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一 次の 甲・乙 を読んで、あとの問いに答えよ。
︹次の文章は、明応 六年︿一四九七﹀に成立した 歌学書﹁釣舟﹂から抄出したものである。なお、途中省略した箇所が
ある。︺
ある童形、敷島の道に深く心を寄せて、歌詠むさま我に教へよと度々ありしかども、 いかなる事を注し参らすべきと
へんぴかたはしひ
が
も覚えはべらず。昔より先達の書き置かれし物いと多かりければ、また何事をか申しはべるべき。 ことさらに近きほど
は、洛陽の月のもとを別れて、辺郡の塵に埋もれしかば、かたがた片端聴聞せしことも忘れ果てぬるうへ、なかなか僻
なにはあし
覚えなることはいかがと思ひながら、花の匂ひ深きこころざしにめで、柳の糸のすぢ無き事を書き集めて、この一冊と
なしはべるなり。住吉の松の言の葉落ち散るべきにはあらねども、難波の藍の末の世に、もし見る人はべらば、かたは
らいたき事なるべし。
A
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童形の時、詠みて似合ひはべらぬ事どもあり。 例へば、老いらくの昔語り、翁さびたる、佐びぬれば、木を樵り運ぶ、
−−
釣り垂れてうき世をわたる、市に重荷を運ぶなどいふたぐひ、このほか、本歌にあればとて、あらかねの土、あまざか
lJ刈1111111111
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1汁 叶l叶|Ill111l
B 什汁Illi−−−Illi−−il
しんしゃく
る郎、しながどり猪名野、かくのごとくの言葉、いかにも島酌あるべし。惣じてわろしといふにはあらず。
稽古の時は、 いかにも歌数を詠みて、細々に人に見せて、善し悪しをわきまへ知る事、肝要なり。会にあふ事は稀な
−−J1引叶Ill11
1111li
1−−
−−Ill11111
Cili
れば、独吟を細々に沙汰あるべし 。初心の時よりうつくしく詠みて、すき間無き様にとばかり心に掛くれば、歌の端張
こ
り無くして、一体にのみなりて、遂には小丈なる歌ならでは詠まれぬものなり。ことに独吟は、人前のしわざならねば、
DIllit
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l
何たる事をもとりよせて、時に雅意に任せたる事をも詠みて御覧ずべきなり。しかりといひて、歌の損ぬるやうにはあ
−−
ちご
1
1
1
1
E
るべからず。歌の嵩を詠み出ださんといふ事なり。晴の歌の時、人の前にては、上に申せしごとく、児、若衆の身にも
合ひはべらぬ事を詠むは、わろきなり。
一往の説を、片端申すべし 。
このついでに、常に人の口にはあれども 、その起こり何事とも知らぬ歌の古事、または聞き知らぬ詞、物の異名など
の不審なる事どもの、
あきか
難波津に咲くやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花
この歌と安積山の歌をば、歌の父母と申し習はしたれば、まづこの歌の心を知るべきなり。昔 、仁徳天皇と申す御門
おはしましけり。難波の宮に住み給ひし故に、難波の皇子と申し奉りき。御おととの宮は 、宇治に住み給ひし故に、︷子
お
治の皇子と申しけり。 父の御門のいかが思し召したりけん、御おととの宇治の皇子に御位を譲り給ふ 。父の御門崩御の
後、急ぎ御位につき給へと、難波の皇子のたまひければ、兄を欄きて位につくべき故無しとのたまへるを、難波の皇子
みとせ
Ellll11111111111111Ill111111111Illi
重ねて仰せ事ありけるは、兄おとととは入るまじきなり、父の御門御定めのうへは、とくとく位につき給へとて、互ひ
−−
に辞退し給ふ。故に 一
一
一
歳まで御門も無くて、天下の民迷惑しける問、宇治の皇子、所詮我世にあればこそとて、むなL
−−
わに
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1
1
くならせ給ふ問、王仁といへる者、この歌を詠みて、君を祝ひ奉るなり。難波津に咲くやこの花冬ごもりとは、位にも
っき給はで龍りゐ給ひし事なり。今は春べと咲くやこの花とは、位につき給ふといへり。この花とは、兄の花といふ事
なり。梅をば花の兄といふ故に、梅の花を指して詠めるなり。この君を仁徳天皇と申し奉るなり。
安積山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは
みちのくうねめ
この歌をば、歌の母と申し習はしたり。 この歌の心は、 昔 、陸奥に 、安積の 里に住める女を召し上げ、釆女とて召し
っかはれし女の詠める歌なり。安積山影さへ見ゆるとは、陸奥にある名所なり。この山には浦、里、 田ある所なり。さ
GIlllli− −
Illi− −
l I l l i−
れば安積山とも、安積の海とも、安積の沼ともいふなり。この沼といふは、入り海をいふ。影さへ見ゆるとは、いやし
みつ m
u
−−
き者の住む家なれば、あらはなりといふなり。山の井の浅くといふは、文字の続け−様
なり。しかもこの海は、ただ浅き
入り海なれども、果ては千尋つ司の海なり。 千尋のごとく思へども、涯分によるなりと詠める歌なり。女の詠みし歌なれば
とて、歌の母と申すなり。
みての余り、せんかたなみに、 二百余首の詩を作りて、錦にこれを織りあらはせり。 上より下へ読み、下より上へ読め
妻に超陽台といへるあり。資泊、ある国の大︷寸となりて下る時、陽台をば迎へとりて、若蘭をば残し置きけり。若蘭恨
づま
この 一首は回文の歌なり。回文錦字の詩 の姿なるべし 。昔、賓泊といへる者あり。 その妻、蘇若蘭といへるあり。又
H
2
甲
ど も 、 皆 、 声 韻 の 詩 と な れ り。 賓 泊 こ れ を 伝 へ 聞 き て 、 あ は れ に や 思 ひ け ん 、 若 蘭 を 迎 へ と り 、 陽 台 を ば 出 だ し け り 。
こ の 故 に 、 彼 が 織 り た る 錦 を ば 、 相 思 の 錦 と 名 付 け け り。 そ れ 、 我 が 朝 に し て 、 大 和 言 葉 に あ ら は す 事 、 こ の 一 首 よ り
外 は 稀 な る 事 に 申 し 伝 へ は べ る 問、 め づ ら し き に 付 き て 、 こ れ を 記 し は べ る な り 。
歌を詠まんと思はん人は、大和もろこしのあはれなる例、仏法世俗の道までも心に掛け、常は世のはかなき事を観じ
