 国紺 如 て習
本
日全 建 日
殉 引全 神
会
会 う部 合
け
日 本 協 議 会
の
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本
団体 連
香浦
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会
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熊谷太三郎
て民 主真
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会
会
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仏 所 護 念 会 教 団
教
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界
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森 田 義則
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殉 国 沖 縄I
学徒顕彰会
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連 合 会
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族
宏明
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遺
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養
日
会
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隊
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社
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族
族
遺
遺
本
菊
日
白
代 表者氏名
名
体
団
】
代 表者氏名
名
体
団
聴 取 ' 八月 一五 日 の標 柱 表 示 、 三木 総 理 の靖 国 神 社
参 拝 」 な ど の 1連 の段 階 的 積 み重 ね の成 果と 意 義 を
八割 の 「
靖 国神 社 国 家 護 持 」 賛 成 を ひき だ し た こと
確 認 す る。 す な わ ち極 め て意 図 的 な世 論 調査 で七∼
や ' 野党 の反 対 を お しき り国 会 にお いて賛 成 す る者
さら には八月 一五 日 の 「第 一三回全 国戦 没 者 追 悼
ば かり を参 考 人 と し て招 き 意 見 聴 取 を行 った こと'
式 」 にお いて従 来 同式 場 の正面 に立 てら れ て い た
「
全 国 戦 没 者追悼 の標 」 を 「全 国戦 没 者 之霊 」 と変
え た こと や同 日 三木 首 相 が 私 人 の資格 であ るが 、 歴
た こと等 の意義 であ る。
代 首 相 の中 にあ って戦 後 はじ めて靖 国 神 社 に参 拝 し
し か しな が ら 1万 で は七 六九年 以来 上 程 し てき た
「靖 国神 社 法 案 」 そ のも の の成 立 は国会 情 勢 から極
め て困 難 であ り'結 局 「靖 国神 社 法 案 」 は 1応 そ の
らも 「
何 ら か の措 置 で段 階 的 前 進 を は か ろ- とす る
ま ま にし て'究 極的 には同法 案 の成 立 を めざ し なが
し たが って従 来 の靖 国 法案 を 国 会 で通 す と いう 正 面
前 国会 の方針 が 今後 も 踏襲 され る可能 性 が 強 い」。
突 破 作 戦 を放棄 し、段 階的 な迂 回 作 戦 ' つま -靖 国
神 社 は当 面 はそ のま お にし てお いて, そ れ への天 皇
と いうも のであ る。
や首 相 の公式 参 拝 を実 現 す る こと に全 力 をあ げ るt
4
4
このような考え方 によ って' 「
靖国協」 にかわ って 「英霊 にこたえ
え ることも可能 であ る」O 世論調査 にみられ る如く 「靖国神社 に つい
て、われわれ の側 に圧倒的な国民世論 の理解 と支持が存す る ことは'
ミの上 では国民世論が十分反映 され て いな い。 われわれ の側 の弱点 で
われ われ の大きな強 み'反対勢力 の大きな弱点。 しかし政治や マス コ
る会」 の結成がなされた のであ る。
この転換そ のも のは'たしか にこ の段階 におけ る民主主義勢力 の 一
あ り反対勢力 の強 み であ る」' こ のような状況を踏まえた時、 我 々の
ヽヽヽ
課題 は 「我 々の強 みを徹底的 に発 揮さ せて'反対勢力 の弱点 を徹 底的
ヽヽヽ
に衝く こと」す なわち 「世論 の動向 によ って結着 を つけ る 以 外 に な
定 の勝利を意味 するも のであ った。 しかしながら他方 ではこの転換 に
い」、そ のために国民世論を 「具体的 に形成」'組織 Lt力 にして いこ
は推進側 の巧妙な反靖国勢力 への分断 の意図が隠 され て い た の で あ
ホ コ先 を かわし'他方'靖国神社 はそ のまま にして' ただ 「英霊」 に
る。す なわち靖国神社法案そ のも のを引 っこめること によ って攻撃 の
対す る感謝 と慰 めを公 にするため に天皇 や首相 の参拝を行う のだと い
う と いうも のであ る。
④全 国民 に 一層強く自覚 させる啓蒙活動 の二 つの目標 を掲げ て結成さ
このような路線転換 によ って ①靖国神社 の公式参拝を実現す る
う論 理は' これま で 一つにま とま って いた反靖国勢力 の団結、とり わ
事実 この方針 にも とづ いて 「
英霊 にこたえ る会」が結成 され'そ の
け宗教界 のそれを弱 め'解体 に導く 一定 の力を持 って いた のであ る。
運動 によ って'首相 の参拝が繰り返 され'本年 の八月 一五日 に至 って
れた' 「
英霊 にこたえ る会」 の趣意書 にも このことは貫 かれて いを。
ヽヽヽヽヽヽ
「最早政治 の場 のみ にゆだね ることなく'国民 一人 一人が勇気 をも っ
ヽヽヽヽヽヽ
ヽヽヽヽヽヽ ヽヽヽヽ
て行動を起 こす べき とき であ ります。 ︰-・
この国民 一人 一人 の自覚 と
ヽヽ
行動 こそが戦後 風潮 を脱却 して民族 の魂を よみがえら せ' わが国 の基
帳す る等、事実 上 の公式参拝が行 われた にも か か わ ら ず'残念なが
は福 田首相が公用車を使 い'閣僚を ひき つれ、 「内閣総 理大臣」 と記
ら この点 に関す る反撃 は、 か つて の靖国闘争 の盛 り上が り に 比 し た
本方向を確 立す る唯 一の道 と信ず る次第 であ -ます」 と。
しかしながら' ここでは靖国問題 に ついて述 べる のがそ の意図 では
庁 は' この路線転換を次 のよう に位置づ け た。 ヽ
「
法
ヽ制
ヽ化
ヽと いふ運動重
点 が <英霊 にこたえ る会 >と いふ新組織 による国民運動と いふ精神的
ま た、 これま で 「
靖国協」 の中 心的 メソバ ーの 一つであ った神社本
時 '極 めて弱 いと いわざ るを得な い状況が現出 して いる のであ る。
な い。私が ここで靖国推進側 の転換 に ついて触れた のは'彼ら のこの
なも の へ移行 した。過去 の運動が --東京中 心 のそれ であ ったこと の
ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ、
反省 の上 に立 って'全国的な活動 の拡がりを期 してゐるだけ に'神社
転換 の意味づ け に注 目す るから であ る.
