常 済 大 師 研 究(二) 角 田 春 雄 五 老 峯 が彼 の思 想 信 仰 の拠 点 と な つて い る。 こ の並 列 的 な 彼 の性 格 は、 高 崎 直 道 氏 が ﹁古 仏 のま ね び﹂ で指 摘す る 天 童 如 浄 の心 塵 脱 落 が道 元 にお い て どう し て身 心脱 落 にな つた のだ 一 螢 山紹 灌 (一二六八-一 三二五) の立 場 彼 は、 洞 谷記 の文 保 二 年 (一三 一八)の項 で、洞 山 良 俳 (八 てあまりに重大な問 題であ るから 一言高崎氏 の研究 に附加 し てお き ろ う か と い う よう な疑 問 が 生 じ た 時 にも、 五人 の悟 り を 同 時 たい。心塵脱落-如浄。-身心脱落-道元。-身心脱 落-螢 山。も 〇七-八六九) の家 風 を 慕 い、 太 陽警 玄 (九四三-一〇二七)の なる 旨 を の べて いる。 これ に よ つて、 彼 が曹 洞 禅 を 自 負 した ぬけいでたる人-明峯。実 に螢山 の資明 峯 素 哲 は仮 名 法 語 に お い の文 章 には、 客観 性 があ る。 (心塵脱落 の場合は、曹洞宗 にと つ こと と、 そ の本 尊観 を 知 る こと が出 来 る。 元亨 三 年 (一三 二 て、もぬけいでたる人を中 心として説 いているから、心塵脱落 の問題 に間 違 え る こと は な いか ら、 弱 い表 現 か も しれ な いが、 螢 山 三)九 月 十 三 日 に 彼 が 著 わ し た ﹁洞 谷 伝 燈 院 五 老悟 則 井 行 業 は、曹洞宗史を変えてしま つたのであ るが、螢山は、身 心脱 落 の語 十 六 世 の法孫 で あ り、 太 陽 を慕 う が故 に永 光 寺 と号 し、 仏 殿 略 記 ﹂ に よ る と、 五 老 峯 (註、 五 老峯 の名 は す で に支 那 にあ を使用 して、この語 に対 しては、常 に道元と同 一であ つた。 ) を 最 勝 殿 と称 し、 最 勝 王 経 説 時 に は、 観音。 虚 空 蔵 が 脇 士 と つた) を 崇 敬 せよ と あ つても、 彼 の主 とし て誌 し た のは、 天 二九七 永平元和尚。日本建長 五年癸丑。八月廿八日逝。今 至ニ元 享 三 元享三年一。九十 五年也。 天童浄和尚大宋紹定二年已丑七月十七日逝 日本寛喜元年。今至二 彼 は、 自 か ら、 童 如 浄。 永 平道 元。 徹 通 義 介 の四 老 のこと が 主 で、 自 分 の悟 則 を 簡 単 に加 え て五 老 とし て いる。 そ の特 色 は、 五 老悟 則 の 並 列 の記 録 であ る。 道 元 が、 象 点 を如 浄 と し て他 を 従 と し て 省 略 した のと は異 つ て いる。 彼 は、 史 学 者 的 に、 投 機 の語 を 並 列 に記 録 し て いる。 こ の自 か ら を ふく め てま つる 永光 寺 の 常 済大 師 研 究(二)(角田) -738- 常 済 大 師 研究 (二)(角田) ニ リ シト キノ カ ノ ス ク 二九 八 ニ リ ニ ト ス ニ リ ル コト 公一。 と い い、 義 介 のそ れ に対 し ては、 ﹁介 日。 近 日会 二先 師 之 ク 年一。七十 一年也。永平舞和尚。弘安三年庚辰。 八月廿 四日逝。今 ヲ 脱落話一。師 日。好好 作麿生会。介日。将謂赤髪胡。更有 二 胡髪 ノ 至ニ元享三年 一 四十四年 也。大乗俳和尚。