て 、 後 の 世 の ま こ と の 道 を 願 ひ 、 あ る い は 恋 の 道 に こ そ 深 き あ は れ は 多 か る め れ ど 、 う れ し き 節 に も 恨 み あ る が 、 こと
に も こ の 道 に の み 心 を 掛 け ま し ま さ ば 、 いかでか見る人もなびかざらん。
問 題 文甲 の 傍 線 部Aお よ びGは 、 そ れ ぞ れ 和 歌 の 修 辞 技 巧 に つ い て 言 及 し て い る と 考 え ら れ る 。 そ の 技 巧 の 名 称
日口
口
序詞
}
\
本歌取り
枕
調
ホ
見立て
と し て 最 も 適 当 な も の を 、 そ れ ぞ れ 次 の イ1 ホ の 中 か ら 一つずつ選び、 マ ー ク 解 答 用 紙 に答えよ。
三五
父の御門
/¥
難波の皇子
宇治の皇子
ホ
答えよ。
ある童形
ロ
読者
問 題 文甲 の 傍 線 部F ﹁ 奉 る ﹂ は 誰 に 敬 意 を は ら っ て い る の か 。 次 の イ ー ホ の中から一つ選、び、 マ ー ク 解 答 用 紙 に
出し、 解 答 欄 ︵
記 述 解 答 用 紙︶ に そ の ま ま 記 せ 。
問 題 文甲 の 傍 線 部D ﹁晴の歌の時﹂ と 同 じ 意 味 を 端 的 に 表 し て い る 漢 字 一 字 の 語を 、 傍 線 部Dよ り 前 の 範 囲 に 見
わが身はいまぞ消え果てぬめる
御むすめ亡くなり給ひぬなり
空よりも落ちぬベき心地す
誰と知りてか恋ひらるる
いかに思ふにかあらむ
用 紙 に答えよ。
問 題 文甲 の 傍 線 部C に 見 出 さ れ る 助 動 調 と 同 じ 助 動 詞 を 含 む も の を 、 次 の イi ホ の 中 か ら 一つ選び、 マ ー ク 解 答
なかんずく和歌の道に集中をして精進されたならば、
格別恋の道における男女の機微に通暁されたならば、
とくに人の道の誠を実践するよう努力されたならば、
常に無常を観念しひたすら仏道に帰依されたならば、
結果的に私は出世を考えたことがあると反省し、失践しておしまいになった
考えてみれば皇子に産まれたことが間違いだったと、固く辞退をなさった
つまり自身が生きているからいけないのだと、死んでおしまいになった
やはり自分こそ帝位につきたかったと考え、空虚な気持ちになられた
一般に見劣りすると断じて はならない 。
すべて感心しないというわけではない 。
断じていけない と 決 め つ け て はいない 。
常に水準に達しない事は問題ではない 。
用 紙 に答えよ。
問 題 文甲 のB ・E ・− の 意 味 と し て 最 も 適 当 な も の を 、 そ れ ぞ れ 次 の イi ニ の 中 か ら 一 つ ず つ 選 び 、 マ ー ク 解 答
縁
口 イ
I¥
口 イ
/¥
口 イ
/¥
3
イ
B
E
口 イ
/¥
ホ
イ
問
間
問
間
間
四
五
間六
おきつしら波
たった山
1
5
ひとり越ゆらむ
J ぴ
、 マーク解答用紙 に答えよ 。
中か ら 二 選
よはにや君が
咲くに咲くらむ
旅をしぞ思ふ
なぞしも花の
つましあれば
そなはらば
へだてなき風
わきて折らまし
ま袖も秋に
いづれを梅と
たまくらも
咲きにける
はるばる来ぬる
問題文甲 の 空 欄 円 山 に 入 る の に 最 も 適 当 な 和 歌 を 、 次 の イ
かぜ吹けば
きつつなれにし
花も
寝覚めのかりほ
ぞし
唐衣
むら草に
ゆき降れば
夜もすずし
早
AHH
リ
之
。
マン 卜
事宮 、
,
サA
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女
、
沙。蘇
甚
ダ
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飛唖
意、
トン テ
唖枝
+
右
之
、
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口
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心 中 山 叶 レ ︿ 午w
並附則自巾
暗。
テテヲ
隔レ窓
文
。
為一一回
︹
山。
時
﹁停竣﹂・
は た︶織りの手をとめること 。
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機 ︵
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贈
存
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寺
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日口
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泊
文 、
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り仮名、返り点は省いてある 。︺
織
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﹁
﹁
秦州﹂
存堅﹂ 五胡十六回時代の前秦の皇帝。
・ :甘粛省の地名。西安の西方。
:
・
﹁
秦川﹂ ・険西・甘粛の 秦嶺より北の平原地帯。ここでは ﹁
秦州﹂を いう。
日
女
史﹁被
循
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錦ヲ 辺
、 古ホ
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〆
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詞
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﹁流沙﹂: ・甘粛省の砂漠地帯。
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︵
注︶
﹁始平﹂:・陳西省の地名。
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妻
中
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1
首ノ
泊ー為 リ 買
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|
長
徒
