カイロス - 清泉女学院中学高等学校

L■ ■■
饉 音楽議 臓際コンタールで一
第二位に1
︱︱ イ タ リ ア で 歌 え た 喜 び ︱︱
以一
﹂
世界 六大合唱 コンクールのセギ ッツイ
生徒 の輝く顔とたくさんのト ロフィーや
楯が日本 へのお土産となりました。
生 徒 達 はたく さ ん の貴 重 な体 験 を し
♪海外 コンクールを終え て
ま した。創 立者 ラ ファエラ・マリ ア様 の
︲ を 中 心 と し、︺‘
︽”∽>r〓C∽︾5
δや
∽
の現代宗教曲を四曲、二十分
0る記る∽一
,
間 歌 いま したc 鈴 木 先 生 の複 雑 な和 声
高 に輝 く こと を 日標 に、 上質 の音 楽 創
れる体験をしてもらえた ことは教師とし
て最 高 の喜 び、今 後 も 生 徒 達 の顔 が最
次 世代 を担 う 生徒 達 に心 の琴線 に触
るよう です.
音 楽 を 体 感 す る良 い経 験 と な りま した
し、下校鈴十七時 の短 い練習時間 で六カ
を捧げ る機会を頂 いた ことは ヨー ロッパ
御 遺 体 が安 置 し てあ る教 会 で祈 り の歌
と輝く音像 が ヨー ロッパの聴衆 にど のよ
国語 二十曲を準備 したことは、集中力と
技術力 の向 上に つながりました。言葉は
︲
♪祈りを呼び起 こした ︽﹁∽>rζ⊂∽︾5
翌十七日は、﹁
現代音楽部門﹂ に出場。
ま し たが、今 回 は開催 地 が本 校 の修 道
う に響 く か が今 回 の最 大 の関心事 。円
スト リ ア協 会 か ら頂 いた のは昨 年 十 一
会本部 のあ るイタリア、中学時代から全
形 ホールのため、演奏中 に聴衆 の顔色 が
異 な っても表 現力 があ れば心は伝わるこ
国際 コンクー ル ヘのお誘 いを 日本︱オー
国大会を 四回体験 している生徒達、何よ
驚 愕 と感 動 に変 化 し て いく 様 子を 読 み
とを再確認し、さらに同世代同十 でメー
ルアド レスを交換 し友好 の輪も広げ てい
月。以前 から海外 へのお誘 いは多 々あり
り 鈴 木 輝 昭先 生委 嘱作 品 ︽
羽 >r〓cC
取ることができました。頭を垂れお祈り
がよく伝 わるステージだ つたと の感想を
を 始 めた 人、涙 ぐ む聴 衆 も あ り、終 了
ブ ラボー!﹂ の大声援。心と言葉
後は ﹁
■が仕上が った直後と い つ最高 のタイミ
ング。例年 四月 に引退す る高校 三年生 の
参 加 意 志 の強 さと 保 護 者 の熱 い応 援 に
支 え られ、海 外 に私 達 の歌声 を 響 か せ
ることを決心しました。
翌 日 の午 前 中 は、 世界 中 の清 泉 姉 妹
りを目指 していきた いと思 います。
頂きましたc
コンクール初 日、まず は四十度近 い熱
校 で同 〓アザイ ンの制服を着用し、課題
♪華 のあるステージ に拍手喝釆 ︲
波 の中 で十 四カ国 十 七 団体 参 加 の市 庁
曲 〆長 澪 ︱ ●〃 を 歌 い上 げ ま し た。
一
7アン語と中世 フランス語 のテキスト の
°
の賞を受賞
竃
y)IT
音楽部顧問 佐藤美紀子︶
︵
舎前 セレモニー。最年 少 団体と いう こと
でテレビ局 の撮影もあり、生徒たちは汗
現代 宗 教 曲 です。朝 練 習 だ け の短 時 間
で仕 上げ るた め精 鋭 十 九 人 で臨 んだ ス
だく で屋外演奏を楽 しみました。
に現 代 曲 部 門 では、 優 勝 候 補 の ハンガ
演劇部 関東大会進出
テージでした。
リーを押 さえ ての優勝 でした。午後 は、
音楽 授業で三味線
ジャ
午後最初 のステージは ﹁
民族音楽 ・
語版 にリメイ ク。 パヮー炸裂 のステージ
でしたc終了後 、すぐ ホテル三 戻り浴衣
0
♪ 二部門すべて優勝 ︱グ ランプ リ戦 ヘ
結果は参 加した三部 門全 てに 一位。特
に着替え、再び会 場 へ。道中、町 の方 々
フィリピ ン、 ハンガリー、リト ア ニア等
のグ ループと共 にグ ランプ リ戦 へ。 ロマ
石黒 氏 の作 品を 振り つき で楽 しく歌 い、
後期開始 にあたって
ズ ・ポ ップ部 門﹂。今年 の文化 祭 で上演
した ″
〓>〓〓> 〓5 ′ を 二十分短縮英
の注 日を浴 び大 声 援 を 受 け ま した。 緊
張 の取 れた生 徒 は、 同 じ く ﹁民 族 音 楽
ン派← ヨーロッパ宗教曲← ︽ヌ >rくcC
、
︲
5← 民 族 音 楽 を 二十 分 間 で演 奏 し 総
。初 の海 外
合 二位 を受 賞 ︵一位 は韓 国 ︶
コンクールで得 た予想外 の成績 に、生徒、
部門﹂ で、お手王 や風船遊びをしながあ
保護者、応援 に駆け付け て下さ った日本
②
バチカン ラファエラマ
リア像 特別に許可を
得て見学しました。
図書委員会 千羽鶴広島ヘ
O
0音 楽部 コンクールで数 々
0・
日本 のわら べ歌を歌 って登場し、松 下氏、
ンにな ったと いう 聴衆 の方 々に囲まれて
終了後、
拍手喝采。
生徒たちは清泉 のファ
︶
大 使館 職員 やシ スター方と皆 で大喜 び^
イロスJは 、ギリシャ語で「時Jと いう意味です。
│カ
輪
いましたc
輌鬱
む
ぬ
会量NS量 鰈耐 轟
攀鐵韓
清泉女学院中学高等学校
12月 22日 発行
2010年