こうした迂回作戦 は 「従来 の姿 から後 退とみることが でき るが'反面
界が協力す べき部面 は非常 に大き い。 そ してこの国民運動を通じて'
ヽヽヽヽヽヽ
自民党 のみ の国会対策 から脱皮 Lt広く与野党を通じ て の協賛体制 を
す なわち彼ら は次 のよう にこの転換 の意味づけを行 った のであ る。
靖国神社 のあ り方 を中 心としなが ら'戦没者 の慰霊 など の問題 に つい
ヽヽヽヽヽ
て、改 めて国民的合意を形成 して行 こうとす る新 し い動き としてとら
45
ま こと に'この靖国神社国家管 理運動 の路線転換 には七 四年 の 「日
の責任を個人的集団的 エゴイズ ムに帰 し'そうす る こと によ ってさま
激 しさを加え て いく有様 であ ります」 と。今 日におけ る諸矛盾 の噴出
育 はもと より'そ の他 の国民生活 の全般 にわた って拡 まり' 日 に日 に
て'最も心配され る のは個人的'集団的 エゴイズ ムが政治 ・経済 ・教
本を守る会」結成以降 の今 日におけ る反動的 「
国民運動」 のねら いと
(
20)
樹立して所期 の目的を完遂 した いも のであ る」tと。
意図が見事 に表現 され て いると言え よう。
決 のため に 「吾 々は ここに宗教性を超 えた宗教界 のリーダ ーと、政党
ざ まな民主主義運動を敵視す る姿勢 を打 ち出 して いる。そ してそ の解
「
会則」 の 「目的」 のと ころ にも 「わが国 の政治 に宗教 心 に基 いた政
宗教 心 に基く政治 の確立」を めざすtと いうも のであ る。 また同会 の
性'派閥性を脱 した政治家が密接 な相 互協力 のも と に--・
まずも って
これま で右派的な新宗教教団を中 心とす る教団が'七〇年代初頭 に
三 「宗教政 治研究会」 の発足 と 「宗教政治協議会 」構想
まり'草新勢力 の台頭を契擬
として' 一方 では選挙を通じ て自民党や民社党を支え育成す る上 で大
治 理念 を確 立」す ると誼 って いる。
づ
きな役割を果たし'また他方 で国民 の組織化を積極的 に位置づ け た反
り' 「
事業」 として 「1研究課題 の調査 研究'2研究成果 の国会 への
次に 「
研究課題」と して 「1宗教' 2教育' 3福祉' 4外交' 5国
ヽヽ
防 (
防衛 ではな いこと に注意 -筆者) 6経済' 7其 の他」をあげ てお
おいて現出した現在 の支配体制 のゆき
動的 「
国民運動」 の展開 にのり出 し'そ のこと にょ って日本 の政治 の
の如く 四三名 であ る。現在 の段階 では自民党議員ば かりであ り'自民
して の結成総会時 のメソバ ーは衆議院議員 一六名'参議院議員 一九名
(
22)
の計 三五名 であ ったが'そ の後若干 の出 入があ って現在 ではA表5
V
七七年 二 月 一日に福 田首相'大平幹事 長、中骨根総務会長も出席
をあげ て いる〇
提案 及び立法活動'3宗教界 の-1ダ ーと の協議懇談及び相 互協力」
右傾化'反動化をすす めてき たことを明ら か にしてき た。
さてそ こで述 べたような状況を 1層発展 さ せようとしたも のに、昨
午 (
七七年) 一一月 に結成され た宗教政治研究会 (
以下 宗 政研 と 略
す)及びこれ と連動す るかたち で構想 された宗教政治協議会 (
以下宗
(
21)
政協 と略す)と いうも のがあ る。
〝 野党 逆
先 に見 たよう に七七年 の第 二 回参院選挙 にお いf t 与
に「
完全な る歯止 め」 をかけ たと豪語 す る程大きな役割 を果 たし
党 の政策集団 の 1つとして存在 し て いるわけ であ るが'注 目す べき は
″
た 宗教教団 によ って選出された、自民党 の国会議員 たちが選挙後、 玉
こ の結成 にあ た って、 玉置氏ら は当時 の春 日 一幸民社党委員長と会談
転
し、春 日氏 はそ の結成 に賛成 して同党議員 の相当数 の加 入を申 し入れ
たと のこと であ る。またさら には宗政研 は公明党 ま でも協議 の場を つ
置和郎氏、楠 正俊民ら の働き かけ によ って宗政研 と いう 一つの政策集
宗政研 の趣意書 には次 のよう に書 かれ て いる。 「
今 日 の社会 にお い
団を結成した。まず この会 の性格 に ついてみてみょう。
46
≪表
5≫
宗政研会 員
中村喜四郎
粕谷
茂
鹿野 道彦
加藤 紘一
く
宅参議院>,
初村滝一郎
藤井 裕久
北
修二
遠藤 正夫
会長
玉置 和郎 (
衆院全国区)
会長代行
楠
正俊 (
参院全国区)
幹事長
佐藤
隆 (
衆院新潟二区)
ス ポ ー クス マ ン
佐藤 信二
衆院代表幹事
石原慎太郎
佐藤
隆
林
大幹
藤波 孝生
参院代表幹事
楠 ` 正俊
佐藤 信二
(
参院全国区)
鈴木
亀井
石本
上条
戸塚
高橋
秦野
(
衆院東京二区)
(
衆院新潟二区)
(
衆院千葉二区)
(
衆院三重二区)
(
参院全国区)
(
参院全国区)
玉置 和郎 (
参院全国区)
監事
森下 正晴 (
衆院徳島)
事務局長
村上 正邦 (
生長 の家)
会員く
宅衆議院>,
森
清 (
愛媛二)
中島源太郎 (
群馬二)
関谷 勝嗣 (
変媛二)
玉沢徳一郎
中村
靖
渡辺 秀央
三塚
博
(
長 崎)
(
全国区)
(
北海道)
(
福 岡)
省吾
久典
茂
勝久
進也
誉富
章
(
福島)
(
島根)
(
全国区)
(
宮崎)
(
静 岡)
(
千葉)
(
神奈川)
大腰 淑子
細川 護照
平井 卓志
佐 々木 満
堀江 正夫
田原 武雄
山本 富雄
(
全国区)
(
熊本)
(
香川)
(
秋 田)
(
全国区)
(
鹿児島)
(
群馬)
衛藤征士郎 (
大分)
林
寛子 (
全国区)
前 田 熱男 (
和歌山)
(
岩手-)
(
東京五)
(
新潟三)
(
宮城-)
後藤 正夫 (
大分)
源田
実 (
全国区)
上が昨年 二 月 に結成 され た宗政
く ろうとして'両者 の話 し合 いが繰
(
23)
り返 され て いると のこと であ る。以
研 と いわれ るも のであ る。
次 に宗政協 と いわれ るも のに つい
てであ るが、 これ は宗政研 と連動す
るかたち で宗教教団 の方 でも 一つの
協議 の場をも とうとして計画 された
わさ にのぼ った のは生長 の家 (二五
も のであ る。当時 加盟教団 と してう
〇 万)'霊友会 (二五三万)'仏所護
念会 (一二九万)'曹 洞宗 (
七 三 二万)
クト ・リバ テ ィ (
p ・L)教団 (二
立正佼成会 (
四六〇 万)、 パー フ ェ
(二三六万)' 弁 天宗 (
三五万)な
五六万) の他、 神社本庁、 天 理 教
どがあ り新 旧各教派'中小 の各宗派
しかしながら この宗政協構想 は従
を含 めると合 わせて 二二
〇団(体
にも
2)
のぼ ると いわれ たも のであ った。
来 から の教義的争 いや政治的主張 の
違 いもあ って いまだ模索 状況 にあり
実現 には いた って いな い。
47
(
茨城三)
(
東京四)
(
山形-)
(
山形二)
以上結成された宗政研及び未だ構想段階 にとどま って いる宗政協 と
村 上正邦氏が座 わ って いると ころから、非常 に右派的 な色 彩を持 った
和郎氏が会長 であ り'事務局長 に玉置氏 の支持 母体 であ る生長 の家 の
く。 さら に 「旧福 田派 の客分」 と称 Lt青嵐会 の代表幹事 であ る玉置
者 を核 にして いることが わかる であ ろう。 こ のこと から宗政研 の結 成
いわれ るも のに ついて紹介 してき たが' これら の動き の真 のねら いは
一つは、 一章 で述 べた如く、選挙 におけ る教団 のかかわり の実績 を
は 1年後 (
現在行 われ て いる) の総裁 公選を展望した旗 上げ であ ると
次 の二点 にあ ると いわれ て いる。
踏まえ て'各種 の選挙 にお いてより効果的 にむだ のな い共闘'協力体
しかしながら私 はこの点 よりも次 の点 により注 目した い。す なわち
いう評価もあ った。
る統 一候補者をき めたり'④候補者ごと に宗派を越 えた得票目標を割
制を実現 して いこうと いうも のであ る。 つまり①支持または推 せんす
二つには、単 に選挙 の時 だけ ではなく' 「国民運動」なども従来 の
団 三派烏〃.