また Bは、その女が回文詩を錦に織ったことを踏まえた李白の﹁烏夜暗﹂の詩である。なお、問題に関連する箇所 の送
︹次に示すAは、問題文甲 の二重傍線部﹁ 回文錦字の詩﹂に関わる﹁晋書﹂﹁列女﹂伝の﹁賓泊妻蘇氏﹂の記事である 。
歌道を志す者は、常に幅広い識見をもとめ、決して 一つの態度に固執しないことが大切である。
若蘭が創始した回文の詩歌は、 日本にも伝わり影響を与え、多くの模倣作品を生んだのである。
安積山 の歌は、母親が詠んだだけに深い愛情がこめられており、万人を感動させる傑作である。
難波津の歌は、王権をめぐる政治的内容が寓意されており、由緒を理解することが必要である。
初心者は、数を詠む努力を無心に積み重ねることで、精綴な歌が作れるようになるものである。
問題文甲 の内容と合致するものを、次の イ1ホ の中から一つ選び、 マーク解答用紙 に答えよ。
精力的に全国を行脚し 、和歌の遺跡や伝説を尋ねる日々を送っている。
近年都を離れた生活を送っているが、和歌への情熱は保持している。
出家者として仏 に深く帰依し、難波の岸辺近くに庵を結んでいる。
もっぱら幼童に対する指導に奔走し、和歌の隆盛を支えている。
歌道家の重鎮として、推しも推されもせぬ名声を博している。
当なものを 、次の イ1ホ の中から 一つ選、び、 マーク解答用紙 に答えよ。
問題文甲 の記述によれば、この ﹃
釣舟﹄を執筆した時、著者はどのような境遇であったと考えられるか。最も適
ホ
口 イ
/¥
ホ
口 イ
}
\
ホ
黄
4
木の
毎E名
には
イ
/¥ 口
間
七
間
八
乙
A
2主
手
機
L
は、﹁うっす﹂と読む。
問題丈乙・ Aの傍線部1 ﹁被徒流沙﹂を、全文ひらがな︵歴史的仮名遣いによる︶ で書き下した丈として最も適
当なものを、次の イ1ホの中から一つ選、ぴ、 マーク解答用紙に答えよ 。なお、﹁徒
りうさにうっきる
りうさにうっせしむ
りうさもてうっせらる
りうさよりうつしめらる
りうさをかふむりうっさる
問題文乙・ Aの傍線部2 ﹁宛転循環以読之﹂は、どのような意味か。問題文甲の文中からその意味をあらわす最
も適当な一文を抜き出し、その冒頭の五文字を解答欄︵記述解答用紙︶に記せ。
しの のめ
問題文乙・ Bの傍線部3 ﹁黄雲﹂のこの詩における意味の説明として最も適当なものを、次のイ1ホの中から
一つ選び、 マーク解答用紙に答えよ。
﹁黄雲﹂は、﹁白雲﹂ が行くあてもない旅人を暗示する語であるのに対して、明けそめぬ空の東雲をいう。
﹁
黄雲﹂は、﹁青雲﹂が立身出世を象徴する語として用いられるのに対して、黄色にたなびくタ震をいう。
﹁黄雲﹂は、﹁紅雲﹂が紅蓮に染まった夕焼け雲をいう語であるのに対して、空に立ちこめた瑞雲をいう。
﹁黄雲﹂は、﹁玄雲﹂が深く垂れこめた雷雲をいう語であるのに対して、 一面が黄金色に輝く天空をいう。
Bの空欄 ︹ 凶 円
Y・
:
光
Y−
−
−
雨
山に入る語の組み合わせとして最も適当なものを、次のイ
15
中から
﹁黄雲﹂ は、﹁紫雲﹂が仏の来迎を知らせる吉兆をいう語であるのに対して、秋の実りを言祝ぐ雲をいう。
問題文乙
X−
−
−
虹
・
沙
Y:
一つ選び、 マーク解答用紙に答えよ 。
x・:舞
x:・煙
x:・流
Y:
・
気
Y:・金
X−
−
−
錦
問題文乙・ Bの傍線部4 ﹁憶遠人﹂は、どのようなことをいうか。その説明として最も適当なものを、次のイ
ーホの中から 一つ選、び、 マーク解答用紙に答えよ 。
たあ す f
壬
妻る むに
と夫 妻あ
のわの を る
幡5身 夫 夫
りまを カf を
が思 不
ミ
解い 関
↑ し
けや が出
るる るす
くカ
け遠 別遠
て地 れ征
きに ての
r
一九五 四年刊行の花田清輝﹁アヴアンギヤルド芸術﹄に収録された ﹁仮面の表情﹂
とと
とと
夫を遠ざけてきたわが身を省みること。
遠
妻 遠 妻f
さ、が
章
は
意識させないような、たいへん、かぶり心地のいい仮面もあれば、すこぶる不細工なしろもので、それをつけているあ
いだ中、絶えずあなたの頬をこわばらせ、死ぬほどあなたをいらいらさせるような仮面もある。あなたの顔の表情の 一
つをとって、極度に誇張したり、歪曲したりした仮面もあれば、全然、あなたの顔とはかけはなれた、奇怪な表情をし
た仮面もある。神や悪魔の仮面もあれば、鳥やけものの仮面もある。
あなたは、 つねに仮面をかぶる。したがって、あなたの恋人の愛しているのは、あなたの仮面かもしれないし、あな
5
口 イ
I¥
ホ
口 イ
I¥
ホ
イ
ロ
I¥
ホ
イ
/¥ 口
ホ
の
文
世には、さまざまな仮面がある。あなたの顔にしっくり合うようにつくられ、ほとんどあなたに、 みずからの存在を
の
間
九
間
十
間
十
間
十
間
十
次
節である ︵一部省略した箇所がある︶。これを読んで、あとの問いに答えよ。
(
二
)
たの敵の憎んでいるのもまた 、 やはりあなたの仮面かもしれない。どうしてあなたは、ひと前で、好んで仮面をつける
のであろう。 いや、単にひと前ばかりではない。ともすれば、あなたは、ひとりぼ っちでいる ときでも、しばしば、仮
しげさ
面をはずすのを忘れているようであ る
。 それは、あなたが、きびしく表情の限定された、はっきりした輪郭をもった仮
面をかぶることによ って、あなたの絶えず動揺する顔を!l
iささやかな刺戟にもすぐ反応を示し、たちまち表情を変え
てしまう、あなたの敏感な顔を、人眼にふれさせたくないと思っているためであろうか。それともあなたの顔の特徴を
際立たせることによって、人眼をひこうと試みているためであろうか 。あるいはまた、あなた自身の顔に飽きあきして 、
あなた以外のものの顔をもちたいと望んでいるためであろうか 。 いずれにせよわたしは、あなたのほんとうの顔を 、
たことがない。
いつもなにかをせせら笑っているような、図々しい、不敵な顔の背後に 、内気で、小心な 、弱々しい顔の隠れている
こともあれば、始終、生甲斐を感じているような、希望にみちた、快活な顔の内部に 、幻滅に悩んでいる 、 いたましい、
一 イ 一 であり、そ の 一口
一の落ちた瞬間 、あ らわれてくる顔のほうが 、 一 ハ一 であるなら 問題はないが、あるい
一切仮面であり、わたしたちは着物をきたり、ぬいだりするよ
第
し て 変 り ば え の し な い 、 新 し い 巴 で あ る 引 れ な い の だ 。も う 一つ仮面を 1
あわれな顔の潜んでいることもある 。どちらが、ほんとうの顔で、どちらが仮面なのであろう。むろん 、見馴れた顔が
i
ニイチェ風にいうならば、人間の顔は、
引新しい顔もまた
二の仮面を !