「 カイ ロス」第43号
の
十 月 六 日講 堂 に お い て 聖 書 朗 読
︵ョ ハネ 十 六 章 二 九 節 ∼ 三 一
轟型
凛・
〓 ■ ・
奮
後 、 校 長 よ り 講 話 が あ った 。
十
ま ず こ こ に、 ﹁門 のと び ら﹂ と い
う詩 があ りま す 。
いかな る鉄 門 も 必ず 開 く
いかな る 難 関 も 必ず 通 り ぬけ ら 薇 る
開 かな いのは
確 信 が 足り な いか らだ
た た き よう が 弱 いか ら だ
一度 た た いて開 かず と も
二度 た たけ
二度 たた け
五度 たた け
赤 誡 のこぶし で甲き にTけ
門 のとが ら は 必ず ひらく
後藤キ容 ﹃
権威﹄ より
た め にど う し よう と し て いる のか 、
家 族 と の普 段 の生 活 リズ ムがず れ る
ことが多 くなる中 で、それでも クリス
しみに寝 ていたこと、中学校 の時 には、
ス様 と 同 じ民 族 でも な け れば 同 じ習
サークルの仲 間 たちと クリ スマスをお
祝 いし、社会人 にな ってからは母校 の
友 人 たち とも 共 に時 間 を 過 した こと
を懐 かしく 思 い出 しま す。大 学 では、
釈 しています。
そ のよう に考 え ると、
イ
エス様 のメッセージが見え てきます。
もと に らが拝 みに行 った﹂と いう 話
彼
ではなく、﹁
彼 ら のも と にイ エス様 が
現れた﹂と いう 話な のではな いかと解
慣 を 持 ち 合 わ せた 人 々でも な く、貧
し い人 々であ つたり したと いう こと で
す。私はこの聖書筒所を ﹁
イ エス様 の
大学 のミサを訪 れ、そこに集 った級友
たち と 近 況 報 告 を し合 う よう になり
ま した。そし て、これからまた、﹁
時﹂
の流れ の中 で、も し将来親 になること
いう も の、そし ても ヽ
つ 一つは、 ルカに
よ る福 音 書 二章 八節 か ら 二十 一節 の
﹁
羊 飼 いと 天使 ﹂ と いう も のです 。 こ
の二 つのお話 は、イ エス様 がお生ま れ
︵
倫 理科 吉 岡誠︶
ひとり が、周り の人 の光 とな って照ら
し照らされる、そ のよう な クリ スマス
になればと思 います 。
あげ ることができ るのです。
町 には、 ク リ ス マスのイ ルミネ ー
シ ョンが輝 いています。教会 にはキ ヤ
ンド ルサービ スがあります。私達 一人
ペットボト ル 一本 、お菓 子を 一つ我 慢
し て募 金 し てあ げ る こと、普 段 あ ま
り 関わ った こと のな い人 にでも 、あな
たと いう 存 在 を 通 し て喜 び を 伝 え て
う イ エス様 の姿 が ここには描 かれ てい
ま す。 視 野を 広 げ てあ な たを 必 要 と
し ている人 に目を向 け てみま し ょう 。
人 はもち ろん、世界 の中 で苦 しんでい
る人、虐げ られ ている人、貧 し い人 々
に、自 分ができ る事 をし てあげ ると い
こから ここま での人﹂と いう よう に隔
たり を 作 る のでなく 、周 り の身 近 な
ち に安 易 に人を区別し てしま っている
かも しれな いと、心を配 ることは人と
し て必要な こと です。﹁
誰を﹂とか、
﹁
こ
私 たち は 日頃、気 付 か ぬう ち に人
を 区 別 し がち です。 そ れ は決 し て悪
いこととは限りませんが、気付 かぬう
マス の日 には 一緒 に食 事 を し た こと
を。高 校 では、家 族 と の食 事 に加え 、
な ぜ そう し な け れば な ら な いのか、
目的 と 目的達 成 のた め の手 段 や方 法
に ついてし つかり と 考 え 、強 い意 思
を 持 って挑 戦 しな いと 途 中 で挫折 す
る こと になりま す 。
今 の世 は 効 率 を 重 ん じ る 時 代 で
す 。 し か し生き て いく 上 で人と の煩
わ し さ から逃げ 、無 駄 な こと を 切り
捨 てる生き 方 は人 間 と し て健全 な生
き 方 では あ り ま せ ん。 世 の中 に は、
や ってみな いと 理解 でき な いこと が
た く さ んあり ま す 。
一見無 駄 に見え
るも のでも 何 か に 一途 に打 ち込 ん で
いる姿 は美 しく 、感 動 を 覚 え ま す 。
このクリスマスと いう 行事を迎え る
にあ たり 、私 達 が心 に留 めな け れば
があ れば 、ま た違 う 形 で、違 う 立 場
でこのクリ スマスを お祝 いす るのだと
思 います。
生き ると いう こと は 駆 け抜 け ると
いう ことと は違 いま す 。 自 分 の生き
が いとす るも のを 追 い求 め 、挑 戦 し
れた﹂と いう こと です。聖書 の中 には、
イ エス様 がお生まれになられた時 のお
ならな いことが 一つあります。それは、
﹁
イ エス ・キ リ ストが お生ま れ にな ら
続 け、
一歩 一歩 着 実 に努 力 し て いく
こと が大 切 です 。 様 は ﹁
皆
未 来 に生
き る﹂のではなく 、﹁
今 を どう 生き る﹂
かを大 切 に後期 を 過 ご し て下さ い.
