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出エジプト記
聖書の第2番目の書.直接には「出発」「退
出」を意味する〈ギ〉エクソドスに由来する
名称.ヘブル語聖書での名は〈ヘ〉ウェ
エーレ・シェモース(そしてこれらは……の
名である)となっている.これは五書の他
の書の場合と同じく,この書の最初のこと
ばである.
内容
1.創世記との連続性.
2.出エジプト記の内容.
3.レビ記,民数記との関係.
4.出エジプト記の記事の統一性.
5.出エジプト記とNT
6.出エジプト記の時期
1.創世記との連続性
出エジプト記の著者はその書出しにおいて,この
書が創世記を前提にした書であり,またその継
続であることを注意深く表現している.1章の冒
頭で,エジプトに移住したヤコブとその家族の名
をあげ,これから述べようとしている出来事が彼
らをそこに導いた創世記の出来事と切り離せな
いものであることを示している.すべては,アブラ
ハムの選びから始まった神のみわざの継続発展
である.時のつながり,歴史的発展が,この書の
基本にある性格である.
1.創世記との連続性
国民としての形成と土地所有の約束である.この書の初
めに出てくるヤコブとその家族たちは,エジプトにおいて
すでにパロが脅威を感じるほど多くなっている.しかしこ
れは,約束されている状態とはまるで違う.彼らはエジプ
トにいるのであって,カナンの地にいるのではないからで
ある.彼らは奴隷の立場にあり,それをどうすることもで
きないという状況である.これではとても偉大な国民であ
るとは思われない.かつて彼らはカナンの地のききんを
逃れてエジプトに移住した.約束の地で大いなる国民とさ
れるということは,ただ与えられたはずの地に住んでいれ
ばよいということではなかったのである.エジプトに住ん
だということは,ヤコブの一族が数の上で大いなるものと
される一つの過程であった.
1.創世記との連続性
奴隷の苦しみからの解放は,一面主との
契約関係による大いなる国民としての出発
点だったのである.このこと自体が「地上
のすべての民族は,あなたによって祝福さ
れる」(創12:3)ために必要なことであった.
このことは出エジプト記において具体化さ
れている.
2.出エジプト記の内容
この書の中心が,出エジプトの出来事そのもの
にあることは明らかである.しかし全体としては
出エジプトの出来事と共に,契約律法と幕屋につ
いての記述がこの書の特徴となっている.
出エジプトは奴隷状態からの救い,解放を語り,
律法は解放によって与えられた新しい立場を確
認させている.
幕屋は神と共に歩む新しい関係の具体化を示し
ている.そしてそのすべてが約束の地に生きる
大いなる国民への条件また過程として表現され
ている.
2.出エジプト記の内容
特に出エジプトに至る過程が詳細に述べられているのは,
神のみわざの中心が国民の形成にあり,単なる個人と神
の問題ではないからである.
その中で,エジプトの宮廷で育てられることになるモーセ
の誕生が語られる.しかし摂理によって指導者が準備さ
れるという出来事は,出エジプト記全体の流れの中でも
やはり準備的な性格のものであり,中心はイスラエルそ
のものである.彼らはモーセの指導のもとにエジプトのパ
ロと対決させられるのである(5‐13章).
そのことによって行動のための結束を始め,民族として
の立場を得るようになる.なお過越の小羊がイエス・キリ
ストの犠牲の型とされたことに示されるように,聖書全体
の啓示において出エジプト記は特別な役割を果している.
2.出エジプト記の内容
1.出エジプト 1‐17章
(1)苦役(1:1‐22)
(2)モーセの誕生と成長(2:1‐22)
(3)モーセの召命(2:23‐4:31)
(4)パロとの対決(5:1‐11:10)
(5)エジプト脱出(12:1‐15:21)
(6)シナイへの道(15:22‐17:16)
2.律法とその規定 18‐24章
(1)国民としてのイスラエル(18:1‐27)
(2)シナイでの啓示(19:1‐20:21)
(3)契約の書(20:22‐23:33)
(4)契約の成立(24:1‐18)
3.幕屋とその設営 25‐40章
(1)幕屋の構造についての指示(25:1‐31:18)
(2)反逆と赦し(32:1‐34:35)
(3)幕屋の設営(35:1‐40:38)
3.レビ記、民数記との関係
出エジプト記は創世記からの継続性を維持しな
がら,自ら新しい出発点となっている.その歴史
の展開は当然後続の書によって継承されていく.
イスラエルがエジプトを出たのは約束の地に向
かうためである.したがって出エジプト記の出来
事の終りは,民10:11以下の,シナイからの出発
の記事につながることになる.約束の地への指
向はこの書に数多く見出される(出3:8,6:8,
23:20‐26,32:34,33:1‐3,12‐17,34:11).
3.レビ記、民数記との関係
レビ記の律法もまた,出エジプト記の継続であり
補足である.
出27:1‐8,38:1‐7の祭壇の設立,
29:14,18の全焼のいけにえ,
29:28の和解のいけにえ等,
各種のいけにえの記事はレビ1‐7章のいけにえにつ
いての細部にわたる規定に
また出29章の祭司の任職は,レビ8‐9章の規定に.
さらに出30:10にある年に1度の贖罪は,レビ16章の
贖いの日についての規定によって補足されている.
出25:30とレビ24:5‐9,出25:31‐40とレビ24:1‐4,民
8:1‐4の関係も同様。
4.出エジプトの記事の統一性
出17:14,24:4,34:27等はモーセがそれぞれの部分を
直接書いたとしている.このことは当然この書の内容が
初めから連続した形で書かれていたわけではないことを
示している.