うに、次々に、 一 ホ 一をつけたり、はずしたりして、生きつづけており 、したがって 、もしもわたしが、あなたの
を と ら え さ 日 考 え る な ら 、嫌でもわたしは、あなたの仮 面を手がかりにするほかはない o実証 王義者が仮説
口U
を嫌悪するように、モラリストは仮面から眼をそむける 。 しかし、仮説が、科学的発見のための不可欠の前提であるよ
うに 、仮面が、わたしに 、あなたのほんとうの顔を発見させないとはかぎらない 。思うに、あなたが 、仮面を 一刻も手
ばなそうとしないのは、あなたもまた、わたしと同様、あなたのほんとうの顔を知らず、仮面を駆使することによって 、
一歩
、
一歩、おのれのほんと
あなた自身の顔のいかなるものであるかを 、ひ たすら探求しているためではあるまいか。 ド ン・ファンにしろ、 タ ル チ
内ノ−内
ユフにしろ、みごと、仮面をかぶ って、人眼をあざむいているつもりでいながら、 実は
、
4d
一般に 日本人 の仮面か
うの顔をモサクしていたのではなかろうか 。要するに、仮面とは、ほんとうの顔からみちびき出されたものではなく、
かえって、それをみちびき出すためのものではないのか。しかし、あなたの仮面から|
|!いや、
ら、ほんとうの顔をみちびき出すのは困難である 。たとえば 、能面というものがある 。
仮面が、ほんとうの顔への手がかりをあたえるのは、それが、 いささかもほんとうの顔に似ていないばあいでも、丁
度、分子が球突きの球として、力が弾性のある管として表現されるように、きわめて単純化 された、はっきりした表情
完全犯罪の行われた現場のように 、まるで手
をもっており、それをたよりに、ほんとうの顔をあきらかにすることができるからであった。しかるに、能面には表情
がない 。 そういう明瞭な表情は、きれいに拭い去られている 。 円 山 、
凋斗
がかりというものがないのである 。 いかにわたしが、ゆたかな推理力をめぐまれているにせよ、このような仮面から、
わたしゃあなたの顔を||わたしたち日本人のほんとうの顔を探り出すことは、まったく不可能にちがいない 。むろん 、
﹁|
一えふ
らち
仮面をとりあげた以上、わたしたちの組先にも、おのれのほんとうの顔をみきわめたいという意志が、すこしもなかっ
たとはいえないが| | 一 B 一、それならばどうしてかれらは、択りに択 って、能面などという不時な仮面を、苦労し
て発明したのであろう。 そこには、まるでおのれのほんとうの顔を、いつまでもみきわめたくはないという反対の 意志
が、同時に、はげしく働いているかのようである 。もっと も、こ ういうと 、 いまだにわたしたちの周囲にたくさんいる
能面の愛好者たちは 、能面の無表情は、ただの無表情ではなく、それは 、すべての表情を殺すことによって、すべての
内にむか つて お し つ つ ま れ で す 、 ︹ 凹 、 そ れ は 、 お の れ の ほ ん と う の 号 、 内 が わ
表情を生かす、 一 C 一の極致にほかな らず、たいていの仮面の 表情が外にむか つて強調されているのに反し 、能面に
F
おいては、あらゆる剥
からとらえようとする、たくましい意志によって支えられているのだ、と、能面とは似ても似つかぬ不機嫌な表情をし
ながら、わたしにむか つて抗議するかもしれない 。 しかし 、はたしてわたしたちのほんとうの顔は、みずからの内部を
のぞきこむことによ ってあきらかになるであろうか 。むしろ、それは、わたしたちが、おのれ以外のものに変貌しよう
と努め、おのれ以外のものでありながら、しかもおのれ自身でありつづけることによって||つまるところ、確固とし
た表情をもっ仮面をかぶることによって 、かえ って 、はっきりするのではなかろうか 。 思いきって大袈裟な表情をした
仮面なら、なんでもいい 。わたしは、あなたが、たとえ滑稽にみえようと、グロテスクにみえようと、暖昧な 表情をし
た能面などでない、固定した顔つきの仮面をかぶりつづけられることに、ま ったく賛成である 。
能面は、 正直なところ、わたしに、外界との接触を失い 、自分だけの世界に閉じこもって 、とりとめのない空想にふ
け っている、無表情な顔を思わせる 。能面をつけた人物が 、しばしば 、舞台の上で、面白う狂い候え ! と要求される
6
み
じんあい
ところをみると、これは、まんざら、わたしの独断とばかりはいえないらしい 。 したがって、能面の背後に、するどい
に 1︾
探求精神の隠れていようはずもなく、無表情なドアの背後にみいだされるものは、塵挨と蜘妹の巣、荒れはてた部屋の
なかのつめたい沈黙だけかもしれない 。 さ き に も ふ れ た よ う に 、 お そ ら く は 意 志 の ア ン ピ ヴ ァ レ ン ツ の た め | | お の れ
の ほ ん と う の 顔 を み き わ め よ う と い う 意 志 と 、 みきわめたくないという意志とが、同時に存在したため、仮面の背後に、
このような荒廃がもたらされたのであろうが||しかし、事のおこりは、むろん、人びとが、あやしげな仮面に、 ふと、
心をひかれたためにほかならなか った。思えば 、 こ う い う 仮 面 の 犠 牲 者 は 、 わ た し た ち の 身 辺 に は 意 外 に 多 く 、 た と え
ば、戦後の実存主義者のなかなどにも、 無数に発見されるにちがいないが、 そのあまりに空相心的な点において、 殊更に
西洋的なものに対立し、も っぱ ら 日本的なもののなかに閉じこもろうとした点において、そうして、わたしたちのほん
とうの顔を、どこまでも内がわからとらえようとして失敗した点において、最も典型的な症状を示したのは、戦争中の
日本主義者であった 。 わ た し は 、 特 別 に 、 か れ ら の 知 性 が 貧 困 を き わ め て い た と は 考 え な い 。 要 す る に 、か れ ら は 、 仮
