朝鮮地名の考說 (五)

KURENAI : Kyoto University Research Information Repository
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朝鮮地名の考說(五)
中村, 新太郞
地球 (1925), 4(6): 477-487
1925-12-01
http://hdl.handle.net/2433/183026
Right
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Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
蓮 産
溝
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五)
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連は 二つの峡谷 の食した虞 であ るP或 は川沿 ひの最終 であ る.水出所峡中 '其爾崖
四 地形 に関す る地名 ノリ、
J/辛
朝 鮮 地名 の考 説
別
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nP怠連'
儒
鹿 轡 光速岬豊 沼 満 銅蕊 聖 山 羊盈 柵 等 があ
迫水之路p発俗名之日蓮 - のp
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▼兎山
る0滴洲 の教 に柵常す るO 崖道 には別 (
ピ ヨ ル又は ペ ア )別杏 (
ピ ヨ ルク)
或は塵 (.,
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を つけ る。 成
㌧
サヤシ
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サンヤグ
酋長津 に山 羊 別 あ-P 山 陽 は山野 に猟す るこ亡 で山 陽蟹は救夫 のこEであ る'山 羊別 は猟犬 の歩 昆路 三 言ふ意 であ る0
望心
六
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普通 には毘路 のこどな飛股 (ピタ ル)三 富ふ。 ピタ ルに把椅p 尻岸'崖'遅達 .壁橋 の快事 を宛 て
サタ リ
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チ nル
サブ三
一 は曲 崩 れの急 斜地 で小地名 だし て 沙 汰 谷 があ る. 士 多 里 三 試ふのも沙
る二だがあ る。沙汰 (
汰谷から鴨じたものであら-。
朝鮮地名 の考祝
仇非
地
(ク ビ )
球
は川
の
メア ング-
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第四省
筆 ハ披
望 八
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屈 曲 した部分 であ る0仇味、鳩飛 、薯 碑' 口非 なで の字 で現 はす こどもあ
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トルグヒ
が仇智 (
クタヱ どな-再 び晒 じた ものであ ら-。 石 非、国都仇 非 な
るO蓋 し仇非 は商 に述 べた
.rwがあ-殊 に鴨総 江 の本流及支流 が偶人屈曲をした魔 に多 い。 f鹿 に朝鮮 では東西行す る谷 に屈曲
へられ る。 もし鴨繰 江 の 義 の五番竺 地形固例 へぼ新島場同幅諾
を見 る時 には デ ・ ゲ ヰ
ス
が劇 し-南北走す る淡 谷は貯 除す るこだが少 な い. これは地球 の白極 によ る水流 の遅舷 に因 るのだ
嘉
の地形単 にあ る購入屈曲 の模型 にか ゝれた地形を見出す。屈曲 した流路 が庶流す る標 に旅路を塊 へ
るども^/
Jの流路は等墳形 の平地 どな る0 この流路嘩噂 の地形 は朝鮮 到 る魔 の山地 に認 めるこどが出
凍 るが.其 の著 し い 〓 盲 嚢げで見 るビ卒北厚 昌 の銅店 のす ぐ商 には樹 形 の薯河床 が平地 だし て残
カマ
ア
子
って此魔 に 登 内 は いふ三四軒 の集 落 があ って、ま るで釜 の内 にあ る様 な地形を表はし て る。 太白山
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され)た ものであ るO前 に馨げ
の山中 に穿川 ビ桝す る奥陶紀石衣岩 の天蛮番 があ って洛 東江 の上流は其 の椅 下を流下す る'此塵 は
屈曲した奮河床 の流路 が石衣洞 の出家た渇 めに切-去 られ (
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盟
た回琵 非 芸 ふのは山 で管 れた編 入屈曲意 味す る0 川 が迂腎 た讐
邪 ユ即 や断
があ る.
