AOSAN-STORY AOSAN 奥田充央

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6月のとある土曜日、朝9時 30 分。
鈴木明日香
奥 田 充 央 が つ く り 出 す パ ン の 世 界
photo by do.
列をなして並んでいる人の顔はよろこびを隠しきれない。
おじいさん、カップル、小さい子どもを連れたお母さん。
行列の先にあるのは天然酵母のパン屋さん、「A
OSAN(あおさん)」
。店内は焼きあがったばか
りのパンのいい香りで溢れている。外からもよく
見える工房には、白いキャップをかぶり、黙々と
おく だ みつおう
パンを焼き上げている一人の男性。AOSANの
オーナー奥田充央さんだ。
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二〇代のころ、京都に住んでいた奥田さんは自
分が何をしたいのか悩んでいた。そして出した答
えは「フランス菓子を作りたい」だった。フラン
ス菓子といえば神戸だろうと思い立ち、神戸の各
店の菓子を片端から食べ歩いた。
「その中で、唯一ここの味を学びたいという店に
出会えました。
ちょうど人が辞めるところだから、
とすぐに入店できたんですよ。僕の若いなりの情
熱に、その店のオーナーさんもなんとなく若いこ
ろの自分をみるような気持ちをもってくれたのか
もしれませんね」
神戸でフランス菓子を学びはじめて数年が経
ち、 菓 子 店 の オ ー ナ ー に 認 め て も ら え る よ う に
なったと感じたころ、今度はドイツ菓子に興味を
持ちはじめた。
東京に出てきた奥田さんは、ドイツ菓子を食べ
歩き、出会ったのが吉祥寺にあったスイス・ドイ
ツ菓子の名店「ゴッツェ」
。ドイツ人のゴッツェ
氏の門をたたくと、これまた「ちょうど人が辞め
るところだから」とすぐに修行に入ることができ
た。ゴッツェ氏は、繊細で厳しい、まさに職人気
質の師匠だった。
日、パンの工房で作業中に、急に息苦しくなり、
気持ちでした。パンの仕事は自分にとってそのと
気絶して倒れてしまったのだ。
きはなくてはならないものでしたが、離れる決意
くのことを学べたと思います」
部分ではゴッツェさんに自分を認めてもらえた、
診断は「小麦粉アレルギー」だった。
「お医者さんには、パン屋をやめて小麦粉に触れ
と感じることができるようになったからですね。
をしたんですよ」
ゴッツェでは菓子だけでなく本場の天然酵母を
使ったドイツパンの販売もしており、奥田さんの
とにかく必死でやって、とことんそのものと向き
それから奥田さんは木のボウルを作りはじめ
た。自分の中でこれは、と思うものを色々なギャ
ない生活をするしかないと言われました。ショッ
合う。そうすると、また新しい何かにぶつかって
ラリーに持っていくも、門前払いが続いた。あき
興味はいつしかパンづくりへと移っていった。
いきたくなる性格なんです。フランス菓子のとき
らめずに、とにかくつくり込み、できた作品を展
クというよりは、この先どうしようかな、という
もドイツ菓子のときも同じなのですが、もうそれ
示会に出展した。
ないな、ということだったんです。その後も長距
については自分の中で学びきったという気持ちが
りパンをやりたい。その気持ちが強くなってきた
あるんです。まさに『一所懸命』
。だから、きっ
から(笑)
」
んです。そうなったら、また即行動。店舗探しを
「そうしたらそこで、入賞してしまった。本来う
次に奥田さんの目に留まったのが渋谷区富ヶ谷
にある「ルヴァン」だった。さっそく門をたたく
とほかのドイツ菓子店にいっても、一から教えて
と す ぐ に 入 店 を 許 さ れ …… と い う わ け に は い か
はじめて、この仙川の店をオープンさせました」
れしいはずなんですが、そこで僕が感じたのは、
ず、弟子入りできるのは数年後だと告げられた。
あらためてパンの世界へ戻ってきた奥田さん
だったが、店をオープンして三日目。またしても
くださいという謙虚な気持ちで向き合えない。そ
ほかのパンを食べても、奥田さんの心に響くパ
ンに出会うことはできず、いよいよ東京を離れて
アレルギー症状が出てしまった。
たかだか数か月で入賞できてしまうなんてつまら
大阪に行こうとした矢先に、ルヴァンの分店が調
「そのときに運ばれた病院の先生が、症状が喘息
ではないですよ」
出会えたから、AOSANがあるといっても過言
とがないくらい体が楽になりました。その先生と
と言ってくださった。これでここ数年で感じたこ
ぜんそく
離トラックの運転手などをやりましたが、やっぱ
布にあることを知った。店に足を運ぶと、
「ちょ
と似ているから、喘息の治療をしてみましょう、
そんな奥田さんに衝撃的な事件が起こる。ある
小麦粉アレルギーのパン職人
うど人が辞めるところだから」
と入店を許された。
れが自分の性格だということはよくわかってます
「パンに興味を持ちはじめたのは、ドイツ菓子の
「毎日の修行が厳しかったからこそ、集中して多
京王線仙川駅の商店街を抜けたあたり。一軒の店の前に行列ができはじめる。
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