p
o
面の選択をあやまったのだ 。 どうしてかれらは、しらじらしい顔つきをした能面などに魅力を感じたのであろう。この
世には 、呪 わ れ た 宝 石 と い う も の が 存 在 す る よ う に 、 呪 わ れ た 仮 面 と い う も の も ま た 、 存 在 す る 。 そうして 、 この不吉
な仮面をかぶるや否や、突然、人びとは、 ふたたび収拾のつかぬほど、かれらの精神を、ずたずたに引き裂かれてしま
うのである 。
1h 山 に は
ほ ん と う の 顔 ﹂ の い ず れ か の 語 句 史 る 。 空欄 寸 凹 と 同
﹁
仮面﹂あるいは ﹁
傍 線 部1 の漢字の読みをひらがなで、また傍線部2 のカタカナを漢字で、それぞれ 解 答 欄 ︵ 記 述 解 答 用 紙︶に
﹁
タルチユフ﹂・フランスの作家、モリエ lルの 喜劇に 登場するぺてん師。
注︶﹁ドン・フ ァン﹂ ・
︵
・
ス ペインの伝説上の人物。放蕩無頼の好色渓。
間十四
記せ。
空 欄 ︹凹
円凹︹
したがって
ともすれば
凹 に 入 る 最 も 適 当 な 語 句 を 、 次 の イ1ホ の中からそれぞれ選び、 マーク解答
しかし
日本人は外界に向か って自己を強く押し出してゆく意志が弱いので、そうした行動パターンからは、 ほんとう
の顔を探ることが不可能だから 。
日本人はもともと外と内との区別をもたず、 つねに変わらない態度をも って 生 き て い る の で 、 仮 面 と ほ ん と う
の顔を区別することができないから。
日本人は一般に感情を表にあらわすことを嫌い、自分の好みにあった仮面をかぶり続けるので、そこからほん
とうの顔を探ることは無理だから。
日本人は能面のようには っきりし た 表 情 を 示 さ ず 、 す べ て を 暖 昧 に し て お き た い 傾 向 が 強 い の で 、何がほんと
うの顔であるかを探ることが難しいから 。
日本人はいつも能面のように暖味な表情をしており、 ほんとうの顔など持ち合わせていないので、ないものを
いくら探しても見つけることはできないから 。
7
間十五
凹 の 中 か ら 一つ選び、 マーク解答用紙 に答えよ 。
傍 線 部3 ﹁仮面とは、ほんとうの顔からみちびき出されたものではなく、かえって、それをみちびき出すため
じ語句が入るものを空欄 門 凹 ︷
間十六
のもの﹂とあるが、そのための方法を端的に語った箇所がある。傍線部3より後の部分からその箇所を十五字以上
空 欄 円山
二十字以内で抜き出し、 解 答欄 ︵ 記 述 解 答 用 紙︶に記せ 。
間十七
いわば
ホ
用紙 に答えよ 。 ただしそれぞれの欄に同じ語句は入らない 。
あるいは
/¥
傍 線 部4 ﹁わたしたち日本人のほんとうの顔を探り出すことは、まったく不可能にちがいない﹂とあるが、そ
口
の理由として最も適当なものを、次の イ1ホ の中から 一つ選、ぴ、 マーク解答用紙 に答えよ 。
間十八
イ
イ
ロ
}
\
ホ
絶
対
1
2
ホ
無限
中から 一つ選び、 マーク解答用紙 に答えよ 。
抽
象
空欄︹凹に入る最も適当な語を、次のイ
コ
I
是是非非の立場をとること 。
危機的な矛盾をはらむこと 。
紙 に答えよ。
間十九
FH
−
佐怠附
I¥
傍 線 部5 ﹁アンビヴアレンツ﹂の意味として最も適当なものを、次の イ1ホ の中から一つ選、び、 マーク解答用
象
徴
正反対の意見を折衷すること 。
とんでもない極論を述べること 。
相反する 二 つの感情をもつこと 。
傍 線 部6 ﹁呪われた仮面﹂という表現の内容として最も適当なものを、次の イ1ホ の中から一つ選び、
ク解答用紙 に答えよ 。
西洋的なものを極端に無視するあまり、 日本古来の精神的なものを絶対化し、武力によ って世界を征服しよう
。
とした軍国主義
外界との接触をなくして、自己の世界に閉じこもり、荒廃した内面にとりとめもない誇大妄想をかかえるにい
たった国粋主義。
妖艶な仮面の魅力に取りつかれて、その背後にどんな邪悪なものが隠されているかも見きわめずに、自己を見
失った神秘主義。
自己のほんとうの顔を見きわめたい意志と、見きわめたくない意志との間で揺れうごき、自らは何も決められ
。
ない日和見主 義
何事も先天的に決定づけられており、相対的な価値でしかない自己の意志によって行動しても、世界は動かな
いとする宿命論。
本文において筆者が 一番強く主張しようとしているのはどのようなことか 。最も適当と思われるものを、次
のイ1ホ の中から一つ選び、 マーク解答用紙 に答えよ。
私たちは仮面をかぶらざるを得ないが、その仮面はほんとうの顔を隠すためのものではなく、どんなに極端に
見えるとしても、それは自分と外界とをつなぐものであることを忘れてはいけない。
仮面にもさまざまなものがあり、その用法やかぶり方によ って意味するところも大きく変化するので、私たち
は時と場所とをし っかりと見きわめて、たえず仮面を選ぴ直すことが大切である 。
私たちは仮面なしに生活し得ず、 いつどんなときにも仮面をかぶり続けているが、不用意に他者へほんとうの
顔を見せでもしたら、自己のアイデンティティの崩壊を招きかねないので用心しなければならない。
人間である限り自己とは別の顔を持ちたがるもので、 いろいろな仮面をかぶることになるが、そのかぶった仮
面に引きずられて、自分の意志とはかけ離れた馬鹿げた行動をとらないように気をつけなければならない。
能面は日本の文化に深く根づき、古来日本人の愛し続けてきたものだが、その無表情な面に見入ると、そこに
自己の理想の表情を読みとりかねないので、そうした仮面ははずすべきである 。
8
マ
イ
十
イ
ロ
/¥
ホ
十
イ
口
I¥
ホ
十
イ
口
I¥
ホ
間
間
間
j
レ
︵