クリ スマスを 迎え る時 期 にな ると、
一年 が終わり、新 し い年 が来 ることを
意識せず にいられません。
にな ら れ たと き に、異 邦 人 であ る占
星 術 の学 者 たち がイ エス様 を 拝 み に
の ﹁
占 星 術 の学 者 たち が訪 れ る﹂ と
話 が 二 つあ りま す。 一つは、 マタイ に
よる福音書 二章 一
節 から十 二節 の箇所
皆様 は、このクリ スマスにど のよう
な 思 い出 があ る でし ょう か。 私 自 身
います。ここでポイ ントとな ることは、
イ エス様 を拝 みに行 った人 々は、イ エ
行 く様 子、貧 し い羊飼 いたちがイ エス
様 を 拝 み に訪 間す る様 子 が描 か れ て
今ま でのクリ スマスを振 り 返 ってみる
と、それぞれ の ﹁
時﹂ に、色 々な過ご
し方をしてきた ことが思 い起 こされま
す。 小 学 校 の時 には 翌朝 の枕 元を 楽
一
g震窮芳饒
今 年 の学 校 目 標 は 、 ﹁
何 事 にも 挑
戦 し 、努 力 しよう ﹂ です 。
人 は私を 含 め て、と か く自 分 に対
し て甘 く 、他 に対 し て厳 しく な る傾
向 があ り ます 。
例え ば 、 よく ﹁
自 主 ト レ﹂ と い つ
て自 分 で計 画を 立 て てト レー ニング
を しま す 。十 回 グ ラウ ンドを 走 るは
ず が七 回 でやめたり 、
一週 間 で行 う
計 画 を 五 日 でやめ てしまう こと があ
りま す 。 日常 生活 の中 でも 、 こう い
う こと が よく起き ま す 。自 分 は何 の
)
(第 43号
2010年 12月 22日
(3)
音楽の授業で三味線■
授業 を 行 ってき た が、昨 年 度 か ら実
て以 降 、本 校 は、 L D鑑賞 を 中 心 に
音楽 の授 業 に和楽 器体 験 が導 入 され
テ ィア の約 五十 名 は グ ループ に分 か
十 一月 四 目 に 生 徒 委 員 と ボ ラ ン
実施す ること にした今年 度 の生徒会 。
これま での年 一回 の大 船清掃を 二回
船 清 掃 実 施
際 に和 楽 器を多 数 用意 し、 和楽 器実
れ て柏 尾 川 沿 いの遊 歩 道 や 駅 周 辺、
二 〇 〇二年 の学 習指導 要領 改 訂 で
技 の授業 を 実 施 し て いる。
と は 、 毎 日 が と ても 充 実 し た 日 々
六 年 間 を 振 り 返 って み て感 じ る こ
今 、 清 泉 女 学 院 で過 ご し てき た
しま した 。
ま た 、 委 員 長 な ど 集 団 のト ップ
行 って み てそ の責 任 の重 さ を 痛 感
は 、 今 回 自 由 に いろ いろ な こと を
いう こ と し か し て こ な か った 私
大 船 ま でのバス道 路 沿 いを 清 掃 し た
を 発 行 す る た め に 活 動 し て いま
で 構 成 さ れ て お り 、 雑 誌 ﹁清 泉 ﹂
編 集 委 員 会 は 、 高 二と 高 三 の生 徒
け た こと は 参 加
中 一か ら高 三 の音 楽 の授 業 でお よ そ
そ のう ち 、十 二 日 ︵
中 二 上局二︶、
者 にと って大 き
で多 く の こと を 経 験 でき た だ け で
な く 、 同 学 年 の仲 間 や後 輩 と 協 力
し て 一つのも のを 作 り 上 げ た と い
う 達 成 感 を 味 わ う こと も でき ま し
た。
いと 思 いま す 。
し っか り 全 う でき る 人 間 であ り た
生 か し て社 会 の中 で自 分 の責 任 を
げ 出 す こと な く 、 清 泉 で の経 験 を
そ の時 に は そ の責 任 の重 さ か ら 逃
場 に な る こ と が あ る と 思 いま す 。
も のよ り ず っと 重 い責 任 を 負 う 立
増 え て いけ ば 、 今 回 感 じ た よう な
会 に出 て行 く よ う に な って自 由 が
誇 り を 持 て る よう に な り ま し た 。
こ れ か ら こ の学 校 を 卒 業 し 、 社
以来 ﹁
責 任 を 取 る﹂ と いう 仕 事 に
な いか と 考 え る よ う にな り 、 そ れ
は 委 員 長 に し か でき な い仕 事 で は
いう 時 に代 表 し て責 任 を 取 る こと
と 言 え な いも のが あ り ま す 。 そう
中 に は 、 誰 のせ い で起 き た も のだ
る こ と も あ り ま す 。 さ ら に失 敗 の
ま く いく わ け で は な く 、 失 敗 を す
し 実 際 の活 動 の中 で は す べ て が う
く こと だ と 考 え て いま し た 。 し か
委 員 会 を 良 い方 向 に引 っ張 って い
自 分 の務 め は委 員 全 員 を ま と め て
ま す 。委 員 長 に な ってす ぐ の頃 は 、
も 重 要 な 役 割 は 、 責 任 を 取 る こと
で は な いか 、 と 現 在 私 は 考 え て い