ク,仇 味 三 吉ふのは狗 -川 の屈曲した魔ば か-でな-海岸 の出入 した彪 を も指す のであらう
仇非文は
c
/ 隠岐島後
九味浦離 、新馬九味 駅 摘㍍ 朗馴鮎 畑錯 覚 等 があ る.内 地 では丹後 に 久美演 があ r
の北酉蛸 に久鬼 があ る。 蓋し屈曲多 き輝岸鋸を持 った魔を 示したも のであら-O
1
、ル セ ル
竺
隅 は曲 な王 朝 が・
Jn角 であ る。訓 は 巧 ルで各地 に 石 隅 試ふのが多 い、道 が山帝 の露岩 に雷 つ
キン
モル
^
Jか があ る 。隅 の つ-庭 にはよ
て曲 が って居りそ こに小平地 があ る虞 であ る.此 の外堂 隅 だ が 長 隅 J
諸 糾・i謂 水両 倉盟 があ-p甫 名 だし て望 一
文 江面託
二つの川 の出 食 った庭 であ る。蒲 江 は卒北 に多 -
が
あ
成 鏡渡 に多 い。 此 の外 に雨
於
口、何渦
オ グ
があ - 那名 だし て は 三水
令 水 は
ハプスー
-小市場 があ った. 宿 屋 があ ったr
c
,
す る。淋 し い淡 谷 に治 - て旅 した場 合 にはよ- こんな底 で豊食
を粘 る。
雨 江、含 水
水里謂 諾
る 0
於 mp洞 田 は小流 が大河 に令す る地瓢 であ る. そ して其 の小湛名 洞名 を冠 し て何谷
る地 名 であ る
。
三 石ふ地名 が中 部以南 に多 いO其 の三四を馨 げ て見 る三 見巌 の漣川' 忠南 の牙山' 金 北
に 該
口 だ呼 ぶO か ゝる落 合 には小集落 が出凍 るこだ が普通 であ る.前 傾 の両 江'令 水 ビ共 に内 地 の落 命 .
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里
川 令.川 俣 な で
サムコリ
三宮
の茂兼p金歯 の臓 天及 び羅州p慶 南 の就倍 .江原 の新撰 な'^/
Jにあ るO これも 二 つの谷 が合 1し路 が
三叉した鬼 にあ る集落 を意味す るのであ る.三糖 里 三 疲 里 ビ いふのも同 じ こEを敦 はした に過 ぎ り
-
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望 九
六声
里望 増 主恩 嘩 仙育 濃 化 き
が其
い 。 由 里 竺 試ふのは後 備 に述 べる市場 の五里 に関係 を持 った語 で プリが つ-地名 は 三五里 の外 に次
-
朝鮮地名 の考耽
-
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の如 きも のがあ る。五品 岬 官主 基 準 赤 五里畿 ' 豊
ー=
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れ であ る
。
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頓
鋳 四魯
第 六幼
宍〇
六四
浦 膏 ポ訓 クであ るO l股 には捕 口p触 番 場p 港 か,
意焼す るが港 三 言っても必ず し も海港 に限 ら
な い河港 でも浦 笠 石ふ.
庫 に海浦 ビ云 へぼ朝鮮 の西海岸 に多 い海岸 の干潟 地 の こどな指す の であ る.
フ
サ,I
著 し い郡邑 ビし ては木浦 '境 南浦 、兼 二浦 、金浦 があ る. 釜 山 にし ても昔 は 日本人 は釜山 浦 三 諾っ
小・
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り
たO施浦 塗 兄城 の南 西 に接 した淀 江 の荷船 が薯 -虚 で内 地人 は マホビ呼 んで居 るP 然 し古 い本 なぎ
。
には三浦 とも書 いてぁ るし.現在 で且 兄城 の閣大門 か ら 電車 で そ こ へゆ-朝 鮮人 は潜 サ ムグ三 言
ふ
潟 湖 に浦 だ附け るのも内 地 で北浦 や霞 ケ浦 だす るの に同 じ いう朝鮮 で最 大 の湖沼 は威南成 典郡 だ
足 中郡 だ に跨 る贋 浦 竺 試ふ潟湖 で周 三里十七 町両 横○方 里 八六二 あ る.
鹿 が山 間 に浦を つけた地名 を見出す こ^
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Jが屡 であ る、そ こ には櫓 を通 ず る様 な川 がな いが小流 は
三 石ふ意義 でもあら-.
