アダム ・スミスにおける公正と効率

岡山大学経済学会雑誌 3
0
(
3
),
1
9
9
9,1
8
3
-1
9
6
アダム ・ス ミスにお ける公正 と効率
新
Ⅰ は じめに-
村
聡
共感 と効用
ス ミスの道徳哲学において ,「
公正 (
equi
t
y,形容詞 は equi
t
abl
e,f
ai
r
)」
は ,「
公平な観察者 (
i
mpar
t
i
a
ls
pect
a
t
or
)」の 「
共感 (
s
ympat
hy)」に よって
ef
f
i
c
i
enc
y)」とい う語を使用 していない
判断 され る。また,ス ミスは 「
効率 (
国富論』におけ る 「
公共の効用 (
publ
i
cut
i
l
i
t
y)
」ない し社会 の利益につ
が ,『
いての考察では,主 として生産の効率が考 えられている。 したが ってス ミス
におけ る公正 と効率の関連の問題は,共感 と効用 の関連 を検討す る ことに
よって明らか となるであろ う。以下 ,第 Ⅰ節で 『
道徳感情論』におけ る共感
と効用 の関連を検討 し,第 Ⅰ節では 『国富論』 におけ る 自由 と富裕 の関係
(
公正 と効率の両立)を ,第 Ⅲ節では 『国富論草稿』に示 された文 明社会 に
おけ る不平等 と富裕の関係 (
公正 と効率の トイ レ ド・オフ)を ,そ して第 Ⅳ
節ではス ミスの文明社会のヴィジ ョンにおけ る公正 と富裕 の関係 (
公正 と効
率の両立)を考察す る。
ス ミスは ,『
道徳感情論』において,人間が正義を判断す る能力には,①公
平な観察者の共感 と,②公共の効用ない し社会 の利益の考察の二つがあると
考 えた。いずれの能力 も神 に よって人間本性に与えられた ものであ り,神は
両者の判断が基本 的 に一致す る よ うに人間本性 を創造 した のであ る (
Cf
.
TMS,7
7
/1
2
0
)(
1
)
。人間は,日軌 正義の公共の効用について考慮す ることは
な く,共感だけで正義を判断す る。 しか し共感 と効用 とは一致す るはずであ
ー1
8
3-
6
8
0
るか ら,国家は,公平な観察者が共感 し是認す る処罰だけを行えば,あ とは
人 々を 自由に放任 しても,意図せざる結果 として公共の効用が実現す るはず
なのである(
2
)
0
ス ミスは,人々が 日常は共感だけで正義を判断す るに もかかわ らず ,とき
には正義 の公共的効用を顧慮す ることが必要である場合 として,次 の 3つを
あげている。第 1は ,
「
処罰の適正 と適切 さについての自然的感覚を,処罰が
社会の秩序を維持す るためにいかに必要であるかを反省す ることに よって確
TMS,8
8
/1
3
8
)場合である。ス ミスはその例 として,人 々が犯罪者
認す る」(
に対す る同情心か ら処罰を免れ させ ようとい う気持ちにな った ときに,社会
の利害についての考察に よって処罰の必要 性 を再確認 す る場合 を あげ てい
る。第 2は,自然的な正義感が十分ではない ように思われ る人 々を説得す る
場合 ,第 3は,特定の被害者がいないために共感に よる正義 の判断ができな
い場合である。
共感 と効用は基本的に一撃す るo Lか しもL両者が一致 しない場合には ど
ちらが優先 され るべ きであるとス ミスは考えたのであろ うか。かれは 3つの
可能性を考えていた ように思われ る。第 1は,公共の効用の判断が誤 ってお
り,共感に よる判断に従 うべ き場合であるOス ミスは,公共の効用に関す る
人間の判断は非常に誤 りやすい と考えていた。公共の効用は一般に抽象的で
あって人間の有限な理性では正 しく認識す ることが容易ではな く,しか もそ
の判断は慣習や階級利害に よって歪め られがちだか らである。ス ミスは 「
哲
学者の学説が,既存の慣習に引 きず られて--・
おそ るべ き悪習を非難す る代
(1) アダム ・ス ミスの著作か らの引用 と参照には グラス ゴウ版 のペ ー ジ数 を記 し,さ ら