与 え ら れ て いま す が 、 そ の中 で最
に立 つ人 間 に は さ ま ざ ま な 役 割 が
だ った と いう こと です 。 特 に私 の
学 校 生 活 を 豊 か な も のと し てく れ
た のは委 員 会 活 動 でし た c
私 は 高 二 の時 に編 集 委 員 会 に入
今 回 目 立 ったゴ
︵
す 。今 年 の ﹁
清 泉 ﹂ 第 六 十 一号 の
り 、音同三 で は 委 員 長 を 務 め ま し た 。
。近
ミは空 缶 ︶
今 年 は、 三十 二丁 の三味 線 を使 用
所 の方 か ら 感 謝
製 作 にあ た つて は 、 特 集 の企 画 か
し 、九 月 八 日か ら 三週 間 にわ た つて
六七 〇人 の生徒 が 三味 線 の演 奏 に挑
のお 声 か け を 頂
中 三 ︶、 十 六 日 ︵
十 五日 ︵
高 一︶ の
な 励 みと な った。
ら 文 章 の校 正 ま で雑 誌 を 作 るう え
戦 した 。
三 日間 は 、特 別講 師 に杵 屋花 邦 先 生
魃中 一の L H R で手 話 講 座 ︽
子
慧
岡
片
61期
わた しの「 時」
を お招 き し、﹁
さく ら さく ら﹂ や ﹁
う
さぎ ﹂ を 通 し て先 生 に直 接 ご指導 い
ただ き 、生 徒 はと ても よ い刺 激 を受
年 の間 に、 責 任 と いう も の に つ い
て度 々考 え ま し た 。
一つは 自 由 が
私 は編集委 員 長を 務 め た こ の 一
を、 今 年 度 は 中 一のL H R で行 う こ
伴 う 責 任 、 も う 一つは 委 員 長 と し
前 年 度 、中 二で実 施 した手 話 講 座
ま た 、十 六 日 には、卒 業 生 ︵
五十 三
と と な り、 十 一月 十 八 日 に鎌 倉 市 社
けた。
期 ︶ の露 木 幸 恵 子 さ んも 来 校 さ れ 、
て の責 任 に つ いて です 。
企 画 や 取 材 な ど の段 階 では 多 く
会福 祉協 議会 から講師 を お招き した。
の こと を 自 由 に行 う こ と が でき ま
し た が、 そ の こ と が 時 に プ レ ツ
シ ャ ー に感 じ ら れ ま し た 。 自 由 は
責 任 を 伴 う 、 と いう こと は よ く 言
と を 頭 で は わ か って いる つも り で
し た 。 し か し こ れ ま で、 先 生 方 な
わ れ る こと です の で、 私 も そ の こ
な お 、今 後 、
一月 のL H R に中 二
ど 他 人 に 言 わ れ た こと を 行 う 、 と
定 し て いる。
が視 覚 障 が いに ついて学 ぶ ことを 予
か れた 。
先 入観 がなく な ったと いう 感 想 が聞
障 が いに ついて無 意 識 に持 って いた
を った後 、簡 単 な手 話 を 学 んだ 。
伺
熱 心 に取 り 組 んだ 生 徒 達 か ら は、
生徒 は聴 覚 障 が いに つ いて のお話
杵 屋 先 生と 現代 邦 楽 の二重 奏 を 披 露
し て下さ った。
三味線 は昨年 度 学 んだ事 に比 べて
難 しく 、生
徒 は構 え る
の に苦 労 し
て いた も の
の、 楽 し そ
う に練 習 を
し て いた 。
中学 3年 生の授業の様子
1鞣
≪10月 30日 全日本合唱 コンクニル全国大会
課題曲 G:ア ポリネール 詩 堀口大學 訳詩
瘍
蕪に
1機 ‐
1
高島みどり作曲 F露 営のともしび」
│
自由 曲
醸
鐵嬢璽農
鈴 木 輝 昭 作 曲 (委 嘱作 品 )
《PSALMUS)22:D6uO:
Dさ us
.meus,quare me dereliquisJ?
委嘱作 品
宮市の県立芸術文化センターで
ンク■ル全国大会 (全 日本合唱
旨部門、
高校部門Aグ ループ│(32
(PSALMUS〉 22(詩 篇 22)に つい て
詩篇22は キリス トが十字架上で唱えられた詩
「神よ、
わが神よ なぜ私 を見捨てたのですか。
J
編。
のテキス トがラテン語 とヘ ブライ語で始 まる密
度の高い音のうねりとオリエンタル な響 きが美
しい曲です。キリス トが感 じられた「絶望」から
信仰心ゆえに見出す 「希望」 への転換をどのよ
うに表現するか、音楽的 にも宗教的 にもチャレ
ンジの作品で した。清泉ならではの表現意欲 を
感 じると言
平価 いただけたことは嬉 しいことです。
(佐 藤美紀子先生 指揮・音楽部顧問
彗を受賞 、合わせて特別賞とし
高校が兵庫県知事賞 (2位 )
壽校が金賞と特別賞 を受賞す る
‐
、初の快挙。‐
)、
)
│1嵩 2に と―
うて最後とな│っ .た
1今 回の全国大会で│ょ 全賞、
そし│て 予想もしていなかうた
県知事賞も受賞でき│て 嬉しく
界います││こ れか│ら o日 々練
習に励み1‐ 情泉 祭に 向けて多
ヽただ け│る よ
くの1方 に聴 tヽ てし
つに凍張りますよ ││‐・
│‐
│
‐二瓶真理子さん 偏校1練 習訂
=者
)
.コ
ン
夕■ルで│こ のような良ぃ結果―
を