の 大 部
チ-
灘 膏 ナ ン.訓 オ γで'支 那 に於 け る如 -泥 の沖 令 でな- て、 河 中 の浅 い虞 の悪 童 で峡 谷 を成し
オ〃
は洛兼 江 の 叫文 が峡谷 を成した魔 で 二塵 紀捕 物化石 の産 地 であ る。 忠
た虞 にあ る0 慶 北開慶
南燕 舷 には東灘 里 があ-'忠北永岡 には虎 灘里 があ-∵其 の他 灘 の ついた地名 が少 - な い0
渓 津
浦
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己
では 玉選 轡 安演琴
長 盈 晋 があ る
を つけた地名 がか な-あ る。演 は谷 を美 し-書 き荘 した も の であ るらし い.那
己 ては新湊盟 約詔 錆 があ-・市 の開 かれ る驚
演能 里 の八 つを見 る、 それ位 1股 に演
洞里名 だし て演 を つけた も のは甚 だ多-' 試 みに忠北永同郡 の洞 里名 百 三十 盲 通観す るビ内 に雪
渓 里 ・林 洪里 ・澄 瑛里p 晩演 里 、紫 洪里.小溝里 ' 金淡 雪
の ついた地名 が多 い.蓋 し朝鮮 には平地 が狭 - て高 - はな いが l鰹 に山 地 であ るから であ る.
埴
沼
甑
ヌヅプ
淵 には河 の洗 い部分 の意 義 があ るビ共 に地 の意味 もあ って池 '沼
滞滞 輝は 次項 の淵 に似 て居 るが山 地 の川治 ひの魔 に つけられ て屠 る. 漣滞異 観 滞'蓋 滞 .長 滞
地 湖 噛
卒輝等 があ る。
淵
なで ビ同 じ-訓 は 巧であ る。瀧淵 里 三 富ふ虞 が甚 だ多 い.郡名 ビし ては長淵 があ る.
池 '沼p塘 共 に訓 は モであ るO 地 であ るO白 頭山頂 の天地 は周囲 二塁 二十 二町 の火 口湖 であ る0
湖沼 の名 だして潜 を つけた も のは少 な いが鶴 沼 洞 三 石ふのは方 々に見受 け る.糖 は地名 }
Jし てか L
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b多 い洗頻児 二 向塘 盟 .池塘 里等 があ る。 池 の 巧は肴 - は漸 ビ聾 いr
J- であ る.
湖 沼 に湖 や堤を つけた も のが少 -な い.朝鮮籍 二の湖 水た る腰 橋湖 は組 査閲域 の頗 三 二千 五官九
十町歩 に及 ぶ全 北臨 益 水利組 合 の貯 水池 にな って屠 る。文金 北 金堤 の菱 堤 は用 二十 三町 の池 であ る.
究l
六五
各地 に水 利組 倉 が組織 され るに つれ て人 工 の掘 婁池 や谷を堰 き止 めた堰塞 湖 が出来 つ ゝあ る.堤 は
朝鮮他 省の 考訊
地
球
弟 関谷
鈴 六琉
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高 句麗時代 には ー(
吐又は土)呈 13つたらし い。
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因
幡 に抑度 ビ書-。段丘 の下 の'・,bク∼、した弧動地 であ るO威南 の北膏 には水同 湖及 び級 琴阿
1P寧北 の滑膜 や碧睦 や威南 の三水には同 坪里 があ -P 華北楚山 には淵度 江 ^/
J綱
湖 ビ呼 ぶ湖 水 があ-
膏 シソ訓 ナ ル叉はナタであ る.捲又は披場 であ る0 河 についても輝 に ついても執 れ でもよ い
す る川 があ-p成 北端川 には因 峰山 ど呼 ぶ山 があ る.
津
山
清浄.地籍等 は海 港 であゎ.恩舘 は錦 江畔 の部名 であ るO長津背 高 腰上 のせ き川 の岸 にあ る.
ナル
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廃 は海港か又 は大鍵 の標
の中 のものは無 静披頚を悪政す るQ波船 を 津 船 室 警ふ.内地 で鍵 の ついiJ
ナリ
に海.
