453 大正6年の霊仙山登山 北尾鐐之助は名古屋市出身の紀行文作家、彼が霊仙山に登ったのは大正6年(1917)だった。 彼はルートを上丹生から丹生川道にとった。集落から谷道に入ると、道は間もなく清冽な沢に 沿っていく。登山記には 「この谷は岸というものがないから、水が多くなると、せせらぎが音を立てて、それが森や 林に流れ込む。そして低いところは池となって高いところは島になる。上高地の処女林を 流れる梓川でもそうだが、ここへ来ると、川と森がぴったりと抱き合って、いかにも親し い自然の合唱を奏でている。 その中へワラジの足を突っ込んで右に左にと渡渉する。 深いところでようやく膝ぐらいだ。 」 この当時、丸木橋などなく、すべて渡渉だったようだが、いまも水が多いときは靴の中を 濡らして渡渉することもある。途中には有名な漆ヶ滝がある。北尾氏は付近に漆の木が多 いから名前があると書いているが、これは案内人の山田老人の説明と思われる。 滝は落差10mほどだが水量が多く、上部はゴルジュ状で登山道は左岸を巻いている。 「…ほかにも谷の途中にコーモリの小屋という洞窟とか、伊勢白水という小滝もある。 これらはいかにも古い国を歩いているようで面白い…。私は幾度となく霊仙山へ登ったが、 山の様子は昔と少しも変わらない。第一の特色は山上がゆるいスロープで繋ぐ6つの丸い 峰頭が集合して一体となり、広大無比な頂上を形成していることである。見渡す限り短い 熊笹の緑に包まれ、複雑な高低起伏を優美な曲線で描く…」。 「御池をみる。琵琶湖の形をしているという。 雨水を湛え たので水は出がらしの茶のような色をしている。雨乞いのと き村々に人がこの池の辺で炎々と火を炊き、水の欲しい村の 方へ水を御池の水を流すそうである…」 「霊仙の第1峰にかかる。この辺より満山一木もなく、夏草の 毛面尾が長く引いていて、中霊仙の峰頭まで堂々たる雄姿、 奈良の若草山を拡大したようだ。霧ときどきかかる。晴れ 間に大鷲が一羽飛ぶのが見えた…」 「この山ののびのびとした高揚感、これはちょっとほかに類が ない。谷山谷、芹谷のごとき優美な渓谷を有することも、 誇るべき特色のひとつで、山に豊かな潤いと精彩を添え変化 が多い。数多い連峰中、三役に列すべき 貫禄を備えている」 95年以上も前の山行記だが、いまの 景観も殆ど変わっていない。案内人の 山田老人は昭和28年まで存命だった。 最後までチョンマゲ姿だったそうである。 ◎参考文献:北尾寮之助「霊仙山に登る」
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