‐
た│こ とを本当に嬉しく春 ‐
PSALM∪ S》
ます 自由曲の 《
22で はキリストの心情変化と情景 ‐
│
描写を皆で表現するべく1色 々の
│い ただ:チ
ltヽ
│。
│
練習に励みました。西宮の素B青 う
し ホ■″で諏うことが きて杏│
tヽ
│で
当によかうたです6
小坂 優皇さん偽な1割 部長
)
イタリア北部ゴー リッツア市で7月 2日 から19日 まで開催さ
。
nた セギッッィ国際合唱コンクールに高校音楽部53名 が参カロ
3部 門で優勝、グランプリ選で総合24立 という結果を得た。
1‐
藁グランプリ選にて 1位 を得た現代曲部門の中で演
‐
奏 した委嘱作品 (PSALMUS〉 51
てくる参加者 を歓迎
アの町
鷹 1位 を得た民族音楽部P5 「五木の子守唄」、
‐「えっさっさJな どを浴衣姿で演奏
.‐
タの裏手
帯在 したホテノ
東習の合間に散歩する
遠征で 、日本 とは違 って 、感 じたことをス トレー ト
初めての海タト
に表現 するタト国の方々は 、私 たちの歌 った 日本民謡 を珍 しそうに 、
楽 しそうに聴 き、委嘱曲である宗教曲を祈 りなが ら聴 き、大 きな拍
手 と歓声 をくださ ったことが印象的でした。 このように 日本の曲が
海外 でも受 け入れ られ て 、音楽や合唱のすば らしさを実感 します。
中学 の ころか らの部活動 の集大成 として 、国際 コンクール とい
う大 きな舞台 に挑戦 できたことは黄重な経験 とな り、言語や文化 、
音楽の違 いか ら、世界の広さを感 じることができました。
応援 してくださ った全 ての方々のおかげで 、恵 まれた環境の中 、
演奏できた ことに感謝 しています。 菊池 裕香 さん稿校 前 )写 動
木 禾B田 絢 香 さん,幅 校
も番 組 を作 成
=B長
前練習責任者 )頭 な
輻爾鞭麟響雛畿動彎量震篭鷺賞した。
苺鵞庸議覇、
今爾ぬ鼈ギッツィロ際翁鴎郵ンタ轟んでの臨績爾鉾藩躍が認鑢られ、
.爾
申警も
餃m‐ 、
晰陪
10月 3o日 、31日 に兵庫県西
開催された第 63回 全 日本合唱 コ
連盟、
朝 日新聞社主催 )の 中学同
i
人以下 )の 両方 で、音楽部が金
て中学 が文部科 学大 臣賞 (14立
を受 賞 した。同 じ学校の 申学、
ことは、大会 6箕 の歴史の中で
鋼
誓TTRせ 嘲軍
f臨糧
製暴
峯
ЧT:錮 た
奄美島唄
た。も う一度歌 いたいです
芽 生 さん (中 学
鰺饉 麟 麟 艤
今 回 これ らの 賞 を い た だ けた の
は 、部員がお互 いに信頼 関係 で結ば
れ 、一つの 目標 に向かえたか らだ と
思 います。広 いホールで 、自分 たち
の 歌 声 を響 か せ る こ と が で き ま し
石 丼
塊貪
電
奄
0〔
信長貴富 編曲 「 うたつ
!
練習責任者 )
コンクール 前 には風邪 が流行 して体調 を崩 した人 も多 く全 員
で歌 え るの か と心配 も し ました。 でも本 番 では全 員そろ って 、
これ までの中で一番良 い演奏 がで きた と思 い ます。指導 してく
ださ った先生 、一緒 に頑張 った部 員 に感謝 の気持 ちでい っば い
脹
須田 琴子 さん (中 学 副古
です。
文 部 科 学 大 臣賞 に選 ば れ
た 時 に は 、本 当 に うれ し く
│す き1昨 年に3
て 涙 が 出 て し ま い ま し た。
夏 の 講 堂 は猛 署 で 、い つ も
以 上 に署 くて練 習 は 体 力的
可が泣
にもハー ドで した。
「イ
いた だ ろ うか」 は 13パ ー ト
に も分 か れ る 難 曲 で 、音 を
と る の に も 苦 労 し ま した。
│べ 忠いを
伝え
ていただし
ヽ
た
lm
ヽ
ごし
ました
│き
1器
本 番 直 前 まで先 生 か らの注
意 が 続 き ま した が 、本 番 で
は 楽 し く演 奏 で き ま した。
皆 で頑張れて よか ったです。
深水布由実 さん (中 学 部長
)
)
中学音楽部│ま 今年NHK主 催の全国学校音
ロ lo月 10日 には東
楽コッ タールにつ参カ
京渋谷のNHKホ ールで開催された全国コン
クール中学校の部に初出場を果たし、優良賞
を受賞した。
轟世界中 か らやっ
するコー リッツ
:‐
■轟 10月 10日・
課題 曲
NHK全 国学校音楽 コン クール
中学校 の部 にて
大壕 零 作 コ r作 曲
上 田真樹 編 曲
ラブ)」 ■
. ・ 「l● ××× (ア
・由
左
宗
曲‐
.自
首已:.義
`1・
1事
‐
ー
‐
か
71慎 覚
だ
ろ
う
混声 、
同声 が一緒 の枠の中で競 うNHKコ ンクー
ル で 、全 国大会 の 出場 が決 ま った時は とても驚 き
ま した。昔 か らテ レ ビで見 て い た NHKホ ー ル で 、
自分 た ち が舞台 に立 てる こ とが で きて 、感無 量 で
す。課題 曲で皆 が手 をつな いだ時 には 、全員が 1つ
鷺」―リッツア城
にある中世の城
にな った と実感 しました。
深 水 布 由 実 さん (中 学