に此敵す べき大きな湖水 に撃 った魔 であ るO大阪 市 に併令 された兼 成郡及 び西成郡 の即又は封
ナル
は 津 ビ同じ い。朝鮮 で又津は大河 の或 る 7置問を衷はす こどもあ る 。
渡 波覇 であ ることは津 の 三 の嚢 に同じ い.藤成江 には憩満渡 があ・
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.安 城川 の安城渡 は 日時
役 に名高 か ったO
橋 漉 し に開 聯し て桁か あ る ∪橋 のつい誌 名 はか - 多 いp大株碍 尉 錆 ,
篤 錆 塞 げ
ト心
Jリ
緬橋里 は各地 にあ る.年商中 和郡石橋 には石悉 石の小天然橋 があ る.
1尤 も石橋
るに速ま な い程多 い。
三 票 は 1敗 には小演を渡 る溜 めに覚かれた石塊 が散布 され学 芸 であ る .棟 国風 三 吉ふのは 橋 畔
の集落 であ るJ3
簸
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又
水橋 也又 水根 也 ビ・
あ-、ま た邪 推 整 相門 弟染 ども あ るO 郡艶 温 順'簸 坤里 望 染項里触朗等
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の東 棟 又 は門 の哉 ビし て説 明し得 ら れ る。 琴 Qi
1今 閣博 士は鹿 北鷹 山 の押 梁 の梁 は 普 郡邑 藍 息味 し
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か ら 淡
に な った も ので ・
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-クp -な で ビ訓 むだ の が後 には今 の ワ ヤ ンにな った のだ
た
郡名 ビし ては 金海p南 海 、及海 南 が南 方 海 に近 い方 にあ る. 海 州 '鏡 海 は強 襲都 市 であ る。
ビ説 かれ て屠 る. 此等 の外占 鞄 里 調 、染 文里 脂
等 があ る.
一「一ノ
海
朝鮮 の南 方 の海 は地 理上確定 した名 が な いが朝鮮 人 か ら 云 は せ る ビ南 海 で あ る0 里 名 EL では海 の
井
朝鮮 は 山股 に飲 取 水 に乏 し-朝 鮮 人 は天然 の泉 の水 を 好 むp泉 洞 }
J.L
冨ふ小地名 は何魔 に
な い虞 に東 海 里 、海 谷里 なで があ るが借 字 に蓮 ぎ な いビ思 ふ.
泉
も洩 るp水 の少 な い地方 で偶 、
泉 の湧 - 谷 であ るどし て名 づけ た も のであ る0 倉泉 は鹿 北 の般 感 な町
でゐ-.酸泉 は慶 北 の静 な郡邑 であ る. 冷 泉 洞' 湧泉 里、 椀泉 洞 t
と,/
Jはか な'
l多 い地名 であ る。 棟
井
試ふ魔 があ る0 大井 里 な
泉 里幣 は衆 酸泉 の出 るか ら つけた も のであ る。
〟
戸 の意味 ビあ るがま に泉 の意 であ る0 冷 井 洞 はざ ら にあ る. 忠 北浦 州 の横 井 里 にはよ き泉
は
泉 が湧 き 今 では サ イ ダ ーや淡 酸 水を 貢 出 し て ゐ る。 黄 海 安岳 にも取 非 望
非
酸
。
軍
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六七
で も屡 々あ る0 温非 笠 雪 舟・
,
・J温泉 の こ亡であ る0朝 鮮 には新 し き地質時 代 の火山 は少 な いが温泉 は
五十 奴 箇 所 あ る
朝鮮地名 り考蹴
地
球
鰐相客
蟹 ハ舵
水は慧 瓜轟 が河 ざる水 ども琴 Qエ 剛に述 べた が泉 や井 に此 赦 し て冷 水洞、
は畠
六入
水 渦' 大水洞 '燕 水
措
理等 が多 い'菓 水は岩盤 の醇 隙 から湧 き持す 水 で多 - は倉 餓 衆醸 泉 であ って其 のあ るも の には遠 方
ヽ ヽ ヽヽ ヽ ヽ
か ら飲 み に凍 る者 が相 集す る。 夏 期 は ラ フし た山 あ ひのち よ びち よ び しか出 な い兼 の周園 が 7大遊
率
平地 を意娩す る. 膏 ピ ョ ン訓 ッ ユ ル又 は ガ ルであ るO 大 き な平 地 許- でな-谷 の中 の小
山 場 にな るこE があ る.
