「アセアン現地視察」報告 ~ベトナム・ホーチミン編~ 経営支援課 国際化支援 G 梅木智史 昨年度に引き続き、今年度も当財団主催で開催した「しまね中小企業海外展開勉 強 会 」。全 5 回 の 講 習 で ア セ ア ン の 現 状 と 海 外 事 業 展 開 に つ い て 知 識 を 深 め て い た だ い た 後 、オ プ シ ョ ン 企 画 と し て「 ア セ ア ン 現 地 視 察 」を 11 月 中 旬 に 実 施 し ま し た 。 今 年 度 の 視 察 先 は「 チ ャ イ ナ プ ラ ス ワ ン 」 「 タ イ プ ラ ス ワ ン 」と し て 注 目 を 浴 び る ベトナムと、 「 島 根・ビ ジ ネ ス サ ポ ー ト・オ フ ィ ス 」の 拠 点 が 有 る タ イ 。秋 が 深 ま り 、 少し肌寒くなり始めた島根県から、雨季から乾季に移り変わり、徐々に暑くなりつ つ あ る ア セ ア ン 2 ヶ 国 へ 、 総 勢 11 名 の 視 察 団 で 訪 問 し ま し た 。 今回はベトナム(ホーチミン)視察についてレポートしたいと思います。 インドシナ半島の東側に位置するベトナム社会主義共和国。縦長の国土は南北約 1,700km。人 口 は 約 9,000 万 人 。北 部 に あ る 首 都 ハ ノ イ 市 と 、南 部 に あ る ホ ー チ ミ ン市が経済の中心地です。加えて近年は、元々ビーチリゾートとして発展した中部 のダナン市の開発が進み、日本企業の進出も増えてきているようです。 ベ ト ナ ム の 特 徴 と し て 特 記 す べ き は 平 均 年 齢 が 約 29 歳( 日 本 は 約 45 歳 )と 大 変 若 い こ と で す 。 労 働 生 産 人 口 ( 15 歳 ~ 64 歳 ) が 5,000 万 人 と 人 口 の 半 数 を 超 え 、 豊 富 な 労 働 力 を 有 し 、最 低 法 定 賃 金 は 地 域 に よ っ て 差 が あ り ま す が 、お お よ そ 月 150 ド ル 弱 ( 18,000 円 程 度 )、 労 働 集 約 型 産 業 に お い て 高 い競争力を有しています。エレクトロニクス関係・ア パレル関係を中心に、外資企業の進出が見られ、特に 人件費が上昇している中国からの生産拠点移転の受け 皿としての動きが加速しています。韓国企業の進出を 中心に、スマートフォン向け電子部品生産の拠点とな っているようです。 今 回 視 察 に 訪 れ た ホ ー チ ミ ン は 人 口 約 800 万 人 を 抱 ホーチミン市人民委員会庁舎と え る ベ ト ナ ム 最 大 の 商 業 都 市 。元 々 は「 サ イ ゴ ン 」と 呼 ホ ー ・ チ ・ ミ ン 像 ばれていましたが、ベトナム戦争終結時に当時の指導 者「ホー・チ・ミン」に因んだ現在の都市名に改称されました。 19~ 20 世 紀 、 フ ラ ン ス の 植 民 地 だ っ た 時 代 が あ り 、 フランス文化の影響を色濃く受けています。市内の建 物は西洋風のものも多く、フランスパンを食べる文化 があるなど、様々な面で影響が見られます。 視察目的は中小企業の投資先としてのベトナムの状 況を確認すること。ホーチミン周辺に進出されている 日系機械金属製造業 3 社を視察させていただきました。 道端の屋台で売られているフ 視 察 先 企 業 で 感 じ た 共 通 の 特 徴 、そ れ は「 ベ ト ナ ム の ランスパン ス タ ッ フ の 質 と 定 着 率 の 良 さ 」で す 。視 察 前 に 聞 い て い たのは、アセアン他国と同じく、ベトナムもジョブホッピングが激しく、ワーカー の定着率は総じて低いという情報でしたが、訪問先 企 業 で 、異 口 同 音 に「 ベ ト ナ ム 人 ス タ ッ フ の 定 着 率 の 良 さ 」を 話 さ れ 、事 前 情 報 と 異 な る 情 報 に 驚 か さ れ ま した。 