と評 され る如く、現憲法 の改 正を唱え'紀 元節 の 制 定 や
れた如く霊友会や仏所護念会 ととも にジ ャーナリズ ムの間 で 〝
右派教
りあ てたり'さら には④実際 の選挙運動 で運動員、資 金など で協力 し
宗派や政党 のわくを越え て推進 しようと いうも のであ る。 この点 に つ
「
靖国神社国家護持」運動 に中 心的役割 を果 たしてき た教団 であ る.
であ る。 と い- のは'玉置氏 の支持 母体 であ る生長 の家 は'先 にも触
いて会長 にな った玉置 氏 は「憲法問題や靖国神社法案など に ついては、
と ころが 一方楠氏 の支持 母体 は、立正佼成会 や パー フ ェクト ・リバ テ
玉置和郎氏 (
会 長)と楠 正俊 氏 (
会長代行) のド ッキ ング の持 つ意味
これま で各団体が率直 に意見 をぶ っつけ合 って いな い。相違点があ る
(
25)
のは当然だが'小異 を残 し て、大同 に つく精神 で いく」 と 語 っ て い
憲法を支持す る立場を持 っており'また靖国神社法案 に反対す る立場
合 おうと いうも のであ る。
る。 「英霊 にこたえ る会」 の所 で述 べた如く'国民 の世論 を 組 織 化
(
新 日本宗教青年会連盟)は七四年 の参議院議員選挙直前 に、始 めて大
を表明 してき た教団連合 であ る。 とりわけそ の青年組織 であ る新青連
のデ モの先頭 にた った のであ る。あ る意味 ではこ の新宗達 の動き は靖
衆的な靖国反対 の大デ モソスト レー シ ョンを行 い'ま た楠氏自身もそ
ィ(
p ・L)教団等を核 にした新宗達 であ り、 こ の新宗達 は現在 の平和
Ltそ のこと によ って自民党 だけ ではなく与野党 の協賛体制 にも って
このような 二 つのねら いを持 つ宗政研 の結成'宗政協 の構想 であ る
いくtと いう方向 であ る。
が'もう少 し これら の持 つ意味 に ついて掘りさげ ておこう。
国神社法案 の死命 を制す る上 で最も誘 きた役割を果 たした のであ る.
そう いう わけ で' これら 二 つの教 グ ループ は同じく政治的 には自
団
田派 であ り、また何 よりも福 田派 や中曾根 派 に親近感を持 つ青嵐全会
大平' 三木'中曾根 の五大派閥がそ ろ って いるが' 三分 の 二別後 は福
た のであ る。宗政研 と連動 す る形 で構想 され た宗政協が そ の結成 の運
民党 を支持 しながらも'憲法問題や靖国問題 で厳 し い対 立関係 にあ っ
先 に表示 した宗政研 の会員を派閥別 にみ ると自民党 の福 田'田中'
員 によ って幹部が占 められて いるよう に、 タカ派議員が非常 に目 に つ
4
8
び に至らな いのも、教義的争 いととも にこうした事情が横 たわ って い
る のであ る。
そうした厳し い対立状況を持 って いた 二 つの教団グ ループを支持 母
体 とす る玉置氏と楠 氏が手を握 り合 って'選挙共闘 のみならず 「国民
党議員も宗政研 に加わること によ って
〝大宗教連〃
合が可能 となり'
(
27
)
得
る
tと いう点 に
政界 の右寄-再編 への可能 性'布 石 の意味 をも持 ち
︹註︺ ﹃
中外 日報﹄ (
七八年 一二月 二日号)' ﹃仏教 タイ ムス﹄ (
七
ついても注意を払 っておかなく てほならな いだ ろう。
八年 二 月 五日号) の報道 によれば '〓 月 一日に福 田総 理、
大平幹
れ によると過去 一年間 の活動と して'岩村 忍京大名誉教授 を講師 に
運動」ま でおこそうと いう のであ る。 この背景 としてほ先 に 述 べ た
「イ スラ ム社会 の宗教 と政治」 を テー マに開 いた第 一回研究会 を皮
がも たれ' こ の 1年間 の活動 の総括 と今後 の方針が決定 されたoそ
めに同じ-政治的 には自民党 (
保守 )を支持 しながらも選挙 にお いて
切り に'計 二〇回 の勉強会'研修会を開催 したと いう こと であ り、
事長、中曾根総務会長を来賓 に招き 「
宗政研設立 一周年記念総会」
も、あ る いは 「国民運 動」 の面 にお いても動き にく い状況 におかれ て
また第 二年度の事業 としてほ研究 テー マごと のプ ロジ ェクトチー ム
「
靖国神社国家護持」運動 の路線転換、当面靖国神社法案 は棚 上げ に
いた新宗教教団を含む教団が'選挙 にお いても'また 「国民運動」 に
す ると いう ことが 一つの大きな要素 としてあ るだ ろう。靖国があ るた
お いても積極的 に動きう る条件が出来 る第 一歩が踏 み出されたわけ で
各研究 テー マを列記すればH宗教法人 の管 理運営'⇔宗教法人 の税
このこと によ って、七〇年代初頭 の現体制 の危機'革 新 の台頭と いう
それ はとも かく として'宗政研 の結成 は'右派教団 による 「
新宗達
(
26)
中道派連合」 をも含む教団全体 の統合'大同団結 の第 1歩 を意味 し'
よる戦没者慰霊 の歴史'④戦没者 の埋
団体 に関 す る免 税等 の措置'が掲げ られ七 おり'ま た絢 には① 国 に
国 による宗教的建造物 への公費支出、④ 公職 と宗教 の関係'⑤宗教
の⇔ には①宗教団体 の法人格、④ 国 による宗教家 への給与支給、④
いよ いよ動き出 したと いう感が深 い。
・
慰霊等 に対す る国 の干与
格'⑤慰霊問題 に対す る諸宗教団体 の姿勢 tが掲げられて いる。
④靖国国家護持法案賛成 ・反対運動、④慰霊 の公的性格 と宗教的性
葬
制'斡諸外 国 の宗教政策t的戦没者 の慰霊tと いう こと であ り' こ
事態を契機 として表面 にあら われ てき た選挙 におけ るより 一層 の自民
を作り'グ ループ単位 の研究をす る こと にな ったと のこと であ る。
あ る。 そう い った意味 でも' こ の路線転換 の意味 は大き か った のであ
る。
党支援、さら には先 にみた如き特徴を持 つ新 たな反動的 「
国民運動」
久
の展開を 1層計 画的'有効的 に行う ことを狙 ったも のであ ると いえ よ
ノ0
また' これ ととも に'尚流動的 であ るが' こ の結 成 にあ た って、民
社党 と の話 し合 いがも たれた こと'ま た選挙 のと ころでも 述 べ た 如
く'属社党 と新宗教教団 と の周係を念虜 にお いた場合、やが ては民社
49
「元号法制化」運動
四 今 日における反動的 「
国民運動」 の典型 としての
のキ ャラバ ン隊を迎え る活動 の中 でそ の地方毎 の運動を活性化さ せ、
そ の力 で地方自治体 へ請願'決議 をあげ て い った のであ る。 九月 (
七
政党 のわくを越え て推進しようとし ている 「国民運動」 は'七 四年 の
議 を求 める回覧板 を回 し、市民 の大半 の賛 同を得 ' これを背景 に市議
(
29)
会 に働き かけた結果'全会 一致 で元号決議案が採択 され た」 と いう こ
会」 に参 加した青年が中 心とな って' 「各家庭 に元号法制化市議 会決
(
九月 二二日).