に『
道徳感情論』には水田洋訳 のペ ージ数を ,
『国富論』にはキ ャナン版の原書ページ数
を付記す るO
(2) ス ミスにおけ る共感 と効用の関連について,詳 しくは,拙稿 「
アダム ・ス ミスにおけ
る自由と統治」平井 ・深見編 『
市場社会の検証』 (ミネル ヴァ書房 ,1
993
年),拙著 『
経
99
4
年) とくに第 6,1
0
章を参照0
済学 の成立』 (
御茶 の水書房 ,1
-1
8
41
アダム ・スミスにおける公正と効率 6
81
わ りに,公共の効用に関す るたい-ん こじつけた考察に よってそれを支持 し
た」(
TMS,21
0
/
3
2
2
-3)ことや ,地主や農業者たちが 「
商人や製造業者に騒
ぎ立 てられた り,論弁にのせ られた りして,社会の一部の老 しか も依存的な
一部の者の私的利益が社会全体の一般的利益であるとやすやす と思い こまさ
WN,1
4
4
/Ⅰ,1
2
9,Cf
.WN,2
6
7
/Ⅰ,2
4
9
5
0
)ことにつ いて
れて しま う」(
語 っている。ス ミスの見解を敷街 して言えば ,公正 と効率 とは本来一致す る
はずであって,両者の トレイ ド・オフが主張 され る場合には,効率に関す る
見解が誤 っていないか ,慣習や特定階級の利害に よって歪め られていないか
を慎重に吟味すべ きであるとい うことになるであろ う。
共感 と効用 とが一致 しない第 2の場合は,共感の判断が適正ではな く効用
の判断に よって是正 されなければな らない場合 であ るQす でに述 べ た よ う
に,ス ミスは,人 々が犯罪者に対す る同情に よって処罰を免れ させ ようとす
る場合や ,自然的正義感を持たない人 々を説得す る場合に,公共の効用の判
断が優先 されると述べている。
第 3は,共感 と効用の どちらの判断 も誤 っておらず ,しか も両者が一致 し
ない場合 ,つ ま り共感 と効用の トレイ ド ・オ フが本 当に存 在す る場 合 であ
るo この場合に,ス ミスは,共感 よ りも公共の効用が優先 され るべ きである
と考 えていた ように思われる。ス ミスの見解では ,公共の効用すなわち人類
の保存 と繁栄 とは本来神の意図であるのに対 して,共感は神が人間に与えた
能力にす ぎないか らである (
Cf
.TMS,7
7
/1
2
0
)
0
Ⅰ 自由と富裕- 公正 と効率の両立
一般に共感 と効用が一致 し,共感に よる正義 の判 断 に基 づ く人 々の行為
が,意図せざる結果 として公共の効用を実現 しているのな らば,その過程を
理論的に認識す ることは,共感に よる判断の正 しさを理論的に確認す る手段
になる。ス ミスは,『国富論』 1-2編において,平等な 自由と権利が保障 さ
-1
8
5-
6
8
2
れれば,意図せざる結果 として公共の効用 (
国民の富裕)が実現 され ること
を論証 し,それを通 じて,公平な観察者の共感に支持 され る自由と権利の正
当性を公共の効用の考察に よって確認 している。すなわち 『
国富論』第 1編
では,平等な自由と権利が保障 されれば,人間本性にある交換性向と自愛心
によって交換 と分業が発展 し,労働生産力が増大 して全般的富裕が実現 され
ること,また第 2編では自由と安全のもとで人々の貯蓄本能に よって資本が
蓄積 され もっとも効率的な分野に投下 されて急速な資本蓄積が達成 され るこ
とが示 されている。
また,人々が共感 しない不公正な政策や制度が,結果 として公共の利益の
実現を妨げていることを論証するならば,そのことは不公正な政策に対する
自然的正義感に よる批判を理論的に確証す ることにな る。 ス ミスは 『国富
論』第 1編第1
0
章で,機会均等を妨げる行政 として,同業風合,徒弟条例,
都市の商工業優遇政策 ,定住法な どを列挙 している。 これ らの政策や制度は
機会均等を妨げて競争を抑制 し,賃金 と利潤に重大な不平等をもたらす点で