あ る 企 業 で は 、事 業 の 拡 大 に 伴 い 、昨 年 工 場 を 移 転 さ れ た そ う で す が 、 そ の 際 一 人 の 退 職 者 も 出 ず 、 50 名余りの従業員が全て新工場に移り、円滑に立ちあ げができたと聞きました。 機械部品加工を行う現地ローカ いずれの企業でも、中心となって社員を束ねるロ ルスタッフ ーカルマネージャーは「外国人技能実習制度」で、 日本企業での研修経験を持つ人材でした。 ある企業では、社内では全て日本語表記の加工図面を使用していました。日本で の研修経験があり日本語を解するスタッフが窓口となり、ワーカーに指示をするた め、日本本社から送られた図面をそのまま展開すればよいそうです。 またある企業は、日本人スタッフの駐在はこれまで一切なし。日本本社からの定 期の出張での対応のみで、日本本社で 3 年間研修を受け帰国したマネージャーを中 心に、設立から10年間、全て現地スタッフで運営をしているとのことでした。 ベトナム現地で事業活動を行う以上、現地スタッフを雇用し、その力を活用する ことは必須です。逆に言えば、そうしなければ進出メリットは半減してしまうでし ょう。 これまで訪問したアセアン他国では、優秀な人材の確保のしにくさ、雇用した現 地スタッフとの間で起こる様々な問題(ストライキや労働争議、ジョブホッピング など)といった難しさを、度々聞いてきました。ベトナムでは少し状況が異なるよ うです。 勿論、ベトナムに進出した全ての日系中小製造業が良い人材を確保できているわ け で は な い で し ょ う し 、現 実 的 に ワ ー カ ー と の 問 題 が 皆 無 と い う 事 で は あ り ま せ ん 。 しかし年間数千人の実習生を日本に送り出しているベトナムでは、日本語や日本 の商習慣・工場管理を理解する優秀な人材が数多く存在することは確かです。そう した優秀なローカル人材が、日系中小企業の現地進出ハードルを押し下げているこ とは間違いありません。 それは、直接投資先としてのベトナムの強みの一つといえるでしょう。 最後に、現地で聞いたベトナムの将来的な展望 についてのお話を一つ。 人件費の安さがベトナムの現状の投資メリット の一つですが、最低法定賃金の上昇率は高く、毎 年 10%程 度 ず つ 上 昇 し て い ま す 。こ の ま ま の ペ ー スで人件費が高騰していけば、労働集約型産業の 受け皿としてのベトナムの強みは今後7~8年程 度で失われるのではないか、ということでした。 その後はカンボジア、ラオス、ミャンマーといっ たより人件費の安い国へと、生産拠点移行が進ん でいくでしょう。 高層ビルも立ち並ぶホーチミン市中 心部 ベトナムにとり、新たな投資メリット、また次の産業の柱を創出することが中期 的な課題であり、当然その変化は日系企業にとっても無関係ではありません。 ベ ト ナ ム に 限 ら ず 、発 展 著 し い ア セ ア ン 諸 国 は 物 凄 い ス ピ ー ド で 変 化 し て い ま す 。 今回視察した現地の状況は、例えば 5 年後には全く様変わりしているかもしれませ ん。そして、現在のグローバル時代、東南アジアで起こり続けるその変化が、様々 な 形 で 日 本 を 含 む 諸 外 国 に 影 響 を 与 え て い き ま す 。そ の 変 化 に 乗 り 遅 れ な い た め に 、 引き続いての視察機会の提供や、このレポートのようなかたちでの情報の提供を今 後も続けていきたいと思っています。 ※「外国人技能実習制度」については下記を参照 https://www.jitco.or.jp /system /seido_enkakuhaikei.html
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