を切 った伊 万里市 の例を み て み る と、 「中央国民大
七年 )議会 で四県 五市 の議会決議があが った。例えば全国 の ト ッ プ
「日本を守 る会」 の結成以来、反動的 「国民運動」がすす め て き た
さ て'前章 で述 べた宗政研結成 の意味 'とりわけそ の従来 の宗派や
「国民的合意」 の形成' 「国民世論 の組織化」を 一層、強 力 に体系的
と であ る。
同じ よう に冬 には東 日本を中 心 に 二〇 日間 にわた ってキ ャラバ ン隊
に行うとす るも のであ り'又そ のこと により 「
与 野党 の協賛体制」を
めざそうと い-も のであ るが、そ の典 型を示 した のが今 日 の 「元号法
を派遣' 二四道府県を訪問 し'そ の結果 一二月議会 で 二〇県 で決議が
0 月段階 で
こ の運動 は七八年 三月議会 で三六府県'そ して l年後 の 7
あが った。半年 で過半数 の道府県議会決議 をあげ た のであ る。さら に
制化」運動 であ ろう。
今 日 の 「元号法制化」問題が本格的 に議論 され はじ めた のは七 五年
念式典」を契機 に推進側 の運動 ほより活発化 し ていく。翌年 の二月 一
に至 った のであ る。熊本や宮崎 にお いてほ 一
〇〇 パー セソー の市 町村
は北海道 、沖積を除く 四五都府県七 八〇〇 の市町村議会決議 をあげ る
頃 であ り'七六年 一一月 に行 わ れ た 政府 主催 の 「天皇在位 五〇年記
一日を中 心とす る全国 で の紀 元節奉祝集会 では 「元号法制化」 の決慕
す るも のであ り、彼ら の 「
住民運 動」、「
草 の根運動」 に対す る並 々な
れ には ヒナ型があ るが )をあげ たそ の早 さ'多 きはまさ に驚嘆 に催 い
これま で靖国神社 国家管 理問題 にお いても地方議会決議 と い-も の
議会が決議 をあげ て いる。
この運動 の中 で非常 に注 目され る のは、自 らが 「
住民運動」、「
草の
加)が開 かれ、 これま で各民間団体が推 し進 めてき た運動が ここでは
(
28)
じ めて統 1され'以後運動 は急速 に展開 し て いく0
「国民的合意」 の形成、 「国民世論 の 酢織化」 と いう彼 ら の新 たな反
ら ぬ熱意 と組織性、計 画性 は注 目 に催 いす るも のであ ろ -。 ま さ に
(
於 サ ンケ イホー ル'五〇団体' 1五〇〇名' 五人 の国会 議 員 の 参
が次 々にあげ られ'そ して五月 三日 「元号法制化要求中央国民大会」
根運動」 と評価 した、府県町村議会 への請願'そ して'そ こで の決議
こう した運動を基礎 に七八年 六月 一四日 「元号法制化促進国会議員
動的 「国民運動」 の特質が遺憾 なく発揮 され ていると いえ よう。
はたしか にみられ たが ' わず か 一年あ まり でこれだけ の議会決議 (こ
をあげ させる運動 であ る。 七七年夏 に西 日本 を中 心 に先 の中央国民大
いて 「講演 と映画 の夕 べ」' 五〇都市 にお いて街頭宣伝 を行 ったO こ
会 に結集 した青年 を核 にしたキ ャラバ ン陸が派遣 され、 二〇都市 にお
50
連盟」が発足、さら に七月 7八日 には「元号法制化実現国民会議」が発
ば ' はば 「日本を守 る会」、「英霊 にこたえ る会」 の関係者 を中 心 にす
料を得 て いな いが、呼 びかけ人' およびそ の他 の役員 の構 成 を み れ
盲名 の代表委員ならび に参 加団体名 に ついてはそれらを確定す る資
の各団体 を結集)0
公明党 は参加 はしな か ったも のの'発会式 には坂井広報局長を出席 さ
員)、新自由 クラブ 二二名 (
全員)'そ の他 四名 の計 四 二 人が参 加'
(
同盟会長)が 入 って いる如く、「国民会議」 の加盟団体 には 「日本
るも のであ ることは明らか であ ろう。但 し代表委員 に'天 地 清 次 氏
足 した。前者 の 「
議員連 盟」 には自民党 三四六名、民社党 三九名 (
全
せ'挨拶 をさせて いる。役員 は以下 の如く であ る。 ︹顧問︺前 尾 ・中
ク)'河 野謙 三 (
無 所属)' ︹
会長∪ 西村尚治 ' ︹副会長∪鯨岡 ・玉置
この 「議員連 盟」、「国民会議」 の結成を受け て'今度 は再 び地方 に
を守 る会」や 「英霊 にこたえ る会」 とは比較 になら な い 程 の 「
幅広
(
30)
い」団体が結 集 して いるよう であ る。
曾根 ・町村 (
自民)へ佐 々木 ・塚本 ・春 日 (
民社)、河野 ・西岡 (
新自
(
自民)'受 田 ・向井 (
民社)'山 田敏夫 ・有 田寿 (
新自 ク)'︹
事務 局
戻 る。す なわち八月 には再 びキ ャラバ ソ隊を 三隊派遣 し 一カ月 の問 に
長︺中野寛成 (
民社 ) の各氏と い った顔 ぶれ であ る。
会長 の西村尚治氏 は神道政治連 盟 (
神社本庁)や 日蓮宗関係 の支持
この県民大会 は大分 の 二 二〇〇名'兵庫'福岡'神奈川'大阪 の千
全国 一斉 に都道府 県民会議 の結成とそ の結成集会を持 った のであ る。
名 を はじ め、総数 二万四千名 の参 加 (二千名以上 の地方議会関係者 、
を得 た人 であ るが' この種 の議員連 盟と しては民社党や新自 クの全 員
を実現 している点が特徴 であ る' この点も先 の宗政研結成 と の関連 で
参 加 にみられ る如-極 めて多彩 であ り、 「
超党派」 =反社共'反革新
八五名 の国会議員 )があ ったと報告されて いる。そ して' こうした地
月 三日 「元号法制化実現総決起国民集会」 (
於武道館)を開催、 一
万
方 で の積 み重 ねを基礎 に臨時国会 で 「元号法制化」を実現す べく 一
〇
注目され ると ころであ る。
次 に 「国民会議」 の方 であ るが' これ は徳川宗敬 (
神社本庁総 理)
け で開 らかれ、議長 に石 田和外 氏'運営委員長末次 1郎 氏 (日本健育
〇 氏 の呼びか
事長)'大浜英 子 (
元中央選挙管 理委員会委員長) ら 一
衣)'永 野重雄 (日本商 工会議 所会頭)'春 日野清隆 (
日本相撲協会 理
動 を基 礎 に、まさ に 「国民的合意」 の形成、 「国民世論」 の組織化 に
動 ではなく、 「住民運動」'「草 の根」運動 と呼ば れた如く地方 で の運
成 ・大会- 「総決起国民集会」 と いう具合 に'中央 (
東京 )中 心 の運
決議- 「国会議員連 盟」'「
国民会議」- の結 成-都道府県民会議 の結
以上みた如く' 「元号法制化」運動 は 「
中央国民大会」- 地方議会
九千人 の参 加を得 ている。
石 田和外 (
元最高裁長官)、宇 野精 一 (
東大名誉教授)'天地清 次 (
同
会)、事務総長 に副島広之氏 (
日本を守 る会 ) 及び代表委員吉名を選
極 めて大きな力を はら い'それを基礎 に中央や地方 の議会 に 働 き か
盟会長)'黛敏郎 (
作曲家)、山岡荘 八 (
作家)' 細川隆 元 (
政治評論
目標 にしている (