(
不公正であ り Cf
.WN,1
3
5
/Ⅰ,1
2
0
),もっとも効率的な資本配分を妨げて
資本蓄寮を遅 らせる点で非効率で公共の利益に反するものであ った。『国富
論』第 4編では,特定産業を規制 した り優遇 した りす る不平等かつ不公正な
重商主義政策が,結果的にもっとも効率的な資本配分を妨げ,資本蓄積 と生
産力の発展を遅 らせることに よって公共の利益を犠牲に していることを示 し
て批判 しているO
Ⅲ 文 明社会 におけ る不平等 と富裕- 公正 と効率 の トレイ
ド ・オ フ
公正 と効率をめ ぐる最大の問題は,分配の不平等 と効率 ・富裕 との関連で
ある。以下では,文 明社会の不平等をめ ぐるロック,ヒュ-ム,ル ソーの見
解を概観 したあと,ス ミスの見解について考察す る。
-1
86-
アダム ・スミスにおける公正と効率 6
8
3
ロックは,いわゆる労働所有論に よって,労働は果実を生み出す と同時に
その果実に対す る所有権を生み出す と主張 した。 「
勤労の程度 がそれ ぞれ異
なることに よって,人 々はそれぞれ異な った割合の所有物を持つ ことにな り
8
節) とい うロックの見解は,財産の不平
がちであった」 (
『
市民政府論』第4
等は勤労の結果だか ら公正であるとい う不平等正当化諭を合意 してお り,こ
の見解は ロック以後 の思想家に継承 されてい く。
ヒュ-ムは,『
道徳原理の研究』(
1
7
51
年)において,古典的 ともいえる不
平等擁護論を主張 した。 ヒュ-ムは,不平等な分配に よって 「
富者に追加す
るよ りも多 くの満足を貧者か ら奪 う」 こと,したが って一定量の富を消費す
る場合には平等な分配 こそ社会の最大量の満足を実現す る方法であることを
認める。それに もかかわ らず ヒュ-ムは,完全な平等は 「
人間社会に とって
極度に有害である」と主張す る。「
財産 をいかに平等に しようとも,人 々の異
ar
t
),配慮 (
car
e),お よび勤労 (
i
ndus
t
r
y)は,直ちにそ
なった程度の技術 (
の平等を打ち砕 くであろ うo また,も し諸君 が これ らの徳 を抑制 す るな ら
ば,諸君は,社会を もっとも極端な窮乏に陥れ る。そ して少数の人 々の欠乏
や極貧を防止す る代わ りに ,社会全体 の欠 乏 と極貧 を不 可避 とす るので あ
る.
」(
Hume,Pr
i
nc
i
pl
e
so
fMo
r
al
s
,Se
l
by-Bi
ggeed.
,pp.193-4/渡部訳
3
2
-3ページ)この ように ,ヒュ-ムは ,財産の不平等は勤労の結果であるか
ら不平等の維持は勤労を促進す るとい う理 由に よって,文明社会の不平等を
擁護す るのである。
これに対 して文明社会におけ る不平等を真 っ向か ら批判 したのが,ル ソー
1
7
5
5
年)であった.ル ソーは,かつての自然状態 のもと
の 『
不平等起源論 』(
では労働 と才能の差か ら財産の不平等が生 じた ことを認める。 しか しかれが
強調す るのは,文 明社会における現実 の不平等は勤労の結果ではな く,強者
が力に よって弱者 の財産を横領 ・強奪 した ことに由来す るとい うことであっ
た (
『
人間不平等起漁論』第 2部)。 ロックや ヒュ-ムの私的所有正当化論 不平等擁護論は,私有財産 の所有者が同時に勤労の主体で もあるような独立
一
一
1
87-
6
8
4
生産者の社会を暗黙の前提 として,その上で,勤労に比例す る財産 の不平等
は公正であ り,かつ勤労を促進す るか ら効率的であると主張す るものであっ
た。 しか し財産所有者 と勤労主体 とが分離す る階級社会 (
封建社会であれ資
本主義社会であれ)では,この理論は有効性を失 う。財産 の不平等が勤労の
結果でないのな らば,不平等を維持す ることは公正で もなければ勤労を促進
す る効果 も持たないはずだか らである。ル ソーの批判は この点を鏡 く突 くも