二OO五年︶ の一節である ︵一部省略した箇所がある︶ 。﹁パロ lル﹂は 話しこと
三 次の文章は、携帯電話︵ケ lタイ︶と現代の人間関係について考察した船木亨 ﹁
パ ロlル・エ クリチ
メ
一
L
あるいは 社 会 に 蔓延しつつある病理現象なのか。しかし、
なく、ネッ トワー クによって高度化されたコミュニケ ー ション形態に伴う現象かもしれないと考えてみてはどうだろう
いえない。 フレ 1 ミングは、従来のコミュニケーションの構成要素のうちの何かが欠けているコミュニケーションでは
投稿といった従来のメディアにおいても 、そ のようなコミュニケーションがあったのだから、それは決定的な要因とは
の 一つとしてネットにおける匿名性、相手が見えず、 いわば﹁顔がない ﹂ ということがあげられてきた 。だが、電話や
ーシヨン形態があ って、そこにとりわけ感情的になりやすい特殊な要因があるというべきではないだろうか 。 その要因
んなコ ミュ ニケーションでも人はときに感情的になる 。 だが 、むしろケ lタイならびにネ ット上には独特のコミュニケ
ひぼう
とりから誤解が誤解を生じ 、場合によ っては誹誇中傷合戦にいたるというように、相互に感情を傷つけあっていく。 ど
ネット上のコミュニケ ー ションにおいて 一旦フレ l ミングがはじまると 、ユ ーザ相E においてたんなることばのやり
の問題にど う対処すべ きかについてはよく論じられ ているが、それ 以前に、これ はどのような 問題なのであろう か。
を取 れない事態になるとしても、それによってネットワ ークがきわめて使 いに くいものになることに変わりはない 。 こ
こうしたことを行政や管理者が抑圧するに し て も 、 あ る い は 逆 に 個 人 の 表 現 の 問 題 だ か ら と 放 置 し て だ れ も が 対 抗 手 段
ンの特性として、 の つぴきならない状況にまで感情をこじらせ、犯罪に近い行為を 暴発させるような事態のことである 。
﹁フレ l ミ ング﹂ である 。 フレ l ミ ングとは﹁燃えあがるような﹂ と い う 意 味 で あ る が 、 ネ ット 上 の コ ミ ュ ニ ケl シヨ
本来的な、 つまり想定されていなか った使用から生じる思いもよらぬトラブルのことである 。 ここで注目すべきなのは、
と、ネットワークを使っても使わなくても生じうる問題とがある 。ネッ トワー ク固有の問題の方は 、ネッ トワー クの非
ところで、ネット上でさまざまな倫理的問題が生じているのは周知のことである。そこにはネットワーク固有の問題
価値︵差異︶をもって位置を記されてしまう情報空間のなかに、知らず足を踏みいれるのである 。
ったりしているさなかにも、 つねにあるチャ ート へと||何を買ったか 、どこ に行ってだれと連絡したかなど| | 付 加
ことによ って、これまで推測によってしか自分の位置 が特定できなかった地理空聞から、 コンビニに 寄っ たり電車に乗
生みだしつつある 。 ケ |タイは、その位置をたえず基地局に知らせる仕組にな っており、人びとはケl タイを持ち歩く
にぶらさがっている人間のリアルタイムの位置情報、さらにはふるまいとコミュニケーションをまで追跡可能な体制を
︵その物品の情報を無線で知らせる微小な機器︶とあいまって 、 ︵人聞がケlタイをもっているというよりは︶ケi タイ
ネットワークは、設置されつつある無数の監視カメラや、今後あらゆるものに添付されることになるであろうI Cタグ
ュー ル変更を可能にしてくれる点では 、 よ り ︹凹 な 行 動 を 可 能 に す る と い え よ う。 とはいえ、ケlタ イ が前提する
意 義 を 担 っ て い る 。 そ れ は 、 待 ち あ わ せ の よ う な 場 面 で 、 人 び と を 時 計 か ら 解 放 し 、時 間 と 空 間 に 対 す る 自 由 な ス ケ ジ
イをもっている時代である 。 ケlタイは 、ポストモダン ︵
脱 近 代︶ の 時 代 に お い て 、 時 計 と 似 て 、 時 計 を 超 え る ほ ど の
他方、現代といえば、 電気も通じていないアフリカの土地で、遊牧民︵ノマド︶たちが家畜を売買するためにケ1タ
そ 、 近 代 の 認 識 論 の 基 礎 に あ る と と も に 、 政 治 経 済 的 な意 味 で の 近 代 人 の あ り か た を 規 定 し て い た の で あ る 。
ラムされた人間たちが、腕時計の指令に従ってふるま っているだけ 、と いえなくもない 。 そうした定時法的時間体制こ
計を身につけている﹂ということもできようが、統一された時刻にそれぞれがみずからの行動を調整するようにプログ
びとが腕時計をもっているが、それをもって 、 ﹁時間を正確に知って、それによって行動できる理性的な 人 間 だ か ら 時
に 一日を 二四時間に等分し、人びとがそれを基準にして行動を調整する必要から、時計が発明された 。今日 、多くの人
もが自然の変化 にあわせて生活していた中世の時代、修道院では自然の変化 とは無関係に、規則的に 礼拝を勤めるため
いうタイプの機械であり、それを使えないと仕事にならない、仲間はずれにされる、そんな時代である 。
2Illi− − − Illli− −lili− − 引
J司 Illi− − − − − − − − − − − − − − − − − −
わたしには、ケ 1 タイは、ちょうど西欧近代文明の曙において時計が果たした役割を担 っているように見える 。だれ
そ の ど ち ら に ︹ 山 を 上 げ る べ き か は 問 題 で は な い 。何 し ろ ケ ! ? と は 、 多 く の 人 が 使 え ば 使 う ほ ど 便 利 に な る と
ケlタイに対する評価は分かれている。現代 文 明 の岐路?