発会式ま でに七〇〇余団体 の経済 ・宗教 ・芸能 など
出 している。 ま に他 た この各種団体約千、学 者文化人 五千名 の結集を
51
いる有力な団体 に生長 の家 や勝共 連合や神社本庁等 の右派 教 団 が あ
こうした極 めて 、計 画的な組織 だ った運動 の核 にな-'それを支え て
け、 「
超党 派」 -反革新 、反社共tを実現 している のであ る。そ して
を阻止す るため に、反共 '反革新 を旗印 に積極的 に選挙
る。今 日 の右派を中心とす る新宗教団体が 〝
与野党接近
に
〃
かかわ っ
、 〝
逆転
て
〃
彼ら の強 さ の表現 ではな-'まさ に危機 の産物 であ ると いう こと であ
まず指摘 しなければ いけな いのは'今 日 の急速な右傾化'反動化 は
管 理運動が動き だしたよう であ る。 「英霊 にこたえ る 会」 で は 天
︹註︺ 最近 この元号法制化運動と同じ ようなやり方 で靖国神社国衣
として の 「日本を守 る会」が結成 され た のも 七 四年 であ ること にみら
院選挙 から であ り'ま た今 日 の反動的 「国民運動」 の拠点'総 司令 部
き た のが 七 一年 の第 九回参議院選挙'とり わけ七 四年 の第 T
〇回参議
り、またそ の青年層があ る のであ る。
皇、首相など の公式参拝を求 める 一千万署名運動を展開現在 そ の七
の前進、国内的 には広範 に噴出 した住民運動等を基礎 にした革 新勢力
れ る如く、 六〇年代末∼ 七〇年代初頭 の国際的 には.ベトナ ム解放闘争
の台頭、他方 ではド ル危機 や石油 シ ョックによる日本 の独占資本主義
割 近-を集 め近ごろ政府 に提出 したと伝えられ るが' これ と並行 し
として 「英霊 にこたえ る会 三重県本部」 は県議会 に政府 に対 して天
体制 の危機 と いう総じ て'戦後 日本 の体制を策 いてき た政治的'経済
て'地方議会 に請 願書 を提出 しそ の採択 を迫 って いる。そ のト ップ
皇、首相 の公式参拝 を求 める「意見書」を提出 した。議会 はこれを礼
の本質 を見失 う こと になるであ ろう0
て、ただ いたず ら に危機感 や焦燥感、あ せりだけを感じ る のほ'事柄
そう い った意味 では'今 日 の急速な反動化'右傾化 の 進 行 に 対 し
的 な危機 の産物 であ ると いう こと であ る。
(
﹃
朝 日新聞﹄七 八年 一二月 一三日号'﹃
赤旗﹄同年 二 一
月 二二日号)0
会'共産 両党 など の反対を押 しき って、 1二月 T五日 採 択 し た.
おわリに
を払 わな いならば、 これも取 り返 し のつかな い事態 に追 い込まれ てし
に対 して'十分 な注意 と警戒
しかしながら他方 で、危機 にまみえた反動側 の必死 の巻き返 し1
まう であ ろう。 とりわけ こ の巻き返 し の持 つ次 のような点 には十分な
それが本稿 で分析 したも のであ るが⋮
ち い った自民党 を中 心とす る保守政治 を支 え'
他方 では、それを利用し
以上'右派的な新宗教教団 を中 心とす る靖 国が' 一方 では危機 にお
ながら'新 し い形 の反動的 「国民運動」を展開 し'そ のこと により'
注意 と警戒を払う必要 があ るよう に思 われ る。
制化」運動 のと ころで指摘 したと おり であ るが' この点 に ついては次
この点 に ついては'「日本を守 る会」 や 「宗政研」'さら には 「元号法
第 一に反動側 の大同団結 ,結集,細静 化が進 んで いること であ る。
日本 の政治を大きく右 より に旋回 させてき ている状況 に ついて述 べて
き た。
最後 にそ こでみられた'今 日 の反動化'右傾化 の特徴をもう少 し 一
般化しておこうO
5
2
りことi
Jついて,,
t
t
l
意を促 し ておき た いO私たちは教団 の結集'大同団
心 の運動 ではなく'「住民運動」'「
草 の根運動」 として積極的 に「国民
内 の自民党 を中 心 に働き かけ る'そう い った意味 では中央 (
東京 )中
りと根 の張 ったも のにし て行 こうと して いる事 であ る。そ して'そ の
的合意 の形成」、「国民世論 の組織化」を狙 っていること、
地方 にし っか
結 に ついてはあ まりそ の持 つ因襲性 に気づ かな いが'実 は教団 と いう
に比した場合'最も困耗 なも のな のであ る.
も っとも元号問題を含 めて'今 日 の反動化が実際 にそ のよう にすす
「国民的要求」 の実態づくりを目ざ して いること であ る。
上 で マス ・コミに働き かけ'政治 に働き かけ て'「
超党派」、「
多数」'
も のの共同行動 はな かな か困難 なも の、極論すれば他 の諸団体 の結集
一般的 にい って 「既成教団」 と本稿 でしば しば 登場 した新宗教教団
たわ っているが'そ の新宗教教団 の間 にお いても、あ る意味 ではそれ
であ るわけ であ るが' しかしながら'そう い った方向 を目ざ して いる
んで いる' と いうわけ ではな い。 そ のよう に見 せかけ て いる側面が大
の間 にはそれぞれ信者 の獲得 (
教練 の拡大 )を めぐ って対 立関係が横
以上 に激 し い対 立、競合関係があ る のであ る。 とりわけ'例えば 立正
第 三 に'右 のことと関連す る こと であ るが これま で革新 の側 の武器
こと に ついて決 して軽視 してほならな いと思う。
であ った民主主義的諸制度 、諸 手段を フルに活 用して いる こ と で あ
に'新宗教教団 はそ の性格 上 一般的 に い って離 合集散が激 し いも ので
佼成会 や仏所護念会等 は霊友会 から分派'独立した教団 で あ る よ う
あ るが'そう した間柄 にあ る教団間 の対 立関係 は私 たち の想像以上 の
る。 地方議会 への請願 ・決議運動や組織 を利用 して の何十万、何 百万
と いう署名'また千単位'万単位 のデ モンスト レー シ ョンや集会、さ
らと い っても'そう簡単 には共同行動 はでき な いのであ る。
また 「伝統的」な神社本庁と韓国 から の輸 入物 であ る日本統 一協会
いは ﹃元号新聞﹄発刊 にみられ る大が かりな広報'宣伝活動等 々であ
ら には意図的 な大が かりな世論調査 の実施 とそ の積極的 な活 用、あ る
も のな のであ る。 したが って霊友会 と仏所護念会が右派的な教団だ か
の問 でも、同じく反共 であ るからと い って'そう簡単 に手を握 り合う
革新 の側が全体 と して' こうした民主主義的制度'手段 の活用 にお
る。
ことも出来な いのであ る。
遮 り'さら にそれだけ ではなく 立正佼 成会等 の新宗達加盟教団 と の共
時点 にお いて'彼 ら のこのような行動 は何 か 「新 しさ」を感じさ せ'
そう い った状況があ る にも かかわらず '右派教団が全体 として手を
同を めざそうとして いる状況を私 たちほ決 して軽視 してほならな いと
(
31)
思 う.