部長 )
饉 現 地 の放送
「
(6)
すか
,
日 の出 か ら 学 校 に行 く ま で、 夏 は
︱ 普 段 はど のく ら い練 習 を す る の で
ミ ュニケ ー シ ョンを と り な が ら 、
一緒
か った の で、 ジ ェス チ ャー な ど で コ
そ のと き は 英 語 が 話 せ る わ け で は な
達 が で き た の が う れ し か った で す 。
海 外 で 同 年 代 のサ ー フ ィ ンを す る友
が よ か った のも う れ し か つた です が 、
のと き です 。 そ のと き の試 合 の結 果
初 め て 一人 で海 外 に行 った のは 中 一
要 です 。 勝 利 を 得 る のは 簡 単 では な
いので、と にかく 練 習 に励 みま す 。
り ま せ ん し、 波 を 活 か す セ ン スも 必
てき ま す 。 運 も 味 方 に し な く ては な
てま せ ん。 波 の具 合 も 勝 敗 に 関 わ っ
が 相 手 な の で、 自 分 の力 だ け で は 勝
し いです 。 ま た 、 サ ー フ ィ ンは 自 然
今 回 は、 プ
と し て活 躍 す
二 時 間 、 冬 は 一時 間 く ら い、 学 校 か
にサ ー フィ ンを しま し た 。
海 外 に行 く と 、 自 分 のこと は 自 分
天気 の様 子 によ っては ト レー ニングを
いる こと が 多 いです 。 波 が な い日 や
ト レー ニングを す る より 、海 に入 って
冬 は 一時 間 く ら い練 習 し ま す 。 陸 で
え る こと が でき ま す 。 ハワイ や オ ー
後 のイ ン タ ビ ュー な ど も 、 英 語 で答
労 す る こと は な く な り ま し た。 大 会
行 って いる う ち に、 今 で は 英 語 に苦
です る し か な いの で、 何 度 も 海 外 に
し て いま す 。 ﹁
負 け たく な い﹂より ﹁
勝
負 け ず 嫌 いな の で、 い つも 上 を 目 指
し て見 てく れ て いる こと は 誇 り です 。
す 。 ま だ ま だ 敵 わ な い相 手 も いま す
が 、 いろ いろ な 人 が 私 を ラ イ バ ルと
て のサ ー フ ィ ンを 日 本 に伝 え た いで
ジ ヤーと し てでは な い、 スポ ー ツと し
ロサ ー フ ァー
る、 六 十 一期
ら 帰 ってか ら 目没 ま で、 夏 は 四時 間 、
を ご紹 介 しま す 。
し た り 、 上 手 な 選 手 の D V Dを 見 た
スト ラ リ ア で は 試 合 の様 子 が テ レビ
︱ 今 後 の目 標 を 教 え て 下 さ い。
世 界 で 戦 え る 選 手 に な って、 レ
大村奈央 さん
は いつご ろ です か ?
︱ サ ー フ ィ ンを す る よ う に な った の
り し ま す 。 好 き で練 習 を し て いる の
で、一
千 いと 思 った こと はあ り ま せ ん。
も や ってみた いと 思 った こと がき つか
け で、 十 歳 のと き に始 め ま し た 。 初
ハワイ で サ ー フ ィ ンを 見 て、 自 分
め は 自 宅 近 く の海 で、 地 元 の人 に教
ち た い﹂ と いう 気 持 ち が 強 いです 。
のた め に砂 浜 か ら 見 ても ら いな が ら
みた いと 思 いま し た c
練 習 は、 両 親 が 休 み の 日 に、 安 全
賞 を 取 る こと な ど は 意 識 せ ず 、 サ ー
フ ィ ンで友 達 が 欲 し く て、 出 場 し て
試 合 に出 ま し た。 こ のと き は 勝 って
知 ら な か った のです が 、十 三成のと き
に、 友 人 や 地 元 の 人 に 勧 め ら れ て、
スト にも 合 格 し た の で、 今 後 世 界 で
、 同 時 にプ ロテ
獲 得 す る快 挙 を 達 成 ︶
オ ブ ・ザ ・イ ヤ ー の二 つのタイ ト ルを
でグ ラ ンド チ ヤンピ オ ンと ルー キ ー ・
史 上 最年 少
イ ヤ ー の称 号 を 獲 得 し ︵
し た。 さ ら に、 ルーキ ー ・オ ブ ・ザ ・
戦 日 で優 勝 、 五 戦 目 を 待 た ず に、 年
し た 。 試 合 は全 部 で 五戦 あ り 、 三 ・
四
スト に初 参 戦 し 、 よ い成 績 を 残 せ ま
て当 然 だ と 思 わ れ てし ま いが ち です
ホ ッと し ま し た 。 周 り の人 に は 勝 っ
的 に 勝 つこ と が で き た の で と て も
か り は 、 と ても 緊 張 し ま し た。 結 果
です が 、 プ ロテ スト を 受 け た 今 回 ば
いう 自 分 の目 標 を 大 切 にし て いま す 。
じ ま せ ん。 世 界 で試 合 を し て いく と
と 思 って いる の で、 普 段 は あ ま り 感
周 り を 気 に し て いた ら き り が な い
ます か?