のであった。
ス ミスもまた,ル ソーと同様に,文 明社会の現実の不平等が勤労 と才能に
由来す るものではない ことを認めた。かつて内田義彦が 『
経済学 の生誕』で
ス ミスの市民社会観を示す もの として注 目した ように,ス ミスは 『国富論草
稿』において,文明社会におけ る財産の不平等が勤労に反比例す ることを,
次の ようにはっき りと述べている。
「
巨大な社会の労働 の生産物には,公正 (
f
a
i
r
)かつ平等 (
e
qu
a
l
)な分配の
ような ものはまった く存在 していない01
0
万家族の社会には,まった く労働
しない1
0
0
家族がおそ らく存在 してお り,かれ らは暴力に よ り,あ るいはそ
れ よ りも秩序ある法 の抑圧に よ り,その社会にいる他 の どんな 1万家族が使
用す るよ りも多 くの部分の社会の労働を使用す る。 この莫大な使い込みのあ
とに残 された ものの分配 も,決 して各個 人 の労働 に比例 しないO反 対 に ,
もっとも多 く労働す るものが もっとも少な く得 る。ぜいた くや娯楽に 自分の
時間の大部分をついや している富裕な商人は,かれの取引の利潤の うち,そ
の仕事をす るすべての店員や会計係 よ りもはるかに多 くの分け前を享受 して
いる。---労働者は,大地や四季を戦いの相手 としている人 々であ り,共同
社会の中の他のすべての人 々がぜいた くをす るための原料を提供 し,いわば
人間社会の全阻織をその双肩に担 っているに もかかわ らず ,その重荷に よっ
て大地にお しひ しがれて,建物 の最下層に忘れ去 られているO これほ ど圧倒
i
n
e
qua
l
i
t
y
)の中で,文明社会の最下層でもっとも軽蔑 されてい
的な不平等 (
る成員たちでさえ,もっとも尊敬 され もっとも活動的な未開人が到達 しうる
-1
8
8-
アダム ・スミスにおける公正と効率 6
8
5
ものと比べてす ぐれた豊富 さと潤沢 さを普通に享受 している事実を どのよう
ED,5
6
3
-4)
に説明 した らよいだろ うか」(
ス ミスはこのように述べたあと,分業に よる労働生産力の上昇が,文明社
会の全般的宙裕を実現 した ことを明らかに している。ル ソーは,平等 ・公正
な未開社会 と対比 して,不平等 ・不公正な文明社会を批判 した。それに対 し
てス ミスは,平等 ・公正 と効率の間には トレイ ド・オフの関係があること,
すなわち未開社会は平等 ・公正であるにもかかわ らず非効率であるのに対 し
て,文明社会は不平等 ・不公正であるにもかかわ らず効率的であることを示
して,ル ソーが批判 した文明社会の不平等 ・不公正を効率の観点か ら擁護 し
たのである。同 じ文明社会における不平等の擁護論であ りながら,ロックや
ヒュ-ムの理論が勤労 と所有 とが比例す る独立生産者社会を前提 とした公正
と効率の両立論であるのに対 して,ス ミスの理論は勤労 と所有 とが反比例す
る階級社会を前提 とした公正 と効率の トレイ ド・オフの理論であ り,その性
格を大 きく異に していたO
ス ミスは,すでに 『
法学講義』 と 『国富論草稿』の段階において,文明社
会をたんなる独立生産者の社会ではな く資本主義社会 として把握 し始めてい
た。ス ミスは,文明社会が土地所有 と資本所有を前提 としていること,文明
社会における所得の極端な不平等は労働報酬の差ではな く,地代 ・利潤 ・利
子などの財産所得 -不労所得 と賃金 との差に由来することを認識 していた。
大地主や大商人が富裕なのは,労働貧民に比べて より多 く勤労するか らでは
な く,地代 ・利潤 ・利子な どの不労所得があるか らにはかならない。所有主
体 と勤労主体が同一で所得がすべて労働の報酬である独立生産者社会では,
財産の不平等を勤労の結果であ り勤労を促進す るとい う理由か ら正当化でき
た。 しか し地代や利潤の ように勤労に由来 しない所得が社会の所得の大 きな