延慶 二年 己酉。 九月十 四 ナリ ナリ 赤一。 師 日許 多 身 中。 有 二如 レ是 身一。 先 師 常 告レ子 日。介 弟。耽 道 ノ 日逝。今至元享三年一。十 五年也。(洞谷記) ニ リ ヵ ク ヲ ハ ヲ セ 抜璽。 是 真 法 器。 吾 法 必 可二弘 通一﹂ 。と 記 し、 螢 山 自 身 の悟 則 シテ と 記 録 し、 如 浄 の語 録 を 永 光 寺 に安 置 し て霊 骨 に擬 し、 道 元 フ は、 ﹁一日間 二紹瑛一。 公 見 処 如 何 知 二平 常 心一。理 日。道 不 レ属 二知 ハ セ ニ 髪 胡。 更 有 胡 髪 赤。﹂ と 螢 山 紹 瑛 の ﹁如 何 知 平 常 心。 瑛 日。 ニ の霊 骨 の小 片 を 永 光寺 の西 北 隅 に安 置 し、 懐 舞 のは、 彼 の 一 不知一。 師黙 許 云。 汝 有 二越 師之 気 慨一。宜レ興 二永 平 宗 旨一﹂ 。と 記 ノ 行 三 礼 真 蹟 の血 経 を霊 骨 に擬 し て安置 し、 師 義 介 のは、 一生 ﹁心身 脱 落 ﹂。弧 雲 懐 舞 の ﹁一毫 穿 二衆 穴 一 ﹂。徹 通義 介 の ﹁赤 述 し て いる。 即 ち、 天 童 如 浄 の ﹁打 不染 汚 処 ﹂。永 平 道 元 の ノ 先 師 頂 骨。 自 筆 五 部 大 乗 経を 安 置 し た。 彼 の目 的 は、 鎮護 山 所持之嗣書。六祖御所持之南嶽門下、伝来相承之普 賢舎利 及 門。 擁 護 法 命 であ り、 そ れが 彼 の宗 教 の拠 点 であ つた。 ス スト ヲ そ れ を自 己 の宗 教 の拠 点 とす る と共 に 日本 に曹 洞 の教 義 を 形 ス 道 不レ属 二知 不 知一﹂ 。を 並 列 的 に のべ て曹 洞 禅 の要 点 を 示 し て、 テ 更 に注 目 す べき こと は、 五老 の悟 則 を 重 大 視 し て記 録 し て ラ いる こ と であ る。 即 ち、如 浄 のそ れ は、﹁師 日。打 二不 染 汚 処 鱒 ﹁打 不染 汚 ﹂ も、 如 浄 が浄 頭 を のぞ ん だ から、 雪 寳 が ﹁不 染 ノ 成 し確 立 し た。 しか し、 心塵 脱 落 も そ う で あ る が、 如 浄 の シテ 道 声 未 レ了。 鑑便 打。 師 遍 身 汗 流。 礼 拝。 鑑 乃 計 可。﹂であ り、 ノ テ 汚 ﹂ と出 た のであ つて支 那 で は意 味 が 簡単 であ る。 如 浄 の不 シテ であ る。 道 元 の場 合 の彼 の記 述 は、 ﹁天 童後 夜 坐 禅。 呵 二 柄子 ハ 如 浄 が浄 頭 を 望 ん だ縁 に よ つて の雪 蟹 智 鑑 禅 師 と の投 機 の語 ク リニ セ スル コト ヲ ロ ハ ク ヲ ス ス レ 染 汚 は、 文 字 で は な く事 実 であ る。 螢 山 が浄 頭 を のぞ ん だ事 ヲ レ ル ス ク 坐睡 一 云。参禅者身心脱落也。祇管打 睡 作麿生。元聞大悟。 ノ ル を 記 録 し て お い た れ ば こそ 不染 那 の事 実 が間 違 いな く 把 握 す レ ク レ る こと が出 来 る。 次 に、 ﹁行 業 略 記﹂ は、 螢 山 を の ぞ く 四 老 ヲ 元 日這 箇 是 暫 時 伎 備。 和 尚 莫 三乱 印 二 某 甲 一。師 日。 吾 不ニ リニ 乱 印 ワ禰。 元 日。 如 何 是 不 二乱 印 二乱 印 一底。 師 日。 脱 落脱 落。 