出7‐10章にわたるエジプト人への災厄の記事は,全体と
して見事に調和のとれた計画性に基づいていることが明
らかにされている.そこでは第1から第9までの災厄が3つ
のサイクルを形成している.
一つ一つのサイクルの第1と第2の災厄については,それぞれ災
厄が起る前にモーセがパロの前に出て警告する形になっている.
第3の災厄についてはいずれも警告がない.
さらにモーセがそれぞれのサイクルの第1の災厄の前に,朝,野
外でパロのもとに行っているのに対して,第2の災厄では,彼は
宮廷でパロの前に出ている.これをまとめると次のようになる.
5.出エジプト記とNT
旧約聖書の中でも出エジプトは後の「救
出」の型とされている.捕囚からの帰還は
第2の,そしてより偉大な出エジプトであっ
たと考えられた(エレ23:7‐8).
新約聖書において,キリストは過越の小羊
と言われ(Ⅰコリ5:7),ヨハネは過越の小
羊の骨が砕かれないことと(出12:46),十
字架上のキリストの骨が砕かれなかったこ
とを対比している(ヨハ19:33,36).
5.出エジプト記とNT
新約でキリストの贖罪のみわざそのものが,出エ
ジプトの出来事と重ねられているのは,キリスト
御自身がそのように見ておられたゆえであった.
キリストの死は新しい契約のための死である.そ
れは出エジプトの際に,血がイスラエルと神との
間の契約の保証となったことに対応するものとさ
れている.
出エジプトの出来事の究極の意味はキリストに
おいて成就される.贖われた者が天国で歌う歌
がモーセと小羊の歌(黙15:3)であるのはこのた
めである.
6.出エジプトの時期
出来事としての出エジプトは,現実にはい
つ起ったのだろうか.それは現在知られて
いる古代エジプト史や古代東方史と,聖書
の記述とがどのように調和するかという問
題でもある.この点で学者たちの理解は今
も大きく2つに分れている.
出エジプトを前15世紀半ば過ぎの出来事
とする,所謂早期説と、前13世紀の初めと
する後期説の2つである.
6.出エジプトの時期
早期説の基点はソロモンの神殿建設が出エジプトの出来
事の後480年たってから始まったというⅠ列6:1の言及で
ある.それをもとにソロモンの支配について現在知られて
いる年代から逆算して,前1440年をややさかのぼった頃
が出エジプトの時期とされる.エジプト史では第18王朝の
トゥトメス3世の時代である.彼が行った有名な大規模な
建築事業は出1:11の記事と符合するし,その前後の状
況についても,早期説をとれば一応の説明がつくのであ
る.考古学的にも,J・ガースタングによる発掘結果から,
エリコの陥落が前1400年以前であったという主張が,か
なりの重みを持つものとして受け止められた.また有名な
テル・エル・アマルナ文書に出てくるハビルの侵略の記事
も,ヨシュア指揮下のカナン征服の証拠とされている.
6.出エジプトの時期
後期説:K・M・ケニヨンの発掘により,ガースタングの発見
した城壁が,ヨシュア時代のものとは関係がないという見
解が発表された.またテル・エル・アマルナ文書の場合も,
ハビルがむしろカナン土着の者たちを指し,時に「お互い
を軽蔑的にハビルと呼び合っていた相対立する君主たち
に仕えていた」存在であることが分った.このように,出エ
ジプトを前13世紀とする後期説は,考古学的に明らかに
されてきた状況との符合が重要な支えになっている.ま
た出1:11のラメセスという町の名が前13世紀の有力なパ
ロ(第19王朝)ラメセス2世(前1290―1224年)自身との関
連を示すものにほかならないとする判断に基づいている.
このパロもまた偉大な建設者として知られているからで
ある.その首都はゴシェンの地と見られる地から遠くない
ところにあり,多くのセム系の人たちが労働者として使わ
れていたことも事実であった.
6.出エジプトの時期
この立場ではイスラエルの圧政者はこのラメセス2世か,
その父セティ1世であったとされる.「イスラエル石碑」とし
て知られているメルネプタの勝利の記念碑に刻まれてい
る,彼が征服したとされる民族名の中に,イスラエルの名
がある.これは歴史学的にはっきりイスラエルの存在が
確証される最初の証拠であるとされる.碑文の伝えるとこ
ろから,その征服は前1220年頃のことであるとされている.
これが出エジプトとカナン征服の年代の下限である.した
がって出エジプトの年代はラメセス2世の即位の年である
前1290年以降,前1220年以前に位置づけられることにな
る.トランス・ヨルダンでは族長時代以後5世紀もの間,人
が住んでいた形跡がほとんどなく,前1300年頃から居住
の密度が再び回復しているとするN・グリュックの指摘を
初め,考古学的にはこの後期説に調和するとされてきた
要素は多い.
6.出エジプトの時期
しかしこの説の大きな障害となるのが前述のⅠ列6:1の480
年という数字である.この説では出エジプトからソロモンの
時代までが約300年ということになってしまうからである.K・
A・キッチンはこの相違を聖書の年代の数字が古代東方,
特にエジプトにある例のように,抜粋的性格のものであると
いう判断によって説明している.エジプトでは,前1786年か
ら前1550年までの240年の間の170人の王に合計520年を
当てているが,それが部分的に重なるとするわけである.ま
た480年が1世代を40年で表して,12世代を意味していると
いう説明もしばしば用いられている.そうすると実際には1世
代は30年ほどであるから後期説の立場と大差はないとする
のである.最近は後期説が現存の考古学の資料を偏重し
ているとの反省もあって早期説が再評価されている.いず
れにせよ現段階では,考古学が決定的な判断材料を手に
していると言えないことは事実であろう.