またより以上 に 「力」 を感じ させるも のにな っている、 このこと は注
とりわけ これま で の右翼勢力がも っぱらそ の行動 の方法 と し て き
目 に億す るであ ろう。
いて' マソネ-におち い ったり'全体 として若干 の後退傾向 にあ る現
第 二に'そ う した大同団結 を基礎 に'国民を積極的 に組織化 しょう
としている点 であ る。 この点 に ついても 「英霊 にこたえ る会」 の結成
や コ誉 号法制化」運動 のと ころでみた如く であ るが 、 これま で の国会
53
た'例えは 元号問題 におけ る歴史学研究会 への襲撃や卑劣な個人攻撃
ヽヽヽ ヽヽ
にみられ る如-'少数 者 の暴力 による圧迫 と併 用して'さき に述 べた
ヽ
如-民主主義的制度'手段を逆利 用 して の多数 のイ メージづく り'多
ヽヽヽ
数 の力 の誇示を行 って いること、 この二つをうまく かみ合 わせている
以上 の三点が'今 日反動 の側 の必死 の巻き返 しが持 つ運動 の進 め方
点 に注目す る必要があ る であ ろう。
におけ る特徴 であ る。
の契機 にな った のも実 は この式典 をき っかけ にしたも のであ った。宗
政研事務局長村 上正邦 氏 (
生長 の家政治連合国民運動本部長) は この
間 の事情を次 のよう に語 って いる。 「去年 の秋 に'天皇陛下 のご在位
また 「英霊 にこたえ る会」を結成 Lt靖国問題 の当面 の重点 を靖国
五〇年を お祝 いす る集まりがあ ったが'そ こで各宗教団体 は初 めて協
(
33)
力した。そ の経験が生き て新組織づく り に つなが った」。
た如く'反靖国闘争 を先頭 にた ってたたか った新宗達加盟数団 の少な
の方向 に十分 まき こめると の計算 にた ったも のであ る。事実先 に述 べ
これならば反靖 国 で結集 して いる右派教団以外 の新 旧教団 を自分 たち
神社 はそ のまま にしてお いて'天皇 や首相 の公式参拝 にお いた のも'
この点 に ついては 「日本を守 る会」結成 の趣旨及び五 つの基本活動方
次 に'運動 の拠り所 にな る理念 にかかわる特徴を指摘 してお こう。
針'さら には 「宗政研」 の趣意書 '及び会則を思 い起 こして欲 し い。
す こと によ って 「敵」を分断 し大同団結 を計 ろう としてい る の で あ
る。
からず の教団 はそれぞれ の式典 にお いて' 日 の丸を掲揚 Lt君が代 を
独裁的 )革命主義 ととらえ'そ の克服
-民主主義運動 -唯物 思想 = (
また' この天皇問題 に ついて'もう少 し っけ加え ると、大同団結 に
唱 い' さら には皇居遥拝を行 って いる のであ る。 まさ に天皇を持 ち出
として' 「
伝統的精神 に則 り'愛国 心を高揚 し、倫 理国家 の大成を期
してとらえ る のではなく' 「個人的'集団的 エゴイズ ム」 (
利 己心)
す る」'「
宗教心 に基く政治 の確 立」 と'今 日 の人権 思想'民主主義的
憲法下 の天皇像を押 し出す のではなく'現憲法 の象徴天皇 と いう規定
そ こに共通 して いるのは'今 日 の諸矛盾 を戦後 の自民党政治 の矛盾 と
権利 の思想 に心'倫 理'道徳'伝統的精神を対置 し、それ に基づく政
(
32)
治、国家 の確立を掲げ ていることであ る。
の拡大解釈 (
「
伝統的解釈」) の路線 上 に位置付け ている点も今 日 の特
はす でに述 べたが'実 は 「宗政研」 の結成が出来 た のも'具体的 には
六年 に政府が行 った 「天皇在位 五〇年記念式典」が 画期 にな った こと
天皇主義的 ・国家主義的 イデ オ ロギ ーの急 ピ ッチの進行 の契機 に、七
あ る いはしようとして いること であ る。今 日 の元号問題を中心とす る
民的合意 の形成」 の運動'そ のため の民主主義的諸制度、手段 の逆利
結」 の進行、 およびそれを基礎 にした 「下 から の国民 の組織化」'「国
以上'今 日'危機 にまみえた反動側 の巻き返 しが持 つ運動上 の特徴
t
・
及び理念上 の特徴 に ついて述 べてき たが、そ こで指摘 した' 「大同団
徴 であ ろ-0
あ た っては'必ず しも生長 の家等 の右派教団が考え て いるような明治
第 二にそうした線 の上 に'具体的 には天皇問題が核 にな っている'
す で に述 べたような深 い意味 を持 っている玉置氏と楠氏 のド ッキ ソグ
54
年会連 盟は毎年 八月 一四日 に国立 の千鳥 ケ淵戦没者墓苑 (
無名戦士 の
現実 にあ ること に示 して いるであ ろう。
また靖国問題 にしても'新宗達加盟教団 の青年組織 であ る新宗達青
用とそ のこと による 「多数 の力」 の誇示と い った運動 のすす め方 の特
に天皇 に集約 していくと いう運動 の理念上 の特徴 は、本稿 で分析 した
降積 氏 に次 のような感動的な「
戦没者 に捧げ る言葉」を贈 って いる。
ヽヽ
「<お国 のた めに >とか <誰様 のために >とか大義名分 に揺り動 か
徴 '及 び伝統的精神'倫 理'宗教 '心 の問題 を押 し出 し、それを基礎
され て尊 い生命も すば ら しき青春も散 ら してしま ったことを'悔 や
が'本年 (
七 八年 )行 われ た第 二二回式典 にお いて同会委員長 の力久
最後 にこの点 を踏 まえ て私 たち の課題 に ついて若干述 べ て お き た
ヽ0
、
.∨
まれ ておられ る ので はな いかと推察 いたします。名誉 の戦 死だと今
塞 ) にお いて 「
戦没者合同慰霊並 び に平和祈願式典」 を挙行 して いる
本稿 にお いては'今 日 の反動側 の巻き返 しに ついて注意を促が す意
の少 な から ぬ場面 にお いて共通 しているよう に思う のであ る。
味 にお いて、やや 一面的な分析 におち い ってしま った ことを恐れ るも
も思 っておられます か?'戦争 に名誉があ るならば い つ地上 から争
宗教教団 の場合 にのみあ てはま る のでほなく'今 日 の右傾化'反動化
のであ るが、も ちろん反動側 の目論見通 り事態が 進行す るため には尚
いが無く な るでし ょう か?'名誉 は平和 のため にのみ捧げ られ る言
(
35)
例えば本稿 にお いては'右派教団グ ループ の立正佼成会等反靖国闘
このよう に有事 立法 や靖国問題を めぐ る右派教団 と新宗達 と の間 に
き は尚大き いと いわねば ならな いであ ろう。
葉 だと思 います」。
(
空
ここで述 べられ て いる 「慰霊」 と右派教団 の 「英霊顕彰」 と のひら
多く の矛盾が横 たわ って いる。
争 をたたか った新宗達 グ ループ の取 り込 み路線 に ついて強 調 したが'
「宗政協」構想が実現 して いな いごと-' この両者 の完全な る合体 に
はひらきがあ るLtまた新宗達加盟教団内部 で の幹部層 と 一般信者 や
は尚溝があ るよう に思う。最近 の有事立法制定 の動き に対 して新京連
理事長 であ り立正佼 成会会長 でもあ る庭野 日敬氏 は次 のよう に語 って
青年層 と の問 のひらきがあ るであ ろう。
また何 よりも'右派教団も含 めて教団 の圧倒的多数 の 一般信者 は'