割合を占める階級社会では,財産の不平等を,勤労の結果 としてもまた勤労
を促進す る原因 として も正 当化す る ことはで きないので ある。 ロックや
ヒュ-ムの理論では,もはや まった く不十分であった0
-1
89-
6
8
6
ここにこそス ミスの理論的課題が存する。ス ミスは,労働者 と財産所有者
とが階級 として分離 し,勤労所得 としての賃金だけでな く財産所得-不労所
得 としての利潤 ・地代が存在するような階級社会 としての資本主義社会にお
いて,なおかつ財産 の不平等を正当化す る理論 を構築 しよ うとす るのであ
る。ス ミスが,『国富論草稿』や 『
法学講義』で端緒的に論 じ,『国富論』で
完成 させた分業 と資本蓄積の理論は,資本主義的市場経済の全機構を分析す
ることに よってこの理論課題に応えるものであった。資本所有 と土地所有は
必ず しも勤労の結果ではない し,利潤 ・利子 ・地代は勤労の報酬ではない。
それに もかかわらず,これ らの存在を前提 とした資本主義経済のもとで,質
本が蓄積 されて配分され,生産的労働者が雇用 され,分業に よって労働生産
力が上昇す る。資本所有 と土地所有も,また不労所得 としての地代 ・利潤
ち
,労働者の分業労働が効率的に遂行される経済 システムにとって不可欠の
前提 となっている。ス ミスは,生産力の理論的認識を,労働者の勤労意欲 の
刺激 とい う個人的 ・主体的な生産力把握か ら,資本の蓄積 と効率的配分およ
び生産的労働者の企業 内 ・社会的分業 とい う社会的 ・客観的な生産力把握と深化 させることに よって,勤労 と所有が反比例する不平等 ・不公正な分配
のもとで高い生産効率 と全般的富裕が生み出され るメカニズ ムを明らかに し
たのである。
Ⅳ
文 明社会 のヴ ィジ ョン-
公正 と効率の両立
『
法学講義』や 『国富論草稿』に示 されたス ミスの文明社会認識は,その
後 『国富論』において どのように変化 しただろ うか。かつて内田義彦は,『
国
富論草稿』 と 『国富論』 との間に理論的な飛躍がある一方で,不平等にもか
かわ らず富裕な社会 とい う 「
市民社会の表象的把握 と分析視角」は 「
まった
『
増補
く変わ らない (
あるいは深化 され保持されている)」 と解釈 した (
経
9
6
ページ)。た しか に 『国富論』 では ,上述 の よ う
済学の生誕』未来社 ,1
-1
9
0
-
アダム ・スミスにおける公正と効率 6
8
7
に,勤労 と反比例す る所有 の不平等の もとで全般的富裕が実現す るメカニズ
ムが 『国富論草稿』 よ りもい っそ う理論的に深化 した形で分析 されている。
しか しそれ と同時に,『国富論』には,内田が注 目しなか った公正 と効率の両
立す る文 明社会の新たな ヴィジ ョンが示 されているように思われ る。以下で
は,その点を,高賃金の経済論 ,利潤率 ・利子率低下論 ,土地所有 の細分化
読 ,の順に見ていきたい。
ス ミスは,労働者の高賃金が公正であ り,かつ社会 の利益 (
公共の効用)
に も一致す ると考 えていたOかれは ,1
8
世紀 のイ ングラン ドにおけ る実質賃
金の上昇について述べたあ と,高賃金が公正である理 由 と して ,「
社会全体
を食べ させ,着せ ,住 まわせ る人 々が ,自分たち 自身の労働 の生産物か ら,
自分たち自身 もかな りよく食べた り,着た り,住んだ りできるだけの分け前
を得 るとい うことは,まった く公正 (
equi
t
y) なのであ る」(
WN,96
/Ⅰ,
8
0
) と述べている。ス ミスは,勤労 と所得が比例す ることは公正であるとい
うロック以来の理論を,ここで労働者個人にではな く労働者階級全体に適用
している。
またス ミスは,高賃金が社会に とって利益 であることを強調 した。それは
「
社会の大部分の境遇を改善す ることが ,全体に とって不利益 と見なされ う
るはずがない」(
i
bi
d.