﹁エク リチュlル﹂は 書き ことばを 意味して いる 。 これを読んで 、あと の問 いに答え よ。
j
レ
ある人びとは、ネ ットには、従来とはま ったく別の自由な空間が開かれて 、人類のコ ミ ュニケーションそのものの意
義 が変わ ったと 主張している 。 確かに 、 メール は高 速簡便でグローバルな通信手段でありなが ら 、電話のようにそのつ
9
L
ば ニ
か
ど 相 手 を わ ず ら わ せ る こ と な く 、 多 様 な 目 的 に 対 応 す る 柔 軟 さ と 確実 さ を も っている 。 そ う し た ポ ジ テ ィ ブ な 機 能 に 伴
って
、 フレ l ミ ン グ の よ う な ネ ガ テ ィ ブ な 問 題 が も た ら さ れ る の か も し れ な い で あ ろ う。
には話しことば
フレ lミングは 、 法 の 整 備 に よ って 対 処 す る だ け で は す ま な い と 考 え ら れ て き た 。法 に は 人 び と の 行 為 に 介 入 す べ き
適 正 な 水 準 と い う も の が あ り 、 そ の 水 準以下では、 モ ラ ル に 頼 る ほ か は な い 。 話 し こ と ば
ノ
レ
決 ま り 文 句 や 、手 紙 の 礼 儀 正 し い 書 き 方 の よ う な も の が あ る 。 そ れ ゆ え 、 ネ ットでも︵法以前のマナ ーとして︶
の正しい打ち方が守られるべきだとして、 ﹁
ネチケッ ト﹂ な る も の を 唱 導 し て い る 人 び と が い る 。
レ
o
うした保証はない 。 いずれにせよ文字なのであるか ら、どうしても同 一のテンポでしか読めず、
5
な音 調や勢いにおいて 読 むということを意味している 。 それが正確に相手の音調や勢いを再現するのならいいのだが、そ
る。 パロ l ルとして受け取るということは 、 あたかも会話をしているかのように 、 相 手 の声を勝手に想像しながら、適当
逆に、メl ルを手紙等と同様のエクリチュ l ルとして打ちこんだとしても 、読み手がパロ l ルとして受け取ることがあ
で、かえって 排 他 性 を 示すことにもなりかねない。
ジャルゴン ︵ 仲 間 内 の 用 語 ︶ と し て 、 そ れ を 使 、 っ か 使 わ な い か が 仲 間 で あ る か ど う か の 識 別 に な る と い っ た よ う な 次 第
ー ル に も 与 え る た め に 使 わ れ る こ と も あ る が 、 そ れ も ま た 一つのエクリチュ l ル と し て 受 け 取 ら れ る と な る と 、 単 な る
が、メールではそれが難しい 。 記号を 組 み あ わ せ て 感 情 を 表 現 す る ﹁
文 字 絵﹂ が あ って、 パロ l ルに伴うべき表 情をメ
表 情 や動作、 音 調 や 笑 い声 が 同 時 に 与 え ら れ る 。 パロ l ル に お い て は 非 難 や 侮蔑 の こ と ば が 親 愛 の 情 を 示 す こ と も あ る
れを手紙等と同様のエクリチュ l ルとして受け取る人は 、 そ こ に 非 難 や 侮 蔑 を 見 い だ す。 通常のパロールのなかでは、
たとえば、メ l ルを使いなれた人は、メ ー ルをパロ l ルと解して軽口や冗談のパロ l ル を 打 ち こ む 傾 向 が あ る が 、 そ
﹁勺凹﹂に由来しており、理性に訴えてすませるわけにもいかないのではないか
有 の 秩 序 へ の 違 反 と し て で は な く 、 以 下 に 示 す よ う に パ ロ l ル と エ ク リチ ュl ル と い う、 従 来 の 言 語 の モ l ドの
ルやエクリチュ l ルにおける正しさは 、 それぞれ理性に基づくと考えることができようが、 フレ l ミングは、 メール固
だが、 ﹁
正しいメl ル﹂ と い う も の が あ り う る の で あ ろ う か 。 ど ん な 基 準 で そ の 正 し さ を 決 め れ ば よ い の か 。 パロ l
メ
の﹁正しい言葉 づ か い﹂、書きことば ︵エク リ チュ l ル ︶ に は 書 き こ と ば の ﹁ 正 し い 文 章 ﹂ が あ り 、 電 話 で の あ る 種 の
ロ
一方 に と っ て パ ロ ー ル で あ る も の が 他 方 に と っ て は エ ク リ チ ュ l ルであったりというよ
ろパロ l ルの正しさとエクリチ ュl ルの正しさの 葛 藤 に よ って生じる理性の 暴 走| |そ れ ゆ え 理 性 が 無 効化 さ れ て し ま
問題文二行日の﹁ 一 1 一
を 上げ る ﹂ は 、競 争 や 論 争 で 一 方 を 勝 者 ・ 優 者 と し て 判 定 す る こ と を い う。 空 欄
うのではないだろうか。
間二十三
傍 線 部2 に﹁ケl タ イ は 、 ち ょ う ど 西 欧 近 代 文 明 の 曙 に お い て 時 計 が 果 た し た 役 割 を 担 っている ﹂ とあるが、