いる。
あ る意味 では今 日 の自民党政治 の矛盾を最も 深刻 に蒙 って いる層 であ
「押 し っけられても、私 は、 この (
平和)憲法 は素 晴ら し いも ので'
それを守 ったら幸 せにな る のだ から'少 しも悪-な いと思う のです。
ろう。 このような信者を果 して今後 とも より 一層反動的 な政治や運動
私 たちは先 に述 べた如く '今 日 の急速な反動化'右傾化 の進行が'
に動員す る ことが でき る のか' こ の点 に ついて最も大きな矛盾を かか
最近また日本も武装 しなけ れば なら んと いう ような説も チラホラ耳 に
(
34)
しておりますが、そう いう愚 かな こと はしてはならな いと 思 う」。 こ
え ていると いえ ようO
は別 としても'少く ともそう いわなければ ならな い状況が教団 の中 に
れが福 田首相 など とも入魂 の間柄 にあ る庭野氏 の本 心 であ るかどうか
55
動側 の新 し い巻き返 しに十分な る注意を払 い つつ'何 よりも反動化'
勢神宮参拝 は、福 田氏を始 めとす る歴代首相 のど の参拝 よりも、伊
相 の年頭 の伊勢神宮参拝 であ る。 クリ スチ ャソであ る大平首相 の伊
のであ るOす でに大平氏 は これ と同じ ような役割 を演 じたo大平首
右傾化 の 一つ 一つのあ らわれ に対 し'そ の持 つ危険性を ひろ- 国民 の
に 一歩 すす めた のであ る (一九七九 ・一記)
勢神宮 を特別 のも のとす る上 で大きな役割 を果 たした。問題を確実
反動側 にと ってほ危機 の産物 であ ること、 こ の点 に確信を いだき、反
車 にあき らか にす る こと'そ して国民 の生活を守 り民主主義 の擁護、
し い特徴をも つ反動側 の巻 き返 しを失敗 におわら せる唯 一の道 であ ろ
と いわれた三木
の首 相が最も反動的な役割 を演じた
(
1) 木表 の数字 には各教団が信徒 であ るとか会員 であ るとか の理
由 により形式的 ・名 目的 に推 せんした場合 は 1切含 まれて いな
い。教団がそ の組織力を動員す ること によ って当選す る ことが
でき た者 の数 であ る。但 し カ ッ コを付 してあ るも のはそ の教団
の組織的活動 によ って のみ当選した のではなく他 の教団または
他 の団体 の組織力をプ ラ スす る こと によ って当 選した場合 の数
字 であ る。従 ってそ の場合 の数字 の大きさ は必ず しもそ の教団
の力を示すも のではな い。
木表 は ﹃
宗教 は生き ている﹄ (
毎 日新聞社)'松 尾義行 「
戦後
保守政治 と宗教教団」 (
﹃
現代 の眼﹄ 七八年 三月号)' 佐木秋夫
「
宗教団体 と政治活動」 (
﹃
文化評論﹄ 六 二年 九月号) 等 の文献
・論文を基礎 に各種政党紙 '宗教紙 へ 一般紙 'ならび に ﹃
参議
院議員選挙 1覧﹄ (
第 一回∼第 二 回' 参議院事務局) 等を参
照 にして作成 したも のである。事柄 の性質 上、そ の人 の当選 に
あ た って'ど の教団 の票が何票入 ったかを確定 でき るも のでも
なく'そ の意味 でこ の表 は完全なも のと は言 い待 な いが 'それ
でも全体 の傾向を ほぼ つかむ ことが でき ると思う。
(
2) も っとも' 六〇年代 の新宗教 を中 心とす る教 団 の 選 挙 (
政
治) への進出、自民党 と の つなが り の背景と して、 六〇年安保
を経験 した米 日支配層 の文化 ・
宗教政策 (ケネデ ィ・ライ シャワ
ー路線 )も見逃 してはならな い。 しかしながら こ の支配層 の要
請 に答え得 た教団内部 の エネ ルギ ーはや はり対創 価学会 と い-
発展さ せる運動を意 をあら た にして展開す る こと' こ のことがそ の新
う。 まだそ の可能性 は十分残 され ている のであ る。
︹
註︺ 本稿 は昨年 (
七八年 ) 11月 1七 日 の奈良 歴史研究会例会'
であ る。 したが って福 田首相等 の表現 にな っていることに ついて'
同 二五日 の民科京都支部歴史部会 で の報告 をも と に原稿化したも の
さ て'昨年 一二月 に大平新政権が劇的 に誕生 したわけ であ るが、
お断 りした い。
本稿 で述 べたことは基本的 には変化 はな いと思う。大平首相 は元号
法制化国民会議 や福 田'中曾 根両派 の通常国会再開冒頭 に元号法案
を提出 せよと いう要求 にも かかわらず '同法案 を新年度 予算成立前
流 の巧 いや-方 であ -'本質 的 には何も変化 はな い。事実'本年も
後 の三月末頃 に提出す る こと に決 めた。 しかしながら これ は首相 一
二月 11日 の民間奉祝行事を昨年 にひき つづ いて総 理府が後援 す る
と いう ことであ る. ま た 私 た ちは本文 で述 べた如く、戦後 八月 1
〃
五日 に首相が靖 国神社 に参拝す ると いう先鞭 を つけ た のが、岸氏 で
も佐藤 氏 でもなく'また田中氏 でもなく 〝ハト派
〃
氏が党内融和 と自己 の政権 の延命 のため にや ったと いう ことを思 い
起 こす必要があ るo 〝ハト派
56
宗教的なも のであ った。例えは 、
立正佼 成会 では、
自民党推薦 に
対す る下部 の抵抗 、
異和感 に対 して'
上層部 は 「邪教 (
創価学会
=筆者) から甘く見られ るぞ'落選 でもすれば弾圧され るぞ」
という ような論法 で意志統 1を はか った (
前掲佐木論文参照)0
(
3) こ の凋落 は後 に のべる如 く既成仏教教団が高度経済成長 と い
う 日本 の大きな社会変動 の影響を受けた結果 であ るが'直接的
には六九年 に自民党が靖国神社法案 を上程したと いう ことが大
き い。法案 の上程をき っかけとした、宗教界 におけ る反対運動
の盛りあが りは'教団が自民党候補 を支持す る説得性を失 わ し
めた。 この関係が最も象徴的 にあらわれ た のが次回 (
七 四年)
選挙 であ ったO こ の年自民党が衆議院 で強行採決を行 い'反対
運動も最高 に高揚 した. そ してこ の直後 に行 わ れ た 選挙 にお
いて西本願寺 は永 野鎮雄、立正佼 成会 は田沢智治'長谷川仁を
たてたが共 に落 選した。
(
4) ﹃
生長 の家政治連合 ニュー ス﹄ (
七七年 八月号)' 前掲 日野明
論文。
(
5) 霊友会系 の政治機関誌 ﹃-IC﹄ (
七七年 七月号)、同右。 ま
た同じ ような こと はp ・L教団 の政治研究団体'芸術 生活研究
会 の機関誌﹃芸生新聞﹄
も 「選挙前 から呼 び声 の高 か った 〟
与野
党逆転″ を阻止した」(
七七年 七月 一八日号)と述 べ、
神社 本庁 の
政治結 社神道政治連 盟は七 一年'重点政策 と して 「日共 の<平
和革命 >に処す る 解明啓蒙」 (
﹃
神社新報﹄ 七 二年 四月 一七日
与野党伯仲 の
号)を 打 ち出 しさら に七七年 の還挙を前 にして 「
政情 の中 にあ って神道 政治連盟 の活動 は 1段 とそ の重要性を帯
びてま いりました」 (
﹃
同﹄ 七七年 六月 六日号) と述 べて いる。
(
6) こ の表も註 (