)とい う理 由に加えて,高賃金が勤労を促進す るか らで
もあった。「
労働賃金は勤労を刺激 し,勤労は,人間の他の性質 と同 じように
受ける刺激に比例 して向上す る。豊富な生活資料は労働者の体力を増進 し,
さらに,自分の境遇を改善 して晩年にはおそ らく安楽かつ豊かに暮 らしてい
るであろ うとい う快適な希望は,労働者を鼓舞 してその力を最大限に発揮 さ
」(
WN,9
9
/Ⅰ,8
3
)ス ミスは,勤労に比例す る所得が勤労を刺激す る
せ る。
とい うヒュ-ムの理論を,独立生産者の報酬にではな く資本に雇用 された労
働者 の賃金に適用 したのである。
資本の急速な蓄積は,賃金を上昇 させ ることに よって労働者を勤勉にす る
だけではない。ス ミスは,資本蓄横に ともな って資本が収入 よ りも急速に増
-
19 1 -
6
8
8
加 し,その結果 ,資本に よって雇用され る勤勉 な生産 的労働者が ,収入に
よって雇用 される怠惰な不生産的労働者 よりも増加 して,人々はます ます勤
勉になってい くと考えていた (
Cf
.WN,3
3
5
/Ⅰ,31
8f
f
.
)0
次に注 目したいのは ,『国富論』における利潤認識に二 つ の側面がある こ
とであるOス ミスは一方で,利潤が賃金か ら峻別 され るべ きこと,利潤は資
本の大 きさに比例することが期待 される所得であ り,資本家による監督 ・指
Cf
.WN,6
6
/Ⅰ,5
0
)。しか し他方で
揮労働の賃金ではないことを強調 した (
かれは,利潤が資本家の生産的な努力の結果であ り,それゆえ資本家 の生産
的努力の誘因になると考えていた。「
多数の労働者を雇用す る資財 の所有者
紘,自分 自身の利益のために,可能な限 り最多量 の産物 を生産 し うるよ う
に,仕事を適当に分割 し配分 しようと必然的に努力する。同 じ理由か ら,か
れは自分か労働者かのどちらかが考え及ぶ最善の機械類を労働者に供給 しよ
」(
WN,1
0
4
/Ⅰ,8
8
)
うと努力するのである。
またス ミスは,資本蓄積にともな う競争の増大 と賃金の上昇に よって,刺
Cf
.WN,
潤率が低下 し,利子率はい っそ う急速 に低下す ると予想 した (
1
1
4
/Ⅰ,9
9
)
oその結果 ,やがて到達するのは次のような社会であるo
「
富の全量を獲得 して しまい,事業のあらゆる個 々の部門にそ こに投下 し
うる最大量の資財がある国では,通常の純利潤率は非常に低いであろ うし,
そ こか ら支払われ うる普通の市場利子率 も非常に低 くて,まさにもっとも富
裕な人 々以外のだれに とっても,貨幣の利子で暮 らしを立てることは不可能
となるであろ う。小財産や中財産を持つすべての人々は,自分の資財の使用
を自分 自身で管理せざるをえな くなるであろ う。ほとん どすべての人が事業
秦 (
ama
no
fbus
i
ne
s
s
)になるか,またはある種の事業に従事す ることが必
要になるであろ う。オランダ州はこの状態 に近づ きつつ ある よ うに思われ
」(
WN,1
1
3
/Ⅰ,2
0
6
)
る。
利子率の低下 とともに,資本所有者の中で,自らは労働 しない利子生活者
は減少 していき,勤勉に資本を使用す る事業家が大多数 を 占め る よ うにな
-
192-
アダム ・スミスにおける公正と効率 6
8
9
る,とス ミスは予想 した。
最後に,土地所有の変化について見 よう.ス ミスは,大地主が一般に怠惰
であること,「
地主は,三つの階級の中で,その収入が,かれ らに労働 も配慮
(
car
e
) も費や させることな くいわばひと りでにかれ ら自身のどんな計画や
WN,2
6
5
/Ⅰ,2
4
8
)ことを
企図とも無関係に入 って くる唯一の階級である」(
強調 した。 しか し長子相続法や限嗣相続法が撤廃 されて均分相続が行われ る
ようになれば,土地は細分化 され ,怠惰な大地主は改良に努力す る小土地所
有者に代わ られてい くo 「
小土地所有者は,自分の小さな土地 のあ らゆ る部
分を知 ってお り,財産 とくに小財産が 自然にか きたてる愛着をもってそれを
局,そのために,それを耕作するだけでな く飾 りたてる ことも楽 しむので
あって,一般にすべての改良家の中で,もっとも勤勉でもっとも賢明でもっ
」(
WN,4
2
3
/Ⅰ,3
9
0
)
とも成功的な改良家なのである。
ス ミスは,『国富論草稿』に示 された ような,労働 しない地主 ・資本所有者
と勤勉な労働者 とい う対比を 『