の遺 偶 をす べ て誌 し て いる か ら、 逝 偶 はす べ て天 童 如 浄 のそ カ テ テ 日。幾 回這 裏 喫 二拳 頭一。脱 落 雍 容 還 解 露。﹂ ヲ ス ヲ 元拝 辞。-中略-師 れを 真似 て い る こと が わ か る。 如 浄 は、 ﹁六十 六 年。 罪 犯 弥 ス と あ つて、 如 浄 に と つて は脱 落 が ポ イ ント であ つた こ とが 判 ク シテ ノ 天。﹂。道 元 は、 ﹁五 十 四 年。 照 第 一天。﹂ 懐婁 は、 ﹁八 十 三 年 ノ シテ ス シ る。 ま た懐 舞 の場 合 は、 ﹁多 武 峯 懐 弊 来 参。 一日 請 益。 示下一 如 二夢 幻一﹂ 。は、 義 介。 ﹁七顛 八 倒。 九十 一年。﹂ であ つて、 禅 ヲ テ 毫 二衆 穴 一 之 因 縁 上。舞 聞 大悟 礼 拝 云。 一毫 不 レ問。 如 何 是 衆 宗 伝 来 当初 の師資 の真 似 ぶ り と、 禅 僧 の純真 さ を 知 る こ とが シテ ク 穴。 師 微 笑 日。 穿 了 也。 舞 礼 拝。 師 大 悦。 以 二法蔵一。 付 二舞 -739- 出来 る。 二 出 家 の条 件 明 峯。 峨 山 を ふく む廿 五 哲 を始 めと し て、 幾多 のすぐ れ た ハ タ タ ヲ メハ テ メハ ニ ヲ ノ 諸 方顕 密 学 徒。 改 二本 宗 一者。 只 ノ 禅 匠 を打 出 し た 螢 山 は、 如 何 に し て弟 子 を 養 成 し た か を探 究 メヨ し て み る と、 ﹁発 心作 僧事 ヲ シテ ノ ナラ バ ニ メテ ノ ニ セ テ ハ ラバ ヲ テ ノ ヲ ス ヲ ナラ ハ テ セ ヒ モ シ ス ニ 等 任レ意一﹂。(洞 谷 記 ) とあ る か ら、 当 時 の民 衆 に と つ て は、 学 問 の開放 であ り、 学 問 の自 由 の事 実 が螢 山 に よ つて開 か れ 女 流 済 度 之 菩 薩 の願 文 た の であ つた。 三 ノ 正中 二年 (一三 二 五年 ) 五 月 二 十 三 日 に彼 は、 発 願 文 一篇 者。 所 に 於 て発 願 し、女 流 済 度 の菩 薩 た ら ん と の願 は、彼 の悲 母 懐 ナラ バ スヘシ を 撰 し て、 三世、 諸 仏。 歴 代。 祖 師 及 び首 樗 厳 経。 一切 の諸 テ ク ヲ メハ ヲ 授 二衣 鉢一。 令 二入衆 一 也。 若 騰 未 レ持 二一房一。 人来 望 二作 僧一。一夏 シテ 経 に、 金 剛 の二願 心 の加 護 擁 護 を 祈 念 し た。彼 の願 い は、 一、 ト 若 一冬。 且 接 二沙 弥 位一。 令一 給 仕一。 後 受 具 入 衆。 若 又 錐 二出 家 と の願 い で あ つた。 彼 は、 菩 提 心 は、本 師 宝 慶 寺 寂 円 和 尚 の 菩 提 心 を発 す る こ と であ り、今 一つは、女 流 済 度 の菩薩 た ら ん シテ ノ モ 師 受 具 作僧 無 レ ハ ス シ ニ 形一。 帯 二妻 子一。 如 二在家 人 一 者。 経 二一回一。 令 二浄 行一。 受 具作 僧。 シ 若 地 頭。 御 家 人。発 心 望 二出 家一。真 浄 発 心 者 ケ セ 妨。若雑 色以下土民等。発 心来。尋二発心因縁一。 清浄心 テ ノ スハ ヲ ノ ル ニ シテ セ 観 大 師 の最 後 の遺 言 で あ る と のべ て いる。 鎌 倉 仏 教 の中 で、 チ タ リ 肉 食 妻 帯 を 堂 々と実 行 し た親 鷺 の浄 土真 宗 と、 女 人 済 度 の菩 ス ヘシ ナリ 即 令 二剃 髪一。 