1)と同様な規準 にょ って いる。 したが ってこ の
二回 の選挙 にあ って東 '西本願寺 や日蓮宗'あ る い は こ れ ら
「
既成仏教」教団 の連合体 であ る全 日本仏 教 会 (一一五教団)
はそれぞれ推薦候補 を発表 しているが'右 の考え方 により省 い
た。尚 キリ スト教 に ついては七 五年 一月 にキ- スト老政治連 盟
(
横川正市委員長'会員約 一千人) が結成 され、 また七六年 一
一月 に日本 キリ スト党 (
武藤 富男委員長、党員 八〇〇)が結成
された。 そ して七七年 の参院選全国区 にお いて前者は松前達郎
氏 (
社新、当選)を推薦 Lt後者 は武藤 氏が 立候補 (
無 ・落 選)
した。
(
7) 例えば '七七年参院 選 にお いて' 「
最大 の激戦 地、東京 で最
高 の得票数 を記録 した全国区候補 恨、公明党 の柏原 ヤ ス氏' 二
位が官本顕治氏' 三位 は田英夫氏 (二四万票) でも江田五月氏
(二三万票) でもなく'新宗達 を パ ックの無名 に近 い楠 正俊 氏
(二八万票)」 (
﹃
宗教 は生き て いる﹄ Ⅰ) であ った。
(
8)(
9)(
10) 前掲 ﹃
宗教 は生き て いる﹄Ⅰ。尚 こ の民社党 の問題
に ついては尾平野豊 「
参議院 選挙と宗教団体」 (
﹃
前衛﹄ 七七年
八月号)参 照。
(
11) ﹃
神社新報﹄ (
七 六年九月 二七日号)。
(
12) 尚 こ の会 の結 成 の契機 は 1九七三年 の 「世界連邦平和促進宗
教者大会」 の第 五回大会 であ ったよう であ る。
﹃
新宗教新聞﹄(
七
六年 六月 二五日号) および影山省 一郎 「
宗教界 〝
右旋回″ を策
す闇 の仕掛 人 の正体」 (
﹃
創﹄ 七 八年 」 一月号)、 同 「 〝新 日本
構想″と宗教界再編 の真相」 (
﹃
同﹄ 七八年 一二月号) 等参照o
(
13) ﹃中外 日報﹄ (
七七年 二月 一日号)
。
4
1) ﹃
神社新報﹄ (
七七年 二月 二八日号)
0
(
(
5
1) 註 (
11)参照。
(
16) 拙稿 「<建 国記念 の日 >の国家行事化 に反対す る」 (
﹃日本史
研究﹄ 一六四号)参照。
(
17) 本稿 は 「日本を守 る会」そ のも のに ついて の分析を行う のが 7
課題 ではな いので十分 な る分析を行 いえな か ったが'我 々の運 5
動をすす めるにあ た ってほこの会 のき ちんとした分析を早急 に
行う必要があ ると考え る。
西川重則 「<英霊 に こたえ る会 ∨とは何 か-問題点 と私 たち
の課題」 より引用。
以下 の引用 は ﹃新宗教新聞﹄ (
七 五年 二 月 二五日号)。尚引
用文中 の傍点 は筆者 のも のであ り以下同様 であ る。
﹃
神社新報﹄ (
七七年 一月 一七日号)0
宗政研'宗政協 に ついて の以下 の分析 は、各種 1般紙'政党
紙 、宗教紙及び週刊誌等を参照 したが論文 と し て は' 日野明
「
宗政研'宗政協泰平 <保守 >に 一石」 (
﹃朝 日ジ ャーナ ル﹄ 七
七年 10 月 二八日)'佐藤達 也 「現世利益が先 にた った宗 政 協
構想」(
﹃月刊 日本﹄ 七八年九月号)等 を参照 した。
前掲佐藤達也論文 より引用。
前掲 日野明論文。
﹃朝 日新聞﹄ (
七七年 一
〇 月 二 日号)。 尚各教団 のカ ッ コ内
の数字 は公称信者数 (
﹃宗教年鑑﹄ 五 一年版 ) であ り、 各教団
によ って若干異な るが 一般 にはこ の四分 の 一から五分 の 1が実
数 とされて いる。
同右。
前掲佐藤達 也論文。
﹃朝 日新聞﹄ (
七七年 一二月 二二日号)0
以下「元号法制化」運動 に ついては ﹃元号新聞﹄ を参照した。
﹃元号新聞﹄ 四号 (
七八年 一
.
〇月 三日号)0
未確認 であ るが'後 に述 べる 一〇 月 三日 の 「元号法制化実現
総決起国民集会」後 の記者会見 にお いて' 日経連や経団連等 の
財界団体 '
落語協会等 の芸能団体 'そして教団 としては右派的 な
教団 の他 に立正佼成会等 の団体が参加団体 として発 表された。
も っとも、今 日 の教団連合を考え る場合、 1万 では新宗教教
(
1
8
)
((
/
、
2
12
0
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ヽ
ー
ヽ
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団 の多く の教 祖が代替 りして、 二代 目' 三代 目 にな って いるこ
と' また いず れ の教団も はば教線 の拡大期をすぎ て安定期 に入
って いること等 の理由 により'教団間 の競 合が か つて のような
厳 しさをも たなく な ってき て いると い-教団側 の要因
ヽも
ヽ考
ヽ慮
ヽに
ヽ
入れ る必要があ ろう。 そ してまたこ のことが教団 の現状 の維持
のた めに'政治 (
家 )と の結 び つきを強 めたり、選挙 にかかわ
ること によ って組織 の活性化を はかることが必要 に な っ て るt と いう こと にな って いる のであ る。
(
E
B) こ の点 に関連 して'宗教教団 (
宗教法人) ではな-社団法人
と して活動 して いる、実践 倫 理宏正会や モラ Pジー (
道徳科学
研究所)等 の道徳'修養団体も、本稿 で述 べた選挙や 「国民運
動」 にお いて'重要 な役割 を果 たしており、軽視 でき な い。
(
33) 前掲' 日野明論文。
(
A) ﹃
新宗教新聞﹄ (
九 八年九月 二五日号)O
(
E
%) 同右、 (
七八年 八月 二五日号).尚 同青年会連 盟 は こ の 数 年
「日本 の東南 アジ アに対す る戦争責任 の 〝
俄悔″」 と日本 人 だ
け ではなく 「す べて の戦争犠牲者 に対 し て' 差別な-真 の慰霊
を行 い'平和を誓う」 た めに 「
東南 アジ ア青年平和使節団」 を
派遣 して いる (
同'七六年 七月 二五日号)0
(
讐 縄 田早苗 は 「戦没者 のみたまを慰 めること」 と 「
英霊を顕彰
す る こと」 には根本的 な相違 があ ることを指摘 し て い る (
同
右 '七五年 11月 二五日号)。
︹
追記︺
本稿を作成す る上 で奈良歴史研究会及び民科京都支部歴史部会 の例
会参 加者 の方 々から種 々の御批判 を いただ いたこと'ならび に日隈
威徳 氏 から は貴重な資料 の提供や アドバ イ スを いただ いたことに対
して深-謝意を表す る次第 であ る。
- 68 べ -.
シにつづく-
58
- 58ページよりつづくt
︻
本稿 は ﹃新 し い歴史学 のために﹄ 一五四号所収 の
「
今 日におけ る
を改 めて転載 したも のであ る。 こ の問題 に ついては註記 の文献 ・論
政治反動 の二㌧ 三 の特質1右派宗教教団 の役割 を中心 に-」 を表題
文 の他 に ﹃
新宗教 の世界﹄ Ⅰ巻 (
大蔵出版) 一九七九年 '﹃
神 と仏 と
自民党﹄肥野仁彦 (
徳間書店) 一九七九年 '﹃
宗教団体 の選挙活動﹄
北畠清春朝 日新聞社調査研究室 (
社内報告 一七 六) 一九 七八年 tが
新 し-出 され ている ので参 贋された い. 一九七九 ・二 、
︼
6
8