国富論』ではもはや行わない。怠惰か勤勉か
とい う区別 と階級の区別 とは一致 しないか らである。労働者 ・資本家 ・地主
のいずれの階級にも,怠惰な人々と勤勉な人々がいる。一方には怠惰な不生
産的労働者 ・利子生活者 ・大地主がお り,他方には勤勉な生産的労働者 ・事
業家 ・小土地所有者がいる。そ して,長子相続法や限嗣相続法が撤廃 され ,
資本蓄積が急速に進行 してい く社会では,いずれの階級においても,怠惰な
人々が減少 し勤勉な人 々が増加 してい く。文明社会が向かいつつあるのは,
怠惰な不生産的労働者 ・利子生活者 ・大地主が減少 し,高賃金で勤勉に働 く
生産的労働者 ・低い利潤率のもとで経営努力にいそ しむ事業家 ・土地改良に
努力する小土地所有者か らなる社会 ,ほ とん どのすべての社会成員が生産的
に努力 してそれに比例す る所得を待つつ,同時に資本蓄積がもたらす工場内
および社会的分業の進展に よって,生産における高い効率 と社会全体の豊か
な分配が実現す る社会なのである。
未開社会は公正 ・平等ではあっても非効率な社会であ り,また資本蓄横を
-1
9
3-
6
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0
十分に達成 していないこれまでの文明社会は効率的ではあっても不公正 ・不
平等な社会であったDそのいずれ もが,公正 と効率の T
tレイ ド・オフをまぬ
がれなか った。 しか しス ミスがいまようや く実現 しつつあると考える高度に
発展 した文明社会は,生産的な努力 と所得 とが比例す る公正な分配 と,資本
蓄積 と分業による高い生産効率 とをともに実現する社会 ,すなわち人類の歴
史に初めて登場する公正 と効率 とが両立する社会なのである。それはまた,
ロックや ヒュ-ムが擁護 した勤労 と所得 とが比例す る公正な分配を,土地所
有 と資本所有を前提 とした資本主義的市場経済の高い生産効率の上に実現す
る社会でもあった。
しか し,ス ミスのこの楽観的予想は実現 しなか った。産業革命 の進行 に
よって生み出されたのは,む しろいっそ う不公正で不平等な社会であった。
ス ミスの予想 とは異な り,資本蓄横の進行に よって公正 と効率 とが両立する
社会が 自動的に実現す るわけではないことが明らかになった とき,人々は二
つの道に分かれ ることになった0-万は,公正 と効率の T
lレイ ド・オフをや
むを得ないものと考えて不公正 と不平等を受け入れるように説 く人々,他方
は公正 と効率が両立す る社会を実現するために土地や資本の所有制度の改革
が必要であると考える人々である。 これが1
9
世紀の社会思想における基本的
な対立軸 となってい く。
付記 :
(1)春稿は ,1
9
9
7
年1
1
月に開催 された経済学史学会第6
0
回全国大会 (
福井県立大学)にお
ける フ ォーラム 「
経済学史における公正 と効率」で報告 した ものである。このフォーラ
ムでは,他に,御崎加代子氏 (
滋賀大学)が 「ワル ラスにおける公正 と効率」(
御崎加代
子 『ワルラスの経済思想』名古屋大学出版会 ,1
9
9
8
年 ,終章)杏,また移浦克己氏 (
帝
京大学)が 「
マル クスにおける公正 と効率」(
『
東京経大学会誌』第2
0
7
号 ,1
9
9
8
年)を報
告 し,馬渡尚憲氏 (
東北大学)が コメ'
/7
.を して くださった。
他の報告者 ,コメンテイターお よび当日会場で貴重な意見 を述べ て下 さった会員諸
氏に感謝申し上げたい。
(2) フォーラムを準備す る過程で,経済学史学会のメ- 1
)ソグ ・リス ト (
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アダ ム ・ス ミスにおけ る公正 と効率
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)上で,池尾愛子氏か らフォ-ラムの趣
旨について御質問があ り新村が回答 した。この質疑応答については,メー リング ・リス
7
.の保存 フ ァイルを参照 の ことo関連す るのは ,s
he
t0463,0466,0470,0475,
0
4
8
4,0
4
8
5である (
1
9
9
7
年 4月2
2日∼ 5月 5日)0
(3) 参考までに,フォーラム 「
経済学史における公正 と効率」における 「
趣 旨説明」(
新村
執筆)を以下に付記す るO
この フ ォーラムは ,ス ミス ,マル クス, ワル ラスの 3人 が 「公 正 (f