︱ プ レ ツシ ャ ー を 感 じ る こと は あ り
た こと があ り 、う れ し か った です 。
今 後 も 意 識 し て ゆ き た いと 思 って い
ろ い ろ な 世 界 が あ る と いう こ と を 、
標 です の で、 サ ー フ イ ンと は 違 う い
も そ の魅 力 を 伝 え る こと が 今 後 の目
いま す 。 サ ー フィンを し て いな い人 に
の幅 を 広 げ る こと が でき た と 思 って
を 学 ぶ こと が でき 、 色 々な 面 で自 分
し た 。 ま た 、 サ ー フ ィ ン以 外 の こ と
れ 、 学 校 では 気 持 ち が 楽 で いら れ ま
思 う こと も あ り ま し た 。 友 達 に恵 ま
続 いてし ま う と 、 学 校 に行 き た いと
と 思 う 時 期 も あ り ま し た が、 試 合 が
学 校 に行 く よ リ サ ー フ ィ ンを し た い
六 年 間 清 泉 で 過 ご し てき た 中 で、
中 継 さ れ た り 、 新 聞 に載 った り し ま
し て いま した 。サ ー フィ ンが し た く て、
試 合 に 出 場 す る 道 が 開 け ま し た。 こ
が 、 試 合 に 勝 つのは 難 し いし、 勝 つ
す 。 以 前 、 現 地 の新 聞 の 一面 に載 っ
︱ 最 近 の成 果 を 教 え て 下さ い。
自 分 一人 でも 海 に 行 き た いと 思 う こ
の こと を ク ラ ス で報 告 し た ら、 み ん
ます。
今 年 は 日 本 のプ ロ ツ ア ー 兼 プ ロテ
え ても ら って いま し た 。 そ のこ ろ は、
と も あ り ま し た。 中 学 一年 の こ ろ か
な が喜 ん でく れま し た 。
と う れ し いと いう こと を わ か って欲
サ ー フ ィ ンに試 合 や 大 会 が あ る と は
ら は 毎 日 練 習 を す る よ う にな り 、 そ
のう ち に注 目 を 浴 び 始 め て、 日 本 代
︱ 海 外 で の様 子 を 教 え て 下 さ い。
間 の グ ラ ンド チ ヤ ンピ オ ン に な り ま
表 に選 ば れま した 。
薙稽
赤 い羽根 共 同 募 金
十 一月十 八 日十 六時 か ら十 七 時ま
で、 三 十 四 人 の生 徒 が 大 船 駅 に て、
校 の雰 囲 気 を 知 っても ら う こと が で
き た よ う だ つた 。
第 二 回 目 は 十 一月 二十 七 日 に実 施
さ れ 、 約 三 百 名 の方 が 来 校 さ れ た 。
小 学 生 対 象 のプ ロ グ ラ ム も 実 施 さ
れ 、学 校 生 活 や キ リ スト 教 に つ いて、
小 学 生 にも わ か り や す く 説 明 が 行 わ
れ た。
全 校 校 内 模 試
ネ ッセ進 研模試 総 合 学 カ テ スト が校
街 頭募金 を実 施 し た。 今年 は台 風 の
影 響 で例 年 と 実 施 日 が ず れ た た め、
ボ ラ ンテ イア の生徒 は募 集 せず 、福
祉 委 員 の み で行 った。 大 船 駅 で は
三 万 六 千 五百 五十 六 円 が 集 ま った。
内 で実施 され た。
実 習 が行 わ れ た 。
授
業
日 に箱 根 で中 二を 対 象 と し た 地 学 の
対 象 と し た 生 物 の実 習 、 十 一月 十 九
十 一月 五 日 に真 鶴 ・箱 根 で高 一を
理科 校 外 学 習
十 一月 二日、高 三 では 河合 塾全 統
マー ク模 試 、 中 一か ら高 二 では、 ベ
ま た、 校内 でも 教員 と 生 徒 によ る募
金 が行 わ れ、 二万 人千 四百 二十 七 円
が集 ま った 。募金 は共 同募金 会 に寄
付 さ れた。
学 校 説 明 会
例年 十 月 に実 施 され て いた学 校 説
開
十 一月十 五 日か ら 三 日間 、 二時 限
目か ら 四時 限 目 にか け て、保 護者 対
公
度 の中 学受 験 に向 け て、 入試 に関す
る教 科 に ついてや、 入試 手 続き の説
明会 が、今年 は十 月と 十 一月 の二回
にわ た って行 わ れた。 内 容 は、来 年
明 であ る。
象 の公 開授 業 が行 わ れた 。特 に中 学
生 の保 護者 が多 数 来 校 さ れた。
第 一回 目は十 月 二十 三 日 に実施 さ
中間試験 ・
卒 業試験
十 二月 一日か ら 、 中 学 三 日間 、高
校 四 日間 の後 期 中 間試 験 、高 三 は 五
日間 の卒 業 試 験 が実 施 さ れた。
中 学 合 唱 祭
十 二月十 一日、第 四十 六 回合 唱祭
中学 の部 が行 わ れた 。
☆卓球 部
クー ル 七 月
現代 曲 部 門
民族 音楽 部 門
新曲部門
グ ラ ンプ リ 選
全 日本 合 唱 コ ン ク ー ル
総 ︿里
第
第
第
イ タ リ アセギ ッツイ 国際合 唱 コン
★高 校 音楽 部
文 部 科学 大 臣賞 ︵
第 一位 ︶
中 学 同声 部 門 金 賞
全 日本合 唱 コンクー ル全 国大 会
関東大会 含 一
十五校中 一位︶ 金 賞
県大 会 金 賞
全 日本 合 唱 コンク ー ル
全 国大 会 中学 校 の部 優 良賞
N H K全 国学 校 音楽 コンクー ル
関東 甲信 越 大会 金 賞
県大 会 ︵
四十 六校 中 一位 ︶ 金 賞
N H K全 国学 校 音 楽 コンク ー ル
★中学 音 楽 部
団体 の部 第 二位
神奈 川県 私 立 中学 校 卓 球 大会
女 子 団体 第 三位
鎌 倉 市 中学 校 夏 季 卓 球 大会
女 子 団体 第 三位
鎌 倉 市 中学 校 春 季 卓 球 大会
■.頭
県 大 会 シ ード 団 体
関東大 会 金 賞
全 日本 合 唱 コ ン ク ー ル全 国 大 会
金賞
兵庫 県 知事 賞 ︵
第 一一
位︶
高 校 A部 門
鎌倉 市 市 政功労 者 賞
第 四十 九 回神奈 川県高 等 学 校 演 劇
☆演 劇 部
発表 会 最 優秀 賞
県知事 賞 ︵
第 一位 ︶
なな
︵一月 九 日 ・十 日 に行 わ れ る 関 東
進 む 耐 震 工 事
大 会 に県代 表 と し て出 場 ︶
ρρ
第一
期完了 校舎内もきれいになりました
十 二月 十 四 日、南 棟 ︵
生 徒 の教 室
があ る棟 ︶ の免 震 装 置 の設 置 が完 了
し た。 今 後 、 地 下 ロ ッカ ー の内 装 工
事 な ど が行 わ れ、来 年 の二 月 に第 一
期 耐震 工事 が完 了す る予定 であ る。
ま た、耐 震 工事 と並 行 し、夏 休 み
に校 内 の改 装 工事 が行 わ れた。 休 み
中 は 教 室 に 入 れ な いな ど の不 便 も
あ った が、夏 休 み明 け 試 験 前 日 の八
ア ︵スライ ド 式 に
月 三十 日 に改 装 が終 了 し、教 室 のド
ガ
パー テーシ ョン︵
変 更 ︶と廊 下側 の
、
ラ ス戸 を 含 む ︶
用 ラジ エタ ーな ど
廊 下 や天丼、暖 房
が新 しく な った。
中 の 円盤 部 分 が免 震 装 置
れ、 昨 年 ま では 午 前 午 後 の 二部 制
だ った のに対 し、今 年 は午 前 のみと
な った が、 例年 同様 、約 千 名 の方 が
来 校 さ れた。 小学 生 対象 のオ ープ ン
ス ク ー ルも 実 施 さ れ、 お 菓 子 作 り 、
イ カ の解 剖 、 図 書 館 に て本 の コー
テ ィ ングなど 十 五 の講 座 が開 講 さ れ
た。 初 め のう ち は緊張 し て いた小 学
生 も 最後 には楽 し そう に参 加 し、学
位 位 位 位
)
(第 43号
2010年 12月 22日
(8)
神 奈 川大 会 最 優 秀 賞 !