接 二沙弥 新 戒 位一。 或 経一 二 回 二回一。 道 具 調行 儀 改 レ ノ 者。 受 具作 僧。 亦諸 職 游 人 一類 者。 非 二抜 璽 人 一者。 受 具 不レ ヲ 薩 た ら ん と 発 願 し実 行 し た螢 山 の属 す る曹 洞 宗 が現 代 の 日本 サ ハ ノ 許 二作 僧一。 是 永 平 和 尚 垂 誠 也。 若 自 二幼 少一。 令 二投 下 出 家 一者。 セ ル マテ ニ ヲ 重 視 の螢 山 の革 命 的 発願 文 と、 女性 の援 助 と が教 線 拡 張 に大 ヨ 或 十 五十 六 中。学 二得 三 経。法華梵網。遺 冊教 一。 。四 辮道法o赴粥飯法寮中仏 清教 規徒 。参 の大 大己 半巻を。示 者し 。て い る。 特 に、 曹 洞宗 に於 い て は、 女 人 ク ノ バ 令 二剃 頭 受 具 作 僧一。(洞 谷 記 )とあ つ て、発 心あ るも ののす べ テ ナラ セン きな 力 と な つて いる。 即 ち、 ﹁発 願 文﹂ ﹁正 中 二 年 五 月 二十 三 ト て の出家 を 許 し た。 奈 良、 平 安 仏教 の主 と し て貴 族 の子 弟 の ハ 日。 発 二両 願 一日。 生 生 世 世。化度 利 生。至 二等 正 覚一。 乃 至 為一。 ナリ ト シ ノ ク ニ 二九九 ノ ニ ノ ハ ヲ 行一。 此 両 願 者 不レ私。 一願 者。 於 下 テ み を 出 家 さ せ た のに 比 し て、 一時 に多 数 の禅 僧 が輩 出 し、 旧 モ ヲ ス ルつ 過 々遠 々罪一。 微 不 レ能レ消。 以 為 二我 珍 宝一。救 二済 諸 衆 生一。別願 セ 仏教 や、 下 級 士 族 や 平民 の英 才 が 螢 山門 下 に雲 集 し、 廿 五哲 一切 不 レ管 レ之。 錐 二是操 ノ を は じ め と し て、 一大勢 力 を 形 成 し た。 ま た そ の教 線 は、 日 ヲ ニ 発 二菩提 心於 生 生一。本 師 宝 慶 円 和 尚 所一。諸 共 為 二慈 氏菩 薩 証 明 一 ニ 之 故。 不 レ顧 二身 命 一。生 生 世 世。 可下如 二本 願 一 護 持加 一願 者。 ニシテ 本 全 国 に 及 ん だ。 これ は螢 山 の人 格識 見 と共 に そ の政治 的 智 田) 慧 の偉 大 さ に よ る も のであ る。ま た、﹃比 丘之 諸 寮。 而 学 文 書 常 済 大 師 研 究口 (角 -740- ノ 常済大師 研究(二)(角田) ノ ニ ニ ノ ヲ ノ ニ レハ ノ ヲ ノ テ テ シテ ユ ニ シ カリ リ スル ジク ニ シ シ シ ニ ヲ 三〇〇 ル ヲ ノ シ リ シク テ シテ 螢 山 は弟 子 に対 し て は、 人 々の機 根 と才 能 に 応 じ て 公 平 であ ノ テ ノ セント ス ク 於二 今 生悲 母懐観大姉最後遺言一。領納発 願。是亦 女 流 済 度之 ク ス シタ マヘ シテ ヲ つた。 ﹁仏祖 正伝 菩 薩 戒 作 法奥 書 ﹂に ﹁右 正 応 五 年。 八 月十 三 テ セ シテ 菩 薩 也。 不レ可 二敢 欺 一。任 二遺 命 一可レ護 二持 之一。 三世 諸仏。 歴 代 ク ヲ 日。 在 二干 永 平寺 之 妙 高 堂一。 中 二出 正本 一 書 写畢。 同 十 九 日。 ノ ノ 予 金 剛 二願 心一。 願 ニ 祖 師 及 首 樗厳 経。 