呼
平地 を も坪 呈 h
Jふ. 里名 の下 の小員 にも坪 を用 ふ る。 1鹿 に朝鮮 には 大 平地 がな い.大概勝男 の川
治 ひ の卒 地 であ る O 粘土質 の平野 は仝 北 の平野 町外 には ま づな い. 田静 原野 何 れ に し ても平 地 であ
タヒ
ラ
れ ば坤 であ る ︺内 地 の野 叉 は卒 に該 る。 坪 の ついた 地名 は泰 げ ろ こと の的 凍 な い程 多 いp 倉 坪 、向
は 天 坪
坪 p官 坤詰 轡 贋 坤 p革 坪謂 川 葛 坤 .後 坤 、 江呼p錦 坤' 梨 坤 .沙 坪七 枚 坤、 柳 坤等 はよ. のる
チヨン
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り
があ る.位 置 の高 い呼 で次項 の徳 に此 ぶ べき も の であ る.
地名 であ る。戚 商 三水 に
坤 を 略 し て準 ,
Jな った も のは郡名 にもあ る'
加 雪 楊 革 鐸 滝 川篭 威 準' 定 年 が それ で坪 孟 EL
・
た のはな い. 里 名 でも坤 だ書 かや に革 にした も のもあ る0
野 鷹 野 は 坪 ど同 じ 悪政 であ るが坪雑多 -用 ひら れ な い. 野 は異 の原 野 で開 拓 の充 分 及 ば な い
も の空 言 の であらう .翠 野嬬 p 克 野 晶 晋 があ-、 昔 は抄 里院 附近 の戟 寧江 華地 の 義 を 凍 城
野 ビ呼 んだ。
原 は地名 に用 ひられ るこだが多 いp殊 に郡名 ビし ては次 の如 きも のがあ る。 水原、
歯 膜'島原 '平原、 利府'高 原'洪原 '滑 膜 これ であ る。 野を意味す るのであら-0
磯
原
、
原
j
州
徳 現 今 の朝轡 晋 では t
u
kであ るが アキ笠 石ふのであ る。陣 に憾 亡か臆 とか も書 -。 (来園 名山
記 )凡山陵些 向河上中老.北人謂之 徳. (
北塞 記略)北 人以平 取虜穂 .北 路諸山多 以徳 満名 著以此 也
ビ
又 は高 埠 臼徳 ビあわ.
蓋し徳 は女異 譜 であ る.成南成 北 の玄 武 岩 の基 地をi
i
i し、
片麻 岩 や石衣 岩 の
高 原 が渓 谷 の謂 めに分 離 して上 の平 か な メ -サ状 の地形を呈 した も のが徳 であ るO 蒲柳 の卑 又は閲
語
.
完 成徳 富
があ る、
又徳 讐 菅
て徳 のあ る畔 が少- な い扇 ち威 徳嶺 、
に略留 るO加 藤清 正 が銀鱗 を掘 って製鉄を太閤 に献 じ た ど いふ成南 端 川 の槍 椿 (
又は槍 養 徳山 )を初
ハヒチキ
めざし て跳リ離 諸 鐙
柏徳鶴p長 徳嶺.菊鹿 徳嶺等 であ るO 徳 は平 な魔 を意味 す るの で呼 を ブ キビ呼 ぶ様 にな った魔 もあ
ち.威 商 甲山 の大田坪は ク ソパテキ呈 芯ふ。 徳 の地形 のよ-崩 は れでを るのは 五番分 7新 編場 訓聖
空 足里訓馴 間隔 なで であ る0 徳 は威北威 南 から卒北 の奥 地 ま で 一
言 三 雲 が其 よ-苗 では徳 が著
し-残 って居 な い.