五年 ぶり 三度 目 の関 東 大会 へ
た第 四十 九 回神奈 川県 高 等 学 校演 劇
発表 会 で、本 校演 劇 部 が十 三校 中第
十 一月 二十 日 ヽ 二十 一日 に行 わ れ
こ の夏 、 図書委 員 が全 校 に呼 び か
一位 で 最 優 秀 賞 ︵
県 知 事 賞︶
を受賞
し、 関東 大 会 ︵
南 関東 大 会 ︶来への出
部 長 の小 滝 柚 香 さ ん ︵
六 十 二期 ︶
は ﹁少 人 数 な ら では のま と ま り と、
は大 き な拍 手 が送 ら れ た。
三人 で演 じ切 った舞 台 に、観 客 から
今 年 演 目 に選 んだ のは高 泉 淳 子 ・
伊 沢磨 紀 作 ﹃モ ンタ ージ ュ∼始 ま り
の記 憶 ∼﹄。
一時 間 を 高 二と 高 一の
場権 を 獲 得 した 。
け て完 成 した 千 羽鶴 が 、広島 平 和 記
八月 六 日︶ に合 わ せ て広島 平
念日 ︵
﹂れ は ﹁
和 セ ンター に届 け ら れ た。ヽ
本
を 借 り た 冊数 分 の鶴 を 折 って千 羽鶴
を 作 ろう ﹂ と いう 図書委 員 会 企 画 。
企 画 を 発案 ・運営 した 六十 二期 の
図 書 委 員 は、 ﹁
昨 年 六 月 に企 画 を 開
始 した当 初 は、ど こか に送 ると いう
こと は考え て いな か った が、 千 羽鶴
皆 さ ん の応 援 と協 力 で ここま で来 ら
れ ま し た。 苦 心 し た のは 一時 間 十 五
分 の台 本 を 規 定 の 一時 間 内 に納 め る
事 。 し かも リ ハーサ ルで 三分 出 てし
でのキ ャスト の
ま った ので、後 は本番一
テンポ に全 てを委 ねま した﹂と語 る。
円東 大会で代 表 ―校 を選 び、更 にJヒ 間束 大会 とコ関東大 会 全部か ら 校 を,き び 計 二校 を選出す る
lt南
を 作 って いく 中 で、鶴 を 折 った 人 の
気 持 ちを 学校内 で終 わ ら せず 、 平和
への祈 り に つなげ て いき た いと いう
気 持 ち が委 員 の中 か ら生 れ た﹂ と話
す 。 話 し合 いの結 果、 千 羽鶴 は 、本
校 の修 学 旅行 の コー スに含 ま れ て い
キ ャスト の柴 田美 波 さ ん ︵
六十 二
本当 に後 輩 が 頑張 ってく れ
期︶は ﹁
ま した 。劇 のテー マが ﹃
切 な さ﹄で、
:│:襲
私 は 恋 の切 な さ を 表 現 す る役 な の
で、相手 役 の写真 を ず つと持 ち 歩 い
て いま し た。 実 は 今 も ⋮ ︵
笑 ︶。 見
高橋 夏海
イラス ト協力 :63期
る人 の年 齢 によ って ﹃
思 い出 の大 切
さ﹄の伝 わり 方 が違う のも 見所 です 。
応 援 よ ろしく お願 いしま す﹂と話 す 。
南 関東 大 会 は 一月九 日 ヽ十 日 に八工
子市 芸 術文 化 会 館 で行 わ れ る。
関東高等学校演劇協議会 HP⋮
〓一
O
L、
い
〇
ヽ
Φ
こヽ
ヽo
卜●
P●
p﹂
①
やヽそ‘ヨいo
¨
o
撃
な いと いう 理由 か ら 、広島 の平 和 記
念 公 園内 の ﹁
原爆 の子 の像﹂ に捧 げ
平和記念公園 に捧 げ
られた千羽鶴
を選出 していたが今 回か ら北日 東大 会 ●代去
'■
※昨年 までは北 日東大 会か らイ
t表 ―晨 、 fll‐ 東大 会か ら代表
る こと にな った。 な お送 料 も 生徒 の
募 金 によ って賄 わ れ た。
7月 28日 に完 成