第426号

大好きな詩人
H26.12.17
第426号
玄関前には菊の花が今朝も美しい。
こうやって出中には花が絶えることが
ない。それは誰かが何処かで、常に気
にかけていて下さるからにほかならな
い。そんなことの一つ一つをありがた
く思い、感謝している。そう考えてく
ると、自分の周りは感謝せねばならな
いことに満ち溢れていることに気付
く。それに気付いていながら、そこに
目を向けようとしないのはまさに自分
自身の至らなさなのだろう。
今朝の新聞コラムに、大好きな詩人 工藤直子さんの詩が取り上げられてい
た。工藤さんと言えば、やはり「あいたくて」が真っ先に挙げられる詩だと思
うのだが、ほかにもステキな詩が沢山ある。今朝コラムに取り上げられていた
のは、「花」という詩である。
花
わたしは
わたしの人生から
出ていくことはできない
ならば ここに
花を植えよう
短い詩だが、きっぱりとして潔いし決意を感じる美しい詩だと思う。いざと
なると女性の方がきっぱいりと潔いと感じるのは、私だけだろうか?この「な
らば」がいい 。「ならば」と決意することが、生きることには不可欠なのだ。
人の弱さも強さもひっくるめて、私はこの「ならば」に含まれているような気
がしてならない。生きるってことは、ならば、ならばの連続なのだ。このなら
ばを止めた時、人は自分を捨ててしまうのではないかとさえ思っている。だか
ら「ならば」は、とっても人が生きていく時に大切な言葉なんだと思う。
工藤さんの詩にこんなものもある。「痛い」という詩である。
痛い
すきになる ということは
心を ちぎってあげるのか
だから
こんなに痛いのか
如何だろうか?中学時代を生きる君たちの気持ちにぴったりの詩ではないだ
ろうか?工藤さんの詩が好きになったら、早速詩集を探して手に取ってみよ
う!きっとまた違う世界が自分のものになると思うよ。
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