一切諸 経。 加 護 擁 二護 在 二干 丈 室 一 而 読 校 了。 同 伝 二受 作 法 ー 了。 此 本 相伝 伝 持 以来 ヲ ババ 叶 二仏 意 一 者。 必 可 レ感 二霊 夢一。 思 念 打 眠。 即 夜 暁 天 感 夢 云。 ヲ ス 計 年。 入二血 脈袋 一所レ持。 今 元応 三年。 辛 酉。 二 月 時 正 日。 ノ ノ 有 二随 身 所 持。 旧柄 袈 裟一。久 不 二搭 著一。今 欲 二搭 著一。 披 見 者有 二 テ ニ ニ ル ニ ス ルナリ 鼠 巣一。 以二牛糞馬 糞。 及 馬 尾 人 毛 等。 諸 不浄 塵 繊 一 染 二汚 之 一。 付 二授 参学 小師 素 哲 首 座。 紹 碩 都 寺一。 能 州 洞 谷 紹 瑛。 在 二丈 室 ス 妙 荘 厳 院 一授 与。 ﹂ (大 乗 寺 本 奥 書)と あ つて、 二人 の愛弟 子 テ ヲ 即打振捨了著用。誠奇夢瑞夢也。本 願 新 成 瑞 相 也。仏 祖 感 スル 寺 門 経 営 の手腕 に同 時 に仏 祖 正 伝 菩 薩戒 作 法 を 授 与 し て い る。 シテ 五 応。 証 二明 両 願 一 者 也。﹂ (螢 山瑛 輝 師 語 録 拾 遺)とあ つて、当 時 の聖 道 門 の僧 と し て は、 かく す べき 女 人済 度 の菩 薩 たら ん ニ ス ト ク ニ ル 螢 山 の活 躍 した のは南 北 朝 時 代 であ り、 場 所 は、加 賀、能登 と の願 を、 堂 々と 正 面 に立 てた と ころ に、 彼 の偉大 さ と識 見 ト ナリ の高 さ と、 度 胸 の良 さが う かが わ れる。 ﹁元亨 二年 壬戌 (一三 ル ス ノ 二国 が 主 な舞 台 であ つた。 皇 室 の実 質 的 援 助 を 受 け る には、 ノ 経済 的 にも、地 域 的 にも ほ とん ど無 理 で あ つた。 彼 は、当 時 の ト 二 二) 正 月 十 四 日。 願 生 生年。 八十 三。 発 心作 僧。 騰 次 六十 ル 地 方 の実 力 者 と結 ぶ こと に よ つて、 そ の寺 院 の経済 力 を 拡張 シテ ス ナリ ノ ニ シ ノ し て い つた。 ﹁洞 谷 山永 平 寺 尽 未来 際 置 文 ﹂ に、 ﹁能 州。 酒井 四。 妻 尼 心妙。 同 時 作 二比 丘尼一。 息 女 心 正。 孫 女 浄 忍。 同 発 ニ ス 心 作 レ尼。 喝食 家 中 一族 皆 発 心。 奇 代 事。 故 為 二山 徳一。 故 入レ 山 人。 必発 心求 道。﹂ (大 乗 寺 室 中 秘 本 ) とあ る よ う に螢 山 を ノ ハ シ ノ ナリ ノ ノ ノ ニ ノ テ ト ノ ヲ ス ノ テ ス ノ ト ヲ ハ ノ 保。洞谷山者。酒勾 八郎頼親嫡女。平氏女法名祖忍。清浄寄 ト テ 慕 つ て尼 と な る者 が こ の他 に も数 多 く あ り、 螢 山自 身 も、 尼 ノ 安置之塔頭所一。是以。自身嗣書。先師嗣書。師翁血経。曾祖 シ ス ノ ハ ノ ヒ ノ ノ スト ス ノ 者。 当 山 之 住 持者。 五老 塔 主 也。螢 山 門 徒 中。守 二嗣 法 次第一。 ノ 霊 骨。 高 祖 語 録。 安 二置 当 山 之 奥頭一。 名 二此 峰一。称 二五 老峰一。然 ヲ 進 之 浄 処。 故 紹 瑛。 為 二一生傷 息 之 安 楽 地一。 来 際 為 二螢 山 遺身 明峯と峨山 祖 忍 と の関 係 を ﹁磁 鉄 の如 し﹂ と ひ る ま ず の べて いる。 