披 膏 は メであ る. 坂だ とあ る。 枚蚊、箇 蚊.蕃 吸 なJJ,,
,
中 々多 い'京 城府内 の離 山 には脊 蚊 があ
台
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f温
六
九
は小 丘'段 丘又 は山頂 が董 上 にな って居 るのを指す .鎗・
n多 - な いがまた里名 や峯
る、 取 ではあ るが又段 丘 の意味 もあ る標 であ る。
蛤 壷
朝鮮地名 の考試
の名 に見出す。
節四番
節 六依
実
軸
七〇
石 巌(
岩) 石及 び巌 を つけ た地名 は甚 だ多 いp朝 鮮 では森 林を濫伐 し た のビ束 候 が劇 烈 であ る
弟 めどで潜石 の篤出 が甚 だ好 い。
贋 石里・化 石里 望 亡もあ る
石 の方 は天然 の露 岩 又 は砂塵 な>F/
Jから つけた の でな- て粂 造 物 から水 た 石 が少- な いp 白 石里 は
チー
ドル
礎 石 の出 た魔 であ るP 金額 脈 の殆 んで総 ては権 石 から出凍 て居 るが白 いの には金 が少 な いO然 し白
石 里 の附近 に酢よ き合 金使 石版 を尋 ねあ てな いものでもな い0立 石雪
化 石は古塗 物 の意味 では な いp美 し い石位 の意 であ る0
イブ
ゾクーL
丑 石 里 三 石ふ の が多 い0内 地 でも丑 石崎 など があ る様 に青 枠 又 は青 い時 代 の妓 造 物 の裁 骸 があ る
コ
イン
ドル
撲 石 又 は支 石 室 玄ふのは高 句麗 時 代 の
鬼 であ るC砕 石渦 もよ-あ る.碑閲 があ るこEがあ るO ま た
蓋 の封土 が取且 試られ て中 の玄室 の四壁 にした 平た い大石 が園 ほれ たものであ る。揺 石 の-ち には
石器時 代 に周す るも のもあ るビ寵-人 もあ る。支 石洞 ビか摸石洞 ビか云 ふ地名 が各魔 に散 在 し て周
る∵ しんな地名 はな- でも人家 か ら速 い畑中 に支 石 が大 き-裁 って居 るのを 時 に見 るこどもあ る。
票 石' 雷 雪 仙窟 ・赤 軍
巌 又 は岩 は膏 ア ム訓 ./
(タ イで之 が ついた地名 は甚 だし -多 い。 部名 ビし ては窺巌 があ るのみ であ
るが.鳳 華 麗巌 諸 相 徳軍
O休
白巌 なで ゝついた のはざ ら にあ る0円 砦
シル
バ
ウ
岩 には往雄 の人 の贋 を
で いふのは催岩 か堅 い岩脈 かが出 で谷を爽 ん で門の様 に馨 った ものであ る
チ ヤラバウ
ク ンバウ
おろす 大 石 が あ る。 串北署山 の 亀 碧 や 大 栗 は金頻 であ る石英 脈 の露 頭 であ った。高 句麗 の巴衣 は新
バエ
羅 で巌 どなr
J
IP 又波卑及 び披衣は 幌ど な った様 であ るが我 が四囲 で海岸 から出 た岩礁を砦 ビ いふの
バ
ウ
の一
挺晒 した も のであら-0
も 巌
沙 砂 沙 又 は砂を つ け た地名 もか な もあ る0京 城 仁川問 の東 砂 mb
T,J
Jを険 - ビ抄 の方 が多 い.
ーコナ エ
サチョ・1
玄ふのは大抵甚 し-霞乱 した花 崗岩 の由 で居 る低 い峠 で進 がよ- て越え 易 い. 沙 柑 三 言ふの
モレ
沙 脱 呈
心
七l
は河練-の沙地 であ る0渡 し場 の船 頭 の こ亡を沙軍 里 方ふ.怨 し慶北高 蛋郡 の妙見 洞は沙夫 であ っ
て陶工 の こビ窒 玄ふのだ 三 吉ふ こ^j
Jであ るP 此魔 には磁器窯 の遮 地 があ 旦。(
未完)
0署糧の瀧 の闘穴
い縦穴が 二夕北 んで出光 てゐろ、 二佃 の問 は狭 い沈 船以 って迎縛し てゐろ。 耽 り下 へ降りて見 ろ
克郎 の四北'清純川 の上流 にみ ろ北畠 の瀧 tェ高 三 南 放 り小さな瀧でみ ろがー耽 り薄 口にに美し
男
?
J
新 島上流こ
_珍らし い可愛らし い小丸裸 が将 々してゐろ、之 は上流から流れて来 る石片が諒 の中
へ入り細流 の馬に別 供され て此- り如き小概 が出水i
iのであ ら-0(舶越索 こ
朝鮮地翁の考試