旧 日 入 る 最 も 適 当 な 語 剖 字 二 字 で 解答欄︵記述解答用紙︶ に記せ。
問二十四
1
21
定時法的
政治経済的
感情的
ら二ノ選び、 マーク解答用紙 に答えよ 。
人 聞 が 時 計 と ケl タ イ に 依 存 し て い る 様 子 を 、 同 一の視点か ら端 的 に あ ら わ し て い る 箇 所 を 、 そ れ ぞ れ 二十 字 以 内
で文中から抜き出し、 解答椀︵記述解答用紙︶ に記せ 。
理性的
空欄︹凹に入る語句として最も適当なものを、次のイ
口
ら 一つ選び、 マーク解答用紙 に答えよ 。
ホ
間二十五
規則的
1
21
相
似
空 欄 ︹ 山 に 入 る 語 と し て 最 も 適当 な も の を 、 次 の イ
ホ
I¥
混同
相
殺
間二十六
口 逆転
I¥
一一一 1
0一
一
一
ノT
とすれば、 表 現 さ れ た 起 承 転 結 や 条 件 の 列 挙 が 無 視 さ れ 、 そ の 結 果 、 読 み 手 は 、 非 難 や 要 求 の ニ ュ ア ン ス が あ れ ば 、 そ
つつ
拡
張
イ
イ
j
(
れを澱みない断固とした口調として読むことになりがちである 。 いかに熟慮されたいい回しが使われていようとも、自
にし
、
6た
メ|わ
IIけ
ル|で
で|あ
は|る
分の関心を惹いた部分だけを読む 。 ある人が質問や反論を冗長に繰り返したり、誤解を延長して極端な反応をしたりす
る
う に 、 そ の 現 わ れ か た が 暖 昧 で あ る 。 フレ lミ ン グ は 理 性 に よ って 適 正 化 す る こ と の で き る よ う な も の で は な く 、 む し
以の
上は
の
よこ
間二十七
二重傍線部﹁たとえば、﹂︵最後から三番目の段落︶以降の箇所に、次の 一文 が 脱 落 し て い る 。 入 る べ き 箇 所
ら一つ選ぴ、 マーク解答用紙 に答えよ。
の直後の文はどれか。冒頭の五字を 解 答欄 ︵記述解答用紙︶ に記せ。ただし 、読点があれば字数に含むこと。
121
空 欄 [ハ 凹 に 入 る 語 句 と し て 最 も 適 当 な も の を 、次の イ
電話ですら声の調子を受け取ることができる。
間二十八
それゆえにパロ l ルとして前に戻ったり繰り返して読んだりする
それゆえにエクリチュ l ルとして前に戻ったり繰り返して読んだりする
それなのにエクリチュ 1 ルとして前に戻ったり繰り返して読んだりすることはしない
それゆえにパロ l ル と し て 前 に 戻 っ た り エ ク リ チ ュ l ル と し て 繰 り 返 し て 読 ん だ り す る
それなのにエクリチュ l ル と し て 前 に 戻 っ て も パ ロ l ル と し て 繰 り 返 し て 読 ん だ り す る こ と は し な い
問題文の趣旨と合致するものを、次の イ ー への中から一つ選、ぴ、 マーク解答用紙 に答えよ。
西洋近代文明の曙において時計が果たしたもっとも大きな役割は、時間を携帯できるようにしたことであり、
さらに空間をも携帯できるようにした今 日 のケlタイの役割と強い連続性をもっている。
人びとはケlタ イ を 持 ち 歩 く こ と に よ っ て 、 現 実 的 な 地 理 空 間 と は 別 の 情 報 空 間 の な か に 足 を 踏 み 入 れ 、 自 ら
条件にしたがうこと。
一方にとってパロ l ルであるものが他方にとってはエクリチュ l ルであったりとい
エクリチュ l ルなら :::。﹂という形式の 一丈でまとめること。
下
﹁メl ルでは 、 パロ l ルなら:
以
句読点や符号なども字数に数えること 。
行頭の 一マス目をあけないこと 。
余
自
ようになっているか。筆者の考えに即して五十字以 上七十字以内で 解 答欄 ︵ 記 述 解 答 用 紙 ︶に記せ。その際、次の
うように、その現われかたが暖昧である﹂とあるが 、具体的にメ l ルではパロ l ルとエクリチュ i ルの関係がどの
傍 線 部6 に﹁メl ルでは、
マナーが確立されていないことによる、過渡的な現象と捉えることができる。
﹁フレ1 ミング﹂と呼ばれる現象は、ネットワークにおいてまだパロ 1 ルやエクリチュ l ルそれぞれの 正 しい
によるものであり、話し合えば和解することができるという意味でネットに固有の問題とはいえない 。
ネット上で生じているさまざまな倫理問題の大半は、現実生活でも起こり得るコミュニケーションのトラブル
ニケ1 シヨンにおいても存在しており 、 ﹁フレi ミング﹂の要因としてあげるには 十 分ではない。
ネットワ ー クによってコミュニケーション形態は高度に匿名化 されたが、こうした匿名性自体は従来のコミユ
様で柔軟なコミュニケーションの 一環としてポジティブに捉える視点もあり得る 。
ネット 上 でさまざまな倫理的問題が 生 じ て い る こ と を 、 決 し て ネ ガ テ ィ ブ に の み 理 解 す る 必 要 は な く 、 よ り 多
の位置情報や足跡が常に記録されることを新しい日常性の回復として積極的に受け入れようとしている。
ロ
/¥
ホ
/\
十
1
1
イ
/¥ 口
ホ
イ
間二十九
間