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s
s,
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qui
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y)
」と 「
効率 (
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nc
y)
」の関係をどの ように考えたかを比較検討す ることを
テーマとしている。
近年 ,公正 と効率の関連が しば しば問われるようになった。その背景には ,70
年代
末か ら英米圏を中心に世界的影響力を もつに至 ったいわゆ る新 自由主義 の主張があ
る。新 自由主義は,社会保障な どの所得再分配に よる平等主義的政策が,労働 と投資
のインセンテ ィブを弱め経済効率を引き下げると主張 し,そのことを 「
公正 と効率の
トレイ ド・オフ」 または 「
平等 と効率の トレイ ド・オフ」 と表現 した。他方 ,この新
自由主義の政策を批判す る人々は ,「
公正 と効率 の両立」 を主張す る (
杉浦報告 の
Bo
l
e
s& Gi
nt
i
s論文を参照)。後者の見解によれば,社会的公正を実現す る平等主義的
政策は,需要サイ ドにおいて総需要を拡大す る効果をもち ,また供給 サイ ドにおい
て,社会的緊張を緩和 して秩序維持 コス f
・
を減少 させ,社会的協調 と信頼の水準を高
め,さらにイ ンセンテ ィブを強化することに よって効率を高める効果を持つ。公正 と
効率の関係についてこのように トレイ ド・オフと両立 とい う 2つ の見解 が対立す る
のは,資本主義的市場経済の中にそれぞれの見解の根拠 とな る よ うな 2つ の側面が
存在 していることに よる。
経済学の歴史において,公正 と効率の関係は,さまざまな形で くりかえ し問われて
きたO以下では,ス ミス,マルクス,ワルラスの 3人が,公正 と効率の関係について
どのように考えたかを比較検討す る ことに したい。時代背景 も用語 も同 じではな
か ったに もかかわ らず ,3人には共通 の問題把握が存在 していたO
ス ミスとワルラスは,自由競争のスター トラインにおける機会の均等 (
平等)と,
競争における労働や努力 (
の不平等)の態巣 としての所得の不平等 とはいずれ も公正
であ り,この自由競争に よってもっとも効率的な生産が実現すると考えた。この点で
公正 と効率は一致 していた。
ス ミスとワル ラスそ してマルクスにとっての最大の問題 は ,土地所有 お よび資本
所有における不平等 とその括巣 としての所得の不平等にあ ったO この不平等 は労働
に比例 しない点で不公正であるにもかかわ らず ,そのもとで資本主義 の効率的な生
産が実現 してお り,そ こに公正 と効率の トレイ ド・オフが存在 していたか らである。
ス ミス,マル クス,ワル ラスの 3人は,この トレイ ド・オフを どうしたら解決できる
か,そ して公正 と効率が両立する社会をどうした ら実現できるかを,かれ らの経済学
研究の中で考えぬいた。 3人が到達 した結論はどのようなものであ り,その結論はそ
の後の歴史過樫 の中でどのような審判を受けることにな ったか を, これか ら見 てい
くことに したい。
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195-
692
Equity and Efficiency in Adam Smith
Satoshi Niimura
This paper examined whether Adam Smith thought equity and
efficiency were compatible or incompatible in the civilized society. In
terms of thi$ issue this paper considered the relationship between
sympathy and utility in Theory of Moral Sentiments, that between
inequality and opulence in Draft of Wealth of Nations, and that between
liberty and wealth in Wealth ofNations.
-196-