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2号の巻頭語を執筆したのは、総督府宗教対
策原案作成委員を兼任していた帝大文学部助
教授――淡野安太郎である。台湾総督府編集
の《臺灣日誌》、昭和16年6月9日の条項に
「臺南市寺廟整理に拍車」という記載が見ら
れる。当時は「寺廟整理」のさなかで、哲学
を専門とする氏は、当局の「神社は宗教に非
ず」という建て前のもとで、一方に於いて憲
法二十八条の「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タル
ノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という制限で宗
教の問題を行政的に取り扱おうとする方策に
疑問を抱いていた。彼は「宗教政策」という
題目で次のように述べている。
問題は依然として、神社の前に跪くことと、例へば
佛壇の前に合掌することとが―人格の分裂なし
に―如何にして同一人に於て内面的に結びつき
得るかといふ點にある。若し日本人本来の究極
神の観念が一定の性格を具へた「有」の神である
ならば、かかる神は當然他の「有」の神と對立反
撥するであらう。しかし幸にも我々の祖先は、究
極神を決して對象的に固定することはしなかつ
た。究極絶對的なるものを―神々をして神々たら
しめる―神聖なる「無」としてあくまでも無限定にと
どめたところに、我が大和民族本来の天真の大
いさがある。真に「日本的性格」をもつた宗教對策
はかかる自覚の上にのみ樹立され得るであらう。
『民族台湾』 2号巻頭語より