四 明 峯 素 哲 と峨 山紹 碩 は、 数 多 い螢 山 門 下 の中 で抜群 の力 量 ス 可 二住 持 興 行一。 其 故 者。 山 僧之 遺 跡。 諸 山 之 内。 可二崇 重 一 遺 シ 跡 也。 嗣 法 人。 可二住持 興 行 一 縦 錐 二嗣 法 人断 絶一。 門 徒 小師 ノ を 有 し て いた。 そ の勢 力 が伯 仲 し て い た ので螢 山 の滅 後 に、 ナリ 明峯 派 と峨 山 派 に 分 れ て はげ し い争 い が 生 じ た の であ る が、 -741- ヲ ナリ テ グ ニ 中。 評 定 和 平。 而 須 二住 持 興 隆 一者。 何 トプ レ ハ ズ ル ノ 他門 必之 不レ可レ崇 ニ ノ ニシテ テ 敬五老 一 故 也。 依 レ之 尽 未 来 際。 螢 山 嗣 法 小師。剃 頭 小師。参 ノ ヲ シ ト ニ リ シ ヲ ラ シ ス ヲ レ チ 学 門 人。 受 具受 戒。 出 家 在家。 諸門 弟 等。 一味 同 心。 以 二当 ノ ナリ ノ ク ノ ル ヲ ハ ズ 山一。 為 二一大 事一。 偏 奉 レ崇 二敬 五老 峰一。専 可レ興 二行 門 風一。是 則 螢 ス ト ト ク ル フ コト ヲ シ ノ ク ノ ハ テ ノ ノ テ ニ ノ 山 尽 未 来 際之 本 望 也。 仏 言。 篤 信 檀 越。得 レ之 時。仏 法 不二断 ニ 絶一。 云 々。 又 云。 敬 二檀 那 一可レ如レ仏。 戒 定 慧 解。 皆依 二檀 那 ス ニ テ ノ ノ ヲ シ ス ノ 力一 成 就。 云 々。 然間。 螢 山 今 生 仏 法 修 行 依 二此 檀 越 信 心 一成 ト ノ ニ シテ ク シ ノ ヲ ニシテ シ 就。 故 尽 未来 際。 以 二此 本 願 主 子子 孫 孫一。 可 レ為 二当 山 大檀 越。 ス ノ ヲ クナレバ ニ レ シ ル ノ ヒ ニ ト ヲ ス ズ シ ハ メ シ ズ ノ ノ ニ ノ ト ノ ハ シテ テ ヲ テ ヲ ニ ノ シ シ ヲ ス ノ ニ シ ノ ニ ルトモ 大 恩 所一。 是 故。 師 檀 和合。 而 親 作 二水 魚 睨一。 来 際 一如。 而 可レ ノ 致 二骨 肉 思一。用 心如 レ 此 者。実 是 可 レ為 二当 山之 師 檀一。縦 使 有 二 ノ 難値 難 遇 之 事一。 必可 レ生二和 合 和 睦 之 思一。 以 二此 置 文一。 為 二当 山 フ 来 際 之 亀 鏡一。 為 二住 持 檀 越 之 眼 目司 以 二壱通一。 写二両通一。師 檀 共 ト 加 二折 目判 形一。一通 納 二寺 庫一。一通 持二檀 家一。 可 レ為 二師 檀 相 互 螢 山 紹瑛 華押 本 願 檀 主 平 氏 女 祖 忍華 押。﹂ と あ つて、 付 子 孫 可 二崇 重 一之 置文 状。 如 レ件。 元 応 元 年 己 未 十 二 月 八 日 ヰノ 之後証一。檀那之崇二敬此門徒 之商議住持鱒住持之彼 檀 越 之 遺 開關 大 恩 所、 檀 那、 本願 檀 主 と敬 つて い る のも、 信 者 であ る と 同 時 に重 要 な 財 源 であり、 あ ら ゆ る 面 で の外護 者 であ つた こと を 示 し て い る。 (註 参 考 書 及 引 用 書、 常 済 大 師 全 集。 曹 洞 宗 全 書。 曹 洞 宗 古 文書。) 常 済 大 師 研 究 (二)(角田) 三〇 一 -742-
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