永 井 直 清 画 像(京 都 ・悲田院所蔵 肉 筆 彩 色 西 国 街 道 名 所 絵 図(小方家所蔵) 日本農 民組 合北摂 連合 高槻 町支 部旗(中川種次郎氏提供 ) 市 域 の 現 況(航 空 写 真 ・1 983年12 月27日撮 影 隠 元 隆琦 筆 詩 書 軸 物 ( 慶 端寺所蔵) 藤 井 竹外書 「 芳 野 」 (岸田敏馬氏所蔵) 古 曽 部 焼 ・蟹 耳 付 辰 砂 大 花 瓶 ( 教育委 員会所蔵) 高槻 町近 郊俯瞰 地 図(市役所所蔵) 富 田の 酒倉 唐崎 の段 倉 樫 田 村 役 場 (旧市役 所樫田支所) 凡 例 本 書 は ﹃高 槻 市 史 ﹄ のう ち 第 二 巻 本 編 Ⅱ と し て編 集 し た も ので あ る 。 本 巻 の時 代 区 分 は ﹁近 世 ・近 代 ・現 代 ﹂ と し、 一九 三 一 ︵昭和六)年 以 後 、 四 五 ︵昭和二〇)年 太 平 洋 戦 争 終 戦 ま でを ﹁戦 時 体 制 下﹂ と ま と め て、 現 代 への過 渡期 と し た。 な お、 現 代 の記 述 は編 集 の都 合 上 、 一九 七 八 ︵ 昭和五三)年 ま で で打 ち 切 った 。 年 代 表 記 に つ いて は、 太 陰 暦 時 代 に つい て は和 暦 ︵日本年号) を 主 に し、 西 暦 を カ ッ コ で 括 り 、 太 陽 暦 時 代 ︵明治 六年以降) は西 暦 を 主 にし て和 暦 を カ ッ コに入 れ た 。 数 詞 は 原 則 と し て 洋式 漢 数字 表 記 と し、 万 位 に ﹁万﹂ を 入 れ た。 ただ し、 千 位 で終 る数 は、 ﹁三 万 六 千﹂ な ど と 表 し た 場 合 もあ る 。 な お、 太 陰 暦 時 代 の年 記 ・日付 だ け は和 式 表 記 と し た。 か なづ か いは 、 引 用 史 料 ・引 用文 献 以外 は現 代 か なづ か いで統 一し た。 漢字 は でき う る限 り常 用 漢 字 を用 い たが 、 引 用 史 料 ・人 名 ・地 名 ・歴 史 的 用 語 等 に は止 む を え ず 旧 漢 字 を 用 いた も の もあ る。 な お、 難 読 と 思 われ るも の に は初 出 に かぎ り フリ カ ナを つけ た 。 前 近 代 の引 用 史料 は でき る かぎ り読 み下 し文 に し、 あ る い は 口語 訳 に し て平 易 に し た。 1 例 凡 近現代 ︵ 第 四巻︵二 近︶ 世 編 Ⅱ 一二 三 号文 書 )、 五三 (第 ︵ 第 五巻 近 ・現 代編 五 二 号 文 一、 引 用 史 料 ・引 用 文 献 の出 典 は、文 末 に ︹ ︺ で簡 略 に割 注 し た。 既 刊 の史 料 編 よ り の出 典 は 四 巻 ︵近 一︶ 世 編 I第 一章 一号 文 書 )、 書) な ど と し 、 通 し 番 号 を 採 って小 分 類 は省 略 し た。 一、 写 真 ・図 版 ・表 組 は、 そ れ ぞ れ 写 ・図 ・表 と 略 記 し て 番 号 を つけ、 巻 末 に 目次 を つけ た。 写 真 の出 典 は 簡 略 化 し、 目 次 末 尾 に詳 し い文 献 名 を 示 し た 。 所 在 表 記 な ど は目 次 で は 省 略 し た 。 な お、 本 編 で使 用 の 昭 和 二 三年 撮 影 の空 中 写 真 はす べ て建 設 省 国 土 地 理 院 長 の承 認 を 得 て、 同 院 発 行 の 一万分 の 一空中 写 真 を複 製 し たも のであ る。 ︵承 認 番 号 ) 昭 五 一総 複 第 一五 四 一号 。 一、 度 量衡 のう ち、 歴 史 的 度 量 衡 に つい て は、 と く に現 法 と の比 定 を 行 わ な か った 。 し か し 、 実 測 量 と関 連 す る 場 合 は、 メー ト ル法 で表 現 、 ま た は注 記 し た。 貸 幣 量 も こと さ ら 比 定 し な か った 。 一、 文 中 の歴 史 的 人名 は敬 称 を省 き 、 そ の他 の人 名 に つい て は、 担 当 著 者 の記 述 に従 って統 一し な か った 。 一、 補 注 は、 本 文中 に *印 で示 し、 小 見 出 し の区 切 りご と に挿 入 し た。 一、 付 図 と し て ﹁高 槻 市 の近 世 歴 史 地 図 ﹂ ︵多色刷) を添 付 し た。 一、 表 紙 本 扉 ・背 表 紙 ・函 題 箋等 の題 字 は、 前 市 長 のも の であ る。 2
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